ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

統一地方選の結果

2007年04月24日 | Weblog
注目していたのは、夕張市長選、東洋町長選、長崎市長選、それに沖縄での参院補選ぐらいだったが、ほぼ良識ある投票結果となった。

(沖縄参院補選で当選した島尻安伊子氏・キャラクターのアリ・アリの中傷ビラ)
夕張市長選:
財政再建団体になっての選挙で地味そうな選挙戦だったようだ。夕張出身で道外で経営者として成功した藤倉氏が当選。有権者は、行政よりも経営手腕に重きを置いて選んだのであろうか。次点の羽柴秀吉氏が健闘した。羽柴氏は資産家なので財産を拠出して財政を立て直すとアピールしたのが受けたのであろう。350億円の赤字を抱えた夕張市は一から出直しか。新町長は企業を誘致すると公約していたようだ。給与25万円では持ち出しも多いだろう。

東洋町長選:
放射性廃棄物最終処分場をめぐっての選挙戦だったが、反対派の沢山氏がダブルスコア以上で圧勝。処分場の調査を受け入れることで財政をしのげても、町のイメージも悪くなり、安全性に問題があった。とにかく前町長の田嶋氏が一存で処分場候補に手を上げたのがよくなかった。妥当な選挙結果だった。争点は処分場問題だけだったが、これからの町の将来像はどうなんだろう。今回の選挙で全国的に注目されたのでアピールするチャンスでもある。サーファーが大勢来るビーチがあるから、イベントでもやって起爆剤にすればいい。

長崎市長選:
投票日の数日前に前市長の伊藤一長氏がヤクザに銃殺されて、弔い選挙になった。娘婿の横尾氏は40歳の新聞記者で少し頼りない演説をしていた。彼に市政を託すには不安な市民も多かったのではないか。接戦(千票弱の差)だったが、市役所課長の田上氏がさらってしまった。田上氏もやり手だな。一日で経営者団体から支持を得たのだから。太いコネがあったのだろう。でも、無効票が7%もあって選挙制度に問題点を残した。期日前投票で伊藤一長を入れた有権者がいたし、投票日にさえ彼に入れたというオバカサンもいたという。世襲の弔い選挙も時代遅れだろう。伊藤一族の勘違いもあったように思う。

沖縄県参院補選:
自公推薦の島尻安伊子氏(42歳)と民主党等推薦の狩俣氏の一騎討ちだったが、3万票弱の差をつけて島尻氏が圧勝だった。当選後、ニュースで島尻氏は仙台出身と報道されていた。ということは、沖縄県では初めてのヤマトンチュ国会議員の誕生である。ネットで検索してみれば、14年前に夫が沖縄で日本新党から出馬するために家族で移住してきたそうだ。留学経験もある美人キャリアウーマンでもある。前職は那覇市会議員(2004年初当選)で、自民県連は彼女なら、女性票と無党派層票をとれると踏んだようだ。市会議員のときは民主党籍だったのが途中で離党した。夫が2005年の衆院選で民主党から公認されなかったので一緒に離党したということだ。夫唱婦随か。選挙戦では彼女がヤマトンチュなので敵陣営から中傷があったというが当選できたということは沖縄も変貌してきたのだろう。この前の県知事選もそうだったように、もはや基地問題は優先される争点にならず、「くらしと経済」に移ったかのようだ。

読書録「癒しの島、沖縄の真実」

2007年04月23日 | Weblog
ブログで「癒しの島、沖縄の真実」(野里洋、ソフトバンク新書、2007年発行)を知り、街の書店で探したがなかったので取り寄せて読んだ。
著者は、石川県出身で少年の頃、戦争映画をみて沖縄に関心を持っていた。1962年に大学に入学するため上京し、沖縄文化協会に入って、参院選挙に出馬した沖縄の安里積千代氏を手弁当で応援している。琉球新報東京総局で仕事を手伝ったことがあったので、卒業後、すんなり琉球新報に入社した。40年にわたる沖縄記者の始まりであった。その後、本土復帰前の沖縄の琉球新報本社に赴任する。そのような変わった道を歩んだ人だった。沖縄を内からも外からも冷静に見通せる稀有な人なのではなかろうか。

