日本語文法論議23724
文章には文章を構成する下位単位がある。すぐにわかるのは文という単位である。文のほかには何があるか。日本語の句は文章を構成する単位になる。句は連文節として文における文節の単位に分けることができる。文節は句と文の下位単位であるから、文章の関係構成を持つと、文章は文節からなると見ることができる。それではそれぞれの単位相互には . . . 本文を読む
日本語文法論議23723
文段は文章の一部、文章を構成するとする。これを文法の論議にするかどうか、文章を全体としてそう見るならば、つまり文章が文法の対象となると、文段も必然的にそうなる、と考えられるのだが、どうも、文章の論議に作品総体という時枝学説の議論があるので、文段を文法対象の論に、そう捉えなかったようである。
わたしに文段の用語は段落にもなる . . . 本文を読む
日本語文法論議230722 ← 23717
文段という語を造語してきたように思っていた。段落、パラグラフ、あるいは章節となる文章の単位である。それを検索していて、なにを検索していたかというと、市川孝氏のネットサイトの情報である。が、それがヒットしない、陶芸作家には次々とヒットするので、その同姓同名で検索に引っかからなくなってしまったらしい。
それでも出てくる . . . 本文を読む
日本語文法論議23717
文章論の必要な日本語文法論議にその後継スル理論の発展にどうにも文法研究の立場が災いしてこれまた時枝学説の縛りになる物言いだが一理あるので致し方ないだろう。ただ日本語文法となればその学説には日本語研究の対象にあるだけに相関性があるのを否定できない。つまりいくら立場を固執して理論展開を図ろうとしてもそこに呪縛があれば抜け出 . . . 本文を読む
日本語文法論議23716
文章論の議論はなぜ生産的でなくなったか。文章論の提唱が時枝学説の継承にあると見ると、その議論委は前提と対象とが収束するものであったからである。そんなことを言うと学校文法文章論を文法として議論するもの、日本語教育で日本人向けの文章論といった試みで行われているものがあり、文章論という研究の議論が続いているように見える。
し . . . 本文を読む
日本語文法論議23715
文章論は日本語文法の語論、文論、文章論と部門に議論が展開する。語論法則、文論法則、文章論法則と単位が大きくなれば相互に関係構成を以て小単位は中単位に、中単位は大単位にと包括的に規則性を持つことになる。語に意味の核となる形態があれば、文も同様に核となる意味内容を持ち、文章にも核となる意味まとまりをとらえるものがある。
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日本語文法論議23714
文法は文章作法につきる。文章作法はまた作文法である。しかし、作法と作文の違いがある。文章作法は文章のいろいろに及ぶが、作文法はまず文を書くことから始まるから、文章のゴールとスタートの位置をそれぞれに持つことになる。ともに文章の書き方を説く。そこで文法という語をあらためて見ると、文を書く技術であり、文を規則としてとらえるこ . . . 本文を読む
日本語文法論議23713
章段、章節、章句と、詞章に用いる語があって、文章の単位にそれぞれの機能がある。詞章は詩文、詩歌や文章のことを指す。
文章また段落はそれぞれの関係を構成する意味内容のまとまりをとらえる。
章段は長い文章の一区切りとするように、古典の随筆作品の文章には章段に分ける例がある。枕草子を章段に分けてその作品の増補を議論するこ . . . 本文を読む
日本語文法論議23712
文章単位は形式段落に設定できる。文はそのうちに2文以上を持つ。書き手が段落とするところで読み手がそれに従えばひとまとまりの文章である。形式段落に一段落としてまとめてしまえばそれはそれでよいが、意味段落の設定をすれば形式のうちに文章のまとまりを読み手によって作ることができるし、また形式段落が短い場合にはそのいくつかを併せてひとまとまりにすれ . . . 本文を読む
日本語文法論議23710
語論には語構成の論があった。阪倉篤義氏著「語構成の研究」1966 である。刊行4年前、博士論文と見える。語構成論の単純語、複合語は分類の分かりやすさがあったが、その後、野村雅昭氏に単純語と合成語の議論が出て国語と日本語の語の類別に議論が異なる。講座日本語、語彙、岩波書店に論が見える。
語論には日本語論とか、英語論とか、語そのものを言語体 . . . 本文を読む