あいつはウルトラパラノイアだろうか。「人心一新」ったって、おめえが辞めることこそ「人心一新」そのものだろうが!責任も取らず一人よがりで使命感に燃えていったい何を言うんだ!?ポーズだけか。時間稼ぎか。内閣改造?はあ?誰がするって?!「敗軍の将がまだ何か?!」ってなもんだぜ。大敗の夜、口ひん曲げの麻生が極秘裏に安倍ポンを訪ねて「あのおいらの爺ちゃんの吉田首相だって、一度も参院選に勝てなかったんだぜ。な?辞めなくてもいい。俺がいいって言うんだからいいんだ。ぶひひ。いいってことよ。衆院選で勝てばいいんだよ・・」と知恵をつけたのだそうだ。自称「ポスト安倍」の最有力候補がそこまで言ってくれるんだからと、これが「溺れる者は藁をも縋る」で、安倍ポンは一も二もなく歓喜に咽びながらこの甘言に飛びついた。麻生の読みは、外相から幹事長へとポジションを移しつつ、一番いいタイミングで背後から安倍ポンを斬りつけようという腹黒い魂胆だ。一方これも自称派閥の首領たちは遅まきながら「挙党一致体制を築け」の大合唱で、要は「閣僚ポストをこっちへ回せ。それが人心一新だ」とのたまっているわけである。どいつもこいつも「落ち目の三度傘」、奴らは党内事情しか目に入らないし、国家国民のことなど一顧だにしない。そんな余裕などないのである。今回参院選を「政権選択の選挙ではない」と言うなら、その「政権選択の選挙」とやらを、何も2年後まで引っ張らず、今すぐやったらどうなんだ?白黒はっきりつけたらどうだ?第一今のお前らの300超の衆院議席は小泉ポチがまともな政策論も行わずに『郵政だ、郵政だ!』とペテンにかけて掠め盗った議席じゃないか。安部ポンが獲得した議席は1つだけだろう。居座りたいのなら直ちに解散して、お前の言う「政策」がどれほど良識ある国民の支持を受けているか思い知ったらいいのだ。何事もなかったかのようにこの急場を通り抜けることは絶対、ぜったい、ぜぇったいに不可能だ!安倍ポンがもがけばもがくほど現自公政権、とりわけ自民党はドツボに嵌るしかないんだ。今の安部ポンは晒し者のサンドバッグだ。 . . . 本文を読む
ほぼ民主党の一人勝ちである。私の個人的希望としては他の野党にも伸びて欲しかったが、選挙民はみなそれぞれ1票ずつしか持っていないから(!)各人の心情の優先順位として他党は民主より上位の位置を占めることが出来なかった。東京選挙区の共産党など、3年間もセンキョに行っていなかった丸川『大したタマヨ!』に負けて、あんなものを『権力の中枢に(!)』送り込んでいいのかと他人事ながら心配である。これでは『確かな野党』に「すら」なれない。我々としては参謀の平沢さんが有能だったのだなと納得するしかないのだが、私の期待した『自民共倒れ』に今一歩だったのは返す返すも残念である。ただ田中康夫さんに言わせるとこの当選は自民にとって痛し痒しで、タマヨは「参政権のない者にも国会議員になる資格がある」ことを身をもって実証してしまったわけである。中四国方面とりわけ岡山は痛快だった。虎之助はもうサンプロへ出て来て大口を叩くことは出来ない。笑。真紀子さんの演説が効いたようだ。あの人の演説は今回箱物に限って16回実施された。下手なお笑い芸人より遥かに高度なエンターテイメント性があるから私も一度くらいは是非生で聞いてみたい。笑。保守王国の筈の四国で自民は全滅。これも無論愉快な話だ。一方党内党=丸山党を自称して当選したタレント候補などは不快だが、丸川ともども国会でどう動くか、単なる一兵卒に埋没するだけでは?など、興味は尽きない。で、「小沢と私のどちらを選ぶのか?!」「改革の続行か後戻りか?!」「負けるわけには行かないんです!」と動員された身内の前で絶叫して「いい感触を得た」らしいわが「裸の王様」=敗軍の将は辞めないんだそうで、これではいよいよ自民党自壊路線の真っ只中への突入となってしまう。安倍ポンの悪あがきは策士=小沢の激烈な攻撃を呼び込むだけだ。安倍ポンでははっきり言って一枚も二枚も役者が落ちるが、自浄能力のない自民党はただ呆然と打ちひしがれるばかりで、まさに「座して死を待つ」ことしか出来ない。一方民主党については元々水ぶくれ体質があって、時々経歴詐称したり自民顔負けの買収工作をしたりする候補が出たりするから今回もまた変に挙げ足を取られることはないのかと、そっちの方も心配だ。株価は早速急落したというし、いずれにせよ「常に解散含みの風雲急を告げる政治情勢」となった。こう来なくちゃ面白くない。笑。 . . . 本文を読む
