1人称言語とみて、日本語の文を見ようとする。言語主体による表現を文形式でとらえるとどう分析できるか。1人称に、2人称言語があるか、3人称言語はあるかと、やや思い付きのことになってくる。話し手、書き手が自分自身また自分自身を含む物言いになるが、2人称となると相手があって、自分があるので、対立する表現を持ち、あなたがとなる聞き手、読み手に向かう言語である。対話型を表現構造にする。事象の捉え方を3人称で行う言語として、日本語にはもともと、その人称が特定されないので、客観的叙述になる。1人称言語はモノローグタイプ、2人称言語は対話問答形式、3人称言語は、日本語にあっては、叙景情景の文章である。 . . . 本文を読む
あと、1週間となった。講演旅行で18日から22日まで南京直行便にてフライト、20日の日に、第2回 2019年9月20日 アジア共同体創生における漢字と漢字文化教育 於 南京林業大学 講演タイトルは、日本の元号に見る漢字文化 というお題である。難しいテーマをもらって、この4,5日をピークに、資料と草稿づくりをした。>(要旨)
はじめに 1 令和とは何か 2 元号とは何か 3 漢字文化 おわりに
アジア共同体創生における漢字と漢字文化教育にお招きをいただきありがとうございます。第1回目には現代日本語における漢語の流行について、「忖度」を取り上げました。第2回目は「日本の元号にみる漢字文化」について、取り上げます。難しいテーマですね、わたしは政治、歴史にも興味があります。お話は言語と文学とに関わったことになります。
ことばが、学びます。言葉が詞を学ぶ、つまり言語が言語を受け入れるということです。日本語について「日本語が学ぶ」、わたしの仮説です。日本語はいま英語とくにアメリカの話しことばを受け入れています。古代中国語を学び続けてきている日本語は古典漢文をうけいれて、多大な恩恵を得ています。古代の漢文化、漢字漢語の受け入れを話します。
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