おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

さらば!!イスタンブール

2010年03月31日 | Weblog


午前8時の気温は零度。
ようやくいつもの気温でござります。
それにしても、今年は雪が多いなぁ。
ようはなかなか融けないわけだけど、どうなってんだろ?

そんな中、きのうは我が町内会の年に一度の会合でござった。
昨年一年の収支報告などをしたわけ。
うだうだ、1時間半ほどご近所が集まって、世間話などいたしました。

この町内会、いわゆる限界集落でござる。
なにせ一番若いのがおぢ夫婦。
で、この2年間で連れ合いをなくされた方がおふたり。
奥さんが入院中のお方がおひとり。

ってことで、年寄りの単身世帯が3つ、夫婦だけの世帯が2つ。
計5家族しかない、まさに限界集落なのでござる。
そう遠くない将来、お近くの別の町内会に加盟せんとダメなことになっておる。
スキー場界隈は、たいそう元気だけれど、我が町内たいそう寂しいことになっておって、えらい違いなのじゃ。

さて、
トルコ旅行もいよいよ最終日でござる。
夜の首都アンカラを寝台車に乗って、ガタゴト、ガタゴト、イスタンブールへ。
列車は、ニッポンとまるきり違って、定刻なんってものはない感じ?
黙って、遅れて、出発いたしました。

ニッポンでは鉄道マニアいわゆる「鉄ちゃん」とか「鉄子」とかがいるけれど、こんだけ発着時間がメチャクチャな鉄道にファンなんかいるんだろか?
って感じでござった。
なにせ到着時間は、車掌さんもわからんというのです。
お国柄ってことですかね。

でも、イスタンブールからは「オリエント急行」ってのもあった。
あれは一度乗ってみたいか…

翌朝観光したのは、ブルーモスクで知られる「スルタンアフメッド・ジャーミィ」とお近くの「アヤソフィア博物館」。
いずれも、イスタンブールの象徴とでもいう、どでかい建物なのじゃ。

アヤソフィア博物館は、1世紀に完成したというギリシャ正教の建物じゃ。
その後15世紀にキリスト教の聖堂が、イスラム教のジャーミィに変わったという一風変わった成り立ちなのじゃ。
17世紀には内部のモザイク画は漆喰で塗りつぶされたけど、いまその漆喰をはがす作業などが行われておる。

天井やら壁に描かれたキリスト教のモザイク画がずんずん明らかになっておる様子で、なかなかに見事でござる。
また、聖母マリアの手形とかいう柱があって、この柱のくぼみに指を入れてぐるりと円を描けたら、願いがかなうとか。
大勢が並んでおって、なもんだからお約束ってことで、一応試してみましたです。
結局、おぢの場合、願いはかないそうもないことになってましたけど…

そして、グランバザール、エジプシャンバザールなどを見学いたしましたです。
どこへ行っても、ニッポン語のうまい店員さんがいて困りまする。
あやうく、あれこれ買わされそうで危なかったのじゃ。

中でもグランバザールは、キンキラキンでびっくり。
我が家にはまったく無縁な貴金属やらが、ごっちゃりでござった。
スパイスなどが香辛料や食べ物が売られておるエジプシャンバザールの方が、我が家向きでなのでござった。

で、こんとき美味しかったのが、グランバザールの手前にあった鶏のグリルのお店。
ハーフサイズも、クウォーターサイズもあって、それに熱々のバターライスにスープにパン食べ放題で数百円でござった。
これが美味かったなぁ。

旅行中、ずーっとトルコは鶏肉が美味しいと思っておったけど、ここは格別でござった。
「一般人が食べてるものは、世界中どこへいっても美味い」と思うおぢですけど、ここも例外ではござりませんでした。
トルコはケバブより鶏肉でござります。
お肉のフアフアした食感はニッポンの鶏肉と別物だったのでござります。

そんで、最後は名物のサバサンドを食べながらの、ボスボラス海峡のクルージング。
もっと熱々だったら美味しかったはずのサバサンドでしたけど、ちょいと冷えててねぇ。
あっ!!サバサンドとは、焼いたサバやから揚げのサバをパンに挟み、タマネギなどなど野菜をはさんだもの。
出来立ては、たぶん絶品でござる。

で、多少冷えたサバサンドにぱくつきながら、ヨーロッパとアジアを隔てる海峡をトルコ人ガイドの流暢な日本語で聞きながら、1時間半ほどのクルージングを楽しんだのでした。
そしてその夜は、自由時間ってことで、イスタンブールの繁華街、タクスィム広場周辺を散策。

スタバでコーヒー飲んだり、トルコ料理のファストフードの店で食事したりと、楽しく最後の夜を過ごしたのでした。
イスティクラール通りには、演劇してる劇場もあったけど、ちょいと入りにくくて、止めましたけどね。

いずれにせよ、トルコは遠くて遠い国でしたけど、8万8千円ってことで、十分楽しめましたです。
さて、今度はどこに行こうかねぇ。
ま、我が家のことですから、旅費の値段が目的地を決める、ってことになってますけど…


カッパドキア

2010年03月30日 | Weblog
午前6時の気温は、マイナス12度。
ちょっとぉ~3月末ってこんなに寒かったかぁ?
まもなく4月、いくらなんでも変でないのぉ?

どうにも、おかしいなぁと思っておったら、先ほどTVでは、静岡県の御殿場でも雪だとか。
御殿場で雪なら、ご当地羊蹄山麓がマイナス10度超えてても不思議はないね。
ニッポン全国、冷凍庫状態ってことだ。
本州最北端の青森でも、そろそろ桜が咲くとかいうておるのに、寒いのねぇ…

さて、
トルコ旅行もいよいよ終盤でござる。
この日は朝から、奇岩で知られる世界遺産のカッパドキア観光でござった。
キノコやラクダのような岩にソフトクリームみたいな岩、そして地下都市などなど、生まれてこの方まるきり見たことのない、驚きの光景があちこちに広がっておりましたです。
なんとも、不思議なところでござる。
数少ない読者の皆さま、とにもかくにもここは「一見の価値あり」!!トルコ観光のハイライトなのじゃ。

このカッパドキア地方、紀元4世紀からキリスト教徒が洞窟を掘って住みつき、天井や壁にフレスコ画などを残しておるそうな。
で、屋外博物館という所があって、そこを見学いたしましたです。
長い時を経て、いまだにちゃんとフレスコ画なんかが残っておった。

こういうキリスト教関係の観光施設には、ドイツとかロシアとか欧米の方々が、ごっちゃり詰め掛けておりましたです。
一方、イスラム教関係はドメスティックなことになっておって、トルコ国内の観光客が多かった。
で、両方見て歩いてるのが我がニッポン人なのでござった。
ま、節操がないというのか、宗教観がないというのか、世界の常識から見ればまことに不可解な国民ってことでござろかね。