「縄文の文化を考える場合、生態学の成果を借りると、地球の表面全部の自然条件から見た場合、日本ほど狩猟採集に向いている場所は少ないんだな。温度も湿度も、海流の関係も。そして日本列島は海岸線がべらぼうに長いーーいまの世界の国々の中で、かなり上位に入ると思う。そのうえ、日本はほとんど山国なんですーーいまでも林野庁の統計では、七割近くが林野になっている。ということは、海の幸、山の幸に依存してくらせるわけで、これは弥生が来ても何が来ても、縄文以来のやり方で食っていけるんです。狩猟採集文化は、農耕文化が来ても大きなウェイトで残存したに違いない。現在でも、サシミだとかスシだとか、マツタケとかタケノコとか、これらは後世の変形をうけて文明化した料理ではあるけれども、狩猟採集的な食物が、われわれの最高のごちそうなんだな。日本は狩猟採集にひじょうな好条件を備えていて、虚の文明、つまりほかの文明をほしがる欲求の蓄積を可能にしたんじゃないかというのが、私の基本的な仮説なんです。」(上山春平談『日本学事始・梅原猛著』の対談から。p44-45)*どの国の人々も、自分たちの国土の持つ個別・具体的な特性と和解し順応して生き延びて来たし、これからもそうするしかないだろうと私は思う。人智によって自然を超克し支配出来ると考えるのは西欧文明の持つ病的なまでの思い上がりである。自国の自然・風土と相反する開発に邁進していれば、やがてその報いは我々の子孫が受けることになるだろう。先の地震による柏崎刈羽原発の火災は、まるでチェルノブイリ並みの事故であったかのように海外で報じられ、結果訪日取り止めが多発した。国内でも新潟方面への旅行・ホテルの予約はキャンセルが相次いだが、これらを東電が保証してくれるわけではない。『恨むなら地震を恨め』ということだろうか。原発推進派は二言目には『原発止めて縄文時代に戻る気か?!』と言って我々を脅迫するのだが、私自身は「それもまた可なり」というスタンスであることは以前述べた。地球と喧嘩しても始まらないと私は思っているのだ。いきなり全部の原発を止めろと言っても誰も賛同しないだろうが、とりあえずは行政の怠慢や瞞着に起因する『人災事故』だけは極力排除して行くべきで、これだったら反対する人はいないと思う。w . . . 本文を読む
『WORLD WAR Ⅱ第二次世界大戦全史13』という500円DVDを買ってあったのを先日見た。13巻は太平洋戦争篇で、エピソード1が沖縄地上戦・神風特攻隊、エピソード2が原爆投下・終戦である。1952-53年にかけて全米で?日曜のゴールデンタイムに26週に亘って放映されたものだという。日本語のナレーション付きで、微かに英語も聞こえる。最初に出て来るのは富士山をバックに木橋があり、SLも走る昭和十年代の日本の映像である。川面に舟が行き交う桜満開の美しい日本がそこにある。神社遥拝から学徒勤労動員、雨中の学徒出陣、若き日の昭和天皇=現人神は白馬に跨って登場する。北の将軍様ではない。w「沖縄地上戦」とは言っても圧倒的軍事力を背景に米軍が山野を進撃する様子だけで、火炎放射器で日本軍の塹壕を焼き尽くしたカラー映像や、断崖絶壁からもんぺ姿の日本人女性が投身自殺する映像等有名なものはお茶の間向きではないのか、含まれていなかった。1945年4月1日嘉手納上陸に端を発する沖縄攻撃には、ノルマンジー上陸作戦に匹敵する55万の兵力が投入されたが、日本軍はこれを殆ど無抵抗で迎えた。保護され震えの止まらない小さな男の子の映像は印象的だった。本土上陸決戦用に米国本土では後続が準備万端整えていてその映像もあったが、彼らの出番はついぞなかったわけである。特攻が決まった隊員たちは「さらば、靖国で会おう」を合言葉に別れの水盃を交わした。日本軍は3,500機の虎の子の航空機を特攻に投入し、敵レーダー網に事前に察知されながらも彼らの迎撃をかいくぐって、米国第五艦隊1,500艦艇のうち空母・戦艦を含む350隻に損害を与えた。「我々はこんなにやられたんだ!」