ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

落葉

2008年11月29日 | Weblog
図書館からの帰りに、後楽園の交番前でイチョウの木を撮る。もうかなり落葉していた。お巡りさんが一生懸命、落ち葉を掃き寄せていた。明日になれば、また元の木阿弥だろうが、人や車が滑らないように掃いているのだろう。午後4時ごろ、曇っていた空から陽が差してきた。


今日借りた本とDVD:
「新ゴーマニズムSPECIAL宣言沖縄論」(小林よしのり、小学館、2005年)漫画
「誇りある沖縄へ」(小林よしのり、小学館、2008年)
「沖縄に生きる思想」(岡本恵徳、未来社、2007年)
「評伝 柳宗悦」(水尾比呂志、ちくま学芸文庫、2004年)
「アマデウス」(DVDディレクターズカット)

この前、スーパーで味噌付きのコンニャク田楽を買って食べたら美味しかった。味噌が美味しかったようだ。田楽味噌。この味噌を探したがみつからない。自分でつくればいい。
○田楽味噌のレシピ:
材料
・味噌:砂糖=10:7
・酒、みりん、水 少々

作り方
1.味噌、砂糖、酒、みりんを入れ、弱火でよく混ぜる。
2.水や、みりんで硬さを調節しながら、好みの質感になるまで混ぜまくる。

コンニャクだけでなく大根や里芋、ナス、豆腐などにつけてもいいようだ。
味をつけないで煮ればいいのか。

コタツが欠かせない

2008年11月25日 | Weblog
今日は風は少し冷たいが、お日様が暖かくて自転車で走ると心地よかった。数日前に痛めた腰もほぼ治って安心した。最近はコーヒーを飲みすぎだが問題ないだろう。やはり炭火焼コーヒーがいちばん美味しいようだ。今年の冬は寒くなりそうな気がする。
市内の西長瀬にあった業務用スーパー「食材や」が無くなっていた。撤退だろう。中途半端な品揃えで割安感もない。いつも閑古鳥が鳴いていた。これでは赤字になるだろう。バター不足のときに業務用バターを2度買ったときは重宝した。でも直ぐに品切れになったが。
3年前に、このブログにその記事を書いていた。「はるやま・青山」である。とても悲観的に書いていた。5年後にはどうなっているだろうかと書いたが、3年で撤退してしまった。
3年前にネパールで「仏陀の化身」といわれる少年が森の菩提樹の下で瞑想しているのが話題になったが、今では5千人の聴衆を集めて説法しているらしい。説法できるのだから本物に近づいたのか。おそらく営利目的に利用されているのだろうが。人が集まればその土地が繁盛するので経済効果はスゴイらしい。

(3年前の瞑想と現在の説法の画像)

名簿はヤバイ

2008年11月24日 | Weblog
古本屋で古い卒業名簿を何冊も見たことがあった。こんなものでも利用する人にとっては価値があるようだ。悪用する人もいるだろうが営利目的に活用できるだろう。
小生が卒業した高校と大学学科の卒業名簿が更新されたとき、購入勧誘のDMが送られてくる。住所、電話番号、勤務先まで載せられていた。高校の名簿は電話番号の掲載を削除させた。次は住所も削除させよう。先物商品、不動産の購入の勧誘に利用されているようだから。大学の学生新聞購読の誘いに女子大学生からかかってくるものもあって、煩わしかった。さすがに大学の学科卒業名簿は更新されなくなった。卒業名簿からは年齢がわかるので、ターゲットにしやすいだろう。水道水のアンケートの電話もかかってきたことがある。後日、お礼と称して浄水器を無料で提供したいという電話があったが断った。あとが怖いから。
それから国家資格登録会員の名簿をつくられたこともあり警戒していた。健康食品の通販を利用した場合も、他社に情報を売る輩もおり、知らない遠い県の企業から別の商品購入の勧誘さえあった。こういった名簿で個人情報を利用する輩がいるので困ったものだ。10年以上前に全国展開している学習塾が小中学校生徒の名簿を手に入れて営業に利用していた。この名簿は名簿業者から買っていたようだ。内部用の名簿でも外部に漏れてしまうのだ。
厚生省の元次官殺害の犯人も古い職員録から検索したのだろう。名簿はヤバイ。

