ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

読書日記:私の家は山の向こう

2005年12月30日 | Weblog
今春、文藝春秋から発行された有田芳生さんの力作であるノンフィクション。副題は「テレサ・テン十年目の真実」。今年でテレサ・テンが亡くなってちょうど十年が経った。有田さんの構想13年の作品で、取材の費用、時間、エネルギーを相当注いでいるので彼のライフワークといってもいいだろう。

小生はテレサ・テンの歌が好きで、彼女のCDやDVDを持っているのでファンと言ってもいい。一度だけ彼女を実際に見たことがある。テレサが日本でデビューして2年ぐらい経ったときだと思う。あの夏、大磯ロングビーチのプールに行ったとき、屋外ステージで歌謡ショーが催されていた。ちょうどテレサがステージに上がって、司会者の質問に答えてから一曲歌った。何を歌ったのか覚えていないが、テレサが夏の日差しを嫌って日陰に入ろうとしていたのを司会者がからかっていたのを思い出す。かなり遠くから見ていたので、細身で色白だったことしか分からなかった。

で、本のことであるが、とても出来上がりの良い作品である。台湾生まれのテレサの生い立ち、大陸で生まれた両親の経歴も書かれているのでテレサの伝記としても読める。父親が国民党軍の軍人だったので大陸から逃げてきた外省人であった。テレサは幼い頃から歌の才能を見いだされ、人前で歌っていた。19歳で香港の十大スターに上げられ、映画にも出演していた。その後、日本ポリドールと契約して日本でデビューすることになるが、ポリドールの担当者も契約にこぎつけるまでに色々苦労した様子が書かれている。日本でデビューしたときは、2歳サバを読んでいた。1953年生まれだった。

ヒット曲は、三木たかし・荒木とよひさのコンビによる作品が多いが、作られるときのエピソードも興味深い。テレサが日本に偽造パスポートで入国しようとして入官で捕まったときがあった。あれは、台湾が国際的に孤立していたので、台湾で出国許可を得るには長時間かかるからインドネシアのパスポートを使用したということだ。違法だが偽造パスポートではなかったという。あれから数年、来日できなかったが、その後、大ヒットしたのが「つぐない」だった。♪窓に西陽があたる部屋は・・。
軍慰問コンサートのこと、支那民主化へのテレサの思いもよくわかる。大陸でテレサが歌う「何日君再来」が密かに浸透して、それを規制しきれず、大陸へテレサを呼んでコンサートをさせようとする大陸の思惑。テレサも乗り気になっていたが、結局は天安門事件で頓挫してしまう。大陸もスーパースターを政治的に利用しようとしたのである。
テレサは、一度、シンガポールの富豪と婚約したが破談になっている。テレサが歌手をやめることが条件に付けられたからだ。その富豪、後に銀座高級クラブのホステスだった日本女性と結婚したそうだ。

テレサは晩年、体調が悪かったせいか、肌が荒れて黒ずんで若い頃のキュートさを失っていた。DVDをみるとよくわかる。最期はタイのチェンマイで迎えた。14歳年下のフランス男性ステファンと同棲していたのだが、気管支喘息が原因でホテルで倒れ、病院に移送中、息を引き取っている。薬を多用していたので心臓もかなり弱っていたというが。
亡くなった後、週刊誌などにテレサは台湾軍のスパイだったと書かれたが、著者が調査して虚報であると証明している。
テレサは、米西海岸、香港、シンガポール、パリにマンションを購入していたんだ。晩年は、体調を崩してコンサート活動もままならず、クレジットカードも使えないことも多々あったという。

紅白歌合戦には3度出場したのかな。テレサはその出場に結構執着していたようだ。明日がその紅白歌合戦。
テレサの歌声は永遠に残ることだろう。
改めて言うが、この本、支那現代史を再考するうえでも佳い本である。

河井継之助

2005年12月28日 | Weblog
年末年始にはテレビで長篇時代劇が放映される。昨夜の日テレ系の長岡藩士河井継之助を描いた2時間半のドラマは面白かった。継之助を演じたのは中村勘三郎であり、他の歌舞伎役者が大勢脇を固めて、さすがに演技が巧かった。
継之助は藩主に認められ、家老上席までに出世するのであるが、藩政改革に大いに貢献した。

