本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

政権交代は革命か?!

2009-03-31 13:54:23 | 社会
森田健作も大したタマで、自民党支部長を続けながら「完全無党派」を標榜して政策などまるで無視の「イメージ選挙」を展開した。メディアはこの事実を事前にキャッチしながら(と私は見る)選挙が終わるまで敢てこれを公表しなかった。ともあれ結果は出た。「神の声」は全有権者の四分の一にも届こうかという票を森田に与えた。海岸を走って懐メロを歌えば歩道橋を鈴なりにする観客とその人気通りの百万票を集められるのだから、かつて昭和の黄門様=故福田首相が漏らしたように「神の声もときには変なこともある」というしかない。公明党がなぜ森田を嫌うのか私にはその意図は不明だが、当初「三つ巴の争い」と言われたように、与党側も森田支持一本にまとまったわけではないから、如何に森田が前回の知事選で惜敗した候補だったからと言って、この大差負けには小沢ショックが大きく尾を引いていると言うしかない。野党側はこの大票田地区で無党派層の支持を取り付けることが出来なかったことは深刻に受け止めなければならない。これでは「比例区で圧勝」という構図は描けない。それどころか「あの」自民党に無党派票を持って行かれているようでは「政権交代」など到底覚束ない。無罪を主張する小沢さんに辞める理由がないことは事実だが、なにせ「神様」のおっしゃることだから多少「変なこと」と思えても従わざるを得ないだろう。*それにしても何故支配層はかくまで政権交代を厭うのだろうか。私にはその理由は自明である。この国は明治期以来「権威は一つあればいい」という「天皇制」国家だからである。近代国家の中には王国は幾つもあるが「万世一系の天皇(←これは嘘八百だが)これを統治する」などといった、王家が一つしかないという国はまずない。我々は明治欽定憲法が「改定」されたのが現行憲法であるという事実を軽く見てはいけないのである。近代国家は政権交代があるからこそまがりなりにも民主主義を標榜出来るのであって、五十年も百年も政権交代がない国など大義名分が何であれ、これは独裁国家と呼ぶしかないのである。そんな国の野党など「単なるガス抜きの安全弁」として独裁体制を「左」側から支えているだけの存在であり「万年野党で構わない」「政権獲得は我々のロマンです♪」などとのたまっている共産党なんかは畢竟これでしかない。で、我が支配層は自民党命であり、政権交代など国家の滅亡と同義と思っているのだ。 . . . 本文を読む

新聞。

2009-03-29 22:06:14 | web・メディア
世に「新聞好き」という人種がいる。本が好きとか雑誌が好きとか漫画が好きとかではなく、時間さえ許せば「一般紙」(朝刊が多い)を隅から隅まで読みまくる人である。雑学に強くなるのはそういう人たちだろうか。私も一頃は「字」さえあれば、内容がわかろうがわかるまいが矢鱈読んでいた時期もあったが、今はもう歳だもんで、外出時も暇な時間はポケッとして目を休めていることが多い。あちゃ。新聞の活字自体昔と比べてどんどん大きくなり、これを新聞各社は「読みやすく」なったと勝手に自画自賛しているが、見出しはともかく活字に頼った情報伝達は日に日に減少している。今インターネットや液晶テレビやワンセグに押されて新聞の需要は下降の一途を辿っているが、私なんかは朝喫茶店に入って新聞が見られなければ寂しいし、長距離電車通勤のお父さんの必携アイテムは日経新聞、ギャンブル親父にはスポーツ紙である。ぁそ。だが新聞業界というところはいつまでも旧弊に縛られていて、言ってることとやってることが「羊頭狗肉」以上に見事に相反しているから、これもメディアの腐敗・堕落を根拠づける一つの大きな要因になっているのだ・・というわけで、今宵は昔映画ポスターの口上に「インテリが作ってヤクザが売る、それが新聞だ!」と書かれ、今や落ち目の三度笠・斜陽となった大メディア=新聞の話などを少々考えてみようかということだが、以下は昔の記事と重複する部分も多いので、その辺はあしからず。w . . . 本文を読む