実はこのカッパドキア観光、気球に乗って上空から見物するのがたいそうよさげなのです。
フワフワと気球に乗って、上空からこの奇岩を眺めるのが、とってもよさそうなのじゃ。
ところがこれが高価なのよ。

なんとお一人様185ユーロというから2万3千円以上(1ユーロ125円換算)。
ってことは二人で4万6千円をゆうに超えまする。
で、当然ながら諦めましたです。

毎日朝早くからフライトするのだそうですが、その日の朝は、強風のため中止でござった。
まぁ、結局のところ、気球には縁もなければ、円もなかったわけで、まことに残念でござった。
もし、今度カッパドキアに行く機会があったなら、気球にはぜひとも乗ってみたいものです。
お金があれば…

実は前日夜から、大奮発してオプションとなっておる「洞窟ホテル」というところに、宿泊をいたしました。
ここはよかったなぁ。
まぁ、ほかにもかなりのニッポン人観光客がいましたけれど、皆さんほとんどツアーで泊まっておった。
おぢたち格安ツアーだけが、オプションなのでござった。

部屋もそこそこよろしいし、カッパドキアの観光地のど真ん中にあったので、朝の散歩も楽しめましたです。
食事も昔の言い方ではバイキング、いまどきはビュッフェ方式でござったけれど、今回のトルコ観光ではここが一番美味しかったしね。
もしカッパドキア観光に行くことがありましたら、洞窟ホテル「KAYA HOTEL」はお勧めなのでござる。
垢すりや屋外と室内にプールなんかもありましたしね。

ってことで、このカッパドキア観光を終えて、格安ツアーのご一行さまは、延々とバスに乗車して首都アンカラへ。
ここから寝台特急に乗って、翌朝イスタンブールへ。
到着後にもう一度イスタンブール観光なのでござる。
トルコ観光最終日は、また明日のこころなのじゃ!!


あぁトルコ…

2010年03月29日 | Weblog


午前6時の気温は、驚きのマイナス13度!!
きれいに晴れた朝ゆえ、例の放射冷却現象なのでござります。
サブッ!!

トルコ旅行以前の生活を思い出した我が家のおバカニャンコ、この厳しい冷え込みというのに玄関前でご飯を待っておりまする。
とりわけ母ネコは、おぢが視線を送るたびに、じっと睨んで「ニャン!!」とか鳴いておる。
「こらぁ、早くご飯出さんかい!!」とか言ってる感じ?
怖いので、できるだけ視線を合わさないようにしておるけど…

さて、
きのうのお約束、「トルコ風呂」をめぐるお話でござる。
ウキペディアなどによると、そもそも我がニッポン国でトルコ風呂が「性風俗のお店」となったのは、1960年代の後半だそうだ。
っていうことは、おぢが高校・大学生だったころからなのじゃ。

聞いたところによると(アレッ!?)、そのころトルコ風呂と呼ばれた風俗店には、人がイスに座って入るカプセルみたいなものが、置かれておった。
そのカプセルは、いわゆる蒸し風呂だったのだけれど、そんなものを使う人はまるでおらず、湯船に浸かった後、ダブルベッドぐらいの巨大マットがあって、その上で、ここではとても書けない、あんなことやこんなことを、トルコ嬢とお客がしておった。

いや、しておったという話を聞いたことがありましたです、ハイ。
バブルのころには、1~2時間の入浴時間が3万円とか5万円とかという高級トルコも札幌ススキノにはあったそうな。
で、あっちにもこっちにもとんでもない美人トルコ嬢がいて、くどいようだけど、とても書けない、あんなことやこんなことをしたのでござる。

そういえば、バブルのころのトルコには、もう蒸し風呂なんかも置いてなかったような気もします。
でなくて、蒸し風呂はなかった、と誰かに聞きましたです。
しつこいか。

当時、ことトルコに関して札幌ススキノは、たいそう有名でござった。
東京の吉原、川崎の堀之内、大津の雄琴、福岡の中洲などと並んで、日本有数のトルコ帝国なのでござった。

そんなことなもんだから、日本在住のトルコ人は、祖国の名称がどスケベ産業と直結しておって、たいそう怒っておった。
実際札幌では、「今日はトルコに行くぞ」ってことは、トルコ共和国に旅行に行くわけではなくて、そりゃもちろん、ススキノの泡姫さまがいるトルコなのでござった。
そんな中、東大に留学しておったというあるトルコ人大学生が、それ知って大ショック!!
当時の厚生省に「トルコ風呂」の名称変更を直訴、名前を変更するよう運動したのじゃ。

で、元々親日的な国なもんですから、ニッポン人もたいそう協力し、マスコミも取り上げて、当時は社会問題にもなったのでござる。
その結果、1984年には、新たな名称として公募で「ソープランド」が決定されたそうな。
つまりは1984年以降、トルコ風呂、通称トルコは、ソープランドとなったのじゃ。
メデタシ、メデタシ。

なもんだから、おぢ世代にとっては、その手の風俗産業はトルコって言うことになっておるけれど、若いお方はそんなことを一切知らないことになっておる。
だから若いお方が、トルコと聞いても、いまはもちろんお国の名前。
ニッポンとトルコ両国にとってはまことにけっこうな結果となったのでござる。

まぁ、考えてみればそのころはというと、いまみたいに「草食系男子」なとというもんがさっぱりいない時代でござった。
つまり男は全て肉食系だったわけで、そりゃトルコのお世話になった男子は数知れず。
っていうか、彼女のいない若い男子は給料日となれば、「トルコへ直行」なのでござった。

聞くところによると(しつこいか?)、給料日のトルコは、待合室に行列ができる大騒ぎ、だったそうな。
当時、既婚者だった男性などは、トルコに行って、それから焼き鳥屋で呑んで、煙を体中につけてから帰宅したそうな。

そう、戦後すぐの時代は「石けんの匂いがする」というと爽やかなイメージでしたけど、80年代はというと、昼間から石けんの匂いがプンプンしようもんなら、「お前、トルコ行ってきたのか?」などとあらぬ疑いをかけられたりしたものでござる。
聞いた話ですが…

そんなこんなで、いまや若いニッポン人は誰もトルコ風呂は知らないことになっておって、まことにけっこうなのだけれど、そんなことほじくり返して書いちゃって、おぢはそれでいいんかい?
そう遠くない将来、風俗産業をトルコと呼んだ世代もいなくなるわけで、ま、いいか。
トルコ国民の皆さん、勘弁してね!!

一方、ススキノのトルコが元気だった時代は、我がニッポン経済も絶好調!!
風俗産業が衰退し、草食系男子などという男の子が出てくるいまの時代は、経済も寂れるばかりだ。
なんか経済と風俗、ウンチとエアロビみたいに相関関係あるんだろか?
どなたかに解明していただきたいものじゃ。

ということで、きょうは温故知新、古きをたずねて新しきを知るの巻でござった。
ま、何の役にも立たん話でスマンね…
写真は、イスタンブールの通称ブルーモスクでござる。
風呂はなかった…

大もてのニッポン人!!

