源氏物語となったのは、本文研究があり、注釈研究があり、古典語の研究がありして、活字本として成立し、人々に読まれるようになった、流布本を言う時期から、それぞれが自由に手に取って読める時代となった、それは昭和の民主主義といわれる世のことである、愛され、新たな喜びとともに、だれもが知ることができるようになった、日本人の祖先を知る、庶民にとっての、その物語である。源氏物語が完本であるというのは、伝えられてきた本でもまれであったから、長編であり、いくつもの源氏物語があったから、それを一つの、欠本がなく端本ではないものとして、読むことのできる本となるものを、いま手にすることができる。したがって、池田亀鑑監修の源氏は校異源氏物語を経て、それはひとたびは1942年、昭和17年10月25日刊行、のことであったが、その後に、源氏物語大成となった、1956年のこと、源氏物語にとっての画期であった。源氏物語をひとつの物語として読み語ることができるようになって、多くの人たちが源氏物語と言うときの、その源氏物語は桐壺から始まる作品、テキストとなった。源氏のあらすじを語ることは物語文があってのこと、それでも、1行でそれを知ることはやはり難しいし、それをまた事典によって知ることになっても、活字本の解説で知ることになってもなお、ますます難しい。かつて、わたしの源氏物語は、男女の愛の葛藤の物語であり、主人公の愛は、許されることのない愛である、として、源氏語りをものした。
文業-近代文献学、池田源氏学
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明治以降屈指の「源氏物語」研究に関する膨大な業績を有する。近代源氏学の基礎を築いた最高権威とも言える巨人である。また芳賀矢一がドイツから導入した文献学の方法を日本古典文学研究に敷衍し、「土佐日記」の紀貫之自筆本再建のプロセスを例として「古典の批判的処置に関する研究」全三巻(岩波書店、1941年2月)でその方法論を確立、さらに翌1942年10月、十数年の歳月を傾けた畢生の大著「校異源氏物語」全5巻(中央公論社)を完成させる。ついで前著「校異源氏物語」に「索引篇」「解説篇」「資料篇」「図録篇」を増補し、これを1953年から3年かけて「源氏物語大成」全8巻(中央公論社)として刊行、有力伝本内の異文を比較検討して古典作品の原型(祖本本文の様態)を明らかにする、本文批判を軸とした文献学的研究の実践と理論体系化を図った。
図書館情報学用語辞典の解説
完本
(1)著作物の内容に省略など欠落がまったくない完全な版.「簡略版」や「抄本」に対する用語.ただし,モラルなどの面から好ましくないとされる箇所もカットせず,完全版として刊行されたものは,「無削除版(unexpurgated edition)」と呼ばれる.(2)複数巻からなる全集,叢書など,いわゆるそろい物で,全巻が1冊も欠けないで完全にそろっているもの.「欠本」「端本」「零本」に対する用語.(3)落丁,乱丁,破れなどのない完全な図書.
[参照項目] | (1)簡略版 | (3)落丁 | 乱丁
愛の葛藤の物語 源氏語り2
2013-08-31 21:10:36 | 源氏語り
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愛の葛藤の物語 私説 源氏語り2
すくせは、前世または前世からの因縁である。
語ること、それを語ることそのものが、すでに宿世であった。
光る君のその前世にあったものは人の愛である。
天あるいは王の、帝の愛であった。
源氏物語のテーマが愛の葛藤であるなら、それは読者に許されない愛でもあった。
その物語の主人公は光る君であるとするか、男主人公、女主人公をとらえて読者に応じるか、それはテクストによる。
師の師のことばには、女が書いた、女のための、女の物語、玉上源氏評釈、とあった。
光る君の物語は本編で完結できなかったのはなぜか。
文学史に則れば、作品名、作品が書かれた時代、作者、そして梗概となる。
さらには、物語の主題や表現技巧、作品の影響、構成など挙げられよう。
執筆の順による文芸の扱いもあるし、それを成立論に捉えることもあった。
文献国語の読み取りは写本の異同にも及ぶ。
注釈に表れた文学作品の源氏物語の読みは、げんじのものがたり、であった。
が、いつからか、げんじものがたり、と呼ばれるようになった。
湖月抄を読むと、物語中の物語として命脈を保ってきたなか、有朋堂文庫が読みやすくした。
人々の手に普及したのは1940年代半ば以降である。
岩波の文庫、朝日の古典全書が果たした役割についで、1960年代の日本古典文学大系が源氏物語を庶民にもたらした。
私説 源氏語り 光る君の物語
源氏物語には光源氏と呼ばれた主人公がいる。
呼称は物語展開の当初、源氏の君、光る君であった。
名前が源氏の某となるべく、その名は伝わらない。
つまり、源なになにであるかが、それがわからない。