百年目。

2009-03-28 16:41:59 | 
ちょっと考えればわかることだが、今連日メディアで気安く使われている流行りのフレーズ=「百年に一度の経済危機」という言葉は、単に「稀なる事態」を強調する比喩としては不正確で無批判であてずっぽうでとんちんかんな述語である。こんなところからもメディアのいい加減なアバウトさが浮彫りになって来る。今から「百年前」と言ったら第一次世界大戦前夜の二十世紀初頭であるから、世界の30ヶ国が参加した「Great War」(←第二次大戦が勃発する以前はこう呼ばれた)の前段階として当然世界的経済危機はあったろうが、では間に挟まれた第二次世界大戦の前後には何の危機も混乱もなかったのかと言えば、まったくそんなことはあり得ないわけで、今回の世界的不況を形容するにはむしろ「前代未聞の」とか「未曾有の」とか「人類史上初めての」とかいった言葉の方が遥かに理に適っているのである。それで「百年に一度」と言うからにはもう百年遡った1800年頃はどうだったかと言えば、日本では江戸時代中後期、ヨーロッパでは「大航海時代」(14c-17c)の後を受けたイギリス「産業革命」の真っ只中にあたり、これは「経済危機」どころか逆に「経済大膨張」の端緒の時代である。「どこが百年に一度か?」というわけである。こういう「蒙昧主義」そのもののいい加減な「述語」を使って、いったいどんなまともな議論が出来るか私には甚だ疑問である。・・というわけで、今日はその辺を少し考えてみる。ぁそ。 . . . 本文を読む

京都の桜♪

2009-03-27 19:59:37 | 社会
新鮮・イカール星人が「イカばかり食いやがって!」とお怒りになって函館を攻めに来たから「観光はお早めに」というCGを駆使した宇宙怪獣のCMがバカ受けして、既にYouTubeでは14万回以上再生されている。あちゃ。2月はやけに暖かかったと思ったら、3月3日の小沢ショック以来(?)日本列島は寒の戻りが厳しく、雨・雪混じりの花冷えが続いている。大阪も風が冷たいのでうちらは無用な外出はなるたけ避けるようにしている。これがポカポカ陽気だったら近隣の桜の名所へ激写しに出掛けたいところだが、暖かくなるのは4月に入ってからだそうだ。ぐすん。天気予報もこれは何を根拠にしているのか、一週間先迄の予想など今や常識になっているもんね。あちゃ。世の中どんどんチェンジして行くんだけど・・。 . . . 本文を読む

『検察vs小沢・民主』第2ラウンド。

2009-03-26 19:09:58 | 社会
私は今回の「謀略」の狙いとして①蛇の頭を潰す②民主党の資金源を断つ、の2点を指摘したが、これに③今自民党の凋落に落胆してやる気をなくしている右派に活を入れるという狙いもあったと加えたい。その理由は別に大したことではないが「ココログニュース」に「ネット内で広がる小沢批判」というのがあって、そこに俳優津川雅彦のblog「サンタの隠れ家」の民主党批判が話題を呼んでいるというのでそこも行って、ついでに津川を推奨しているという「博士の独り言」という政治評論では最大の読者数を誇る(←但し根拠などない。笑)というblogにも行ってみたが両者は「同工異曲」というか「同じ穴の狢」というか「同病相哀れむ」というか「裸動員」というか、要するに自民党内でも一番低俗下劣な安倍ポン的右派の主張をコピーして並べているだけだったのでがっかりしたが、「そうか、今回の検察の暴挙には(この間の自民党の目を覆いたくなるような度重なる失態に)今やすっかりしょげ返っているチンピラどもを鼓舞激励する意味もあったのか」と今更ながら納得した次第である。で、津川の方はポンポン話が飛んでまとまりがないからあれは口述筆記だろう。意識してあんな文脈で文章を作ることは通常考えられないが、別に口述ではいけないということはなく、緒論と結論だけはしっかり「民主党バブルは終わった」という持論を述べていた。ここには私が行った時点で899ものコメントが寄せられていたが、私の読んだ範囲ではそれらは全て自画自賛・付和雷同型の「偏向コメント」だった。笑。それらのコメントは彼らが言うところの「メディア脳」が産出する没我的言辞そのものであって、日頃印象批評ばかりしている私が言うのも何だが(笑)「おめえらが何をどう感じたかなんて関係ねえ。どうでもいいよ」「少しは自分の頭で考えて分析の一つもしてみろ」「生きているうちに頭は使え」・・と私は言いたいのである。少なくとも「左翼報道」(←どこの誰が?)などというレッテル貼りは、私がいつもやる「チンピラ右翼」という決め付け同様(はあ?)殆ど無意味だ。「博士の独り言」は文章の「てにをは」さえ上手く付けられない記述力なので何の「博士」か知れたものではなく、内容も「不偏不党」どころか安倍ポン~麻生の自民党極右ラインの主張を一歩たりとも逸脱するものではなかった。我がweb社会には魑魅魍魎が日夜跳梁跋扈しているのだ。 . . . 本文を読む