2010年03月28日 | Weblog

午前7時の気温は、マイナス5度。
きのうはブログを更新したあたりから、とんでもない大荒れの天気となりましたです。
風はビュービュー、雪はジャンジャン横殴り、なもんだから一寸先も見えない猛吹雪。

おかげさんで、おぢもハニーさんも、おバカニャンコのご飯とトイレ掃除以外には、一切外には出ない、完全引きこもり状態でござった。
そんなことで、今朝は積雪が10センチ超!!
ゼッコーのパウダー!!スキー日和なのでござります。
まもなく4月ってぇのに、どないなことになっておるのか?

さて、
トルコ旅行もすでに終盤。
書いてるほうも飽きてきたし、よく考えてみれば(あんまり考えなくても)、今回の旅はバスに乗りっぱなし!!
楽しいことはちょっぴりで、余計なことがごっちゃりでござった。

そんな中、まことに興味深い出来事が、イスラムの古都、コンヤでござった。
そう、コンヤは朝行っても、昼行っても、コンヤ。
…スマン!!

そのコンヤという都市は、イスラム神秘主義の一派であるメヴェレヴィ教団?発祥の地だそうだ。
といってもさっぱり判りませぬが、白いスカートみたいな衣装を着て踊る、「踊る宗教?」の総本山?

ここにメヴァラーナ博物館というのがあって、この教団の創始者の墓やらモハメッドのあごひげが入っておる箱やらが展示してあって、どういうわけかここを見学。
で、その門前で、トルコのどこぞの田舎からやってきておる中学生らしき美男美女に、ニッポンの男女が取り囲まれて、写真を撮られておるのが、上記写真なのじゃ。

ニッポン男子が、外国の美少女たちに「大もて状態」ってのを見たのは、生まれて初めてでござった。
なにせニッポン人と見れば、一緒に写真を撮りたがるから、まことに不思議。
トルコの田舎ではニッポン人など生まれてこの方、見たことないのでしょうね。

写真のニッポン男子は、大学の卒業旅行だそうで、とっても性格のよさげな好青年。
この大不況下というのに、きっちり就職したそうな。
将来のこともあれこれ考えておって、まことに頼もしい若者でござった。

こんな好青年だから、トルコのねーちゃんに取り囲まれた、わけではなくて、ニッポン人と見れば写真を一緒に撮りたがったのじゃ。
かくいう、おぢとハニーさんもこの建物の外で、二十代とおぼしき若者と写真に納まったのじゃ。
いやぁ、こんなにニッポン人を贔屓にしていただいて、どうしよう、ってぐらい皆さんに、ちやほやされたのじゃ。

トルコ人にこんなに愛されるニッポン人なのに、ニッポン人はトルコ人に何してるんだか?
もちょっと、トルコ人を贔屓にしてやってもいんでないかい、などと思いましたです。
過日も書きましたけど、こうも親日的ってのは、オスマントルコの軍艦エルトゥールル号の乗組員を和歌山県の皆さんが救ったおかげなのじゃ。
これを、いまも学校で教えてるためでしょうかね。

ボケカスタコの民主党政権は、こういうトルコ共和国と国民を、もっと大事にしないとダメでないの。
ニッポン人を愛してくれる国民など、世界広しといえど、トルコ以外にはどこにもござりませんのです。
なんかトルコ人の片想いみたいで、もちょっとニッポン人も日本政府も何かできないのかねぇ、などと思ったのでした。

そういえば、トルコを巡っては、かつての「トルコ風呂」騒動というのもありましたな。
その話は、また明日のこころだぁ!!




世界遺産のパムッカレ

2010年03月27日 | Weblog

午前7時の羊蹄山麓、気温は驚きのマイナス8度!!
すっかり真冬に戻りましたです。
積雪も5センチほどあって、少し重めのパウダースノー!!

いやぁ、どないなことになっておるのかねぇ?
3月も末だというのにねぇ。
スキー、スノボには絶好という土曜の朝でござります。

きのうは札幌での法事を無事終えて、ソッコー帰宅。
そして昨夜は、おぢとハニーさん、久々にエアロビをいたしましたです。
いいねぇ、汗かくのは!!
トルコ旅行の10日間というもの、運動はほぼゼロでしたしねぇ。

ガチガチでぎしぎし悲鳴を上げておった身体も、ちょっとは、しなやかになりましたです。
ってことで、今朝のウンチは極太、豪快、1本もの!!
カツオの一本釣りみたいなのじゃ。

おぢの場合、運動と形のよいウンチは、完全に相関関係があるね。
なんか論文でも書けそうな、気もしますです、キッパリ。
まぁ、そんな論文、誰も読まんとは思うけど…
ついでながら、おかげさんで時差ボケもとうとう解消しましたです、ハイ。

さて、
写真は、世界遺産に指定されておる石灰棚の「パムッカレ」。
トルコ有数の温泉地でもあるそうな。

石灰棚には温泉水がたまっておって、はだしで歩くのがウリでござったけど、観光シーズンから外れておるせいか、どうか、水は冷たいし自由に立ち入ることもできないし…
はだしで歩くと冷たくて、冷たくて。
それでもハニーさんは、大感激のようすでござった。

はだしのせいか、観光客の中には、すってんころりと転ぶ方々もあちこちにいて、なんだかんだの大騒ぎでござった。
もっとも、転んでおったのは、ニッポン人だけでしたけどね。

そんなこんなで、旅行4日目は、このパムッカレ観光をして、宗教の街とかいうコンヤへ。
約400キロ5時間もの間、またまたバスの旅なのじゃ。
広いねぇトルコ。

ってことで、きょうもきょうとて、尻切れトンボでスマンね!!
あれこれ用事があるのです。

スパ

2010年03月26日 | Weblog

午前7時の気温はマイナス3度。
ちらちら雪が舞ってます。
穏やかな週末でござります。

おぢとハニーさんは、これから札幌で行われる法事に出かけますです。
従兄弟の三回忌でござる。
ここんとこ毎年のように葬儀やら法事やら。

なんだか気が滅入りまするが、それもこれも、そういう年回り、ってことなのでしょう。
しかも今回の法事もおぢが一切取り仕切りするわけで、あれこれ忙しいのでござる。
なんだか雪もドンドコ降ってくる気配で、峠越えが心配でもござります。

さて、
写真は壮大な石灰棚で知られるパムッカレにあるホテルのスパ。
トルコは火山国、ってことですから、我がニッポン国と同様に、かなりごっちゃり温泉があるそうな。
実際1千ヶ所で源泉が沸いてるそうですが、今回の格安ツアーでは、温泉ホテルはここだけ。

で、このスパで入浴しておったのは、ほとんどがドイツのぢぢとババ。
段々畑のように温泉水は、下に行くほど温くなるのですが、熱々の最上段に浸かっておったのは、ニッポン人観光客。

