本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

金のかかる政治。

2009-03-22 22:21:18 | 政治
今は昔、今度はもう30年近く前の話になるが、「自民党の選挙ってどうですか?」と旧社会党系労働運動の叩き上げの或る地方議員に、単刀直入に実態を質問したことがある。即座に還って来た答えがまず「買収と供応だね」というあっけらかんとした、しかし手厳しい一言だった。話の詳細はすっかり忘れたが、仕事や商売の関係から地域生活のいちいちに至るまで、「便宜供与」や「地縁・血縁」果ては「冠婚葬祭」の年中行事を通して、生活全体が雁字搦めになっているのが保守地盤の強い社会の一般有権者だというのである。何も選挙が終わってから運動員らが「町会長に金を渡して票の取りまとめを依頼した」などと公職選挙法で逮捕される事件だけが「買収」というわけではない。「一席設けて投票を依頼した」という表面に出た事件だけが「供応」ではないのだ。「XX先生後援会」が押し出す新宿コマや歌舞伎座へのバスツアーなど買収・供応と強力な圧力以外の何者でもないと私は思う。今降って湧いたような「小沢スキャンダル」に関連して、古くて新しい「政治と金」の問題が今更のように急浮上しているが、私は「政治には金がかかるのだ」という知ったような口ぶりには不信と不審しか抱かない。はっきり言えばこれはデマゴギーだ。「政治に金がかかる」のではなく、自民党の自称「政治家」たちはこれまで「金のかかる政治」しかして来なかったのだ。なんだかんだと金をばら撒き、或いは「地元へ巨大工事を伴うプロジェクトを導入しさえすれば霞ヶ関は喜び、我が身も安泰」という構図の下で果たして民主主義なるものは可能だろうか。「自民党は金にまみれていない」と言い張るのならこの際「企業献金の全面禁止」に同意してみたらどうだ?「金権主義」と「拝金思想」こそが自民党政治の本質である。彼らが打ち出す「政策」なるものは例外なくことごとく「利権」と連なっている。或いは霞ヶ関の「お仕事探し」と直結している。彼らがうだうだ言っている能書きなどはこの「利権前提」という本質を押し隠す単なる装飾言辞に過ぎない。「小沢金脈」を叩けば、検察が動こうが見逃そうがそんな「些事(!)」とは無関係に、それは直ちに我々一般国民をして自民党全体に普遍的な「金権体質」へ目を向けさせるのである。謀略はしくじったかも知れない。 . . . 本文を読む