ミス・マープル

2008年11月23日 | Weblog
昨日は「名探偵ポワロ」のことを書いたので今夜は「ミス・マープル」のことを書こう。
ドラマ「ミス・マープル」シリーズの第四話「パディントン発4時50分」をみる。このシリーズは全部で12話あるのだが、もうほとんどみたと思う。
セント・メアリ・ミード村という田舎に住むミス・マープルという物静かで知的なおばあちゃんが身近に起こった事件を解決してしまうアガサ・グリスティー原作のドラマである。時代は1950年代だと思われる。セント・メアリ・ミード村というのはロンドンから45マイル程離れているのだが、どの辺りか検討がつかない(架空の村みたいだ)。静かで落ち着いた村であるが事件は頻繁におこるようだ。ミス・マープルは村の人々を観察して分析するのが好きで、いつの間にか身の周りの事件を解決する能力まで身につけた。スコットランドヤードの警部まで彼女に一目置くほど優秀なのだ。ファッションセンスも良さそうで、編み物とガーデニングの好きな普通のおばあちゃんなのだが。
「パディントン発4時50分」はミス・マープルの友人が列車で殺人事件を目撃したことから事件に関わることになってしまう。高齢だから行動力に劣るので、人を動かせて調査に協力させる能力も持っている。自らもポイントを押えた効率的な調査も行う。外国のドラマは名前が聴きづらくて覚えにくいのでストーリーが分かり難いところがある。そういうときは、もう一度みて納得している。
ミス・マープルを演じる女優はジョアン・ヒクソンという。英国では有名な女優だったのだろうか。

名探偵ポワロ

2008年11月22日 | Weblog
夕方、県立図書館に寄ってDVD3枚借りてきた。名探偵ポワロシリーズ2枚とミス・マープルシリーズ1枚である。ともにアガサ・クリスティー原作の英国テレビドラマシリーズ。すでにNHKでも放映されている。
このふたつのシリーズは実に面白い。同じ巻を何度みても飽きないということは良い作品だからであろう。こんな面白いドラマシリーズは唯一であろう。日本のテレビドラマ「相棒」も面白いが、まだ足元にも及ばない。
なぜ面白いのだろう。名探偵ポワロシリーズは特にストーリーの良さ、ポワロ役のデビッド・スーシェの魅力だろう。事件も依頼されるものもあり、旅先で偶然おこるものもあり、バラエティに富んでいる。いつも灰色の脳細胞を働かせて矛盾点を見つけて容疑者を追いつめて行く。
ポワロをほとんどみて分かったことは、ポワロ探偵は元ベルギー警察のポリスであったが、第一次世界大戦中、ドイツ軍がベルギーを侵略したとき、英国へ亡命したことである。そのまま英国に居ついた難民である。したがってドラマの時代は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間である。
あの映画化されて有名な「オリエント急行殺人事件」はこのシリーズには含まれていない。あと観ていないのは3話となった。「ABC殺人事件」、「雲をつかむ話」、「ヒッコリー・ロードの殺人」。
一度、原作も読んでおきたい。






初めてのギックリ腰

2008年11月20日 | Weblog
昨日の昼、コタツの上の財布をつかもうとして屈んだら腰に痛みを感じた。これは尋常ではないと思ったら、ギックリ腰のようだ。今までも少し腰が重いなと感じたことはあったが一時的なものだった。今回のは、しばらく続きそうだ。
立ち上がるときに腰が重くてジワッと痛みを感じ、しばらくヘッピリ腰で歩いている。重いものを持ち上げるときは気をつけていたが、少し屈んだだけでやってしまった。一昨日から急に冷え込んで腰の筋肉に何らかの影響があったのかもしれない。夜は今朝よりも少し良くなっているので、できるだけ安静にしておけば自然に治るだろう。腹筋は自転車でけっこう鍛えていると思うが、背中の腰の部分も鍛えよう。
加齢現象のひとつといっていいかもしれないな。温かいものを飲もう。

コーヒーに入れるクリープの代わりに生協の「スキムミルク」を使っている。脱脂粉乳である。原料は生乳100%で300g入り300円程度でクリープよりも安い。他にシチューにも使えるのでよい。
脱脂粉乳というと昔、学校の給食に出ていた奇妙な味のミルクである。湯で溶かすとあの懐かしい味になる。

目取真俊氏について

2008年11月19日 | Weblog
沖縄の芥川賞作家目取真俊の小説が好きで、ほとんど読んでいる。古い雑誌に掲載されている初期の短編小説も図書館でコピーして読んだ。しかし、2年前の長編「虹の鳥」以来、小説は発表されていないようだ。図書館で閲覧する沖縄の地方紙である琉球新報で、よく彼の政治評論などを目にするので小説よりも評論に力を注いでいるのだろうか。