ドイツ人は温めにしか入れないのね。
まぁ我がニセコ界隈の温泉でも、オーストラリア人など紅毛碧眼のお方たちは、多少温めの露天で、うだうだするのがお好き。
41~42度という高温は、ニッポン人の専売特許でござる。

その熱々温泉で、ハニーさんと水着でうだうだうしておったけど、いやぁ、これが気持ちいいこと!!ったら。
考えてみれば、ずーっとバスに乗りっぱなし!!
運動不足に加えて、ホテルの狭い浴槽では、ニッポン人はどもこもならん。
広々とした湯船でゆったり、ノンビリでないと、疲れもとれないことになっておる。
ようやくホッとした一夜でござりました。

ここでは、過日も書きましたビール一杯で楽しんだベリーダンスもありましたしね。
それにしても、旅はよいねぇ~
おぢは一人旅なら、毎日ドミトリーみたいな安宿を探して、知り合ったお方からあれこれ情報を得て、西へ東へ気ままに旅するのが好きだけど、ハニーさんと一緒ではそうもいきませんです。

どうしても安全第一になってしまうのも、せんないことなのじゃ。
それよりなにより、海外へ出かける日本の若者が少なくなっておるのが、心配でござる。
アメリカ人などは、7割、8割のお人が、一歩も外国へ出たことがないという。

せいぜい、海兵隊とか陸軍・海軍の兵隊さんしか、海外を知らんってこと。
完全に内向き社会!!
きのうの新聞などで、「4万8千年前に『未知の人類』」とか報じられたけど、そもそも進化論を否定しておるアメリカでは、こんなことは一切報道されないね。
キリスト教福音派と呼ばれる「聖書原理主義者」が事実上支配しておるからねぇ。

それでも、先進国では「あたり前田のクラッカー」となっておる国民健康保険制度がアメリカでようやく実施の運びだそうで、世界常識に向けて一歩前進なのでござる。
保守派は大反発だったそうだけど、よかったねぇ、ようやく世界標準の保険制度ができたんだもの。
高価な病院にはまったく行けず、死んでしまってた貧しい人も、これからは助かる可能性もあるってもんだ。

などと、あちこちに脱線して、どうでもよろしいことばかりでスマンね。
ってことで、これから慌しく札幌へ向かいまする。
尻切れトンボでごめん、また、あしたねぇ~





エーゲ海最大規模のエフェス遺跡へ

2010年03月25日 | Weblog


午前7時の気温はプラスの2度。
どんよりとした曇り空です。
雨でも降るんだろか?

おぢもハニーさんも、いまだ時差ボケから開放されませぬ。
もう一歩なんだけど、まだなんか変!!
そろそろ元に戻るらんと困るけど…

さて、
トルコ旅行も3日目。
この日も朝からいきなり250キロ約4時間、南へ。
で、着いたところが、エーゲ海最大規模の古代ローマ遺跡という「エフェス遺跡」。
写真の正面奥にあるのが図書館だとか。

そのすぐ右手の道を行くと、売春宿があったそうな。
で、そこへ向かう途中の道路には、な、な、なんと、その売春宿の広告が残っておるのじゃ。
石畳の道路に彫られたその広告とは、左足の足形。
これは「左の方にうちのお店がありますよ~」というサインだそうだ。
また別の解釈もあって、この足型より小さい足のお方は、利用できないという説もあるそうな。
間抜けの小足となっておるおぢ、この売春宿は立ち入り禁止かぁ?

で、極めつけはその足の小指の先の方にハートマーク!!
「心を込めてサービス」ってことだとか。
いまも昔も、そういうのが「ハートマーク」ってのが驚いた。

そんなこんなの広告を見て、男どもは写真の図書館に行くとかなんとか、家人に大ウソこいて、売春宿へ行ったそうな。
いやはや、クラクラいたしますなぁ。
紀元1世紀も、21世紀のいまも、男はずーっとアンポンタン。

「ちょっと仲間と呑みに行く」とかなんとか大ウソこいて、ソープ・ヘルスに行ってたあなた!!
ローマ時代から、からっきし進歩なし!!ってことじゃ。

この遺跡には2万人も収容したという、半円形の巨大劇場もありましたです。
観客席からは遠くにきらめくようなエーゲ海が広がりっており、おぢは暫くそこにたたずんで、古代ローマに思いをはせたのでござります。
で、心の中でつぶやいた。
「古代ローマの風俗ねーちゃん、どうよ!?」

あっ!!忘れておったけど、屋外水洗トイレにもびっくり!!
石造りで、ちょうど現代のトイレ便座と同じかんじで穴が開いており、下には水が流れておったそう。
で、石だから当然お尻が冷たい。

だから奴隷に座らせておいて、暖かくなったところで使ったのだそうだ。
信長の草履を温めて出世した秀吉とは、ちょいと違ってかなり悲惨でござる。

それにしてもですけど、おぢは子どものころ、まだいわゆる「ぼっとんトイレ」。
考えてみれば、今の我が家だって、つい去年まで汲み取り式の簡易水洗トイレだもんねぇ。
2000年前の古代ローマ帝国では、トイレが外にあったとはいえ、完全水洗トイレ、いやはや恐るべし!!

ここで1時間半も見学したでしょうかね。
丸一日見学してもいい感じでしたけど…
そして、またまたバスに。
ただし今度は、お近くの革製品のお店へ。

ここではファッションショーをご見学したあと、たいそう流暢な日本語を話すスタッフから、「レザー製品、買いませんか」の大攻撃!!
なんだかんだ1時間にも及ぶ滞在で、買う気などサラサラないおぢとハニーさんは、いささかウンザリでござった。
買い物好きのお方もいるでしょうからしょうがいないけど、ああいうのどうよ?

で、結局何人かが買い求めて、またまたバスで180キロ約3時間の旅。
この日は、石灰棚で知られるパムッカレにある温泉スパ付きのホテルに宿泊いたしましたです。
久々の温泉!!水着でしたけど、たいそういがったのでした。

つづく…




トロイ遺跡

2010年03月24日 | Weblog

午前9時の気温はプラスの4度。
ピーカンの朝です!!
帰国後初めてよい天気でござる。

ハニーさんはここ数日喉が痛いとか。
風邪かなぁ?ちょいと心配なのじゃ。
ハニーさんに元気がないと、おぢもドヨンとしますけど、それでも天気がよいと、気持ちも明るくなるのじゃ。

朝からブログへのログインが突然できなくなって、きょうは更新が遅れましたです。
ちょっとー、これってどういうこと?gooさんよぉ!!
そりゃ無料のブログか知らんけど、なんかするんなら、事前に言ってくれんと、大迷惑なのじゃ。
ったく、プンプン!!

