忖度は推量する意味合いである。ことに処して、心をはかることである。その主語は誰であるか、その目的語には何を置くか、上司と部下のあいだで考えてみる。いま使われているのは、部下が上司の心をはかってことを行うことに重きを持っているが、この語をそのように用いるには、部下による上司への、その意向を推量したということになる。言わなくてもわかるだろう、多くを言わずとも知れ、物事に対処せよと言ったようなことである。しかしこれは、その用法でいえば、本来的には、上司が部下を相手に行うことであった。部下に心あるとき、つまり何かの異見をもってするようなことがあるとき、それは、上司にとっては部下のはむかいであることであるから、それを忖度して、ことの解決をはかることにある。
すると、その事実にあるのは部下のはむかいであるから、上司はそれを未然に防ぐことになる。そうして、忖度をするのは上司であり、忖度されたことは、部下の思いにあってことにあらわれない。このときの上司は権力者であり、部下の思いをコントロールしていることになる。 . . . 本文を読む
しゃべっていることがわからなくなれば、それはあぶないことである。どうなのか、認知の現象でいえば、どうもこの言葉も使いづらいことになってしまったから、日常行動と言えばよいか、診断にはどちらもそうであるから症状のこととして、いましゃべったことを忘れるのが始まりで、そのうち、いましゃべっていること、その内容を忘れてしまうのが危ないのである。寝ぼけて起き抜けにもごもごと言っていてそれを意識しない状態であろうか。脳がどこかで休んでしまっているようなものである。これはしかし、身体の休息期に入ると同様に神経もそういう状態に入っていくことなのだろう。緊張することなく、それは仕事もなくなったことで起こる緩和の状況であるが、それに対応したことができるようになる普通のリズムとは老境にいたることである。 . . . 本文を読む