あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

初代ミスタータイガース藤村富美男氏続き

2007-08-06 11:10:59 | Weblog
 8月5日の続き
 初代ミスタータイガース藤村富美男氏とは約2年間お付き合いさせていただいた。思い出が一杯ある。新聞記者がよく取材に来る。「平岡君、今来た記者読売新聞社やねん。コメント書いてほしいとゆうとうねん。君、野球のこと興味あるようやからチョットわしの代わりに書いてみてくれへんか。」「わかりました。」と昼の休憩時間に喫茶店であちこちの新聞を読み記事を書(勿論下書き)き、氏に渡した。数日後、新聞に藤村富美男氏談で掲載された。こんなことが数回あった。一度氏から「平岡君、今晩空いてる。」「部長、何も予定はありませんが・・・。」「チョット、付き合いしてーなあ。原稿料もうてん。」「わかりました。」とついていく。地下鉄東梅田で降り、部長喫茶店に入っていく。ウエイトレスに「ぼく、フルーツポンチ。平岡君、何でも言ってや。」「私も、それにします。部長、飲まれないのですか。」「ぼく、酒のまれないねん。」「へー、現役時代からですか。」「そう、若い時からや。」スタンドでのあの豪快さとは全然違う。「部長、お弁当すごいですね。」「この年になっても、食欲は旺盛だわ。」面積は普通であるが体積がすごい。普通人の2倍はある。

 私の入社した当時別荘ブームで、この会社は大蔵屋(マンションの建売)の子会社で別荘地を開発していた。群馬県嬬恋村(高原キャベツで有名)、と三重県青山町の2つの別荘地を開発していた。土曜、日曜はほとんど現地である。青山町など日帰りである。我々管理部契約担当者は朝7時に2台の車で大阪を建つ。いつも藤村部長と同じ車である。現地到着は10時。現地事務所を整理し、営業マンが見込み客をつれてくるまで待機。秋が深まってくると山は寒くなる。こんな時大阪から材料を持って部長はぜんざいを炊き始める。昼食はぜんざい。やがてお客が現れるとお客に振舞う。一度、信用金庫時代にお付き合いしていた取引先の社長が現地を見に来た。「平岡さん、久しぶりやなあ。」「その節はお世話になりました。」「ところであの人、阪神の藤村と違うんかいな。」「そうです。」「わし、ものすごい阪神ファンやねん。」「そうでしたね。社長阪神ファンでしたね。」「サインもうてーなあ。」とのことで後日サインもらってお届けした。社長喜んじゃって。
 大蔵屋開発では毎年2回社員表彰を行う。特に年末の納会は派手である。その中に優秀社員賞というものがあり。半期に1人だけ表彰される。本部と全国8営業所500人の中から一人である。表彰状と副賞3万円が授与される。当時、私の基本給が6万円であった。選考会議が部長以上の出席で開催される。昭和48年の選考会議はもめたらしい。最終、東京の管理係と大阪の小生が残り、藤村部長の強力な推薦でで小生に決まったとの後日談であった。

 会社を去るとき部長にネクタイをもって挨拶に行った。後日、部長がテレビに出られたとき私の贈ったネクタイを締めて出演していた。
部長の葬儀には楽しかった2年間の感謝をこめて合掌させていただいた。
中村監督以下主力選手がユニフォーム姿で参列していたのが印象的であった。

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