さて、さっぱり先に進まないトルコ旅行でござる。
若いころなら、期待に胸やあちこちが膨らんだ初日のベリーダンスも、たいした感激もないままに観劇終了、イスタンブールの夜は何事もなく静かに過ぎたのでした。
で、翌日からは大陸横断旅行みたいな、チョー長距離の旅がスタートいたしましたです。

まずはイスタンブールを南西へ。
300キロ超、約6時間もどんどこ走って、チャナッカレとかいう街へ。
ここからフェリーでダーダネル海峡とかを渡って、またじゃんじゃん走って、世界遺産のトロイ遺跡へ。

トロイは紀元前3000年から集落ができ始めたとかで、まぁとにかく古い!!
いまから5000年前って言われてもわけわからん。
で、ここは9層にもわたって都市が築かれておったそうな。
どれもこれも古いためか、けっこうボロボロの遺跡です。

その第6番目の都市が、トロイ戦争で知られるわけで、ようは過日TVでも放送しておったブラピの映画「トロイ」のトロイ。
神話の世界かと思っておったら、10年に及ぶトロイ戦争が実際にあったのだそうだ。
で、この遺跡を発見したのがドイツ人のシュリーマン。

シュリーマンってどっかで聞いたと思ったら、マンガ・ビッグコミックオリジナルに連載されておった「イリヤッド-入矢堂見聞録」に出てきた名前でござった。
おぢの知識なんぞは、その程度でござる。

写真はトロイの玄関口とか。
ここからトロイの木馬が街に入り、深夜、木馬の中から兵士が飛び出し、門を開けて、トロイを滅ぼしたのでしょうかね。
木の化石などは残ってなかったそうです。

現在、このトロイ遺跡には、1980年代に復元されたというトロイの木馬があって、ゼッコーの写真スポットとなってますけど、なんかバカバカしいかんじが、まことによろしい。
で、おぢもハニーさんも記念写真をパチリ!!

それより何より、さっぱり事前に勉強してないもんだから、あれこれ説明を聞いてもよくわからん。
せめてギリシャ神話でもちゃんと読んでから行くのがお勧めです。
おぢとハニーさんは、これからお勉強なのじゃ。
あれこれ知ってから行くと、お楽しみも倍増ってことでござる。

もっともトルコにやってくるニッポンの観光客は他国に比べて少ないそうで、韓国のほうが多いそうだ。
ドイツ人なんかは、地中海沿岸のリゾートへ行くそうで、遺跡めぐりなどあんまりしないのだそうな。
確かに、こういうチョー長距離バスツアー、疲れるわけで、ごもっともなのじゃ。

で、この日はそれから約170キロ3時間走って、アイヴァリクでお泊りでござった。
うぅ~2日目にしてぐったりしたのでござった。
つづく…

ベリーダンス

2010年03月23日 | Weblog

午前7時の気温はマイナス3度。
雪が上からまっすぐ降ってます。
風はないのじゃ。

おぢもハニーさんも、今朝の起床は午前6時40分。
ようやく時差ボケも解消する気配でござります。
頭はまだボヤッーとしてますけれど、帰国の翌朝に比べりゃ天地の差でござる。
きのう、休肝日にしたのもよかったのかなぁ?

昨夜は、NHKの「放送記念日特集」を観ましたです。
TVや新聞の巨大メディア、今後ますます苦境に立たされるのだろうなぁ、と実感。
ようは、巨大メディアの時代が終わろうとしておるってことでしょうかね。

なにせ、若者が新聞はもちろん、TVも観ないことになっておって、情報はほぼネットからってことですから、どう考えても既存メディアに明日はないはなぁ。
それに加えて、既存メディアの代表の皆さんが揃いも揃って年寄り。
発言がなんとも、古臭い。

ITジャーナリスト佐々木俊尚さんの「新聞メディアが出てきたのは、せいぜいこの100年か200年、かつてはカフェでお茶を飲みながら、世論が形成された。ネット時代は元に戻ってるだけのこと」みたいな発言がまことに印象的でござった。
ニコニコ動画が、岡田外相の記者会見を生放送で伝える時代ですものねぇ。

ってことで、ネット社会と折り合いをつけながら、既存メディアが生き残る道は、かなり厳しいのかなぁと思いましたです。
ようは「驕る平氏は久しからず」ってことですか。

さて、
写真はイスタンブール初日の夜にオプションで見学した、ベリーダンスのディナーショーの模様。
いやぁ驚きましたね、なんとまぁ、身体の柔らかいこと!!
セクシーというよりは、中国雑技団かなんかのサーカス観てる感じでござった。
腰を前後左右にクネクネ、クネクネまぁ、よく動くこと。
「熟練の技」を見せていただきましたです。

それよりなにより、ひとり65ユーロ(1ユーロ125円換算で8100円も出して)のディナーショーなんだけど、食事がどもこもならん。
おぢの向かいに座った、たいそう旅慣れた中年女性5人組なんぞは、前菜の皿を見て「立体感のない並べ方ねぇ」「こういうのは手を付けずに残して、思い知らせた方がいいのよ」となどとのたまって、ほとんど箸をつけず、でなくてフォークとナイフもつけず。

おぢも前菜は一口二口食べたものの、残りはほとんど手をつけませんなんだ。
メインの鳥料理は、そこそこでしたけど、隣に遅れてやってきたロシア人女性グループ?とそのメインの量があまりに違って、びっくり。
そりゃ、ニッポン人、たくさんは食べませんけど、そりゃないんでないかい、って違いでござった。
せめて、「少しでいいか?」とか聞いてからにしてもらいたいよなぁ。

ったく、もう、ニッポン人を舐めてもらっては困ります。
ショーはともかく、あんな食事で8千円を超えるってのはいかがなものかと思いましたです。
後日、温泉水のたまっておる石灰棚でしられる景勝地「パムッカレ」で宿泊したホテルでは、1ドリンクでベリーダンスが観れちゃった。

こちらは、短いショーではありましたが、ニッポンやあちこちの国の男女に、ベリーダンスを体験させたりってことで、楽しく拝見いたしましたです。
それでビール1杯8リラ(480円)程度とチョー格安。

なもんだから、イスタンブールのベリーダンスディナーの大失敗が、あとから悔しくて悔しくて!!
ふたりで130ユーロなりに、貧乏おぢは涙がちょちょ切れたのでござります。

そういえば、そん時の5人組おばが、「メキシコはいいわよぉ!!」とのたまっておった。
何がいいのかよくわかりませぬが、旅慣れたおばの発言だけに気にかかっておりまする。
メキシコ旅行ってどうよ!?


トプカプ宮殿

2010年03月22日 | Weblog


午前8時の気温は、零度。
きのうからの強風と雪で、早朝から除雪車が入ったらしいのですが、今朝も酷い時差ボケ。
起床したのは、午前8時ちょいと前でござった。
どうにもこうにも目覚めが悪い!!

昨年のイタリア旅行も、帰国後の約1週間ってものは、ゲロッゲロの時差ボケ。
その時差ボケをなんとか解消できないかと、きのうはビュンビュンの強風下、プールに行きましたけど、まるで効果なし!!
時差ボケと、たいそう相性の悪いおぢなのでござります。

それにつけても、きのうの強風と吹雪!!驚いたね。
台風並みだったもんなぁ。
読者の皆さんは、ケガなどござりませんでしたか?