と国内向けに強調するためか、特攻機が稀に体当たりに成功し、米軍が消火活動や重度の損傷を負った他の艦艇乗組員らを救出する場面には多くの時間が割かれていた。・・とまあそんな感じのエピソード1である。2は原爆実験、焼け野原となった広島、ミズーリ艦上での降伏文書調印儀式などの映像であるが、詳論する余白はない。美しい国とは何か。それは時の権力が上から網を被せて規定するものなのか。美しい国の対極には醜い国の存在が前提的に措定されるのか。自分の政治団体が法に触れる行為をしていたことを「聞いていない」などと言って逃げ回っている某大臣は美しい国の閣僚に相応しいのか。 . . . 本文を読む
《「成長を実感に」というコピーが日本語として何かおかしくないか》(by田中良紹・参院選完全攻略ガイド)というのは図星で、これは国民一般はとてもじゃないけど『成長』など『実感』していないということをご丁寧に自ら率先して喧伝して回っているキャッチコピーである。わが安倍ポンは「皆さん、さあ、私が(成長を)実感させてあげますよ」と言いたいのだろうが、彼は別に催眠術師でも魔術師でもないのだから、何でもかんでも「自分の内閣ですべてやる!」と「毒食らわば皿まで」とばかりにそれこそ「なんら財源の裏付けもなく(!)」大風呂敷を拡げたからと言って、これはもう「常軌を逸した悪足掻き」としてしか我々の眼には映らないわけである。私は今の自民党執行部は何か基本的な部分で致命的な心得違いを犯していると思う。これはある意味、自民と民主の政策がどうのこうの言う以前の問題で、我が「下々の」一般国民は単純明快に「安倍ポンは嫌だ!」と言っているだけなのだ。今年に入ってから露見した数多くの問題に対する安倍ポンの応対は、その悉くが判で押したように「その場凌ぎの欺瞞・たぶらかし」のオン・パレードであったことを我々は既に十二分にしっかり知悉し記憶しているから、その安倍ポンが見え見えの「センキョ目当て」でどんなパフォーマンスを(思いつきで)仕掛けようと、あるいは(口からでまかせ的に)何を公約しようとも、とてもじゃないけど誰も俄かに信用する気にはなれないのである。政策の良し悪し以前に、これ程お粗末な自称「指導者」も近年珍しいのではないか。本人が辞めないと言うなら清和会のチーズ・森が「再起を目指せと言って鈴をつける」などという憶測まで流れている現況だが、私はこの国が余程おかしな方向へ舵を切らない限り、安倍ポンの再起は難しいと思っている。小泉ポチも思えば罪作りな「禅譲」をしでかしたものであるが、我々としては安倍ポン打倒が成就した暁には「森~ポチ~安倍ポン」と続いた「清和会ライン」こそが、膠着し切った自民党+霞ヶ関の政権を「ぶち壊してくれた」最大功労者だと認めてやるだけでいいだろう。さて、各党最後の追い込みで凌ぎを削っている。数日後には結果は数字で出て来る。それがいったいどう出るのか、予知能力のない私などにはわからない未来に属することである。w . . . 本文を読む
gooは絵文字のセンスがないなあ!笑。こんなんだったら、1だけで充分だぜ。というわけで、中川らがこの時期に「参院選で負けても安倍退陣はない」と重ねて表明しているが、これは近頃珍しい表明かつ居直り強盗的強弁でもあるが、事実上の敗北宣言とも受け取れる発言である。彼らは「死んだ振り」などしていられる状況には無く、この程度の術策では如何ともし難いことは誰にもわかり切ったことだが、最早こんな戯言を言わなければならないところまで彼らは追い詰められていると言っていいのだ。もうサプライズは手遅れだ。打つ手なしだ。まごまごしていると、公明にも見放されそうな雲行きである。あとは得意の現ナマ・実弾・買収供応くらいしか手立てを思い浮かばないだろうが、今それをやると自民党は間違いなく滅びるだろう。各社世論調査によれば自民党支持層は相変わらず民主を凌いでいるが、その予定される投票行動はというと、支持者の多くが今回は民主に入れるとしている。そのせいか、民主党は旧来の支持層に倍する得票を得そうな勢いだそうだ。安倍ポンに対しても、そもそも自民支持層からして「過半数を割ったら退陣せよ」との意向が50%近くもあるのである。