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「国体明徴声明」 昭和十年八月三日閣議決定

2014-08-03 | 日本語どうなるの?
「国体明徴声明」 昭和十年八月三日閣議決定
1935年8月3日のこと、いまからおよそ80年前のことになる。

昭和10年であるから、このころから10年にわたる国の情勢が、この声明によって決められる。
このあと10月15日にも出された。

国体明徴声明という。
1937年5月に、国体の本義が出版されるので、時代の動きが急なことになっていくと、とらえてよいだろう。

声明の向こうには明治来の国のあり方を主張する、国体である。
こちら側には天皇機関説があった。

その天皇機関説は、1900年代から1935年頃までの30年余りにわたって、憲法学の通説とされていたようであるが、国家法人説に基づくと言う。
憲法学者の宮沢俊義によれば、天皇機関説は、次のようにまとめられる。 

>国家学説のうちに、国家法人説というものがある。これは、国家を法律上ひとつの法人だと見る。国家が法人だとすると、君主や、議会や、裁判所は、国家という法人の機関だということになる。この説明を日本にあてはめると、日本国家は法律上はひとつの法人であり、その結果として、天皇は、法人たる日本国家の機関だということになる。

軍部の台頭と共に国体明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫されてゆき、天皇機関説は国体に反するとして攻撃を受け始めた、と説明がある。





「国体明徴声明」
昭和十年八月三日閣議決定
午後一時 発表声明
 恭シク惟ミルニ我ガ国体ハ天孫降臨ノ際下シ賜ヘル御神勅ニ依リ昭示セラルル所ニシテ、
万世一系ノ天皇国ヲ統治シ給ヒ、宝祚ノ隆ハ天地ト与ニ窮ナシ。
サレバ憲法発布ノ御上諭ニ「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」ト宣ヒ、
憲法第一条ニハ、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」ト明示シ給フ。
即チ大日本帝国統治ノ大権ハ儼トシテ天皇ニ存スルコト明ナリ。
若シ夫レ統治権ガ天皇ニ存セズシテ天皇ハ之ヲ行使スル為ノ機関ナリト為スガゴトキハ是レ全ク万邦無比ナル我ガ国体ノ本義ヲ愆ルモノナリ。
近時憲法学説ヲ繞リ国体ノ本義ニ関連シテ兎角ノ論議ヲ見ルニ至レルハ寔ニ遺憾ニ堪ヘズ。
政府ハ愈愈国体ノ明徴ニ力ヲ効シ其ノ精華ヲ発揚センコトヲ期ス。
乃チ茲ニ意ノ在ル所ヲ述ベテ広ク各方面ノ協力ヲ希望ス。



デジタル大辞泉の解説
こくたいめいちょう‐もんだい 【国体明徴問題】
昭和10年(1935)国会議員や軍部・右翼が美濃部達吉の天皇機関説を国体に反するとして攻撃した事件。政府は美濃部の著書3冊を発禁にし、国体明徴声明を出した。



世界大百科事典 第2版の解説
こくたいめいちょうもんだい【国体明徴問題】
幕末以来,記紀神話を基礎としながら,日本国の特色は万世一系の天皇をいただく神国である点にあると主張する国体論が起こってきたが,それをうけた明治以後の国体論は二つの方向で展開された。第1は,1890年の教育勅語が,忠孝の道を〈国体の精華〉としたように,天皇崇拝を国民道徳の根幹にすえようとする方向であり,第2は,国体を統治権の所在によって分類し,大日本帝国憲法は天皇を絶対とし統治の全権が天皇にあると規定している,という憲法解釈を軸とするものであった。


世界大百科事典内の国体明徴声明の言及
【国体明徴問題】より
…まず35年2月の第67議会で貴族院の菊池武夫が美濃部達吉(当時東京帝大教授,貴族院議員)の学説をとりあげ,統治権の主体を国家とし,天皇をその国家の最高機関とする天皇機関説は,天皇の絶対性を否定し,天皇の統治権を制限しようとする反国体的なものだ,として攻撃を開始,これに呼応して院外でも軍部の支持のもとに在郷軍人会や右翼団体などの運動が全国的に展開されることとなった。

8月3日には第1次,10月15日には第2次の国体明徴声明を発して,天皇機関説を国体に反するものと断定,この学説の排除を決定した。国体明徴運動はこれによって終息したが,政府はさらに11月,文相を会長とする教学刷新評議会を設置,その答申に基づいて,37年5月,文部省は《国体の本義》を刊行した。



こくたいのほんぎ【国体の本義】
昭和12年(1937)文部省が天皇中心の国体護持の立場から編集・発行した国民教化用の出版物。


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