静岡県知事沈没。

2009-03-25 21:43:07 | 世界
WBCV2の経済波及効果だが、今日の報道では550~560億円と大分底上げされていた。笑。これもしかし純然たる『箪笥預金』や『床下預金』が関連グッズや記念セールへと大挙して参入して各種商品に化けるというのならまだしも、一般消費者には無尽の可能処分所得があるわけではなく皆さん財布の額は決まっているから、幾ら物流が刺激を受けるからと言ってそのまま景気が上向くなどという美味い話にはならない。「消費マインド」には好影響というだけのことだ。それで私が思ったのは、確かに日本の野球は今回世界一になったが、これは「アメリカ型の野球」をやって一番だったというよりも、今甲子園でやっている「高校野球」をやってトップに上り詰めたというのが正確ではないかということである。アメリカの国技たる「ベースボール」はもっとワイルドかつパワフルであって、「ダイナミックな力と力の激突」という意味では日本の野球の比ではないが、反面「緻密さ」「(ノムさん流)インサイド・ベースボール」「繋ぐ野球」という意味では日本に到底追いつかないことが今回計らずも露呈してしまった感がある。プロ野球が始まってまだ24年という韓国の野球は日米の中間に位置し、中南米その他欧米系の野球はアメリカより更にパワフルで力任せの野球をやっているという印象である。ただ日本の野球が大リーグでも十分通用することが認められるようになったのはせいぜいここ十数年のことで、昨年現役からは引退した野茂英雄投手がドジャーズにトレードされた1995年あたりからだろう。それまでの日米野球なんてあーた、大人と子供のタタカイだったもんね。あちゃ。今回韓国の名将=キム・インスク監督は「日本の技術」の優位を戦前から認めていて、決勝戦の敗因は「イチローと勝負したことだ」と悔やんでいた。(←ベンチからは敬遠のサインを出していたがそれが通じなかったというのだ!)イチローも以前「これで韓国には30年負けない」などと言わないでいいことを言って挑発したが、皮肉にもその挑発が最後の最後になって生きてしまったことになる。いずれにせよ、北京を全勝で制した韓国と侍ジャパンとは「極東の双子の野球」を展開する好敵手同士である。アメリカには別の国技=バスケットボールはあるが、惜しむらくは高校野球の伝統はない。w . . . 本文を読む

侍の経済効果。

2009-03-24 23:57:47 | 社会
世に「人間の顔が見えない資本主義」などと言うが、それは当然で人間の顔をしていたら「人間主義」だろう。笑。私は寡聞にして「人間主義経済」なんて言葉は聞いたことがない。この社会の経済の主役は「資本」即ち「貨幣」である。株だとか債券だとかは貨幣の変態した姿である。しかしながらこの資本主義=キャピタリズムなる呼称はあまりに露骨だから体裁が悪いというので通常「自由主義経済」などと呼ぶが両者の内実に相違があるわけではなく、我々の社会はぶっちゃけ「金勘定を諸事万端全てに優先させ、その他のことは二の次に置き二義的に考える社会である」と言える。文化伝統や風俗習慣等は採算が合わなければ早晩仮借なく淘汰される社会なのである。その際近経の「傾斜」ではないが、富の分配がうまく行かず偏りが生じた場合、国家権力の発動によって若干手直しを加え、救貧(経済弱者救済)等言わば「社会主義的諸政策」を適用することによって「急場凌ぎ」を繰返しつつ更なる前進を試みるというのが「自由主義経済」なるものの「素顔」なのである。いわゆる「景気」なるものは循環するから、その度に通常「富の偏在」は顕著になり、そうなれば「再分配の必要性」というのも循環してやって来るわけである。これが今人類の到達した一番賢明で最善の経済体制ということになっていて、可も不可もなく世界を覆い尽くしているが、所詮は自然過程として取り込まれた緊急避難的処方箋だから当然欠陥も多い。私などは天邪鬼だから目を凝らしても欠陥しか見えて来ないが、「じゃあ他に何があるか?」と問われても即答不能である。「貨幣は人類究極の発明である」と、今のところは言っていいのではないか。猿でも蟻でもいいが彼らの社会は貨幣までは持たない。そして貨幣経済を全世界規模で運用している以上、現今の経済体制に辿り着くのもまた自然な推移のように思われるのである。昔戦時下のヴェトナムに隣接したカンボジアで「ポル・ポト政権」という外部からは見え難い一種の軍事独裁政権が樹立され、彼らは「ジャングルに貨幣は必要ない」と称して「貨幣経済」を止揚する政策を打ち立てたことがあった。私も衝撃を受けその後の経緯を注目していたが、彼らは貨幣や私有財産に拘る一般市民らを情け容赦なく無差別虐殺していたことが後に明らかにされた。「経済体制を権力の発動によって一気に転換することは無理だ」ということだと、そのとき思った。 . . . 本文を読む