さて、
イスタンブールの初日、まずは昼食をイスタンブールのレストランでいただきました。
かなり小さく削られたケバブ、ケシの実の入ったバターライスと、チーズかなんかが入った春巻き1個、それにフライドポテトが乗ったプレートなのじゃ。
けっこう貧乏臭い感じの食事でござった。

ここは8万8千円ツアーゆえ、しょうがないところか。
味は悪くなかったです。
それでも小食ニッポン人のおぢは、けっこうお腹いっぱいになったのでござった。
ビールも呑んだりしたしね。

それにしてもですが、食事には必ずといっていいほどフライドポテトがついておりましたなぁ。
イスタンブールの中心街、タクスィム広場周辺にはフライドポテトの専門店もあったから、トルコ人、好きなんだろねぇ、フライドポテト。
だけど、料理のつけあわせに必ずフライドポテトってどうよ?
ファストフードのイメージで、ニッポン人だとなんか料理とはいいがたい感じだけど。

写真は食事のあと、レストラン前でイケメン従業員と写真を撮っておった別グループのニッポン人女子。
ニッポンのおねーちゃん、嬉しそうな顔してますです。
左のあんちゃんも、ニッポンのおねーちゃんがキャーキャー言う中で、ニッコリ優しく写真に納まるというモテモテぶり。
撮る方も撮られる方も楽しげで、まことにけっこう。
これも国際交流、ってことでしょうかね。

食事のあとは、オスマントルコの支配者(スルタン)の居城、トプカプ宮殿に行きましたです。
なんちゅうことのないところでございましたけど、驚いたのは宝物館に鎮座しておった世界有数「86カラット」のダイヤ!!
「スプーン屋のダイヤ」とか呼ばれるものだそうで、86カラットダイヤの周りに、小さな49個というダイヤが取り囲んだティアドロップ型。
ようは涙の型した、ピンポン玉みたいな大きさのダイヤのまわりにキンキラキンの小さなダイヤがごっちゃり!!

なんでも、原石を漁師が拾って市場でスプーン3本と交換したというエピソードから、スプーン屋のダイヤと呼ばれておるそうな。
写真撮影は禁止で、そばに警備員一人が立ってましたです。
取り囲んでた小さなダイヤでいいから「1個欲しい」と思ったおぢ。

「あの小さいの1個あれば、老後は安心じゃろねぇ…」とか思いましたです。
ほかにもキンキラの宝物がごっちゃりでしたけど、警備がかなり緩くて、あんなんでいいんかなぁ?
盗まれないんだろか?
監視カメラも付いてましたけど、盗むにはどうしたらいいのよ?
…とすっかり危ない気持ちにもなったりいたしましたです。

そんなこんなで、きょうはこれまで!!
こんな調子だと、10日間の旅行、書き終えるのに1ヶ月もかかる勢いでござる。
まぁ、飽きてきたら止めるけど、スマンね!!



時差ボケに泣いとりますぅ~

2010年03月21日 | Weblog

午前8時の気温は、プラスの4度。
昨夜はなんだかジャンジャン降りの雨のようで、朝方からはとんでもない強風でござります。
何!これ!台風?

そんなこんなですけれど、おぢもハニーさんも頭はきょうも、ウニ!!
いつものように午前6時20分にはご飯が炊けてるのですけれど、さっぱり目が覚めませなんだ。
酷い時差ボケです。
結局しっかり目が覚めたのは午前7時40分、どないなことになっておるのか。

きのうは「ぼんぼり」に宿泊を希望される方から、予約の電話をいただいて、軽々に「OKです」とか返事しちゃったら、その方より以前に予約メールが入っていて、ダブルブッキング…
ぼーっとしてて、ごめんなさいね、兵庫県のお方。
地元の名物、何かお送りいたしますので、なにとぞご勘弁くだされ。
懲りずにまた来てほしいけど…

で、我が家のニャンコですけど、この10日間、お隣のご主人に食事とトイレの面倒を見ていただいたおかげでしょうか、すっかりおぢとハニーさんを忘れておりまする。
以前は「チリン」と玄関の呼び鈴が鳴ると、ご飯かなんかがもらえるかと、ピューっと飛んできたニャンコですけど、いまはさっぱり!!

薄情なものです。
10日で飼い主忘れるんだもなぁ…
まぁ、またご飯とともに思い出すんでしょうけどね。

さて、
トルコ旅行でござります。
今回は、「怪しいウズベキスタン航空で行くので、怖い」などと書きましたけど、国営ウズベキスタン航空、ご飯が美味しくてびっくりでござった。
出発時は、関西空港から積み込んだ食事で、これはなんともフツーでした。

ところが翌日、首都タシケントに着いた後の食事が、美味かった。
なかでも鶏肉を揚げたのが美味!!
トルコの鶏肉もかなり美味しかったけど、ウズベキスタン航空たいそういがったのでした。

離着陸の操縦もまことに安定感があって、すっかり好感度高いのです。
「怪しい航空会社」などと、まことにスマンこってす!!

そんなことで、成田を飛び立って、殺風景な旧共産主義国のターミナルって感じのタシケント空港でトランジットして、イスタンブールに到着したのは約24時間後でござった。
いやはや、安いツアーとはこんなものです。
我が家から、新千歳→羽田→成田→関空→タシケント→イスタンブールで、トータル約32時間でござった。

凄いねぇ、書いてて疲れるぐらいだものねぇ。
それもこれも、我がニッポン国にハブ空港ってもんがないからなのじゃ。
あっても、格安ツアーでは使わないか、シクシク…

そのイスタンブール、かつてはコンスタンチノーブルと呼ばれてましたけど、いま人口は、な、な、なんと2千万人。
トルコは総人口が7千万人だそうで、人口の3分の1近くがイスタンブールに集中しておるわけ。
首都アンカラの人口が370万人というから、イスタンブールはチョー巨大都市ってことなのじゃ。

で、街を歩けば、あっちにもこっちにも、イケメンと美女!!
いやぁ、凄いねぇ、トルコは美男美女の宝庫でござる。
しかも親日的なところもあって、田舎町では、ニッポン人と見れば中高生が一緒に写真撮りたがってました。

ニッポンで紅毛碧眼の外国人がカッコいいと思った昭和30年代みたいなもんか?
平べったい顔したニッポン人からみれば、まことに美形の中高生が、アンポンタン顔したニッポン人男女にカメラ向けるってのもなんか不思議な光景でござった。

もっとも、大都会のイスタンブールでは、そいういうことは、ありませんでしたけどね。
田舎では、こうしたびっくりの事態もあったのです。

トルコが親日的ってのは、ちゃんと理由がありました。
地元のチョーイケメンガイドのギョクセルさんによると、それは「エルトゥールル号遭難事件」がきっかけだそうだ。
オスマントルコの軍艦エルトゥールル号が、和歌山県沖で遭難したのは1869年。
この事故で、600人近くが死亡し、70人近くが助かったそうな。