(左:河井継之助 右:山田方谷)
また、継之助は諸国の学者に師事して多くのことを学んだようだ。備中松山の山田方谷にも師事して短い間だが岡山にも来ている。山田方谷は商家出身だが、藩主に優秀だと認められ、武士に取り立てられて家老職まで勤めた人物。藩政改革を大いにやり、作家の司馬遼太郎も「立派すぎて小説に描けない」と絶賛しているほどだ。地産の資源を使って名産を創出し、西洋から蒸気船を購入して直接江戸まで輸送までしていたというから相当な人物だった。
継之助も山田方谷から大いに学んだことだろう。フランスの商人からマシンガンも導入している。中立であるためには武装が必要だということをスイスから学んだようだ。あまり細かいことに拘らずポイントを把握する人物だったことも窺える。経営者や管理者向きの性格だったといえよう。
長岡藩は徳川の譜代大名だったので、幕末では薩長官軍と幕府側会津の間で継之助は血の出るような葛藤をしている。しかし、官軍の横暴さに耐えられず、官軍には従わず、幕府側として戦って亡くなった。一度は落とされた城を取り戻したが新発田藩の裏切りで敗れてしまった。この戦いを北越戊辰戦争という。享年42歳だったから惜しい人物だった。

正月には、土方歳三の最期を描いたNHKのドラマがある。それから懐かしい里見八犬伝も放映されるので楽しみだ。

女子フィギュア

2005年12月21日 | Weblog
浅田真央ちゃんが87日遅く生まれたので来年のトリノ五輪に出場資格がない。15歳という年齢制限。
これは数年前、米国の軽量の少女選手がアクロバット的演技で金メダルをかっさらった後、医学的見知という根拠で制限を設けたという。
おそらくヨーロッパあたりの勢力が働きかけてできたのだろう。これには日本も賛成したという。
もし、そのとき、真央ちゃんのような選手が日本にいたら反対したであろう。

日本の選手がスキージャンプで活躍したら、スキー板の長さを制限され、身長が低い日本選手は不利になった。水泳では背泳鈴木大地が金メダルをとったらバサロ泳法が制限された。こういった規則は世界の力関係で作られていく。

日本スケート連盟の女子強化部長は規則に従わなければならぬとすでに真央ちゃんの出場を諦めている。規則は変えられるのだから働きかければいい。
すでに真央ちゃんは国際大会に出場して優勝もしているのに医学的見知もないだろう。体操選手などは少女選手がいっぱい活躍しているではないか。
小泉首相は、オリンピックに出場できないのが不思議だと言っている。麻生外務大臣は日本のためだけに特例を設けるわけにはいかないと言っている。政治家までに発言させるほど真央ちゃんは注目されている。あの可愛いあどけなさは、ロリコンにとってはたまらないことだろう。

(左から安藤美姫・中野友加里・浅田真央)
五輪候補者は日本女子からは三人枠がある。安藤美姫と中野友加里は選ばれるだろう。安藤は、バランスのとれた体型をしている。頬骨とエラが発達して口が大きく派手な顔で18歳になったばかりだが色気を備えている。だが、背中が吹き出物の痕でもあるのか汚い。得意技は4回転。
中野は彗星のごとくでてきたシンデレラガール。代役で出場して好成績を修めたのであった。色白で獅子鼻だが、東洋的な雰囲気を醸し出して魅力がある20歳。得意技は、ドーナツスピンとトリプルアクセル。
ちなみに真央ちゃんの得意技は、片手ビールマンスピンとトリプルアクセル。

フィギュアは、以前は規定とフリーがあった。規定というのは氷上にスケートで図形を描いて競うものだった。だが人気がなくてなくなった。今ではショートプログラムとフリーである。
記憶に残る選手は、米国のジャネット・リンと東ドイツのカテリーナ・ビットである。ジャネットは、おかっぱの金髪で笑顔が可愛く、尻餅ついたときの表情がよかった。ビットは、コスチュームも凝っていて美女だった。検索してみれば、巨乳だったそうで女優になっている。

真央ちゃん、4年後があるといっても、来年のトリノで見たいものだ。

遭遇した有名人たち

2005年12月14日 | Weblog
長い間ずっと狭い行動範囲のなかで生活しているので、もう著名人に出くわすことはなくなった。20年以上前は、旅などよくしていたので時々思いがけなく著名人を見たことがあった。
伊丹十三(映画監督)、安部徹(俳優)、田中小実昌(作家)、島田陽子(女優)、紺野美沙子(女優)、ゴダイゴ(ミュージシャン)などに出くわしたことがあった。

