読書など徒然に

歴史、宗教、言語などの随筆を読み、そのなかで発見した事を書き留めておく自分流の読書メモ。

関が原の鉄砲の数

2010-10-07 09:30:48 | 歴史
関が原の戦いのとき、家康の侍医として板坂卜斎は家康と共に桃配山の本陣に居た。卜斎は「慶長年中板坂卜斎覚書」なるものを書き残している。その中で彼は戦が始まり「おびただしい鉄砲の射撃音が続いた」と書いている。この日、関が原には世界中の鉄砲の実に三割近くが集まっていただろうと言う。堺鉄砲研究会代表の澤田平氏によれば、「軍役などから見て、約二万五千丁の銃が有ったと考えられます。当時の日本には五、六万丁の鉄砲が有り、世界一の鉄砲大国でした。通説では、同時期、全ヨーロッパの鉄砲は約三万丁にすぎません。つまり、ヨーロッパ全体の鉄砲が一堂に会したような戦いだったわけです。」と。
鉄砲が二丁、種子島に伝来した時が1543年とされ、直ぐにそれが模倣製造され鉄砲伝来から10年前後の頃、すでに各地の実戦で使用されたと言う。