地元串本町の方々が総出で救助したそうで、これにトルコ国民は今でも感謝しておるのだそうだ。
こんとき、山田寅次郎というお方は、義捐金を集めて単身トルコに入り、皇帝から何から大歓迎だったそうな。
で、山田さんはトルコに住み、日本語を教えたり、士官学校で教鞭を取ったりしたそうな。

それ以来、ニッポン人に対しては、たいそういい感情を持っておるのがトルコ人だそうだ。
そして、1985年のイラン・イラク戦争では、イランに取り残されたニッポン人約200人を、トルコ航空機が救出しておる。
こんとき、トルコ人は、「エルトゥールル号での借り」をようやく返せたとたいそう喜んだのだそうだ。

いやぁ、バブル以降、世界中から嫌われておるニッポン人だけど、こうまで親日的なトルコ人、もちょっとニッポン人は知らんといけませんです。
ってことで、きょうはおしまい。
それにしても、おぢは今回の旅行ですっかりトルコファン!!
好きですトルコ!!っていうと、それも何かややこしいか…




無事に「帰って、イスタンブール」なのだ!!

2010年03月20日 | Weblog

数少ない読者の皆さま、お久しぶりっ、ぶり!!でござります。
おぢとハニーさん、「あっぱれトルコ9都市周遊10日間」8万8千円の旅を終えて、昨夜無事、帰国いたしました。
いやぁ、疲れたけど楽しかったぁ~

写真は、トルコの景勝地、カッパドキアの奇岩でござる。
不思議な景色でござった。
そのあたりは追い追い。

そんなこんなで、今朝はふたりとも完全に時差ボケ!!
起床はつい先ほどの午前10時過ぎで、いまも頭が「ぼーっ」としておりまする。
ま、いつもぼーっとしてるけど、今朝は特段にぼーっとしてるってことでございます。

なにせ今回の旅は、ニッポン国の2倍の広さというトルコを、3分の1は走り倒すという、チョーロングなバス旅行なのじゃ。
景勝地がトルコ各地に点々とあるのだけれど、その間の距離がとんでもないことになっておるわけ。

あちこちの世界遺産を巡って、時速90キロ超で1日500キロ走るのが普通だもんなぁ。
だいたいにして、そんなに世界遺産があるってことも知らなかったぐらいで…
とにもかくにも、びっくりでござった。

そして、トルコ人がたいそう親日的だってことと、ニッポン語を話すお方がやたらに多い、ってことにも驚きました。
しかも、かなり流暢なニッポン語をユーモアを交えて話すわけで、そりゃもうびっくり。
このあたりも、追い追いお話いたしますです。

出発前の成田空港、旧友に「これからトルコに行ってくる。何かあったら、おまえんところに緊急連絡の電話がいくのでよろしく」と電話した。
すると、「またトルコかぁ?若いとき何べんも行ったべぇ、もういんでないか?」とボケられた?
いやツッコまれた?

いわゆる「トルコ」を巡っては、ニッポン国とトルコ共和国には、困った歴史もあるのです。
まぁ、このあたりも追い追い。

そんなこんなで、「ニセコ山暮らし」は、あすから連日「トルコ旅行記」に変身なのじゃ。
ってことで、懲りずにまた来てねぇ!!


これから出発だけど…

2010年03月10日 | Weblog


午前7時の気温はマイナス7度。
写真のようにニセコアンヌプリは見えてますけど、どんより天気。
きょうの天候、これから大荒れだそうだ。
参ったねぇ。

新千歳空港発の羽田行きは、午後2時過ぎの予定だけど、なんだか天気次第では出発も危ういことになっておる。
ってことで、午前9時には航空会社に電話して、早い便への変更もしなきゃならんのです。
なんか多難なスタートじゃ。

さて、
きのうからTVでも大きく取り上げられておるけれど、「核持ち込み」の密約がとうとう明るみに出た。
60年安保の時だって、70年安保の時だって、「自民党政府はなんか隠してる」んではないかと、多くのニッポン人は、なんか「怪しい」と思っておりましたです。
思い起こせば、70年安保当時だって、学生諸君のシュプレキコールは「核基地付き沖縄返還策動、粉砕!!」でござった。

「核の持ち込み」みんなが怪しいと思ってましたです。
問題は、民主主義国家にもかかわらず、自民党政権は国民に平気で「大嘘こいていた」ってことじゃ。
どもこもならん。

外交に機密はつきものかもしらんけど、諸外国では歳月を経れば、ちゃんと公開するよう法律で定められておる。
ところがニッポン国では、ことこの問題に関しても、行方不明の文書がごっちゃりあって、人知れず処分された可能性もあるのだそうな。
外務省の官僚さまが、勝手に破棄したんだろ、まったくもって、とんでもない。
そんなデタラメが果たして「国益」でござろうか?

そういえば、山崎豊子さんの小説「運命の人」の主人公のモデル、元毎日新聞の西山記者の判決が迫っておる。
朝日新聞を引用すると、

「沖縄が日本に復帰する直前、毎日新聞記者だった西山さんは外務省の女性事務官を通じ、沖縄の土地の原状回復補償費400万ドルを日本が肩代わりする密約を示唆する機密電文を入手した。国会でも取り上げられたが、外務省は密約を否定。西山さんは国家公務員法違反で逮捕され、78年に最高裁で有罪が確定した。」

「ところが、00年には米国立公文書館が、吉野文六・外務省アメリカ局長(当時)とスナイダー駐日米公使(同)のイニシャルが入った公文書「議論の要約」を開示した。密約の内容が記されていたが、外務省は認めなかった。」

「西山さんらは昨年3月、東京地裁で国を相手に情報公開訴訟を起こした。裁判は今年2月16日に結審し、判決は4月9日に言い渡される。 」

ってことで、4月9日の判決、注目されまする。
西山記者の大スクープは、犯罪に貶められたってわけじゃ。
それにしても、「あった話」を「ない話」にすり替えて、さらには犯罪者に仕立てる怖さ。
人ひとりの人生を大きく変えてしまった国家の罪は、まことに大きい。
権力って改めて怖いなぁ、恐ろしいなぁ、と改めて思う今日この頃なのじゃ。

今回密約が明らかになったのも、政権交代ってもんがあったから。
確かに鳩山総理はアンポンタンだし、小沢にも困ったもんだけど、自民党政権が続いていたらと考えると、まだまだましってことかね。
やっぱ、何年かに1回、政権交代ってもんが必要じゃ。
そのことがニッポン国民によ~くわかっただけでも、たいそういがった。

そんなこんなの尻切れトンボのブログでござるけど、
おぢとハニーさんは、これからイスタンブールへ出発いたします。
怪しいウズベキスタン航空ゆえ、ちゃんと帰ってこれるかたいそう不安ですけどねぇ。
20日朝にはブログ復帰いたしますゆえ、ご勘弁。
許ちてねぇ…


♪飛んでイスタンブ~ル!!