金のかかる政治2。

2009-03-23 20:45:50 | 社会
潮目が変わったのはやはり安倍ポン時代の参院選だろう。はっきり結果が数字に出てしまったから取り繕いも言い逃れも不可能で、自民党は第一党の座を民主党に奪われ参議院では少数与党に転落してしまったが、「見たくないことは見なかったこと。見なかったことはなかったこと」とばかりにこの現実を直視出来ず「いや、衆議院では300あるからいいんだ。どんな法案だって通るんだ」と平然と居座りと開き直りを続けて来た。しかし情勢は一向に改善の方向を見せず、この間間歇的に行われて来た各地方選挙でも概ね民主党側に敗れ、党独自の世論調査でも本来自民党の強固な支持層たるべき人たちが雪崩をうって離反してしまっているという厳然たる事実が明らかとなった。驚愕し、あせった彼らのしたことは或いは公明発案の一時金の露骨なばら撒きであり、或いは高速道路料金の値引きだったが、こういう見え透いた泥縄的方策では却って下心丸見えとなって、「おめえらはこの期に及んでそんな買収まがいのことしか出来ねえのか!?」と更なる人心離反と国民的怒りまでをも呼び込んでしまったのである。しかもこの両方策の実施には莫大な税金と只でさえ忙しい地方自治体の労力が必要とされ、更にはしっかりと金喰い虫・霞ヶ関の出番も確保しているという有様である。高速料金にしたところで、「景気浮揚」を言うなら長距離トラックをも含む「完全無料化」という民主党原案の方が理に適っていることなど一目瞭然である。民主党案を剽窃し換骨奪胎したかかる自公案など恥知らずそのものと言っていいがもう成立してしまった。(「悪事千里」ってかちょっと違う?ぁそ。)ともあれ、こういう流れの中で突如出て来たのが今回の検察の暴走なのである。これは打破出来るものなら打破した方がいい恣意的策動以外ではない。 . . . 本文を読む

金のかかる政治。

2009-03-22 22:21:18 | 政治
今は昔、今度はもう30年近く前の話になるが、「自民党の選挙ってどうですか?」と旧社会党系労働運動の叩き上げの或る地方議員に、単刀直入に実態を質問したことがある。即座に還って来た答えがまず「買収と供応だね」というあっけらかんとした、しかし手厳しい一言だった。話の詳細はすっかり忘れたが、仕事や商売の関係から地域生活のいちいちに至るまで、「便宜供与」や「地縁・血縁」果ては「冠婚葬祭」の年中行事を通して、生活全体が雁字搦めになっているのが保守地盤の強い社会の一般有権者だというのである。何も選挙が終わってから運動員らが「町会長に金を渡して票の取りまとめを依頼した」などと公職選挙法で逮捕される事件だけが「買収」というわけではない。「一席設けて投票を依頼した」という表面に出た事件だけが「供応」ではないのだ。「XX先生後援会」が押し出す新宿コマや歌舞伎座へのバスツアーなど買収・供応と強力な圧力以外の何者でもないと私は思う。今降って湧いたような「小沢スキャンダル」に関連して、古くて新しい「政治と金」の問題が今更のように急浮上しているが、私は「政治には金がかかるのだ」という知ったような口ぶりには不信と不審しか抱かない。はっきり言えばこれはデマゴギーだ。「政治に金がかかる」のではなく、自民党の自称「政治家」たちはこれまで「金のかかる政治」しかして来なかったのだ。なんだかんだと金をばら撒き、或いは「地元へ巨大工事を伴うプロジェクトを導入しさえすれば霞ヶ関は喜び、我が身も安泰」という構図の下で果たして民主主義なるものは可能だろうか。「自民党は金にまみれていない」と言い張るのならこの際「企業献金の全面禁止」に同意してみたらどうだ?「金権主義」と「拝金思想」こそが自民党政治の本質である。彼らが打ち出す「政策」なるものは例外なくことごとく「利権」と連なっている。或いは霞ヶ関の「お仕事探し」と直結している。彼らがうだうだ言っている能書きなどはこの「利権前提」という本質を押し隠す単なる装飾言辞に過ぎない。「小沢金脈」を叩けば、検察が動こうが見逃そうがそんな「些事(!)」とは無関係に、それは直ちに我々一般国民をして自民党全体に普遍的な「金権体質」へ目を向けさせるのである。謀略はしくじったかも知れない。 . . . 本文を読む