著書の前半は、沖縄社会のことや体験など述べており、読んでいて面白いだけの本かなと感じたが、終盤にとても引き付けられ、読んで良かったと思った。
琉球新報を創刊した太田朝敷氏が昭和7年に沖縄自立問題を論じているという。「本県は今日経済的に浮沈の瀬戸に立っておる。大正15年来年々5、60万円乃至7、80万円の経費が産業助成若くは糖業奨励の名目で政府から交付せらるるのである・・・・併しその効果に至っては、幾度見直しても成程と思われる点は見出し得ない。私は我が県民が将来助成中毒にかからぬよう、ひたすら神に祈るのみである」と憂えている。「助成中毒」という言葉がすでに使われていたのだ。今も同じではないか。
沖縄は戦後27年間、米軍による統治を体験したので、「植民地後遺症症候群」というべき意識が潜んでいるのではないかとも述べている。「問題が起こっても責任は自分たちの側にない」というべきもの。そういえば、沖縄のやっかいな問題はすべて、日本のせいにする知識人が多い。
県内には4つのバス会社があり競合してきたが、統合するのかと思ったが結局できなかった。北九州の企業が2つのバス会社を買収して新会社になったら利用者からの評判がよくなったという。
著者と政治家の後藤田正晴氏との関わりのエピソードが面白く紹介されている。後藤田氏が91歳で亡くなる年に沖縄で「憲法と安全保障」と題して講演していたとは驚いた。
その他、琉球政府の仕組み、県民の沖縄論好き、上原康助議員が衆院予算委員会で沖縄独立について質問したこと、沖縄サミットの裏話、著者が「世界ウチナーンチュ大会」の切っ掛けをつくったことなど面白く書かれている。
著者の他の著作を読みたくなった。

昆布の道

2007年04月16日 | Weblog
つい先日のこと、古書店の民俗学の棚に「昆布の道」(大石圭一、第一書房、昭和62年)をみつけた。函入りの重厚な専門書である。琉球王国の時代の昆布についても載っているので読んでみる気になった。かなり高額なので図書館で借りて読むことにした。

(太平洋廻りの航路もあった。1838年に昆布を積んだ長者丸が陸前沖で遭難して漂流した)
現在、沖縄県の一人あたりの昆布の消費量は全国一だ。北海道近海で採れる昆布がなぜそうなのかを知るには、歴史書をめくらなければならない。
江戸中期に蝦夷地の松前、函館、江差の港と大阪を結ぶ日本海・瀬戸内海航路を北前船が航行始めた。船主には石川や富山の北陸商人が多かった。蝦夷地からは昆布などの海産物がほとんどだった。当時、薩摩にあった琉球館の1788年の文書に「大阪で昆布を買い、琉球で売り、砂糖を買い、大阪で売る」という記事があるそうだ。琉球は朝貢という形でこの昆布を清に輸出して、代わりに薬品や唐物を輸入し、これらを北陸路で売って利益をあげていた。当時、琉球は薩摩藩に支配されていたので、ほとんどの利益は薩摩藩の懐に入ったと言っていいだろう。
琉球や奄美の黒糖→蝦夷地の昆布→シナの薬品は、それぞれ利益を生んだ。薩摩藩は、この黒糖で借金財政を立て直し、明治政府をつくりあげたのだ。これに貢献したのが薩摩藩の調所広郷であった。