要するに世論は、自民支持層も野党支持層もこぞって安倍ポンにはもう辞めて欲しいというのが大勢そのものなのである。安倍ポンの取り巻きたちがなんとか火消しをしようと試みようと、第一これを党内非主流派が黙過する筈もなく、先に枡添候補の運動員が暴漢に襲われたというのも、「内部の敵を撃て!」とばかりの「安倍ポン支持派の焦燥感の表われ」と私は見ているのだが、但しこれは単なる私的邪推であって遺憾ながら何の根拠もない。あっちゃ~っ。祖父の岸同様、今や安倍ポンもまた「声無き多数」を標榜するしかなくなっているのが現在の情勢だろうが、その岸は安保を成立させた後速やかに退陣したことを安倍ポンは肝に銘じるべきだろう。ロイター電までが「解散ー総選挙が特需を呼んで景気をアップする」と分析している現在、「負けるわけにはいかないんです!」などと国中で絶叫しようが泣こうが喚こうが、もうお前の時代は終わったのだ。はい、さよなら。
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ペシャワール会の方がある寒村へ武装解除を説きに出掛けたということをNHKラジオに出ておっしゃっていた。村民に武装されていたのでは医療活動に支障があるとの判断だったのだろうか。村民は会の方々を信用して武装解除に応じたというのである。「あなた方は丸腰で来て非武装を説くのだから我々は信用したのだ」と村民は言ったとのことである。双方共に勇気のある行動だったと思う。世間では今フレキシビリティ(柔軟性)などと言う。これが人にも社会にも求められる時代である。硬直化した思考・応対をとってはいけないのである。広く情報を集め、いろんな人がいろんなことを言うのを『よく見聞きしわかり』天下の大勢をよく見極めてから決断しても遅くはない。むしろその方が結果的には早いことになるかも知れない・・などと『天声人語』みたいなことを私が言ってもキャラじゃないけどね(ぶひひ)世界の基本的構造は今東西問題は一応消滅した形だから南北問題にあるのだろうかとふと思うのである。(異論のある方は『もしも世界が百人の村だったら』あたりでも読んでみて下さいな。)これにイスラム圏対西欧文明の対立が絡んでいる。イスラム圏内部の対立は《欧米+イスラエル》への対応を巡っての対立が基本にあると思う。幸いにもわが国はこういった国際間の対立に関して、どちらか一方に組しなければならない立場には本来立ってはいない筈である。だから他国の戦争のどちらか一方に積極的に係わるような愚を排して公平中立かつ誠実に全世界の国々と相対していれば、いわゆる《国際貢献》の道は幾らでも開けて来るのではないか。と思うのだが、国内に《南北問題=格差社会》を抱えていたのでは話にならねえよな。w . . . 本文を読む
四足歩行と二足歩行との間のエネルギー消費に個体差が激しいことが改めて発見されたというニュースである。体力の消耗に個体差があるとどうなるか。ある個体は索敵とその捕獲を、他に対してより早く効率的に行うことが可能となるわけである。そして結果その個体の子孫の隆盛が用意される。適者生存、弱者必衰の原則である。進化論については、ラマルクの要不要説が見直されたり、両極端を排したどっちつかずの中間型こそ環境の変化に最も良く順応し得たのではないかという説が有力視されたりと、現況傍目には若干混乱気味のようにも思えるのだが、さて進化論とキリスト教的歴史観とは元々相容れないもので妥協の余地のないものであるから、どちらかが正しければどちらかは虚妄である。人が創造主=神を創出した際その場にあった全ての種は逆に創造主が並列的に一度に作り上げたものであると聖書は主張したが、出て来る化石も生物学の深化もおよそ『科学』と名の付くもの全てはその主張の誤謬性を指摘するものばかりだった。ローマ法王がついに進化論に屈したのは20世紀末のことであるが、その際にもスピリット(精霊・精神)は進化論の範疇には属さないと付言するのを忘れなかった。となれば、今や人間の精神のみがかろうじて『科学』なるものに対抗・屹立し得ていると言えるのかも知れない。 . . . 本文を読む
