昨夜の世界遺産のNHK番組をビデオに録画しておいた。レポーターは女優の水沢蛍だった。レポート内容そのものよりも、表現が感性に基づいているようで好感がもてる。
小生、アルハンブラ宮殿には二度行っている。二度目はグラナダに数日滞在したので正確にはもっと訪れている。レポーターがバスで宮殿への狭い坂道を上っていた。懐かしい。あの通りに面した安宿に泊まったことがあるからだ。20年くらい前だけどあまり変わっていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5c/0a81de01bbaf08662d1b2ef994d9806f.jpg)
グラナダの語源は「柘榴(ざくろ)」、アルハンブラは「赤い城」というのは覚えていた。
イスラムの宮殿は14世紀に完成したが、15世紀には、カトリック勢力によって奪われている。レポーターが見所をインタビューで聞き出して分かりやすく教えてくれる。天井の星、中庭の池に映った建物の見方、細い大理石柱の意味、壁のアラベスク模様など。
興味深かったのは、宮殿の噴水などに使われた水の源と宮殿修復の技術者の登場である。
水源を研究者と訪ねていたが、シエラ・ネバダ山脈の雪山から流れるダロ川の水を引き込み貯水池を造っていた。そこから6㎞離れた高度差20㍍のアルハンブラの丘に水道橋も造って流していたのである。元は砂漠の民だったので灌漑技術は高かったのであろう。今は使われていない。
修復のほうは、天井の鍾乳石飾りをつくる職人さんとタイル技術者さんを訪ねていた。
鍾乳石飾りは7種類のパーツを型に石膏を流し込んでつくっていた。これらを組み合わせて鍾乳石飾りをつくる様子が面白かった。タイルのほうは、オリジナルのタイルをなるべく残して修復することを強調していた。オリジナルのほうが繊細で質がいいとか。
25年くらい前に読んだアービング著の「アルハンブラ物語」(講談社文庫)を書棚から出してみた。1829年にアメリカ人アービングが宮殿に数ヶ月泊まり込み、図書館で資料を調べたり、土地の人々から話を聞いたことを書き綴ったものである。ムーア人たちの王国の言い伝えがメインである。
アービングは最後に「地上で最も美しいアルハンブラ。その想い出を抱いて私は去って行くのだ」と書いている。
「アルハンブラ宮殿の想い出」の曲が流れていたが名曲だ。
小生、アルハンブラ宮殿には二度行っている。二度目はグラナダに数日滞在したので正確にはもっと訪れている。レポーターがバスで宮殿への狭い坂道を上っていた。懐かしい。あの通りに面した安宿に泊まったことがあるからだ。20年くらい前だけどあまり変わっていない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/5c/0a81de01bbaf08662d1b2ef994d9806f.jpg)
グラナダの語源は「柘榴(ざくろ)」、アルハンブラは「赤い城」というのは覚えていた。
イスラムの宮殿は14世紀に完成したが、15世紀には、カトリック勢力によって奪われている。レポーターが見所をインタビューで聞き出して分かりやすく教えてくれる。天井の星、中庭の池に映った建物の見方、細い大理石柱の意味、壁のアラベスク模様など。
興味深かったのは、宮殿の噴水などに使われた水の源と宮殿修復の技術者の登場である。
水源を研究者と訪ねていたが、シエラ・ネバダ山脈の雪山から流れるダロ川の水を引き込み貯水池を造っていた。そこから6㎞離れた高度差20㍍のアルハンブラの丘に水道橋も造って流していたのである。元は砂漠の民だったので灌漑技術は高かったのであろう。今は使われていない。
修復のほうは、天井の鍾乳石飾りをつくる職人さんとタイル技術者さんを訪ねていた。
鍾乳石飾りは7種類のパーツを型に石膏を流し込んでつくっていた。これらを組み合わせて鍾乳石飾りをつくる様子が面白かった。タイルのほうは、オリジナルのタイルをなるべく残して修復することを強調していた。オリジナルのほうが繊細で質がいいとか。
25年くらい前に読んだアービング著の「アルハンブラ物語」(講談社文庫)を書棚から出してみた。1829年にアメリカ人アービングが宮殿に数ヶ月泊まり込み、図書館で資料を調べたり、土地の人々から話を聞いたことを書き綴ったものである。ムーア人たちの王国の言い伝えがメインである。
アービングは最後に「地上で最も美しいアルハンブラ。その想い出を抱いて私は去って行くのだ」と書いている。
「アルハンブラ宮殿の想い出」の曲が流れていたが名曲だ。