ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

ドラマ「ハゲタカ」

2007年03月24日 | Weblog
NHK土曜ドラマで今夜が最終回。珍しい経済ドラマである。ユニークな俳優陣が出演している。大森南朋(外資ファンドマネージャー・鷲津)、柴田恭平(銀行員と企業再生プロ・芝野)、松田龍平(IT起業家・西野)、栗山千明(テレビ局記者・三島)など。

昔、NHKで「ザ・商社」という連続ドラマをみたことを思い出す。モデル企業は崩壊した安宅産業だった。片岡仁左衛門(先代)、山崎努、夏目雅子が出演していた。夏目雅子がスリップ1枚で熱演していたので、もう一度みたくなった。DVDが出ている。
で、「ハゲタカ」だが、今の時代を反映した外資ファンドによるM&Aを描いたドラマである。新しい経営用語がいっぱい出てくる。バルクセール、バイアウト、ゴールデンパラシュート、白馬の騎士、プロキシーファイトなど。昔の経営学の本には、けっして出てこない用語である。

大森南朋は注目されている若手俳優、柴田恭兵は癌を克服していい演技をしているし、松田龍平はすっかりニヒルな感じの大人になり、父親の優作に雰囲気が似てきた。栗山千明は顔の造作が派手で好演している。大森南朋は二枚目ではないが、存在感がある俳優だ。
ハゲタカの餌食にされる企業は、老舗旅館、玩具メーカー、大手電機メーカーとバラエティがあって面白い。ハゲタカ鷲津は、元銀行員で貸し渋りにより零細ネジ工場の経営者を死なせて人が変わってしまい、米国に渡り、ファンドマネージャーとなって日本に戻ってきたのだ。いろんな人と関わる中で良心を取り戻し、芝野といっしょに企業再生を行うことになるようだ。松田龍平は証券取引業法違反で破滅する役柄だが、今夜の最終回では結末はどのようになるのか。

追記:
最終回はハッピーエンドだった。
龍平の銃弾に倒れたハゲタカはリハビリで復活した。鷲津ファンドを立ち上げ、柴田に協力して大空電機のレンズ部門を独立させる。EBO(エンプロイ・バイアウト)という手法を使う。出資者を募り、その資金で従業員にレンズ部門を買収させる形。ハゲタカがMGS銀行のネジ巻きネクタイ飯島副頭取に賄賂をつかませ、銀行に出資させたのだ。
龍平は2億円の保釈金を払って出てきた。ホリエモンがモデルになっているのか。彼はドラマに出演すれば視聴率がとれる俳優だと思う。今後に期待したい。
NHK、いいドラマをつくってくれた。

ドラマ「華麗なる一族」終了

2007年03月19日 | Weblog
全10回のドラマ、すべてみた。毎回の視聴率は20%を超えていたそうだ。ブログを利用してワンクリック請求詐欺まで横行していたほどだ。小生もクリックして驚いた。こちらのパソコン環境情報が表示され、45000円振り込めという姑息な請求が。無視すれば、どうってことないのだが。まさか、振り込んだ人はいないだろうな。
鉄平の猟銃自殺ですべて終わってしまった。最終回をみて泣いた人も多かったのではなかろうか。やはり、テーマは愛だったか。
キムタク鉄平は製鉄所の鉄、山本銀平は銀行の銀をメタファしていたことを最終回に気付いた鈍感力。

神戸のレトロな街並みは上海のオープンロケを利用したそうだ。上戸彩主演のドラマ「李香蘭物語」のものと同じ光景が見られた。最終回、あの三大不思議を出してくれました。庭の池の鯉「将軍」、キムタク似の祖父の肖像画、兵庫丹波篠山の主のようなぎこちないイノシシ。将軍はキムタクに石を投げられ、イノシシは死を決意したキムタクに恐れをなして逃げ去った。

キムタクの死亡診断書で正しい血液型を知った北大路頭取の驚きと悲しさ。祖父の子だと思っていたのが自分の子だった。これが、このドラマのどんでん返しだな。告別式のとき、柳葉元頭取が北大路頭取に向かって「あなたは新銀行と引き換えに大きなものを失ってしまった」と言っていたのは記憶に残るせりふ。
鈴京相子は小切手で5000万円の手切れ金をもらって去っていった。60年代の5000万円は、今の数億円だろうな。色っぽく好演していた。マシュマロのような肌だった元公家の原田美枝子は60歳近いと思うけど、まだきれいだった。山本銀平は北大路頭取と鉄平兄との間で葛藤を繊細に演じていたような。新撰組の土方歳三役よりも良かった。銀平に山田優が寄り添っていたシーンがあったので、これで夫婦円満になるのかな。ニ子役の相武沙希は、CM女王になる勢いだが、まだ演技は下手だ。

これほどの役者が揃ったドラマ、滅多にない。終わって寂しくなったような。DVDボックスが発売されるようだ。2万3千円か。TBSに葉書で応募すれば抽選で20名にくれるそうだから応募しておこうか。サントラCDも中古の安いのを見つけて買っておこう。

邪馬台国

2007年03月17日 | Weblog
14日のNHK番組「その時歴史が動いた」の特集が「邪馬台国はどこか 九州説・近畿説」だった。
小生、若い頃は古代史が好きで、奈良の明日香村に泊りがけで2度行ったことがある。この番組を楽しみにして録画した。45分間によくまとめられていて興味深くみた。1960年代に邪馬台国論争が盛り上がったことがあったが、その後、下火になり、18年前に佐賀の吉野ヶ里遺跡は発掘されてから、再び注目された、でも最近はテレビで特集されることも少なくなっていた。
邪馬台国がどこにあったかを最初に論じた人は新井白石で近畿説をとった。その後、本居宣長が九州説をとった。邪馬台国論争は、せいぜい300年の歴史である。邪馬台国について記述されたオリジナル文献は、三国志魏志倭人伝だけである。その位置については、方位、陸行水行、日数で表示されているのだが、記述のとおりに推定すると海にあったことになるそうだ。

九州説が有力とされる理由は、九州で3世紀の遺跡から鉄製武器が多数発掘されていること、近畿説のそれは、三角縁神獣鏡という銅鏡が近畿を中心に多数発掘されていることだった。その後、各地で発掘が進み、遺構や遺物などの情報が蓄積されてきたが、未だ、どちらの説が有力であるとは言えない。
吉野ヶ里遺跡は大規模集落遺跡でその面積は40万㎡にも及ぶ。魏志倭人伝に記述された宮室(卑弥呼宮殿)、楼櫓(物見やぐら)、城柵(城壁)らしい遺構が発見されているのだ。
奈良の桜井市で2km四方の集落遺跡が発掘された。2世紀ないし4世紀の纏向(まきむき)遺跡と呼ばれる。そこから、日本各地の特徴ある形の土器が発掘されている。また住居は遺構から高床式の掘立柱建物であることが分かっている。それに幅5㍍の運河のような溝が見つかっている。これらから、各地から有力者が集まって連合国家を形成していたのではないかと推測される。

今後も発掘により情報が蓄積されていくだろうが、何か画期的なものが発見されなければ定説になるのは難しいだろう。
5世紀にヤマト王権が確立されるのであるが、3世紀にあった邪馬台国との関連はいかなるものだろうか。
久しぶりに古代史に関心を持たされる番組だった。松本清張の「古代史疑」でも読んでみようか。

従軍慰安婦問題決議案

2007年03月12日 | Weblog
米国の下院で60年以上前の日本の「従軍慰安婦」問題について決議されようとしている。日本の政府に正式に謝罪させるのが目的らしい。
なんで今更、第三者の米国が、この問題を取り上げるのか理解できない。米国という国は、国益優先のために犯罪すら厭わないといっていい国なのだが、どんな国益があるのだろうか。米国の議員は弁護士が多いので、元慰安婦への賠償金を日本政府から出させて弁護料をせしめようとしていると勘繰る人もいるが。
同時に、「トルコにおけるアルメニア人虐殺」非難決議案も提出されている。これは、90年前にオスマン帝国時代のトルコにより帝国領内少数民族のアルメニア人約150万人が虐殺されたとされる事件である。トルコでは国を挙げて抗議しているという。これは、どうも意図がわからない。米議会では、こういう非難や顕彰が年間数千件も決議されるので放っておいていいのかもしれないが。