昆布を琉球から清にどのくらい輸出していたかは、「道光以後中琉貿易的統計」という中国の資料で知られている。1821年から50年間のデータである。これによると年間平均120トンであるが、実際は500トン程度と推測されている。当時、日本の昆布総生産量が5千トンだから、中琉昆布貿易はその10%に及んでいた。
中国は、なぜ昆布が必要だったのか。昆布には、ヨウ素が含まれており、風土病の治療に必要であったようなのだ。朝貢品重量の85%は昆布であったというから驚く。
18世紀末に那覇港に「昆布座」が設けられ、薩摩藩が直営していた。昆布座の背後には悪名高い「在番奉行所」があった。薩摩藩の琉球王国支配の心臓部であった。昆布座では、対清貿易用昆布の集荷、琉球国内向け昆布の一手販売等であった。この昆布座、明治12年の琉球処分で在番奉行所とともに沖縄県庁となっている。
そういうことで沖縄で昆布がたくさん消費されることになったのである。沖縄料理としてはクーブイリチー(昆布の炒めもの)、ソーキ煮などで使われており、食べたことがある。他にも昆布巻きとかいろいろあるようだ。沖縄で昆布が今もたくさん消費されるのは、こういう歴史のせいであった。

読書録:琉球の「自治」

2007年04月14日 | Weblog
今や日本全国、格差だらけである。地域格差、経済格差、所得格差、医療格差、学力格差、環境格差、交通格差・・・。
元祖格差は沖縄だったのかな。本土と沖縄の格差是正のために、米軍基地と引き換えに開発という名の投資をやり続けてきた。しかしながら、いつまで経ってもその格差は埋まらない。ますます、財政依存漬けになってしまって経済自立は遠ざかっている。もう間違いに気付いて方向を変えてもいいのに、相変わらず、振興政策とやらが望まれている。沖縄が基地を拒否した場合、いかにして経済自立していくかの現実的なグランド・プランもなさそうだ。返還された基地の跡地をこれまでのようにいくら開発しても状況を悪くすることは、もう十分な経験をして学習されているはずだ。沖縄の多くの市町村は、いずれ夕張市のように財政再建団体なってしまうだろう。

松島泰勝著の「琉球の『自治』」(藤原書店、2006年)が面白そうなので読んでみた。松島泰勝氏は石垣島出身で早大で経済学の博士号を取得している。南洋諸島の大使館や総領事館で専門調査員として勤務し、数多くの論文を書いており、いくつか読んだことがあり、なかなか興味深い主張をしていた人である。特に岩波書店の月刊誌「世界」(2000年11月号)での「太平洋と結ぶ沖縄」という論が印象に残る。大雑把にいうと琉球王国の大交易時代のアジア諸国を意識した枠組みから開放されて、ミクロネシアなどの太平洋諸島とのネットワーク形成により、経済自立の方向を探るべきであると述べていたのだ。現在は東海大学海洋学部の准教授。
本著「琉球の『自治』」では、沖縄各島と奄美が開発によって自立したのか、開発と米軍基地との関係、琉球弧の経済のありかた、琉球の真の自治すなわち独立のことを述べている。
著者は「琉球人自身が経済振興と引き換えに、基地の存続を許してきたのである。われわれ自身が変わらなければ基地はなくならない」と明言している。
また、「自由貿易や開発は、琉球社会に不公正や競争原理をもたらし、環境を破壊しており、一種の暴力行為であるといえる」とも述べる。
本当の豊かさは市場原理主義では得られない。生産労働ではなく生活労働という広い意味の労働が琉球社会をより豊かにするという。できるだけ自給自足、地産地消がいいのだ。「芋と裸足」も意味深い言葉とみなす。豊かな生活を知ってしまった琉球人が果たして生活水準を自発的に落とすだろうか。
琉球は他国からの侵略を防ぐには非武装でいくべきだという。琉球を非暴力、慈悲心で溢れる島にすれば他国の警戒心を削ぐことができるそうだ。そうだろうか、中国は軍事力を毎年強化しているし、資源を求めて太平洋に進出している。チベット王国みたいに侵略されてしまうのではないか。性善説過ぎないか。このあたりはインドの非暴力主義のガンジーの影響のようだ。
興味深く読んだのだが、注目していた学者だけに、少し落胆してしまった。

小生が思うには、振興金を今までのようなザル開発に使わないで持続発展可能性のある振興策に有効に使い、早く自立の目処をたてて米軍基地を拒否できるようにすればいい。他力本願ではなくそれを琉球人自ら考えなければならない。松島氏が言うように市場原理主義を拒否して生活水準を落としても「本当の豊かさ」が得られるのならそれもいいのだが。