ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

沖縄クライシス

2006年10月29日 | Weblog
あるブログで「沖縄クライシス」という恐ろしい言葉を見た。米軍基地のPAC3配備のことかなと思ったが、そうではなくて沖縄県民の平均寿命のことだった。
国が5年ごとに平均寿命に関する調査を行っているが、「沖縄の男性は1995年度調査の全国4位から、2000年度には全国26位へと順位が急落した」というものだ。これが沖縄クライシス。女性は、ずっと1位を保っている。

沖縄は、食事の良いバランスと温暖な気候が原因で長寿の県だろうといわれてきた。しかし実態は異なってきた。その変化の要因は、食生活の悪化、多量飲酒、運動不足とされる。高齢者よりも少し若い中高年層の死亡率が高くなっている。今の高齢者の若い頃の上記3要因は比較的良好だったといえる。
沖縄の家庭料理は炒め物のゴーヤーチャンプルーを例にあげると、豚肉や卵から動物性タンパク、豆腐から植物性タンパク、ゴーヤーからビンタミンCや繊維質を摂取できるので栄養のバランスが良いのだ。アメリカ化される過程で、食生活も変貌してきて脂肪摂取量が増えてきた。
飲酒にしても、1日にビール中瓶3本程度で算定する「多量飲酒」者は男女とも増加している。1998年に男性12・1%(全国4・1%)だったのが2003年には20・0%に上昇。女性も0・7%(同0・3%)が2・4%に増えている。沖縄には行事が比較的多く、反省会と称して飲み会を重ねるようだ。車社会となり歩行量も明らかに減っている。

沖縄の女性が男性と違って平均寿命1位を保っていることに学べば、そこには寿命を長くする秘訣がありそうだ。飲酒、ストレス・・・。

参考:
沖縄タイムス社説 2006.7.26
http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060726.html

コトー先生

2006年10月15日 | Weblog
今月12日からテレビドラマ「Dr.コトー診療所」の続編が始まった。どこか南の孤島の志木那島で吉岡秀隆が演じる五島健助医師を中心にドラマは展開する。
このドラマ、医療を通じて人間関係を優しく描き、ヒューマンドラマと名づけられている。第一話は23.1%の高視聴率だったそうだ。人間性が失われつつある現代社会であるからこそ、この視聴率になったのかもしれない。

続編は、レギュラー出演者に蒼井優がナースとして加わった。まだ演技もヘタクソだが新鮮でいい。村役場民生課課長の小林薫、診療所事務の筧利夫、漁師の泉谷しげる、子供を医師にするため漁師を廃業し奮闘する時任三郎など男優も多彩だ。乳がんを発病したナースの柴咲コウ、居酒屋店主の大塚寧々、一般の主婦を演じる桜井幸子もそれぞれ魅力ある女優だ。
吉岡秀隆は「男はつらいよ」の寅さんの甥っ子ミツオのイメージが強いと思ってきたが、このコトー先生でそれを脱したかもしれない。
このドラマのロケは、八重山の与那国島で行われている。あの古びた診療所は、ずいぶん水際に近いところにあるが、どのあたりだろうか。建物は、ドラマのためにわざと古びたように造らせたという。コトー先生が往診で自転車を走らせるシーン、時折見せるサンゴ礁の海がいい。小生も10年前にレンタル自転車で一周したし、泳いだ島だ。
正編のほうのドラマは再放送のとき少しみただけなので、コトー先生がなぜこの過疎の島にやってきたのかも知らない。原作はコミックであるが、それも読んでみたいと思っている。次回が楽しみである。

コトバの乱れ

2006年10月08日 | Weblog
古代バビロニアの粘土板に刻まれた楔形文字による文章に「近頃の若者の言葉は乱れている」と嘆いているものがあるそうだ。時空を超えて言葉というものは乱れ、変化があるものなのだ。
つい最近、テレビ報道で北海道滝川市の小学校の女子生徒が「キモい」と言われ、仲間外れにされて苦しんだ挙句、教室で首吊り自殺していたことが明らかにされた。その報道、市教育委員会の中間管理職と思われる職員を記者が追求するものだった。教育委員会側は、女子が書いた遺書を「手紙」であると言い張り、イジメがあったことも認めなかった。
しかし、その報道後、教育委員会に多くの抗議が寄せられた結果、教育委員会は「手紙」を遺書と認め、イジメがあったことも認めたのである。滝川市長まで遺族に土下座して謝っている様子もテレビで放映されることになった。マスコミは世論をつくり、その世論に行政側も従うのである。まさにポピュリズムの時代でもある。

その「キモい」であるが、一体どういう言葉なのか。いつ、誰が使い始めたのか。数年前からテレビで聴かれるようになった言葉だと思う。「気持ち悪い」の簡略形だろう。近所でも子どもがよく使っているのを耳にする。書店のコミックコーナーで小学校低学年の女の子が母親に「こっちのほうがキモいよ」と言っているのだ。この場合は、キモいほうが彼女にとっては望ましいようだった。
また、自転車に乗った女子中学生が隣にいる友達に「キモ」とか言っていた。キモいのさらに簡略形だろうか。「キモかわいい」とかいう表現もあるので、どうもファジーな意味のある言葉のようだ。小生はその言葉自体が気持ち悪くてしかたない。テレビのワイドショーで「ニュースのきも」と言っていたが、これは「肝」だろうな。ポイントとか大事なことだろう。

さらに気になる乱れた言葉として「何気に」と「よさげ」がある。「何気に見る」なんていうのを聞くと違和感がある。小池百合子大臣も言っていたのだ。「何気なく」と言って欲しい。「よさげな本」なんて聞くと、一体日本語はどうなったんだと思う。なぜ「良さそうな本」と言えないのか。「うまそうな」を「うまげ」という輩もいる。
安倍内閣のいう美しい日本を作るためには、言葉も美しくないとだめだろう。

追記:
「ウザイ」という言葉、いつから使われるようになったのか。どこかの方言のようでもあるが意味が不明である。とても汚い言葉のようだ。捨て台詞として使う人も多い。その人の心模様が分かるようだ。