「沖縄 孤高への招待」(伊高浩昭、海風書房、2002年)に彼の本質がよくまとめられている。これは、沖縄の文化人15人へのインタビュー内容をまとめたものである。「真剣勝負を挑む怒りの人・目取真俊」と題して書かれている。
「目取真はカメラのレンズを向けられる前に、手品のようにサングラスを取り出して素早くかけてしまう」と。素顔を曝したくない理由があるようだ。
短編しか書けないのは専業作家でないため、丸一日創作にあてる時間がないからだそうだ(現在は高校教師を辞し専業作家)。短編を書く基本的なものはひとつの村・街と、その周辺ばかりである。自分の頭にある、ある村の実在人物ばかりでもある。
国語教師になったのは詩や小説を書きたいと思い、しっかりした日本語を学びたいと思ったからだという。
彼の姿勢は唯物論者であり、超越的なものは一切信じないという。今の沖縄の卑屈さを嫌う。基地問題で主張を変え、金を欲しがる姿勢を。名護の高校に転勤したのは海上基地建設問題を身近に感じるためだと言い切る。
ヤマトのメディアには沖縄を癒やしの場と捉えるのはやめて欲しいという。ウタキなど民衆の聖地が次々に破壊されており、癒やしなどという生やさしい状況ではない。
珍しく父親のことを語る。父親は15歳で鉄血勤皇隊に参加しており、徹底した天皇嫌いだったという。

目取真俊氏についてホームページに載せていたことがあるので、それを転載する。
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 目取真俊は1960年沖縄県今帰仁村に生まれ、琉球大学法文学部卒業後、警備員、塾講師等を経て高校
教員となっている。現在も教員をしながら作品を描き続けている。

 主な作品に『魚群記』『平和通りと名付けられた街を歩いて』『水滴』『魂込め』『群蝶の木』がある。
 小説はすべて短編であるが、地方紙のコラムなどに数多くエッセイを書いている。エッセイを読むと筋の通った骨太の”反体制的”作家であることが分かる。彼の作品に方言が使われるのも特徴である。

 1997年に『水滴』で芥川賞を受賞して注目されたが、それまでに琉球新報短編小説賞や新沖縄文学賞を受賞している。さらに2000年には『魂込め』で川端康成文学賞と木山捷平文学賞をダブル受賞した。
 主な作品の概要をまとめてみた。

①魚群記:
 1983年に第11回琉球新報短編小説賞を受賞した作品。
 描かれる魚群は外来魚のテラピアである。少年達は針を付けた矢を弓でテラピアの眼に射る遊びをしている。川沿いのパイン工場が出てくる。パイン工場に台湾から女性が出稼ぎに来ていたのだ。少年達は工場に忍び込む。少年と台湾女との交流を描くが、その少年の父親と台湾女(イナグ)と関係があったという落ちがある。
 差別意識というものも浮かび上がらせている。

②平和通りと名付けられた街を歩いて:
 1986年に第12回新沖縄文学賞を受賞した作品。
 戦後、那覇のマチグワーの露店で商売をしてきたオバアが痴呆になり商店街で問題を起こす。店の商品を自分の汚物をつけた手で触って歩き回るのだ。そのころ、本土から皇太子と妃がやってきて車でパレードする。その車のウインドウにオバアは汚物で汚した手の平で手形をつけた。
 主人公は、そのオバアの孫である育ちの遅れた少年である。
 反天皇制がうかがえる作品である。

③水滴:
 冒頭が「徳正の右足が突然膨れ出したのは、六月半ば、空梅雨の暑い日差しを避けて、裏座敷の簡易ベッドで昼寝をしている時だった」である。
 目が覚めると膝から下が腿より太く膨れていたが、体の自由がきかず声も出せない状態だった。冬瓜ほどに膨れた足は白緑色をしていた。親指の皮の破れ目から水が滴り落ちるようになった。噂がひろがり、見物人が門の前に列をつくるようになった。
 寝たきりになっても徳正の意識は正常だった。ある日から毎晩、軍服を着た男達が現れ、踵から滴り落ちる水を口に受けて飲み始めた。彼らは、戦争中、壕に置き去りにされた兵隊達であった。のどの渇きを潤しに毎晩、現れていたのだ。
 従兄弟の清裕が徳正の妻ウシが畑仕事に出ている間世話をするようになった。清裕は、その水が養毛や強壮に効果があることを知るようになる。「奇跡の水」として売ることで儲けることを思いつき、大金を手に入れた。
 徳正は数週間して水も止まり、起きあがれるようになるまで回復した。すると、その水の効果もなくなり、今までそれを飲んでいた人も元の状態より悪くなった。
 戦争体験を引きずって生きてきた徳正を描いている。

④風音:
 泣き御頭(うんかみ)と呼ばれる頭蓋骨の話。
 崖の上の壕の風葬場に頭蓋骨があった。その二つの眼窩に風が吹き込み、こめかみの穴から漏れる時に音がした。
 戦争中に主人公清吉の父が運んだ特攻隊員の死体の頭蓋骨だった。その時、清吉は見ており、隊員の万年筆を自分のものにして隠していた。それ以来ずっと罪悪感をもっていたのだ。
 ある日、その泣き御頭の取材にテレビ局が村にやってきた。清吉は非協力的であった。複雑な気持ちがあったのだ。テレビ局の藤井という男は、戦争の終わる頃、その特攻隊員と同時に出撃することになっていたのだった。彼も戦争を引きずって生きてきたのだ。
 しかし、撮影されないまま、御頭は崖から落ちて粉々になってしまう。

⑤魂込め:
 魂(マブイ)を落とした幸太郎の口にアーマン(オカヤドカリ)が棲みつく話。
 戦争中に幸太郎の母親が砂浜に海亀の卵を獲りに行ったとき、米軍の機銃で殺された。その浜すう木(モンパノキ)のある浜で幸太郎のマブイが抜けるのである。幸太郎の住む村はリゾートホテル誘致の話があるので、周囲が騒ぐ。
 幸太郎は子供の時から度々マブイを落としていたが、今回はウタおばあがマブイグミの御願をしてもマブイは戻らなかった。浜にいたマブイも海に消え、幸太郎は亡くなり、アーマンは口から引っぱり出され殺される。
 戦中、スパイ容疑をかけられた一般人が日本軍に殺された話もあり、喜劇と悲劇の混在した作品である。

⑥ブラジルおじいの酒:
 少年とブラジル帰りのオジイの交流を描いた作品。古酒と一緒に家族を亡くした老人。
 瓶に入れた酒をおじいは年に一、二度わずかばかり飲んでは、新しい酒を継ぎ足し、二十年余育ててきた。
 おじいの家の裏には幾種類もの野菜が植えられた畑があり、畑と屋敷を囲むようにレイシ、パパイア、スモモ、ビワ、カーブチ、シークワサー、ベンシルーなどの果樹が葉を茂らせていた。
 「『この酒は特別な酒ど』そう言っておじいは黒く煤けた素焼きの瓶を撫でた」。
 戦後、洞くつの奥にあった古酒の瓶は、火炎放射を浴びていた。おじいが焦げたふたを開けると花の匂いだけがした。

⑦群蝶の木:
 戦争を引きずって生きてきた元従軍慰安婦の痴呆オバアのゴゼイを中心に描いた物語。戦中、ゴゼイとシマという共同体から外れた男ショーセイ(昭正)の切ない束の間の恋もあった。
 群蝶の木というのは、ユウナの花が蝶が群れたように見えるのでそう表している。
 シマの四年に一度行われる豊年祭のことが冒頭に描かれる。そのミチジュネにゴゼイがあられもない姿で出現する。
 ゴゼイは戦中、那覇の娼館から連れてこられ、日本軍の将校達の慰安婦をしていた。戦後は、シマの売春旅館の主人に頼まれ、米兵相手の売春をやらされていた。シマにずっと住み、川べりのユウナの木のそばに小さな家をつくってくれることを約束してくれたからだ。
 ゴゼイは五十年以上、そのシマで虐げられて生き、痴呆になり徘徊を続け、隣町の老人病院で息を引き取る。
 「ゴゼイ、ゴゼイよ。遠くで昭正が呼んでいる。いや、すぐ近くだ。月の光が降り注ぎ、ユウナの木の黄色い蝶の群れは、今にも一斉に飛び立ちそうに見える・・・」。

 同じ短編集に「帰郷」、「剥離」、「署名」の物語を収めている。
 「帰郷」は公園の隅での風葬を描いている奇妙な物語。「剥離」は教室崩壊から起こされる教師の心の病を描いている。 「署名」はマンション周辺にすみついた野良猫の糞公害をめぐる無機質な人間関係を描いている。

⑧ハブのいる夜:
 少年の頃を描いたエッセイ。
 彼の父親が家で毒蛇ハブを飼っていた。ある日、山で目取真の兄がハブに咬まれ重傷を負った。それ以後、父親はハブを飼うのをやめ、タウチー(軍鶏)を飼うことになったという。ハブが餌のネズミを食べるシーンや脱皮が描かれている。
 ハブへの恐怖感が、沖縄の夜を奥深いものにしていると述べている。印象的なエッセイである。


 作家大江健三郎との対談で目取真は「バブルの時代をくぐりぬけた自然や聖なる空間がいま徐々に崩れかけており、それを促しているのが、地域振興策名目で流れ込む基地対策の本土の資金だ」と指摘していた。
 彼は鋭い視点をもっているので、まだまだ優れた作品を出し続けると期待される。いずれ彼の長編を読んでみたい。
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読書日記:沖縄「戦後」ゼロ年

読書録「虹の鳥」

「風音」:目取真俊、リトル・モア

オグシオのコンビ解消

2008年11月18日 | Weblog
先日、バドミントン全日本選手権に優勝して、ビューティ・ペアは解散することになった。オグッチのほうが解散を申し出たそうだ。オグッチはロンドン五輪を目指すことになったが、潮田嬢は今のところそうではないのでやむを得ないだろう。ふたりとも新たな相方を探すのは大変だろう。所属する三洋電機は業績悪化でパナソニックの傘下に入ることになったが二人は宣伝効果で企業貢献をかなりしていたと思う。バドミントン協会も彼女らには感謝しているだろう。
美しいふたりの試合は、バドミントンがあまり好きでもないのに、つい観てしまう人が多かったのではなかろうか。三洋電機もバドミントン協会も彼女らをサポートした戦術は成功だった。彼女らには実力も伴っていたからだ。
こんなアイドル・ペアはなかなか現れないと思う。実に美しいペアだった。

(小椋久美子・潮田玲子ペアの最後のゲーム)

FA権行使の注目選手の行方

2008年11月16日 | Weblog
昨年、ドラゴンズに育成選手として拾ってもらったことを感謝していた中村紀洋内野手がFA権行使を表明した。それはドラゴンズの冷たい仕打ちがあったからだ。昨年の中村選手の成績は、(打率.293、20本塁打、79打点)、今年は(打率.274、24本塁打、72打点)とまずまずだった。それに2年連続ゴールデングラブ賞を受賞した。だがドラゴンズは、年俸7000万円の単年度契約、三塁から一塁へのコンバートを提示した。かつての本塁打王、打点王に対してかなりの冷遇である。ドラゴンズにとっては中村選手を重要な人材とみなさなかったのである。FA権行使は当然の行為であろう。楽天が2年4億円の好条件を出して迎えそうである。捨てる神あれば拾う神ありか。ドラゴンズはウッズと中村の穴をどのようにして埋めるのか心配である。小生、ドラ・ファンだから。

ドラゴンズの川上憲伸投手とジャイアンツの上原浩治投手がともにFA権行使を表明し、メジャーリーグを志望している。今年、ドジャーズで活躍した黒田博樹投手と比べて、彼らの成績は遜色ないのでメジャーリーグからオファーがありそうである。だが、昨年は日本選手に対してバブル気味だったので、年俸は10億円を超えることはないだろう。二人とも1年遅れたことで黒田投手よりも金額では過小評価されるだろうが、年俸は今よりも上がり、夢のマウンドに上がれることは間違いない。
3投手とも年齢は近く、下記のようにプロ野球での成績は遜色ないのである。

黒田投手(1997年入団)のプロ野球11年間での成績は、103勝89敗1S(1700イニング)。
川上投手(1998年入団)は112勝72敗1S(1642イニング)、上原投手(1999年入団)は112勝62敗33S(1549イニング)。
川上投手も上原投手も新人王と沢村賞をとっている。二人とも140㌔台の速球が投げられ、外角のコントロールがいい。来年の彼らのメジャーでの活躍が楽しみだ。

韓国資本の対馬買い

2008年11月15日 | Weblog
自民、民主両党の有志議員ら(100人以上)は12日、財部能成・対馬市長を招き勉強会を開き、韓国資本による不動産買収が島民名義(他人名義)で行われている問題を指摘、法務省の担当者は一般論としながらも立件可能との判断を示したという。だったら遠慮しないで粛々と法的手続きをとればいいではないか。

鎌倉時代の文永の役を思い出そう。そのちょうど12日に対馬の西岸小茂田浜では大祭が催された。大勢の参拝者らが蒙古軍との戦いで命を落とした将兵や島民の悲劇に思いをはせた。1274(文永11)年10月、元寇(元軍二万・高麗軍一万)の大軍が900隻の軍船で襲来した際、対馬守護代宗資国は手勢80余騎を率いて迎え撃ち、壮絶な死(当時六十八歳であった助国の墓は、「お首塚」「お胴塚」と分散している)を遂げた。小茂田浜神社では資国と家臣をまつり、今も崇敬を集めているのだ。高麗とは今の朝鮮半島にあった国家である。
対馬がヤバイって本当ですか
対馬からのメール


(小茂田浜神社に立て掛けられた『元軍侵攻要図』 1983年撮影)


(小茂田浜神社 1983年撮影)

炭火焙煎珈琲

2008年11月14日 | Weblog
先日、直火焙煎珈琲「上々」というレギュラーコーヒー200g280円を購入。販売元はサンパウロコーヒーフーズ。袋に表示された味の評価では、「香り5★」「コク5★」になっている。実際飲んでみると味も色も濃い感じである。苦味も強めだが、けっこう美味しい。当分、これを飲んでみようと思う。
コーヒーの炭火焼を検索してみれば、次のように記されていた。
「炭火だけで焙煎するとやわらかく、すっきりとして、コクのあるコーヒーになります。炭の赤外線効果で芯からふっくら火が入り、澄んだ香り高いうま味をとじ込めたコーヒーになります」
「いろんな”炭火焼コーヒー”と謳っているコーヒーがありますが、炭とガスを併用していたり、炭酸ガスをただ送り込み、わざと匂いをつけたものだったり… ”炭火だけ”で焙煎をしているものは本当にごくごく稀です」
ということは、この「上々」はどれに相当するか定かでない。きちんと表示してもらいたいものだ。安いので、恐らく「炭酸ガスをただ送り込み、わざと匂いをつけたものだったり」のものかもしれない。

日本の民俗学者

2008年11月13日 | Weblog
1年以上前の記事読書録「甦る海上の道・日本と琉球」にコメントをもらった。
「なぜ谷川批判がないか。」という題名で 「それは谷川氏が出版会のボスであり、学者は本を出したいのでそのような人には面と向かって批判しないから。そのような人が谷川氏の周囲にはたくさんいる。また同氏は柳田を乗り越えるというよなことを書いているが、生きている人の批判をしないという編集者的な生き方をしているから、学者とは対立しないから。次に実は谷川氏の書くようなものは学問とはみなされず、小説とみなし、従って学者の論文の参考文献にもほとんど出てこない。専門学者の多くはこの人を無視しているのです。谷川褒めをするのは、若い学生、編集者、文学者、マスコミ、一般の読者など。研究者の多くは相手にしていない。それに対して柳田氏に対しては、具体的に批判対象となる著作がある。批判してももう怖くないからするのです。」というのが全文。

谷川健一は平凡社に勤務していたことがあり、月刊誌「太陽」の初代編集長だった。今も毎月、刊行されている長寿雑誌。民俗学は大学ではなく独学で研究したようだ。確かに小説も書いて「最後の攘夷党」(三一書房)で第55回直木賞候補にもなった。半世紀は通用すると自負する三一書房の「日本庶民生活史料集成」共編で賞も受賞している。実にすばらしい功績を残している。象牙の塔の学者にとっては市井の学者なんて軽んじる対象であろう。
市井の民俗学者というと挙げないとけないのは宮本常一である。佐野眞一が「旅する巨人」の中で柳田国男と並び称される民俗学者だと評価している。日本全国隅々まで歩き、膨大な文献と写真を遺した聞き取りの名人である。あの岩波の「忘れられた日本人」は実にすばらしい。「梶田富五郎翁」、「対馬にて」、「土佐源氏」など。「梶田富五郎翁」は瀬戸内海の小さな山口の島から、漁師たちが対馬の南海岸に移住し、港を開発し、そこを根拠地として生計をたてていく話を梶田富五郎翁から聴きとる。富五郎翁が故郷を出たのは、まだ一人前でない子どもの頃で明治時代だった。
「対馬にて」は、昭和25年頃、ある集落の人々の寄り合いの様子を詳しく描写している。宮本氏自身が集落の古文書を借りたいと申し込むと、集落の人全体で意見を出して決議をするという民主的寄り合いを。
「土佐源氏」はすごい話である。高知の元馬喰の盲目の老人から、橋の下の小屋で彼の子どもの頃からの性愛の遍歴を聴きとる。それが艶っぽい話なのであるが、いやらしさがない。まるでフィクションのように語られるので美しささえ感じる。
すべて脚色があると思えるほどすばらしい作品である。

柳田國男も日本の民俗学の草分けであるが大学で研究したわけではない。民俗学というのは本来、在野の学問なのであろうか。

沖縄を舞台にしたミステリー小説

2008年11月11日 | Weblog
かなり前に作っていたホームページにアップしていた記事であるが、なくなったのでこちらに転載しておこう。少し古くなったミステリー小説である。
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 那覇の古書店で、「沖縄ミステリー傑作選」(河出文庫)に出合ったことで、沖縄を舞台にしたミステリー小説をいろいろ探して読むことになった。その傑作選は短編集だが、著者は、西村京太郎、三好徹、森詠、田中光二などである。面白くて沖縄観光そっちのけでホテルで読みふけった。
1.1960年代 赤松光夫・笹沢左保
 沖縄ミステリーの最初の本格的な長編が赤松光夫の「虹の罠」(河出書房、1961年)である。その発行当時、日本のミステリー小説の分野では、スパイ小説は稀であった。沖縄米軍基地でのスパイ事件の展開を描いたものだが、読んでいて沖縄の風土があまり感じられないドライな作品となっている

 他にひとつ、「木枯紋次郎」など時代劇小説で著名な笹沢左保の「沖縄海賊」(光文社、1965年)がある。これは、貨物船保険金詐欺事件を描いたものだが、本土復帰運動をからませ、恋愛もあり、「雄大な南海を舞台に、男たちの戦いを激しく描く」サスペンスあふれる作品である。


