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番組のサイトにあらすじが次のように書かれている。
「 昭和52年、沖縄。比嘉富子(黒木瞳)は、本屋で何気なく手に取った写真集の中の一枚に釘付けになった。それは、太平洋戦争中の沖縄で米軍カメラマンが撮影した、白旗を高く掲げて手を振る少女の写真だった。 その写真を目にした富子は愕然とする。写真の少女は、当時7歳の富子自身だったのだ。この写真によって、今まで語ることなく封印してきた悲惨な戦争の記憶が蘇る-。」
ぜひ録画しながらみたいと思っている。
下記は、5年以上前に書いた読書日記を転載したものである。
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「白旗伝説」:松本健一、講談社学術文庫
この著作とは那覇の古書店で出会う。沖縄関連コーナーに置かれていて、手にとってなんとなく面白そうだと思い、購入した。カバー写真が沖縄戦で撮影された白旗の少女である。
序章が、この白旗で始まる。少女は、曲がった細い木の枝を持っていて、その先に三角の白い布が結ばれている。石ころだらけの道を裸足で歩き、左手を振っているかのようだ。この白旗、ガマの中のおじいさんに、これを持っていけば撃たれないと教えられたという。
当時の日本の軍隊には、降伏の時、白旗を掲げるルールはなかった。捕虜になるのは恥だとされていた。だから著者は、このおじいさんは日露戦争で徴兵された経験があるのではないかと推測する。日露戦争の時、負けたロシア軍が白旗を掲げたのを実際に見たのではないかと。
日本に初めて降伏の白旗を伝えたのは、幕末の砲艦外交のペリー提督ではないかと論じる。降伏の際の白旗は、欧米の戦争でのルールであったのだ。実際、ペリーは二りゅうの白旗を幕府側に渡し、戦って降伏の際は使えと威圧的外交を行っていた。
結局、その白旗は使われなかったが、日本で初めて使われたのは、その来航から15年経った戊辰戦争で敗れた会津藩だという。「万国公法」が翻訳され、知識としてあったのだ。
白旗の少女の名は比嘉富子さん。まだ健在のようである。一枚の沖縄戦の写真から日本の白旗伝説を興味深く描いている。
「欧米世界では、平和とは軍事力を背景とした平穏状態を意味する」と平和を定義しているのが印象的である。まさにペリーの砲艦外交がそうだったのか。
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