「従軍慰安婦」問題にもどる。「従軍看護婦」という表現は戦前から正式に使われていたが、「従軍慰安婦」という表現が使われ始めたのは、戦後かなり経ってから千田夏光氏の著書の中である。そこでは日本の軍隊が朝鮮の女性を強制連行して慰安所で働かせたことになっている。北朝鮮によると20万人の女性が慰安婦にされたと言っているが、せいぜい1万人程度らしい。実際に慰安婦を集めたのは民間業者であり、軍隊は関与していない。しかし、軍隊がこの慰安所を利用したのは事実である。
安倍首相が記者会見で「軍隊が強制連行した事実がない」と言っただけで米国や韓国あたりから凄い抗議があった。この問題、政府が調査して決着をつけたほうがいいのかもしれない。放っておくと、いずれまた亡霊のように出てくるから。
どこかの国で、米国の原爆投下による日本人大量虐殺の非難決議案を出してくれないだろうか。そういえば、米国が日本へ進駐してきたとき、日本の婦女子が暴行を受けないように米軍人の為の慰安所を各地につくり、米軍人たちは利用したんだった。

読書録「琉球列島ものがたり」

2007年03月04日 | Weblog
沖縄の出版社から発行されたばかりの「琉球列島ものがたり」(神谷厚昭著、ボーダーインク社)を読む。久しぶりに心地よい読了感が得られた。沖縄の地質についての本であるが、読みにくい横書きの専門書ではなく、地質学の境界を越えて幅広く多面的に分かりやすく地質に接近させてくれる。小生、某大学の地学科卒なので本の発行の前から少なからず関心があったのだが、期待以上の佳いものだった。面白そうな章を選んで読んで行って、結局、全部読んでしまった。

ボーダーインク社
地質学の本は、普通、古い時代から時系列的に書かれるのだが、この本は、むしろ新しいほうから書き進められている。第一章がサンゴ礁なのである。沖縄の自然の代表といえば、サンゴ礁なのだから、いちばんに書かれてもいいだろう。沖縄の渚にはシンドバッドはいなくて、ノッチというキノコ岩が立っている。
地質学というのは、以前からほぼ確立された学問分野なので、数十年経ってもあまり変わっていない。でも、沖縄の地質については、かなり劇的とも思われる新しい知見もあるようだ。
沖縄本島北部の嘉陽層は、長い間、古生層(2.2億年以上前)と考えられていたが、1970年代になって金沢大学の小西健二氏が貨幣石の化石を発見し、新生代始新世(5千万年前)の地層であることが明かになったという。この小西氏は金沢大学の地学科の教授だった。その70年代に、波照間島でお会いしたことがあったのだ。ちょうど、小生が波照間をうろちょろしていたら、ひとりフィールド調査をされていた。声をかけたら、琉球石灰岩の隆起を調べていることがわかった。その時、名刺をいただいたのだった。確かに理学博士の小西教授だった。そのころ、沖縄を研究テーマにして幅広く調査されていたんだな。長い歳月が過ぎてしまった。
本島では本部半島の本部石灰岩や与那嶺層がいちばん古く、中生層である。太平洋のほうからプレートに載ってやってきた古生層の岩塊を取り込んでしまったので、最初は古生層と思われた時期もあったのだ。最近はこのような入り混じったものを「付加体」と呼んでいるようだ。
琉球大学の木村政昭教授は、「邪馬台国は琉球にあった」とか「与那国に海底遺跡がある」など電波を飛ばしているが、小西教授を見習って欲しいものだ。

島尻変動やウルマ変動も興味深い。小規模な造山運動みたいだが。去年、中城村で崖の地すべりがあったが、あれは島尻変動で中城湾が陥没したことで、あの崖ができたと説明されている。それを知っていたら3年前に、勝連城から中城湾を感慨深くながめたろうに。島尻層の砂岩は、加工して石造物や彫像に使われているという。ニービの骨といわれている。首里城正殿前の一対の龍柱もこの砂岩が使われていると記憶している。
南北大東島が今のニューギニアあたりから移動してきたお話は、数年前、NHKテレビで特集されて知っていたのだが、もし知っていなかったら感動したと思う。
1771年の明和大津波で竹富島にほとんど被害がなかったという話。あれも為に成った。

その他、興味深いこと満載なのだが、これくらいにしておこう。
沖縄の地質ツアーというのもいいかもしれないな。この本を持って歩いてみるのも。ぜひこのツアーを沖縄で商品化して欲しい。これ以上、沖縄を商品化するなってか。