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狂言綺語

2013-02-28 | 本を買いました
ドナルド・キーン著作集 第六巻 能・文楽・歌舞伎
次は、新潮社のページより。
http://www.shinchosha.co.jp/zenshu/donald_keene/
自ら謡(うたい)を習い、狂言の太郎冠者を演じるほど日本の舞台芸術にのめり込んだキーン氏。そこに比類なき「詩」があり「文学」があったのだ。世阿彌や近松門左衛門は世界に誇るべき存在──西洋演劇との比較も交えながら、能楽・文楽・歌舞伎の歴史と特質を語り、どこが素晴らしいか、面白いのかを説いた名解説。
ISBN:978-4-10-647106-3  C-CODE:0395  発売日:2013/01/31
3,150円(定価)

全集読みをしている。シリーズである。原著が英文であるのを、こなれた日本語訳で読むことになる。解題によると、学術文庫本に収められている。それは、2001年5月刊行、ここに収められた英文は1966年初刊である。この後7年ぐらいの仕事だ。ちなみに著者44歳のころである。

能に狂言が合わせて述べられる。能狂言の歴史とある章で狂言は付けたりでわずか4ページの言及である。いささか、さびしい。間狂言についてはところどころ触れる。一般的にも能に着目するのは致し方ない。

能楽の能は明治になって、1881年、能楽社ができてのことらしい、らしいというのは、平安期までさかのぼってみるに、能楽は猿楽であるとすると、その猿楽はまた散楽であり、それは雅楽などと対照する。するとまた、それには神楽が出てくる由緒のあるものとなる。

となると、能楽の能はそれまでの能のうち、散楽にあたることになるが、それはやはり、滑稽を行っていたとわかる。その後か同じころのことか、田楽も加えて、能の形態ができる。芸能の猿楽に、滑稽や物まねでない田楽、延年とを対比して、能が集大成されてゆく。

この本の、キーンさんの述べることは限られての説明しかないが、いささか、筆を添えて言うと、次の語の言われである。
それは、狂言は、狂言綺語をその名称の由来とすることが多い。仏教用語であるとして説明することが多いものの、よくわからないところがある。

学研全訳古語辞典 学研教育出版学研教育出版
きゃうげん-きぎょ 【狂言綺語】 名詞
道理に合わない言葉と、巧みに飾った言葉。

辞書に解説が続く。

参考  「狂言綺語」は、中世において、仏教・儒教の立場から詩歌・小説・物語や、さらに歌舞・音楽などを、批判的にいう語。

ここになぜ仏教、儒教の立場が出てくるか、仏教用語と言い、よくわからない。しかし、フリー百科事典などに、解説することがある。

>この語は主に小説や詩などを批評する際に用いられた(例;願以今生世俗文字業狂言綺語之誤 翻為当来世々讃仏乗之因転法輪之縁 白楽天)。この語が猿楽の滑稽な物まね芸を指す言葉として転用

この解説はまた白楽天の願文による。ここで、この辞書などの解説の典拠は定かでないが、あることは仏教語大辞典に記述された狂言綺語、その記述はまた、岩波の古典大系の解説によっている編集だということである。したがって、ここから、批判的に用いたとするのは、辞典からさかのぼって、文学解説の掲載された注によると、古語辞書の参考は、歌舞、音楽までに及ぶのは、ずいぶんとこの語の広まりを指して、あるかなきかのこととなる。白楽天の言ったことはもっと端的である。

その信仰は流行の浄土宗とともに白楽天には禅宗に信仰実践あったので、この浄土宗における願文の物言いはそれなりに斟酌してしかるべきである。もう書かない、まじめに帰依しますと言って、願行の儀式をおこなったであろうから、文学を批判したのではなくて自らの創作活動に反省の弁とする、過ちとしての物言いで願文をささげた、とわかれば、それはまた自らを献辞して謙遜したこと、その後に、白楽天がまたどうしていたかですぐにわかりそうなことである。

狂言綺語のこ語の、狂言たるゆえんは、それはそれで、字義解釈をする方が良い。散楽と狂言が芸能として、後世にくっつくようなことも、それはそれで必然とも見えようか。ふざけて、おもしろおかしく、ものまねをしていただけであろうに、綺語とは道理に合わないことだ。


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