あきお不定期日記

日常の思いついたことを不定期で書いてみたい。

激動の日本を走りぬけた故人に感謝

2008-11-04 04:09:18 | Weblog
戦後の歌謡界をリードしたフランク永井さんが他界した。
 あの低音にはドキドキした女性も多いのではないか。
 大ヒットは「有楽町であいましょう」で流行語にもなった。あの当時流行後大賞があれば間違いなくトップに選ばれていたであろう。
「君恋し」「おまえに」などを耳元で囁くように歌われては女性はメロメロになるだろう。小生もカラオケが好きで音域も合いカラオケスナックに行くと今でも「君恋し」などよく歌う。
 26回連続紅白歌合戦出場の常連であった。何があったかわからぬが自ら命を断とうとしたが未遂に終わり一命をとり止めた。その後遺症で脳が損傷し再起不能となった。人生の後半は寂しい日々だったであろう。
 日本歌謡界の一時代を築いた人である。           合掌

 日本の産業界の一時代を築いた村井 勉氏が亡くなられた。
住友銀行の常務から経営危機に陥っていた「マツダ」やこれまたビール業界で低迷していた「アサヒビール」を見事建て直した。特にビールの革命である「アサヒスーパードライ」を世に出した功労者である。未だにスーパードライは「アサヒ」の代名詞であり、ビールの代名詞でもある。
 数年前、大阪のある料亭で関西の活性化と地元新聞を育てようとの会合があり、小生も出席する機会があった。今、北海道でがんばっている当時NHK野球解説者の梨田監督など二十数名が集まった。一番奥に昔テレビや新聞で見たお顔が目に止まった。村井勉氏であった。恐る恐る名刺を差し出すと穏やかなお顔で「こんなものです。」とご丁寧に名刺を差し出された。最敬礼して名刺を受け取った記憶がある。関西を代表するお顔が又ひとつ消えた。寂しい限りである。
                               合 掌

 10月31日にも小生にとって身近なお方がこの世を去られた。
小生が所属している関西大学校友会此花支部の復活初代支部長(現、名誉顧問)である原田先輩。十年以上も前に大病を患い懸命なリハビリを行い元気な時と変わらないほど回復されたと思ったら今度はまた内蔵を悪くされ入退院を繰り返されていたが薬石効なくこの世での人生を終えられた。
 もう20年近くなろうか、当時小生は関西大学校友会の職域支部である行政書士秀麗会の幹事長をしており校友会の集まりや代議員会に出席していたが、小生の住んでいる此花区の支部活動が休止しているとのことで又、事務局からの相談もあり、此花区に本社を置き大きな事業をしており、関西大学発展にも尽力されていた先輩を訪ねた。たまたまこの先輩の弟も関西大学の同期で一回生のときに混声合唱団を創立した仲間であった。この弟も専務として兄と共に事業を行っていた。先輩は総務部長(関大出身)を呼んで数人で会合を持った。「よし、やろう」ということで役割分担を決め、2年後に復活第一回総会を開催した。その後この支部は徐々に活動を増やしている。いつも温かい目で支援いただいていた。小生は今復活3代目の支部長である。
3日のお通夜に参列し、先輩の安らかなお顔をみて感謝の気持ちを述べると急に昔のことが思い出され涙が止まらなかった。
本日の葬儀も参列する。
                              合  掌



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする