ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

個人投機家

2006年01月29日 | Weblog
昨日、テレビ朝日の朝生をみた。急遽、ホリエモンショックにテーマを変えていた。出演者は、菅直人、経済評論家の奥村宏、元ホリエモン側近の小飼弾、IT企業経営経験者の板倉、女性学者の樋口などの面々。
いつも同じだが、怒鳴ったり、批判したりで面白いがなんの成果も出ない。進行役の田原が怒鳴るのは演出のようだ。
那覇で自殺したホリエモン元側近野口氏は、他殺の可能性があるとか。週刊誌の文春に記事が載っているようだ。昨年の総選挙に出させた自民の責任について菅直人と自民議員がやりあっていたが大人げない。近鉄買収の動きの時から、ニッポン放送株買収、選挙などホリエモンを好意的に露出させたマスコミの責任もとりあげていた。
ライブドアは事業実績ではなく脱法と違法行為で株価を高めてきたのは事実であろう。それに乗せられた個人投資家は、損した人も多いが得した人もけっこういるだろう。株が分割されて買いやすいので株主が22万人もいたそうだ。機関投資家はあまり買っていないという。マスコミがホリエモンのパフォーマンスを取り上げることによって株価は上がるであろうと錯覚させられた。実業での実績が貧弱なんだから、いつまでも上がるはずはない。虚業のバブルなのだから、いつかは破綻するのは明らかである。
奥村宏は、個人投資家を個人投機家と呼んだほうがいいと言っていた。本来、個人投資家というのは、企業の成長を予想して投資し、株の配当金を期待する人たちであった。ところが、博打打ちになってしまっている。インターネットが普及して、1日何時間も多くの企業の株を売り買いする人が増えている。彼らは、株価の変動の激しい企業に眼を付けて、下がったときに買って、上がったらすぐ売り払っている。企業の業種も実態も知らないのである。だから、個人投機家すなわち博打打ちなのである。

バブルのころ、土地、株など何でも右肩上がりだった。財テク評論家もいて、名も知らない画家の絵画も金融商品とされ、投機の対象になった。企業は、本業よりも株取引に力を注いだ。バブルは弾けてすべてを失った経験がある人も多い。今回、ライブドアの一件だけで、テレビカメラの前で地道に額に汗して働くほうがいいことに気付いたと言う人もいた。人は、同じ失敗を繰り返すのである。ずっと昔は不思議なことにオランダのチューリップの球根が投機の対象になったこともあるという。
成金の金の使い方は、いつの世も同じだ。昔は芸者をあげて毎日どんちゃん騒ぎで身上つぶす。今は専用ジェット機を買って、女たちを乗せてパラオやラスベガスで遊ぶのである。そういえば、オジャマモンも専用ジェット機所有し、家賃40万円のマンションに若い女を住まわせているという。

強制捜査が入ってライブドアの株が急落したが、買う人もいる。まだ少しは上がる予想をしているのだ。博打である。


鬼ノ城へゆく

2006年01月24日 | Weblog
やっと、昨日、鬼ノ城(きのじょう)に行くことができた。岡山市の隣の総社市にある。吉備高原の南端に位置するようだ。標高400㍍程度の鬼城山の周りに2.8㎞巡らされた朝鮮式山城である。昭和61年に国指定史跡になっている。
この鬼ノ城のことを初めて知ったのは、10数年前、長崎県の対馬に旅した時だった。対馬の美しい浅茅湾を見下ろす城山に金田城(かねたのしろ)というのがある。これも朝鮮式山城である。大和政権が天智天皇の時、西暦663年、白村江の戦いで日本・百済連合軍が唐・新羅連合軍に敗れた後、防衛の目的で西日本各地に山城を築城した。そのことは日本書紀に記述されている。記されているのは金田城など7つだが、記録にはないが同種の山城が16あり、鬼ノ城がそのうちの一つだというのだ。
車で登り口まで行けるので楽だった。粉雪が舞って日光でキラキラ輝き、自然のなせる美しさへ久しぶりに感動した。城壁跡に沿って1時間15分ぐらい歩き回って少しも寒さを感じず汗ばんだほどだった。この程度の運動を時々行うと健康を維持できそうだ。
この城、平成になって発掘調査が進み、見学しやすいように整備もされてきた。角楼や門が復元されている。この日も、発掘調査が行われていた。城壁は、要所要所で部分的に築かれたものではないかと思ったが、連続して巡らされていたようだ。列石の上に版築土塁を築き上げ、その上に柵があったという。今は土塁がなくなっている。東西南北の4つの門跡、水門の石垣、建物礎石などはしっかり残っている。
山上からの見晴らしが良い。遠くは児島湾、瀬戸内海が見える。吉備津神社、巨大な前方後円墳の造山古墳、楯築古墳、国分寺の五重塔、秀吉が水攻めした備中高松城あたりも双眼鏡があればよく見えることだろう。ここは古代に栄えた吉備の国である。

鬼ノ城の伝説として、「異国の鬼神が吉備国にやって来た,彼は百済の王子で名を温羅(うら)という。彼はやがて備中国の新山(にいやま)に居城を構え,しばしば西国から都へ送る物資を奪ったり,婦女子を掠奪したので,人々は恐れおののいて鬼ノ城と呼び,都へ行ってその暴状を訴えた・・・」というのがある。これが、一般に温羅伝承と呼ばれる説話。防衛のための朝鮮式山城だったことが元になってできた説話とも推測できそうだ。

日本書紀に吉備の国のことも書かれているが、畿内政権にも肩を並べるような一大豪族であった。吉備水軍、製鉄、稲、塩による発展があり、大和政権に組み込まれていったのであろう。
鬼ノ城、想像していたとおりの遺跡であった。
写真や解説は下記サイト。
http://www.city.soja.okayama.jp/kanko/kankochi/kinojo.jsp

沖縄、ニッポンではない

2006年01月12日 | Weblog
「沖縄、ニッポンではない」。これは偉大なルポライター故竹中労の著作「琉球共和国」(三一書房、1972年発行)の冒頭の見出しである。彼が沖縄の本土復帰前、5回も沖縄を訪れて得た結論であった。「彼らはウチナーンチュ、我らはヤマトンチュ」。風貌、自然、歴史などが異なっていることに気付いたからである。

ずっと前から沖縄のジャーナリスト新川明は、沖縄と日本とは相容れない対立するものとして捉えていた。これは主に政治的な意味合いだが。沖縄が稲嶺県政となってから歴史学者高良倉吉など三賢人が、「沖縄イニシアティブ」を唱え、日本の中の沖縄として安保体制を認めて発展方向性を訴求したこともあったが、あまり賛同されなかった。もちろん新川明は彼らを激しく批判した。
その後、沖縄のフリーライター知念ウシや社会学者野村浩也が、日本が沖縄に米軍基地を押しつけていることを根拠に日本人をおしなべて機会あるごとに紙面や講演で植民地主義者だと主張してきた。小生が、彼らのことを初めて知ったのは、「解放」(2002年9月号)という雑誌からであった。知念ウシは、「空洞の埋まる日」というテーマで、当時、沖縄に居を構えていた作家池澤夏樹を槍玉にあげていた。ポイントは次のとおりである。
※池澤が沖縄を「自分の土地」とよび、沖縄から日本を批判する際の主語を「ぼくら」と用いているので沖縄人と日本人の立場の違いを曖昧にしている。
池澤の沖縄以外の土地を「内地」とよび、沖縄は居心地が良いという発言に、それは植民者の感覚をもっているからだと批判する。
池澤の「沖縄が琉球侵略、琉球処分、沖縄戦、米国支配と経たが、文化は残った」といい、「沖縄は、よくやった」と誉めていることに対して、いかにも「日本人」から見たようだとみなす。
池澤の「沖縄というのは日本が自分を相対化するためにいちばんいい鏡だと思うのです」というのに対し、沖縄をただの道具と見ていると批判する。
池澤の沖縄移住は、沖縄文化を享受し、かつ作家として国家論を書くための戦略、すなわち、自分の利益のために過ぎないと切り捨てる。
さらに日本人一般に対して沖縄へ押し寄せ沖縄文化を消費しつくしているとまで述べていた。

野村浩也もその雑誌にポストコロニアリズムについて書いていた。彼の考えは、昨年まとめられて「無意識の植民地主義~日本人の米軍基地と沖縄人」(御茶の水書房)という著作に書かれている。ポストコロニアリズムというのは、植民地が独立しても植民地主義は消えずに残っていることである。沖縄は1609年に薩摩により支配され、明治になって琉球処分で沖縄人が日本人に改造されてきたのだが、米軍占領後、基地を押しつけられ、そのままにされていることを言っているようだ。このあたりのことは、米軍がからんでいるので少し複雑になっている。
自民党政府が安保体制をつくったので自分には責任ないといっても、彼はそれを責任転嫁だと言う。基地反対なら、なぜ、沖縄人は大田県政を支えなかったのだろう。これも日本人の電通「県政不況」の責任なのだろうね。さらに日本人は戦争をA級戦犯に責任転嫁しているとも言っている。そうではないだろう。A級戦犯をつくったのは米国であり、それを追認しているのは靖国問題でみられるように支那だろう。太平洋戦争やベトナム戦争などで沖縄を加害者にしたのも日本だという。それは、責任転嫁だろう。目取真俊は、加害者としての責任追及をしなかったことを批判しているのだが。
さらに、野村浩也によると「沖縄大好き!」日本人や「沖縄病患者」は「沖縄ストーカー」なのである。愛という名で沖縄を支配しようとしているというのである。沖縄文化を消費し尽くすことが搾取になるのであろう。
文化というものは、消費の対象にならないと思っていたが、文化が観光客のために商品化され、本来とは質の違う薄っぺらいものになるのだ。また、伝統的祭祀を見学することが攪乱の原因になるというのだ。