伊丹十三とは、フランスのカンヌで遭遇した。ちょうど伊丹が「お葬式」を映画祭に出品してカンヌに来ていたのである。彼はひとりで海岸を散歩していた。チャイナカラーの上着を着ていたので目立った。色白で孤独そうだった。その後、「ミンボーの女」など社会性のある映画を作ったので顔を刃物で切られたこともあった。最期は、女性問題を週刊誌に書かれて悩んだのか、泥酔して飛び降り自殺してしまった。生きていれば、もっと面白い作品を作って楽しませてくれたと思う。

安部徹とは、スペインで出会った。どこかの街のホテルにあるレストランで食事をしているのを見た。正月だったかな。彼は日活時代が長く、悪役専門だった。テレビの時代劇でも悪代官が似合うキャラクターだった。

田中小実昌とはロスアンゼルスで出会った。リトル東京のラーメン屋のカウンター席について、ふと隣を見ると彼がいた。冴えなくボッーとしていた。彼は、ふらふら無目的に旅をするのが好きだったようだ。そのことを書くことが仕事でもあったのだが。彼の最期は、ロスの病院だった。彼の文章は平仮名の割合が多いので読みにくいと思う。

島田陽子は、渋谷のNHK前の歩道で見た。黒いスーツを着てスタイルもよく輝いていた。タクシーに手を挙げて止めているところだった。彼女を初めて知ったのはテレビドラマ「光る海」だったと思う。まだ女優としては下手くそなころだった。急にハリウッド映画「将軍」に抜擢され国際女優になってギャラが高くなったと聞いた。その後、あまり活躍せず、熟女ヌード写真集を出した。今では、その写真集、ブックオフなら500円で買える。借金をしても返さない女優だと週刊誌に叩かれ、もうかつてのように注目されない。

紺野美沙子は、パリのサンジャック通りを連れの人と颯爽と歩いているのを見た。背も高く、スタイルも美しかった。かつての水着写真集が2万円のプレミア価格がついている。最初はモデルだったのかな。今もテレビに時々出演しているが、美しさを保っているようだ。

ゴダイゴは、成田からバンコクへ行く飛行機の中で見た。バンコク経由でネパールのカトマンズに行ってコンサートを行うようだった。ステージと違って冴えない感じのグループに見えた。ボーカルのタケカワヒデユキがいい。♪ガンダーラ ガンダーラ はよく聴いたな。

また、いつの日か、旅に出かけたいと思う。

戦艦大和

2005年12月13日 | Weblog
この前の日曜日の昼、テレビ朝日の「今よみがえる戦艦大和」という特集番組をみた。
鹿児島の坊津沖の海底350㍍に沈んだ大和の映像をみせてくれた。大きく二つに千切れていたのは爆発の凄まじさが分かる。キノコ雲が6㎞も上がったというのだから。想像される転覆から海底まで沈む様子はCGを使っていて分かりやすかった。主砲3基が直線上に孤立して沈んでいるのは、転覆したときに抜け落ちたからのようだ。
大和のこの出撃は水上特攻というようだ。燃料は片道だけ積んで行けというのは命令文書に書かれていた。特攻の飛行機のほうは燃料満タンで出撃だったのだが。

(戦艦大和の最期)
この番組、今週封切りされる映画「男たちの大和」とタイアップしており、映画のシーンも流されていた。映画に出演した反町や松山がメッセージを送っていた。あの常套句と言おうか、杓子定規ふうと言おうか、「戦死者のおかげで今の平和な日本がある」という言葉。彼らにとっては用意された台詞だったのだろう。松山という俳優は20歳ぐらいだろうか、戦争なんてまったく知らない世代。靖国参拝する小泉首相もよく使っているのだが、戦死者に対する慰霊の言葉として受けとるならば納得できる。
今、日本が平和であるとするならば、それはアメリカのおかげだろう。平和憲法を押しつけられ戦争放棄したこと、安保条約でアメリカに保護されたこと。さらに、日本の発展も戦死者のおかげだという人もいる。これも戦死者へのリップサービスかな。アメリカのおかげだろう。朝鮮戦争やベトナム戦争特需などが経済発展に寄与したのだから。
日露戦争での戦死者のおかげで今の日本の平和があるなんて聞いたことがない。大東亜戦争が終わって60年以上の歳月、もう「戦死者のおかげで」という表現、やめて欲しいよ。

