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はじまりのみち

2014-08-03 | 映画を見ました
wowow放送、シネマ「はじまりの道」2013年の公開。
シーンにあった台詞、便利屋が呟く。

兵役かな。年貢の納め時だ。帰ったら赤紙が来てるかもしれん…無情な思いである。
便利屋は隣に座る木下正吉がメガホンをとった映画と知らずに、陸軍という映画のラストシーンを話しだす。
おふくろさんが手を合わせるんだ、すると聞いていた正吉は、それを陸軍は女々しいと言うんだ、と声を出す。

便利屋は慌てて、人に聞こえたらどうするだ、と制する。
この映画の極め付けである。

戦争と家族、出征兵士と郷土、空襲と疎開、山道に大八車を押し続ける時代背景である。
木下恵介が映画監督に再び踏み出すストーリーには、その後の作品をフラッシュバックにして、印象が深い。




http://eiga.com/movie/77559/

「二十四の瞳」(1954)、「喜びも悲しみも幾年月」(57)、「楢山節考」(58)など数々の名作を残した日本を代表する映画監督・木下惠介の生誕100周年記念作品で、木下監督の若き日の姿を描いた人間ドラマ。戦中、脳溢血で倒れた母を疎開させるために2台のリヤカーに母と身の回りの品を積んで山越えをしたという実話を軸に、血気盛んな映画青年として軍部ににらまれ、松竹を一時離れるきっかけとなったエピソードなどを盛り込みながら、母子愛の物語を描き出す。アニメーション映画「カラフル」「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」などで高い評価を受ける原恵一監督が、自身初の実写映画に挑戦。木下惠介役に加瀬亮、母親たま役に田中裕子。


『はじまりのみち』は、2013年6月1日公開の日本映画。松竹株式会社による、映画監督・木下惠介生誕100年プロジェクトの一つとして製作された。木下の第二次世界大戦中の実話を題材に、映画『陸軍』制作時の背景を交えながら彼の母との家族愛を描く。
初公開: 2013年6月1日 (日本)
監督: 原恵一
上映時間: 96分
脚本: 原恵一

あらすじ
ウイキペディアによる
>1945年、木下惠介は前年陸軍省の依頼で監督した映画『陸軍』のラストシーンが「女々しい」とクレームをつけられ、次回作の企画をキャンセルされた。自らの信じる映画が撮れないことに落胆した惠介は所属していた松竹に辞表を提出、職もないまま郷里の浜松市に戻る。空襲に見舞われた実家から郊外の気賀で療養中の母・たまの居所へと移った惠介は、たまに「これからは木下惠介から木下正吉(本名)に戻る」と告げる。空襲の激化に伴い、木下家では山間の気多村勝坂に住む親族を頼って疎開することになる。しかし、そのためにはたまを安静に連れて行く必要があった。惠介は、たまをバスには乗せられないと、リヤカーに乗せて運ぶことを提案する。疎開先までは約60kmの距離があり、途中の気田からは森林鉄道のトロッコが利用できるとはいえ、そこまでは峠道を含む険しい道のりである。家族からは懸念する声も上がるが、提案は実行に移されることとなった。たまを運ぶ惠介と兄・敏三、それに荷物を運ぶために雇われた若い便利屋の4人は夜中に気賀を出発し、疎開先へと向かった。
途中の休憩時に「(惠介が)前は映画監督をしていた」と言いかけた敏三を惠介は遮ったが、便利屋はそれを「映画館で働いていた」と勘違いする。道中、雨に見舞われても、敏三と惠介は雨具も付けずにリヤカーを動かし続けた。長い山道でリヤカーの病人を運ぶことを訝っていた便利屋は、その頑なさに呆れながらもついて行く。夕方、一行は宿泊予定の気田に到着し、苦労の末に宿を見つける。惠介はたまの顔の汚れをぬぐい、自ら背負って宿の二階へと運び上げた。しかし、トロッコは翌々日にならないと動かないとわかり、宿でもう一日を過ごすことになる。やむなく敏三は便利屋に明後日の同行を依頼した。便利屋は当初ここで帰ると言い張ったが、宿屋のふたりの若い娘と親しくなって前言を翻した。
翌日、敏三の勧めで惠介は外出する。散歩しながら出征兵士を見送る小学生とその教師を眺め、やがて広い河原に出る。その傍らに便利屋がやってきた。便利屋は、リヤカーで母を運び抜いた惠介を見直した、孝行したくなるいい親だったのだろうと話した。そして、また映画館で働けたら『陸軍』を見ることを薦め、あのラストシーンはよかった、いい映画だった、親の気持ちがよく伝わってきたと述べる。惠介は「息子に立派に死んでこいという母親はいない」と語り、涙を浮かべた。
次の日、トロッコに乗り継ぎ、一行は無事に疎開先に到着する。たまは惠介を呼んで紙に書いた言伝を手渡す。そこには、あなたはここにいるべきではない、また木下惠介の映画が見たい、戦争はいつか終わるのだから木下正吉から木下惠介に戻って映画を撮りなさいといった内容が記されていた。それを読んだ惠介は、映画から離れようとしても、映画のことが頭から離れなかったという思いをたまに語るのだった。

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