ある旅人の〇〇な日々

折々関心のあることや読書備忘を記録する

自給率39%

2008年04月24日 | Weblog
日本の食料自給率は39%(平成18年度)である。この低い数値はテレビやネットで取り上げられる。だが目標とする自給率やその中長期的計画はあまり語られない。ある評論家は、農業国と仲良くして安定的供給が図られるようにすればいいようなことを発言していた。ここにきて、穀物がエコ燃料の原料として消費されたり、農業国が農産物の輸出規制を行うようになり、また輸入食品の安全性に不安があり、日本の食料問題はもっと重視されていいのではないかと思うようになった。すでに食料の価格が上がったり、品薄になっている品目もあるというのに。
農水省はどのような計画をもち、実行しているのだろうかと、農水省のホームページを初めて覗いてみた。「食料自給率の部屋」(http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/index.html)というページがある。品目別の自給率経年推移や都道府県別の自給率が載っている。主な品目の自給率は、米94%、小麦13%、甘藷92%、馬鈴薯76%、大豆5%、みかん94%、牛肉43%、豚肉52%、鶏卵95%、魚介類52%、砂糖32%、牛乳・乳製品66%となっている。全体の39%という数値はカロリー換算のもので、「供給熱量総合食料自給率」という長たらしい名称がついている。すべての食料品目の重量をカロリー換算して積み重ねて算出したものだ。これだと極端なことをいえば、米だけ生産しても日本の食料自給率は100%になりうる。
「食料・農業・農村基本計画」というのがあり、これによると5割以上を国内生産で賄うことを目指し、平成27年度の目標自給率は45%とされている。食料品目別の目標値はないので食料全体のバランスが考慮されていない。かなり大雑把な計画である。まだ深刻な問題として捉えられていないようである。先進国の自給率は日本に比べてはどこも遥かに高い。日本の農業政策は間違っていたのなら修正を急がねばならない。

バターとチベット

2008年04月14日 | Weblog
バターが近所のスーパーで品薄なので、遠出したときに業務用スーパーに立ち寄り買った。明治バター450グラム670円である。無塩でパンに付けて食べると美味しい。今まではマーガリンを使っていたのだがあまり健康によくないと知ったのでマーガリンはやめていた。マーガリンは植物油脂を加熱してつくるので、トランス脂肪酸が副産物として含まれ、これが心臓や血管に悪い影響を及ぼすという。大量に摂取しなければ問題ないのだろうが、避けることにした。コーヒーなどに入れるクリームも植物油脂を原料とするものも同様なので、原料が牛乳のものを使っている。商品名では「クリープ」や低脂肪ミルクの脱脂粉乳である。
バターの製法は簡単なようだ。生乳からとった脂肪を水抜きして固めればできる。チーズのように発酵させないのですぐできるようだ。
バターはチベット人には欠かせない食品である。
多田等観の「チベット」(岩波新書特装版)の「僧徒の生活」の項で食生活について次のように書いている。

---先づ湯を沸かして前から作っておいた茶汁をその中に少し汲み入れ、それをドモという器具に注ぎこむ。更にバターと少量の塩を注ぎこみ、攪拌してバター茶を作る。ドモは木製の桶である。このバター茶は僧徒ばかりでなく、一般西蔵人の愛用するところで、一日に数十回飲用する。朝食は茶の他に黍の炒り粉を用ひる。これをツァンパといひ、茶と練り合わせて団子にしながら食ふ。-----中食は肉饅頭か、肉ウドンを作って食ふ。併し朝食と同じく黍の炒り粉で済ます者が多い。夕食は禁じられている。-----

これは多田等観がチベットで修行した大正時代のことであるが、チベット仏教僧の食生活は今も変わっていないようだ。バターと黍の炒り粉がメインである。バターはヤクや羊の乳からつくられ、茶は発酵した茶葉を固めた磚茶からつくられるようだ。バターは各種ビタミンが含まれ、栄養素豊富である。でも、バターの食べ過ぎもよくないだろう。

シュールな世界

2008年04月09日 | Weblog
東京台場の高層マンションの一室では、中年男がフィリピンの美人女性を切断し洗濯機に入れて血抜きしていた。マンションに戻った同居の女性が肉塊を抱えた男をみて驚き逃げた。まるで地獄絵みたいだ。
満員電車では中年男の痴漢が捕まった。指先の付着物が証拠物件になった。そのDNAが被害者の女性のものと一致したのだ。電車に乗る女性は貞操帯が必要になりそうだ。
街の歩道や駅のホームでも安心できない。無差別テロや突き落としがあるからだ。広い歩道を歩いていても後ろからケータイに夢中になった若い女の自転車に追突され転倒する恐れもある。
マンションの隣の中年男は救急車をよく呼ぶ。その翌日には病院から帰ってきて、もう自転車で走り回っていた。犬のように立ちションをよくやり、騒音を四六時中まきちらしていた。心も体も壊れていたようだ。それが、先日、引っ越してしまったのでなんとなく寂しさも感じられる。
オリンピック聖火リレーもシュールになった。消火器でトーチの炎を消そうとする人が現れた。前代未聞のことだ。シナでは相変わらず情報統制し、不都合な映像は一切みせていない。何の障害もなく聖火リレーは成功していることになっている。真夏の北京でのマラソンで完走できるのは半数にも達しないのではなかろうか。マラソン終了後、北京の浮遊粉塵濃度は著しく低下するだろう。それは選手の肺がフィルターの働きをするからだ。X線撮影すれば選手の肺は真っ黒け。
一昨日の雨は土砂降りだった。この時期は菜種梅雨といわれるようにシトシト降るはずだったのに。恐らく温暖化の影響だろう。
4月になって、バターを買おうとスーパーの売り場に行くと1品もない。値上げ前に買い溜めした人が多くいたのかと思った。原因は生乳の減産だというではないか。それはないだろう。バターの生産量だけは確保しておけば品薄は起こらなかったはず。分からない。
青山テルマの「そばにいるね」という歌が流行っている。ドコモのCMにも使われている。若い女性に人気があるようだ。囁くように唄うのだが、なんとなく耳障りな歌だ。俺も歳をとってしまったのか。