男系天皇

2005年12月06日 | Weblog
武部幹事長が「日本は天皇を中心とした国」と発言したことをマスコミが槍玉にあげている。天皇は憲法で日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であると定義されているので、別に批判する発言でもないだろう。天皇は神武天皇を始祖として万世一系なので憲法を超越した存在であるとも言えるかな。そういえば、森キロウが「日本は天皇を中心とした神の国」と発言して物議を醸したことがあった。天皇を神と言いたかったのだろうか、真意は何だったのだろうか。天皇は、王よりも偉いエンペラーだが、今は神ではない。

(平成天皇は125代天皇)
昭和の裕仁天皇は、戦前の帝王学をたたき込まれただけあって、現世離れして、なんとなく天皇といえる雰囲気があった。昭和天皇は戦争犯罪人のリストのトップに上げられていたのだが、特別の存在とみなしてマッカサーも責任を追及しなかった。支那もA級戦犯に対しては厳しいが天皇に対しては何も言わないではないか。
今上天皇は、サイパンのバンザイ岬で腰を折った姿や園遊会で将棋連盟会長を諫めたりしているのを見るとかなりの人格者だと分かる。

さて、皇位継承が制度化されたのは大化改新のころのようだ。それでも皇族間で内ゲバもあった。南北朝時代では天皇が二人もいた。
なにゆえ、男系と決められたのか分からない。女帝は8人いたが、彼女たちの子供は天皇になっていない。女性天皇はいたが、女系天皇ではなかった。今、皇室典範改正で女系天皇が容認される方向にあるので、皇族や元宮家の人から伝統を守る立場から反対もあるわけだ。保守系国会議員の間でされている皇室典範改正勉強会でも「Y染色体」の重要性を指摘して女系天皇に反対していく意向のようだ。Y染色体は男性しかもたない性染色体である。このY染色体は変化しないで伝わっていくが、女性のX染色体は相手の遺伝子と交流して次第に変わっていくものだという。薄まっていくのである。だから万世一系のためには男系でなければならないという論理。でも、何か変だな。昔の人は染色体なんて知識がなかったのだから、染色体理論を今持ってくるのはおかしいではないか。ムネオ流では「いかがなものか」かな。
そもそも万世一系であることは証明不可能である。 

耐震偽造の構図

2005年12月02日 | Weblog
次第に見えてきたようだ。先月下旬の初め頃、急に耐震強度のねつ造が発表されて、まず姉歯建築士がマスコミの矢面に立っていた。悪びれた様子もなく、淡々と偽造したことを話し、建築確認機関がそれを通したのが悪いと言っていた。
発覚したのは、外部から検査機関イーホームズに姉歯がねつ造をやっているという通報があり、内部監査をやると次々と出てきたということだ。そのうちオジャマモンと呼んで下さいというヒューザー小嶋社長が登場した。小嶋社長がテレビのいろんなワイドショーに出演して釈明をしたが、疑惑が深まるばかりだった。小嶋社長の演歌まで聴かされてしまった。

(誰が誰だ?!)
ついに国会の場に参考人として、小嶋社長、イーホームズ社長、シノケン社長、木村建設社長らが招致され劇場化した。小嶋社長の不規則発言はマスコミ受けして何度もテレビに流された。姉歯建築士は、別の設計事務所長が自殺したことで怖くなり欠席していた。ねつ造発覚で、ヒューザー、イーホームズ、姉歯建築士、設計事務所の人たちが集まり、今後どうするか話された内容も明らかにされた。

最初、ポイントとなるものは、姉歯建築士が勝手に偽造したのか、それとも建築主や施主の圧力でやらされたのかだった。結局、どうやらポイントは、建築主や施主が安全性の領域まで侵してコスト低減をやろうとしたことだと分かった。ホテル建設のねつ造では木村建設の指南役である総研というコンサルタント会社の影が見えてきた。総研は、主に建設会社を対象としてコンサルを行ってきたようだ。ホテル事業を始めようとする事業者を指導して建設は木村を紹介していた。

姉歯建築士が携わった構造設計は二百数件あり、そのうち二割程度が偽造されたと判明している。さらに拡大して行きそうだ。被害者はホテル経営者とマンション購入者。ホテルは営業停止して損失も多額になるだろう。マンション購入者もローンの支払いに不安がある。今後は安いマンションは疑って見ないといけないな。建築確認機関もザルであることがわかった。