一昨年の夏、池澤夏樹は沖縄を離れた。その直前、ワンダー36号の対談の中で、池澤は「沖縄いろいろ事典」を書いて沖縄を紹介したことで文化が喰われたと悔いている。エイサーや祭祀は観光化されたからね。祭祀の攪乱は久高島イザイホーの際、岡本太郎が風葬を撮影したことが問題になった。
でも池澤はCDロム版つくったり、文庫版まで出して商業主義に走り続けたのだが。企業の目的は確か「需要の創造」だった。文化が商品化されて売られるのは今や常識だ。本物の文化は残る。岡本太郎も言っていた。「伝統とは創造である」と。本物の文化を新たにつくればいい。そういえば、支那がチベット王国の鳥葬の保護を決めたそうだ。撮影や見学が規制されることになる。鳥葬は観光資源にふさわしくないから隔離したのだろう。

小生、沖縄からの米軍基地撤去に大賛成だから植民地主義者ではない。思いやり予算とかで米軍という傭兵を雇っているようなずるいことをせず、憲法改正して自前の軍隊を持とう。そして沖縄と日本に日本軍を再配備すればいい。非武装中立なんて夢の話。北の金王朝は犯罪テロ国家だし、支那軍も我が物顔に日本領海に出没し、ガスを吸い取ろうしている。一昨年だったかな、支那の原潜が沖縄近海に侵犯したことがあった。そのとき、沖縄の地方紙は「日本政府の冷静な対応が望まれる」なんて書いていた。「沖縄、ニッポンではない」と思った。

米軍に出てもらえれば、コロニアリズムなんて言わなくてすむ。

昨年12月に「普天間移設の新振興策、那覇―名護に鉄道を検討」という記事を読んだ。飴とムチである。相変わらず、こんなことをやっている。沖縄よ、もうこんな策に食いつくなよ。

ムービー

2006年01月07日 | Weblog
年末年始にテレビ(地上波)で面白い映画が放映されるかと期待していたが、なかった。
映画館に行かなくなって、もう5年以上になる。映画料金は高いし、途中で眠ってしまうことも多いので勿体ない。それで、レンタルビデオショップで時々借りることもある。だが、すぐ返却しないといけないのでじっくり鑑賞できないことも多い。最近は、DVDが割と安く売られているので買ってしまう。昔の名作だと1500円以内で買えるし、中古やアウトレットならもっと安いのがある。
今の映画は、ハリーポッター、スターウォーズ、マトリックスなどCGやワイヤーが使われているので観ていて不自然でしっくりこない。そこで、古典とまではいかないが、懐かしい古い映画を観たくなる。

先月、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」(1973年制作)のDVD中古を買って観た。日本で封切られた頃は、映画館で20数回も観た人もいたほど話題になった。特典ディスク付きでブルース・リーがいかに武道の達人であったかやメイキング(制作の裏舞台)もよくわかった。本編は香港で撮影されたものだが何回観ても飽きそうにないほど面白い。ブルース・リーは急死したのだが、香港での彼の葬式にスティーブ・マックィーンが参列していた様子も映っていた。マックィーンはジーンズの上下を着て黒いネクタイをしていた。そのファッションセンスはいいのか悪いのか言い難い。それを観て、マックィーンの代表作を観たくなった。
それで、ネットで探していたら、「ブリット」(1968年制作)の新品が350円で売られていたので取り寄せた。舞台はロスアンゼルスでカーアクションもスリルいっぱいだが、犯人を追いつめる刑事役のマックィーンに凄みがある。けっして笑顔を見せず、いつもナイフのようなニヒルさがある。ストーリーは、特に面白いというわけではないが、映画を見終わったときの満足感はある。
リサイクル書店で「存在の耐えられない軽さ」(1988年制作)のビデオを見つけて買っておいた。これは3時間近くある長篇映画である。テレビで放映したのを観たことがあったが、随分カットされていたようだ。舞台はチェコのプラハだが、ソ連の軍事介入の1968年ころのお話。主人公の医者トマシュは無類の女好きで、ほとんど色事の場面であるが、時代背景も伝わってきて面白い。帽子好きのサビーナ(レオ・オリン)という開放的な艶っぽい女性も感じがいい。レオ・オリンは「蜘蛛女」という映画で怖い殺し屋を演じていたので、ついそれを思い出してしまう。記憶に残る女優である。
それからシルビア・クリステルの「エマニエル夫人」(1974年制作)の無修正版を見つけた。最初は小説が話題になり、小生が高校生の頃、月刊誌に連載されていたのを覚えている。この映画も、全面、色事である。シルビア・クリステルは手足が長く、顔が小さくキュートでスタイル抜群である。ヌードや情事にやらしさをあまり感じさせない特異な映画だ。数年前いや10年ぐらい前、テレビ番組の「あの人は今」でシルビアを訪ねて行くのをみた。彼女はドイツに住んでいた。肉が付いて、すっかり普通の中年女になっていたので幻滅してしまった。それほどの美女ではなくてキュートさが良かったので仕方ないだろう。
昔に観て記憶に残る映画は名作と言っていいと思う。