漢字には語義がある。漢字は文字であり詞であるから、、字音と字形にある字義として捉えている。それに対して、意味はとなるとどうか。日本国語大辞典で17世紀から用例を載せているが、それには、含蓄を指す、言外の意味という用法である。また、>楊載‐敗裘詩「意味存鶏肋、寒涼視馬毛」、元代中国の詩人の例を載せている。これはコトバンクでの精選版 日本国語大辞典の解説の用例の出し方は、引用がないのでわかりにくい。字通で検索していると、熟語の項に、>【意味】いみ おもむき。宋・朱熹〔論語序説〕子曰く、頤(い)、十七より論語を讀む。~之れを讀むこと(いよいよ)久しくして、意味の深長なるを覺ゆ。 と、見える。 . . . 本文を読む
国語文法の理解をどうしているだろう。文節は自立語と付属語とあって、その自立語は意味を持つ単語、付属語は実質的な意味に対して文法的な意味を持ち、自立語に付属する語である。ここで自立語、付属語というのは語の単位を構成する要素であるから、自立する、付属するという働きを持った語のレベルが異なっている。それを品詞分類表でも区別されているところに、同じ語であるのは、語という名称がおかしいというのは、それですでに、語の区別を理解していないことになる。語構成に接尾語とあって、単語における接辞の扱いになるかならないかはまた、文法分析を語に及ぼすときの捉え方である。文節にもしも、同等の語のレベルで働くとする付属語を見るのは、そうではないと言えなくなってしまう、単語の規定を変えてしまってくることになる。 . . . 本文を読む