2010年03月09日 | Weblog


午前6時の気温はマイナス8度。
きょうも寒いこと!!
おまけにサラサラ雪も降っておって、スキーにはよろしいかも。

さて、
突然ではござりますが、おぢとハニーさん、あすから19日までの10日間、トルコへ旅立ちまする。
そう、まさに「♪飛んでイスタンブ~ル」なのじゃ。
そんなわけで、この間、当ブログもお休み、ってことでスマンこってす!!

数少ない読者の皆さんにはまことに申し訳ないのだけれど、ご勘弁くだされ。
マメな人なら海外用の携帯持っていったり、PC持参してったりで、画像なんかも送っちゃって、毎日ブログ更新、ってことでしょうけど…
生まれてこの方ずーっと怠け者のおぢには、そんなこと無理!!ってことでござります。
おカネもかかるしね。

で、何でいまどきトルコかってぇと、理由ははっきりしておりますです。
HISの「あっぱれトルコ9都市周遊10日間」は、ひとり8万8千円のチョー格安ツアーなのじゃ。
「まいったか!!」っていうか、まさに「あっぱれ」。
チョー格安料金ゆえ、HISは自分たちを褒めたのね。

おぢがホントに行きたいところといえば、ヨーロッパはスカンジナビア半島。
ここは三十代の半ばにノルウェー、スウェーデンなどに行って、オーロラなども見ましたが、も一度行きたいステキなところでもござります。
ほかには、経済破たんがどうのとかいわれておる、地中海に面したギリシャとか、スペインとか、行きたいところはあれやこれやごっちゃりあるのじゃ。
ではありますが、昨年に続き今回も、料金だけで旅行先を決めたってこと。

あれやこれや、なんだかんだ調べつつ、「やっぱ今度の旅行はトルコよね」とかおっしゃって行く方とは、まるで違うことになっておる。
まことに不謹慎。
スマンね。

それにしてもですが、安いというのはあれこれ困ったことがあるのですなぁ。
今回は聞いたことも乗ったこともないウズベキスタン航空だそうだ。
まもなくニッポンからは撤退とか聞いておりまする。

なんといっても今回は、飛行機の接続が悪い。
ウズベキスタンのタシケントで乗換えなのだそうだけど、ここで5時間待ちだそうだ。
ひぇ~

そのタシケントの空港、あれやこれやが揃った仁川国際空港なんかとは大違いで、さっぱり何んにもないところだそうだ。
きのう、添乗員のお方から電話がきて、「本とかなにか工夫して時間潰してください」とか言われちゃったりで、いやはやなのじゃ。

おまけに日本時間の8日未明、トルコ東部で大地震があって、50人以上が亡くなったそうな。
もっとも、おぢたちが行くのはトルコ西部でござって、今回行くトルコの一番東はカッパドキア。
カッバドキアは震源地から400キロも離れておりますけど、真狩村の義母は心配するんでないかと気がかりでござる。
そんなこんなで、あれこれいろんなことが、あることになっておる。

それでも過日、いつものように「地球の歩き方」を買ってきて、ハニーさんはしっかり読み込んで、あれが食べたいとか、ここに行きたいとか申しておりまする。
おぢは、この手の旅行本は機内で読むことにしておりまする。

で、西へ向かう飛行機は、あんまり時差ぼけにならんということで、お酒なんか呑みつつウズベキスタン航空で行くことになりまする。
たぶん、映画もないんだろなぁ。

というわけで当ブログは、明日の朝は更新しますけど、20日朝までお休みでござります。
わざわざ見に来てくれる皆々様をないがしろにする暴挙!!お許しくださいね。
さて、これから荷造り、またあしたねぇ…

暗闘

2010年03月08日 | Weblog
午前7時の気温はマイナス8度。
雪がジャンジャン、ガンガン降っておって、完全に冬に逆戻りなのじゃ。
すぐに融けるでしょうけどねぇ…

さて、
民主党政権と既存メディア、そして「記者クラブ」に加盟できないフリージャーナリストや海外メディアとの間で「暗闘」が続いておるらしい。
フリージャーナリストの上杉隆さんが、ブログであれこれ書いておる。

上杉さんは2009年10月1日付で「外務省記者会見の開放は、不健全なメディアシステム淘汰への一歩だ」として下記のように書いておる。

「きのう(9月29日)はプレスと政治権力の関係において記念すべき日となった。外務省の記者会見が完全にオープンとなったのである。これは国の機関としては初めての快挙でもある。次の文書を発表して、厳しい決断を下した岡田克也外務大臣に改めて敬意を表したい。」
これまでの自民党政権下ではもちろん、ニッポン国の歴史上考えられなかった、記者会見のオープン化が、政権交代で実現したというのじゃ。
いわば世界の常識が、ようやくニッポン国でも実現したって意味で、画期的なことでござる。

なかでも海外メディアは岡田大臣のこの決断に最大限の賛辞を送ったそうな。
「とりわけ、海外メディアを代表して参加したFCCJ(日本外国特派員協会)の副会長は、次のように語って岡田外相の勇気に謝意を示した。『きょう、私は質問をしにきたのではありません。FCCJ、海外メディア、海外のフリーランスのすべてを代表して、岡田大臣の記者会見開放の決断に感謝を申し上げにきました。ありがとうございました』」

とまぁ、記者会見はオープン化へ向けて、ドンドコ進んでおるようだったけど、そこがどうにも怪しいことになってきておるらしい。
今年2月25日付の「ぶら下がりを拒否した岡田大臣と、 記者クラブに勝利した亀井大臣に拍手」でも、記者会見の開放を巡って、既成メディアと岡田大臣の攻防が続いておることがよくわかる。

どうにもこうにも困るのは、記者会見を巡ってこんなことが起きておるってこと事態が、TVニュースや新聞で記事では、まるでわかんないってことなのだ。
元NHK記者の手嶋龍一氏は、週刊現代3月13日号「インタビュー 書いたのは私です」の「私のいちばんコーナー」で、「いちばん消したい過去は?」という質問で「談合組織『記者クラブ』のメンバーだったこと」と書いておる。

NHK在籍中は、いかなる記者会見にも参加できたはずの手嶋氏だけれど、いまは制限があるってことで、憤懣やるかたないってことらしい。
いずれにせよ、政権交代のおかげで、記者会見ってものに、ちょっとではあるけれど風穴が開いた、ってことは確からしい。
どもこもならんアンポンタンな鳩山政権だけど、それなりに政権交代の意味ってもんがあるってことか。

でも国民の気分としては、「もうそろそろ、民主党に引導渡してもいんでないの?」って空気も広がってると思うけどね。
ただし受け皿がない。
自民党は、分裂・解党へ向けてまっしぐらだし。
どもこもならん、アッマタにきたぜぃ!!