スウェーデン&報道ステーション。

2009-03-21 15:57:13 | web・メディア
金曜日の報道ステーションだが、普段見ない顔のコメンテーターはいったい何者か。もごもごと何を言い出すのかと思ったら、唐突に検察擁護の発言だ。「政権交代を望まれる側の党首がこれだけ黒い疑惑があっていいのかと・・」などとコメントしたのだが「何それ?」「だからどうした?」「で、どうなんだ?」とこっちが次のコメントを待っていると・・それで終わりなのだ。あとが何もない。どこがコメンテーターだ?!どこが報道の中立性か。こいつは検察の使いっパシリか?!チンピラどもが「偏向報道だ、北の手先だ」と喧しい『報道ステーション』にもついに当局の手が回ったか。あっちゃ。おのおのがた、四月からここはメンバーチェンジで内容も大きく変容するかも知れないから要注意だ。ひょっとしたらもう見ない方が賢明かも知れない。ただここがはっきり変節したとしても、そんなの別にこちらはノー・プロブレムだ。せいぜいチンピラ右翼どもの専用チャンネルになって「御用報道」に邁進すればいい。「おきばりや!」ってとこだ。*それで昨日の「スパモニ」スウェーデン取材の続きだが、国会議員への処遇・待遇が一般庶民の生活と乖離してはならないという原則が硬く貫かれていて、国会内の宿舎などはバス・タブすら備えていない只のシャワー+トイレだけだというのである。キッチンも別室があるわけではなく、居間の両開きの戸を開ければそこに流し台とガスレンジが格納されているという徹底ぶりである。学者・レーニンは「パリ・コンミューン」の分析から「政治委員(=大臣)の給料は熟練労働者の水準を超えてはならない」と結論づけたが、フィン・タン・ファット南ヴェトナム解放戦線議長さえ「私は頭を使う仕事だからみんなより高い給料を貰っている」と言ったくらいでそんなの「自称社会主義」の指導者たちは守ったことがない。吉本は「政治家なんて《ご町内のゴミ当番》でいい」と言っているし、オバマだって元を辿ればデトロイトでボランティアの救貧活動家をしていたわけで、政治家を有難がって特別扱いしなければならない理由などほんとは欠片も無いのだ。銅像を建てたりしたら駄目だぜ、おとっつぁん!奴らはふんぞり返るだけだろが。そういうわけで、自民党の豚どもなどはこの際全部まとめてどこかの「アニマルファーム」へ叩き込んでしまえばいいのだと思われてならない今日この頃ですが、皆さん如何お暮らしですか?w . . . 本文を読む