2.1970年代 西村京太郎・田中光二
 70年代に今ではヒット作品を出し続ける西村京太郎の「ハイビスカス殺人事件」(サンケイ出版、1972年)が登場する。事件の舞台は与論島だが、事件の原因が沖縄戦での陸軍中尉の行為となっており、辺戸岬から与論島までサバニで渡るということでアリバイづくりも行われている。この他に西村氏の作品は、「幻奇島」(徳間書店、1982年)と「十津川警部 海の挽歌」(角川春樹事務所、1998年)が続く。前者は、波照間と思われる神秘的な島がモデルになっており、医療問題、神事、祟りなど描かれ、最後には島が台風で滅びてしまうという奇想天外な面白い作品である。後者は、米軍基地の一連の罪を犯した軍人に対してリンチを行うというものである。八重山のニライからの神が休憩で立ち寄るという小さな無人島で五体の白骨死体が発見され、そのリンチが明らかにされる。テレビでお馴染みの十津川警部が活躍する。もうひとつ短編小説に「南神威島」があり、ストーリーは「幻奇島」に似ているが、離島の因習の中で起こる奇怪な事件を描いている。

 70年代後半に、SF作家として知られる田中光二の「大いなる逃亡」(祥伝社、1979年)がでる。舞台はトカラの孤島である蛇石島となっている。この生物兵器の実験場と化していた無人島に旅客機YS11が不時着したことから、恐ろしい殺戮が起こり、サスペンスあふれる逃亡が続くのだ。田中氏の作品に短編「幻魚の島」(1976年)がある。久部良という日本最南端の島が舞台になっている。エイリアンの島であり、女は成人になると人魚になるという怖い話である。

3.1980年代 辻真先・石沢英太郎・津野創一
 80年代になると辻真先の「紺碧は殺しの色」(双葉社、1982年)がでる。舞台は、宮古島と大神島であるが、作者は、取材で大神島に渡るときに現実に死体の第一発見者になったことがあるという。この作品の殺人事件は手の込んだトリックがあるが、パーントゥーの面が使われたり、離島に興味のある人にとってはいいかもしれないが、分かり難い作品である。彼の他の作品に「沖縄県営鉄道殺人事件」(講談社、1990年)と「秘境西表島で誰が死ぬ」(徳間書店、1990年)がある。前者は、戦中失われた県営鉄道に関心のある人には興味をそそるかもしれない作品である。沖縄で怪事件が連続したことが戦中の列車爆発に起因しているというものだ。後者は、アイドルタレントの周りで起こる殺人事件を描いたシリーズものである。もうひとつ彼の作品に「西郷の沖縄独立大戦略」というのがある。

 石沢英太郎の「南海幻想」(光文社、1984年)は考古学ファンにとって楽しめる作品である。事件の舞台が年に一回だけ姿を現す宮古の八重干瀬なので読む前からロマンを掻き立てられる。古墳出土の貝釧、高価な宝貝などの知識が蓄積される作品である。

 沖縄郷土誌「青い海」の編集長だった津野創一の短編小説集である「群れ星なみだ色」(双葉社、1987年)と「遺書を持つ女」(双葉社、1989年)も面白い。沖縄の南島新聞社から関西支局に赴任してきた記者座間味朗が難解な事件を人間味あふれる形で解決していく短編が多い。前者には、第7回小説推理新人賞受賞した「手遅れの死」が載っており、沖縄の風土の中での殺人事件を描き、ドンデン返しが見られる。他に新聞に連載された「碧の殺意」というのがあるが、まだお目にかかれない。


4.1990年代 岡嶋二人・斎藤栄・山村美紗・内田康夫
 90年代には、岡嶋二人の「珊瑚色ラプソディ」(集英社、1990年)がでる。これはテレビドラマとなった作品である。沖縄旅行中に倒れて入院した女性が、二日間の記憶を失っており、離島での殺人事件に巻き込まれていたことがわかる。それは、宇留間島での事件であったが、島出身の医師の協力で隠そうとしたものであった。

 ヒット作品を出し続ける斎藤栄の作品に「沖縄殺人事件」(光文社、1993年)と「横浜-沖縄殺人連鎖」(徳間書店、1997年)がある。前者は、日美子と二階堂警部のシリーズものだが、ある社長の奇病死が発端になり、旧海軍の秘宝を求めて、石垣島で連続殺人事件が展開する。後者は、江戸川探偵が登場する作品で、横浜の進学塾で起こった毒物死、それは沖縄産の限定販売ハブ酒のビンに仕込まれた毒物によるものだが、探偵は沖縄に飛び、そのハブ酒を探り、犯人を特定する。

 山村美紗の「京都・沖縄殺人事件」(講談社、1995年)は、一連の山村ミステリー作品のひとつである。ヒロインはニュースキャスターで作家であり、彼女が沖縄に取材に出かけたときに、不倫旅行の友人の死体が発見されるというもの。女性向きの作品といえよう。

 最後に内田康夫の「ユタが愛した探偵」(徳間書店、1999年)。浅見探偵のシリーズものである。内田氏の数多い作品の中で、初めて沖縄を舞台にした作品であろう。これを読むと沖縄の文化や名所旧跡の知識ができるような作品である。ユタになる前の神ダーリーや幻視幻覚などもストーリーの中でわかり、沖縄ミステリーの中では興味深い。事件は、自殺を他殺と見せかけ、保険金を詐取するというありふれたものであり、第一章が彦根の「ブクブク茶会」、第三章が「今帰仁城跡」となっており、遠足ライターの作品のようだが、沖縄の文化を知るうえでは入門となるミステリー作品である。