光源氏と呼び、光るを、男児に付けた最高の形容と工夫した。
作者であったのか、読者であったか、それは物語の冒頭に、世の人々によってつけられる。
高麗の相人、占い師によってつけられた、とも語られた。
それで物語の始めから読むと、光る君として登場するように、構成された。
源氏物語はどう描き加えらえたか、という、ひとつの問いがある。
光る君はその人生で葛藤を経験した。
源氏物語は愛のドラマである。
許されぬ、許されなかった男女の愛として現れた。
それは仏教の因果律に輪廻する。
そして激しい愛のドラマは理想の主人公たちにめぐりくる。
その語りは古き人の昔語りとなっった。
光源氏を語ることは因果の世界を知る。
聞くもの語るもの、それを宿世とした。
文業-近代文献学、池田源氏学
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明治以降屈指の「源氏物語」研究に関する膨大な業績を有する。近代源氏学の基礎を築いた最高権威とも言える巨人である。また芳賀矢一がドイツから導入した文献学の方法を日本古典文学研究に敷衍し、「土佐日記」の紀貫之自筆本再建のプロセスを例として「古典の批判的処置に関する研究」全三巻(岩波書店、1941年2月)でその方法論を確立、さらに翌1942年10月、十数年の歳月を傾けた畢生の大著「校異源氏物語」全5巻(中央公論社)を完成させる。ついで前著「校異源氏物語」に「索引篇」「解説篇」「資料篇」「図録篇」を増補し、これを1953年から3年かけて「源氏物語大成」全8巻(中央公論社)として刊行、有力伝本内の異文を比較検討して古典作品の原型(祖本本文の様態)を明らかにする、本文批判を軸とした文献学的研究の実践と理論体系化を図った。
図書館情報学用語辞典の解説
完本
(1)著作物の内容に省略など欠落がまったくない完全な版.「簡略版」や「抄本」に対する用語.ただし,モラルなどの面から好ましくないとされる箇所もカットせず,完全版として刊行されたものは,「無削除版(unexpurgated edition)」と呼ばれる.(2)複数巻からなる全集,叢書など,いわゆるそろい物で,全巻が1冊も欠けないで完全にそろっているもの.「欠本」「端本」「零本」に対する用語.(3)落丁,乱丁,破れなどのない完全な図書.
[参照項目] | (1)簡略版 | (3)落丁 | 乱丁
愛の葛藤の物語 源氏語り2
2013-08-31 21:10:36 | 源氏語り
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愛の葛藤の物語 私説 源氏語り2
すくせは、前世または前世からの因縁である。
語ること、それを語ることそのものが、すでに宿世であった。
光る君のその前世にあったものは人の愛である。
天あるいは王の、帝の愛であった。
源氏物語のテーマが愛の葛藤であるなら、それは読者に許されない愛でもあった。
その物語の主人公は光る君であるとするか、男主人公、女主人公をとらえて読者に応じるか、それはテクストによる。
師の師のことばには、女が書いた、女のための、女の物語、玉上源氏評釈、とあった。
光る君の物語は本編で完結できなかったのはなぜか。
文学史に則れば、作品名、作品が書かれた時代、作者、そして梗概となる。
さらには、物語の主題や表現技巧、作品の影響、構成など挙げられよう。
執筆の順による文芸の扱いもあるし、それを成立論に捉えることもあった。
文献国語の読み取りは写本の異同にも及ぶ。
注釈に表れた文学作品の源氏物語の読みは、げんじのものがたり、であった。
が、いつからか、げんじものがたり、と呼ばれるようになった。
湖月抄を読むと、物語中の物語として命脈を保ってきたなか、有朋堂文庫が読みやすくした。
人々の手に普及したのは1940年代半ば以降である。
岩波の文庫、朝日の古典全書が果たした役割についで、1960年代の日本古典文学大系が源氏物語を庶民にもたらした。
私説 源氏語り 光る君の物語
源氏物語には光源氏と呼ばれた主人公がいる。
呼称は物語展開の当初、源氏の君、光る君であった。
名前が源氏の某となるべく、その名は伝わらない。
つまり、源なになにであるかが、それがわからない。
光源氏と呼び、光るを、男児に付けた最高の形容と工夫した。
作者であったのか、読者であったか、それは物語の冒頭に、世の人々によってつけられる。
高麗の相人、占い師によってつけられた、とも語られた。
それで物語の始めから読むと、光る君として登場するように、構成された。
源氏物語はどう描き加えらえたか、という、ひとつの問いがある。
光る君はその人生で葛藤を経験した。
源氏物語は愛のドラマである。
許されぬ、許されなかった男女の愛として現れた。
それは仏教の因果律に輪廻する。
そして激しい愛のドラマは理想の主人公たちにめぐりくる。
その語りは古き人の昔語りとなっった。
光源氏を語ることは因果の世界を知る。
聞くもの語るもの、それを宿世とした。