誰からも非難されない場所。

2009-03-20 15:15:01 | 政治
もう20年以上前の話になるが、1982年の大江・鶴見らの「いつものメンバー」の呼び掛けによる「反核アピール」に故埴谷さんが署名したことを吉本隆明が厳しく批判したことがあった。埴谷さんという人はそういう呼びかけの発起人となることはないが、頼まれると気楽にサインしてしまう性格だった。生涯一度の海外旅行では東欧のとあるホームレス(?)から金をせびられてすぐカンパしてしまうし、日本においても私の知人が泣きついたら2~3万円をカンパしてくれたこともあった。ついでに言えばカンパということでは吉本も負けてはいない。自宅を訪問して来たかつての友人が帰り際(彼を外まで追いかけて行って)「うちも苦しいからこれだけ」と彼に用立てたが、一方施しを受けた方の彼は「俺は吉本のその優しさが許せないんだ!」とそれを「袂別の理由」の一つとして本に書いた。それを読んで私もこの秘話を知ったわけである。で、反核アピールを批判する理由として吉本は「誰からも非難されることのない場所から発言することは卑劣だ」と言い「《地球を何十回も爆砕出来る核兵器の存在》などというもの言い自体が既にニヒリズムそのものだ」と論断したのである。そんなことを私はふと思い出した。きっかけは今朝のたまちゃんテレビのスウェーデン特集である。「官の無駄遣い」をこの番組に連載で追求して来た玉川氏が、キャスター・たまちゃんの「スウェーデンの国民は何故税率25%にも及ぶ高い消費税に我慢出来るのか?」という素朴な疑問に触発されて、本場スウェーデンへ取材に行ったというのである。スウェーデン王国は人口900万人の小国だが、国民一人当たりのGDPは世界4位(日本は9位)、国際競争力も日本を上回っている。国会議員の給与は800数十万円(日本は2,200万円)に過ぎず、議員宿舎に至っては20m平米のビジネスホテル並の簡素な施設が国会内に50戸あり、彼らには公用車もなければ公費のスタッフもない。消費税率は日用品が25%、食品が6%、新聞等が2%、教育・医療・介護・育児休暇等福祉は万全で、これが地方の雇用も創出し「限界集落」などは出現しない。貯金は無用だから貯蓄率は低く、総じて「働ける者はみんな働け」という一種「蟻社会」だ。で、googleで「スパモニ」を検索したがHPではスタッフの宴会写真ばかりが目立っていて、別に「スパモニ」の報道姿勢を批判する記事があった。 . . . 本文を読む

「検察主導」という異様な事態。

2009-03-19 10:42:27 | 政治
国会が『嵐の前の静けさ』というのかちょっと停滞気味なので、今日は『逮捕~拘留』についてのお勉強・お浚いを少しだけしてみる。でも私の記述はあんまり正確じゃないかも知れないので、そのまま鵜呑みにしては駄目です。いつも言っているように『すべては疑い得る』のです。自分で調べられることは自分で調べましょう。他人の言うことはあくまで他人の言うことなのであって、裏にどういう事情が隠されているのかわかりませんからね。尤も「誰が信用出来ないと言って、自分自身ほど信用出来ない人間もいない」というケースも充分あり得るわけで、私なんか実はこれに該当するかも知れない。笑。そういうわけで、小沢さんの公設第一秘書の拘置期限が来週3/24(火)に訪れるから地検はこの日には公訴提起するかどうかの最終結論を出さないといけない。で、そこにみんなが注目している。この間何が起きたかと言えば、まず検察が突出して走って報道を自分の手足の如く使った。報道は検察が日々小出しに漏らす「新事実」を忠実にメディアに載せて世論誘導を行い、「小沢=悪」というレッテルを国中に貼り巡らした。この国はいつから「検察主導」の「検察国家」になったのか。これが陰謀でなくて何なのか。世間では今「麻生が事前に検事総長と密会していた」という怪情報まで飛び出しているそうだが、「偽メール事件」もあったことだし、我々は講釈師でも狼少年でもないから「見て来たような嘘(?)」は言えない。でも万が一それがもし本当だったら「指揮権発動」の「国策捜査」そのまんまだ!これはどっかの軍事政権と変わらぬ、デマで政治をリードするという最低最悪の「民主主義もどき」「似非民主主義」である。しかも困ったことに我々はあんな口ひんまげ親父のことなんか爪の先程も信用していないのだからね。 . . . 本文を読む

蠢く影。

2009-03-17 11:40:11 | 政治
今日は本文が長過ぎなので概要文は止めておきますってか、あっちゃ。あ、そうだ、これは以前書いたことの繰返しになるが、新しい読者もおられることなので。ぁそ。それは「知ったかぶり」と「ひけらかし」の相違である。「知ったかぶり」とは文字通り自分の熟知していないことをあたかも以前から知っていることであるかのように装い振舞うことで、これは単に背伸びしているだけなのでいずれ馬脚を現すのがオチだ。一方「ひけらかし」とは一説に「光らかす」の転(広辞苑)で、光の当たっていない真実・真相に光を当て、或いは磨きをかけて衆目の注視を呼びかけるという意味で、我々はこれを「あいつはどこかで聞き齧って来た知識をすぐひけらかす嫌味な奴だ」などと使うが、原義は必ずしも悪意に充ちた評価ではないようだ。かく言う私はというと、若い頃はこれらの傾向とは真逆の性格で、個々のテーマで一から議論するのが面倒と感じたときには(本当は一言言いたいことがあったとしてもそれは押し隠して)「知りません。わかりません」で通すことが多かったので、周囲からは「お前は知っていることを知らないと言う。そんなことはみんなわかっている」と非難されたこともある天邪鬼だった。あっちゃ。そうそう、私は自慢じゃないが今に至るも、他人と同じことを言っていても少しも楽しくないという「へそ曲がりの天邪鬼」なのであるが、一般に「言論の自由」というものはそういった「少数異見」のためにあるのである。w . . . 本文を読む