筑紫哲也さん

2008年11月11日 | Weblog
ジャーナリストの筑紫さんが7日に肺がんの転移で亡くなられた。享年73歳。1日3箱もタバコを吸っていたというのだから肺がんにもなろう。18年間にわたってTBSのニュース23で馴染みだったので亡くなったということで急に寂しくなった。
筑紫さんに対しては「妄言」だの「偏向している」だの批判がかなりあった。本や雑誌やネットにおいて。政府や企業に対する批判的発言が多かったからだろう。主義による主張や批判的精神がなければ、それはジャーナリストではなかろう。小生にとっては正論を話していたと思う。拉致問題では北朝鮮寄りだとも言われたがけっしてそういうことはなかった。あの90秒の「多事争論」は見事だったと思う。誰も真似はできないだろう。立花隆氏は筑紫さんのことを活字ジャーナリストと映像ジャーナリストの両方で活躍したことで絶賛し絶句して悼んでいた。小生も筑紫さんをジャーナリストとしてリスペクトしていた。若い人と対談するときは嬉しそうだったし、芸術など文化面にも好奇心があった。英語でインタビューもできるし、彼のようなレベルのキャスターを探しても皆無である。
ニュース23では毎年、沖縄から筑紫さんは生中継していた。沖縄音楽やミュージシャンも紹介していた。沖縄が好きだった。政治部記者でありながら文化にもたいへん関心をもてるようになったのも沖縄が原点であるという。「筑紫哲也の『世・世・世』 おきなわ版『多事争論』パートⅠ」(沖縄タイムス社 1995年)という著作がある。当時、沖縄の地方紙である沖縄タイムスに月2回コラムを連載していた。それらをまとめたものである。沖縄と筑紫さんの関わりが書かれている。学生時代に貨客船で香港までいく途中、那覇に寄港したという。そのとき、入国許可証もないのに税関係官が上陸させてくれたそうだ。那覇は瓦礫の街だったという。朝日新聞に入社して政治部記者になって、復帰前の沖縄に足掛け3年の特派員生活をしている。朝日新聞主催の高校野球の県大会開会の挨拶までやった。壷屋の窯場の窯開きの朝にしばしば通ったというやちむん好きだった。二女が沖縄で生まれ、「ゆうな」と名づけた。沖縄のゆうなの花から。

オバマ次期大統領は黒人か

2008年11月06日 | Weblog
共和党のマケイン氏にも勝ったが同じ民主党のヒラリーさんとの選挙戦のほうが激戦だったような気もする。こんなに米国大統領選が注目されたのは異常だった。オバマ氏が黒人であったからだ。黒人といってもオバマ氏は白人と黒人のハーフである。父親(経済学者)がケニア出身の黒人、母親(人類学者)が北欧系の白人。オバマ氏は褐色の肌をしているから黒人とされるのだろう。見た目で判断される。プロゴルファーのタイガー・ウッズは母親がタイ人だけど黒人。歌手のマライヤ・キャリーは黒人のクオーターだが、どちらになるのだろうか。色は白いが黒人ぽい顔つきをしているようだ。日本の歌手の青山テルマも黒人のクオーターだが判断しにくい。女子アナの滝川クリステルや山本モナは白人ぽい。女優の沢尻エリカは母親がフランス人だがアジア系ぽい。肌の色なんて大した問題ではないのだが。オバマ氏が黒人大統領といわれるので、つい考えてしまう。

下記画像はテレビニュースで報道されていたものと同じ。オバマ氏の母親がインドネシア人(地質学者)と再婚したのでオバマ氏はインドネシアで少年時代を2年間過ごした。ハーフの異父妹がいるようだ。今、オバマ氏が暮らしたインドネシアの家が数億円の価値がついているというからすごい。オバマ氏の父親も4度結婚したので中国にオバマ氏の異母弟(ピアノ教師)が暮らしているという。ケニアに祖母がいて、ハワイにいた祖母は亡くなったのかな。ずいぶんグローバルな家族である。
福井県の小浜市がオバマ人気に便乗して活性化しようとしているが、なんだか軽薄な感じがする。オバマTシャツ、オバマ饅頭などのグッズ、オバマ氏がハワイ生まれだからオバマ・ガールズというフラダンサーまでいる。最近では、オバマ・ボーイズをつくってフラダンスをさせている。いずれ、オバマ大統領が小浜市にやってくることがあれば盛り上がるかな。

(中央の女性がオバマ氏の母親。黄人・白人・黒人の一家とは実にすばらしい)


(オバマ氏の実父と)