龍馬の妻、お竜は司馬遼太郎の本などでは、家事仕事などは苦手だったように書かれているが、国家安康で問題になったあの京都の方広寺に幕末、倒幕の志士が数百人も集まったことが有った。その志士たちの面倒をかいがいしく見たのがお竜だったそうだ。彼女が後日、話したところによれば、「食事の世話はともかく、洗濯が大変だった」と言ったという事だ。志士たちがこの寺に集まったのは、この寺の由来を知っていたからだろう。志士たちは「家康め、家康め」と言いながらこの鐘を撞いたに違いないと童門冬二が「まちおこし人間記」時事通信社刊、で書いている。