東慶寺のこと 2010-10-19 09:24:57 | 歴史 豊臣秀頼には側室に生ませた一男一女がいた。女児は幼名を千代姫と言った。大阪城落城の際、兄の国松と共に乳母に手を引かれ城を脱出出来た。千代姫七歳のときであった。が、家康側の執拗な探索でこの兄妹は捕られられ、国松は男児であったために処刑された。女児の千代姫は家康のもとに送られたが、義理の母親の千姫、つまり秀頼の正室(天樹院)の嘆願で助命された。家康はこの千代姫を千姫の養女にし、剃髪させ、後に駆け込み寺と呼ばれるようになる鎌倉の東慶寺に入れた。千代姫は天秀尼となった。