世代交代。

2009-03-15 18:50:22 | 政治
私の個人的な見解としては小沢さんは権力の走狗=地検特捜部に徹底抗戦した上で「我に利あらずんば華々しく玉砕してしまう」のがかっこいいんではないかと思っているが、現実政治は得てしてもっと穏当で煮え切らない蒙昧な方向へ進むとしたもので、検察情報を吹きに吹きまくったメディアは「いずれ辞任は避けられない」という論調で今世論をリードしている。本人もこれに抗うことは困難であることは重々承知の上で、あとは如何にして後続へ爽やかかつスムースにバトン・タッチするか、そのタイミングを計っている(或いはその振りをしている?)のではないかと思うが、別に敵に手の内を明かす義務はないのだから、辞任も続投も表明する必要などない。一般論としては確かに「人間引き際が肝心」で、福ちゃんのように深夜の辞任会見で「あなたとは違うんです!」などとぶち切れたのでは男を下げるが、今思うとあれ(辞任)は本意ではなかったということなのだ。つまり福ちゃんは麻生に詰め腹を切らされつい記者に八つ当たりした可能性大である。それで逮捕された秘書が(処分保留でも不起訴処分でもいいが)一応「無罪放免」にならない限り小沢さんの留任は厳しい。地検は面子にかけても立件するだろう。でも小沢さん一人を辞めさせるのは人情として忍びないから(はあ?)そのときが来たら鳩山さん・管さんら現執行部は小沢さんと共に城を出て敵陣へ突入し、一矢報いて斬り死にする構想を描いているのではないか。「そっちがその気ならこっちもやるぜ!」と、喧嘩はこれでいいのだ。思うにこの際(浪花節も忘れず!)言えること・言うべきことは全部言い切って、あとはきれいさっぱり、あくまで「爽やかに!」後進に道を譲るのがいい。新執行部には仙谷だとか輿石だとかのオールドネームは要らない。あの人らは民主党のイメージを損ねるだけだ。岡田さんと前原ちゃんは共に泣きが入って一段と成長したように見受けられるし、自民党出身の原口さんもミスター・年金長妻さんも枝野氏も国民的好感度は麻生の比ではない。大田かずみちゃんはかわいいし、渉外担当(苦情処理係)の細野くんもそこそこではないか。他にも民主党の若手にはいい人材が大勢いる。人材では早自公を凌駕し圧倒していると言っていいのである。ちょうど良い機会だから「災い転じて福と為せ」路線はどうか。「世代交代」をすっきりやってのけ、もって集団指導体制を築き上げろ!w . . . 本文を読む

『闘う収蔵庫』=チョムスキー。

2009-03-14 18:31:35 | 世界
ノーム・チョムスキー。「知の巨人」である。構造主義以降の言語学、心理学、哲学、政治学etc.守備範囲は広汎に亘っていて、現実の生々しい国際情勢にも積極的に発言して来た。この人もユダヤ系出身だが、イスラエルのシオニズムには批判的である。人種の坩堝・アメリカでは個々人がどの人種・どの民族出身かというフィルターがまず掛けられてそこで最初の「認知・識別」が行われる。「われ、どこのもんじゃい!?」という感じである。日本で「知の巨人」とときどきは形容されるのが立花隆で、彼も実に広汎な分野に興味を示すけれど普段見慣れているせいか(はあ?)「巨人」と呼ぶ程の圧倒的な重厚感はない。ぁそ。『千夜一夜じゃない千夜千冊』の松岡正剛はどうか。確かに本は沢山読んでいそうだけど巨人かどうかは保障の限りでない。笑。それで今回はちょちょちょっと『闘う収蔵庫(?)』=チョムスキーを集めてみました。 . . . 本文を読む