あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

懐かしいあの人「ミスタータイガース藤村富美男」さん

2007-08-05 07:34:03 | Weblog
昨日の土曜日は、午後から8月23日、24日開催の地蔵盆踊りの準備を行った。当日お供えの引換券、抽選券、ジュース、ビールの引換券を作る作業である。
約2000枚をつくり、押印し、金券と同じ性質のものにする。班長さん十数人にご出席頂いただき作業開始。やはり早いですね。1時間半ほどで完了した。その後、盆踊りの各担当を決めお開きとなった。会長の指示でお茶代わりに昔懐かしいラムネが配られた。昔懐かしい飲み物である。今は、ガラスではないがプラスチックの容器を押しラムネ玉が下に落ちるとシュッワーっと泡が出る。昔懐かしい味がする。
「昔はもっと炭酸がきつかったのでは。」「いや、もっと冷えてたらきゅんと来るで。」コカコーラ、ファンタ等のないよき時代のアイデアあふれる飲料水である。

 懐かしいことといえば、教育テレビを見ていると「この人に会いたい」という番組で懐かしい人がでていた。あの初代ミスタータイガース藤村富美男氏である。この人の名前を聞くと団塊の世代ならほとんど知らない人はいないだろう。川上の赤バット、藤村の物干しバット。37インチのバットをブンブン振り回す。遠心力がついてよく飛んだそうである。中等野球時代から川上哲治氏をライバルとしていた。プロ野球に入り川上は読売巨人軍、藤村は大阪タイガースでお互いにライバルとしてプロ野球の隆盛の一役をになった。伝統の阪神・巨人戦ができた。その後このライバルは巨人の王・長嶋、阪神の村山へと受け継がれ益々プロ野球は栄えた。
 藤村部長といえば私のサラリーマン時代の上司であった。大蔵屋開発といって軽井沢の別荘を開発していた。東京方面の方なら北軽井沢にプリンスランドというところをご存知でしょう。嬬恋村の高原キャベツで全国的に有名である。
昭和48年秋。新聞に求人情報が掲載された。不動産会社で管理(契約・物件管理)担当者若干名を募集するとのことである。このときは行政書士試験も合格し、不動産を勉強したい思いもあったので受けてみることにした。面接時によくみたお顔の人がいる。あ、藤村富美男さんではないか。会社側から「この人ご存知でしょう。藤村富美男さんです。当社の人事部長です。」とのことであった。数日たって採用通知が来、11月1日より大阪支店総務部管理係で勤務することになった。
藤村部長も同じフロアーである。出勤初日、部長に挨拶する。非常に物腰が柔らかい。あの豪快なホームランを飛ばすような気迫がどこにも感じられない。「平岡さん、関大やねんなあ。君の先輩ちょいちょい来るで。」雲の上の人である。「はっ、そうですか。」あとは言葉にならない。「野球興味あるんか。」「はい、私小学校の2年から巨人ファンですねん。しかし、阪神も好きですねん。部長憧れの的でしたわ。プロ野球より高校野球に興味ありますねん。呉港中学と熊本工戦で川上さんと対戦したことも知ってます。」「そない云われているが僕記憶ないねん。」「最初の対面がこうであった。約2年間藤村部長と同じフロアーで仕事をさせていただいた。                    明日に続く

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