16/17日と京都祇園祭へ行った。宵山と山鉾巡行当日である。30年以上前宵山の夜に四条烏丸の近くの喫茶店で働いた経験があることは以前書いた。が、山鉾巡行は今回生まれて初めて見物させて貰った。今日の写真は、先頭の長刀鉾の巡行する様子で、これはキャノンのEOS10QD+EF80-200mmで撮ったものだが、この本体が訳有りのジャンク品で、大阪駅前の某カメラ店で2,625円(税込)で衝動買いしたものである。当然保証も無く、いつ壊れても文句は言えないし、だいたいが本当に写っているかどうかもDPEから帰って来るまで私には不明だった。作動がおかしいこともあったが、なんとか写っていてホッとしたわけである。で、どこが悪いかと言うと、シャッター幕の隙間から粘性のある黒い潤滑油が漏れ出て来るのである。これはキャノンが認めている構造的欠陥という話で、内部の部品が磨耗するとみんなそうなるということだった。油はフィルムを1本撮り終るごとに漏れているから、その度にアルコールで拭き取りながら『騙しだまし』使えばそれなりに使えるだろうと言われた。ただ一番の心臓部の欠陥だから、特に高速シャッターを切ったときなどに露出オーバー等の障害が発生するらしい。それで私の故障したEOS650(←キャノンが一番最初に発表したAF一眼レフで、これが或る日突然フィルムの上半分しか露光しない状態になってしまったので、それでこのままではレンズ2本とスピードライトが不憫と思って、ジャンク品を買う気になったわけである。)を調べたところ全く同様の油漏れを発見したので早速アルコール綿で拭き取った。さてセンキョ列島ニッポンである。宵山の日は新京極で共産党がビラ撒きをしていた。その小さなビラは片面が山鉾地図で、裏の政策面では京都民主党の某議員が自民靖国派と共に例のWP慰安婦意見広告を出していると指摘していた。聞いてないよ!山鉾巡行では、河原町通りの絶好の位置が空いていたのでそこに陣取ったら後ろが「お願いします!お願いします!」とやけに騒がしいのだ。見たら自民党の選挙事務所があった。暫く見ていたら如何にも保守的な面相をした(?)恰幅のいいおっさんが「自民党は嫌い!」とビラの受け取りを拒否していたから笑ってしまった。言ってみれば今のニッポンは欠陥製品である。漏れ出た油は拭き取らないと正常に作動しないだろう。 . . . 本文を読む
今日はサド・マゾの話。ぶひひ。私は以前「取り返しのつかない失態をやらかしたときは、まず自分で自分をあらん限りの罵詈雑言でののしり倒せ。そうすれば束の間の安心立命を得ることが可能だ」という4コマ漫画を描いたことがあり、この「サドマゾ一人芝居」的イラストは自分では結構気に入っていた。どういうストーリーか文字だけで以下追ってみると:1.自分のミスに気づいたときは、2.まず自分を思い切りののしるといい。「何をやらせても駄目な男(女)だ!」「アホ!ドアホ!ダアホ!」3.これで一時安らぎを得るが、4.但しあまり本気でやりすぎると、一層めげてしまう。←再起不能。・・というものだった。さてサドマゾだが、私はこれは程度の差こそあれ誰にでも備わっている性癖という印象が強いけれど、ムネオさんが暴露した外務官僚の「おしめ換えごっこフェチ」などは公金を使ってやるようなことではないだろう。小泉ポチの5年間にあれだけ苛め抜かれて尚「もっと苛めて!」とばかりに涎を垂らして恥じないわが国民はこぞってマゾヒストだということになるのだろうか?そう言えば以前きっこさんか誰かが流していた「小泉ポチ=サディスト」説はその後どうなったのだろうか?あれは、若き小泉の外遊は性的醜聞から逃れるためだったとか、小泉は酔うと銀座のホステスに顔から小便をかけるのだとかいった結構過激な内容だったが、ポチは告訴告発など法的手段は一切講じていないからには、裏に何か訴えられない理由があるんだと勘ぐるのが普通だ。我々一般大衆が下衆(げす)で下品なのはわかり切ったことである。w . . . 本文を読む
「治安維持法」を検索していたら「死刑廃止論」とか、袴田死刑囚他の「冤罪事件」や更には光市・本村さんの「もし裁判所が死刑を出さなければ、私は彼を殺す」発言等にぶち当たって、ちょっとこれは問題が大きく逸れ過ぎてしまい、困惑してしまいました。このところの死刑廃止論に立つと思われる弁護士先生方の法廷での主張を聞くと確かに変調ですが、かと言って「私が殺す」は言い過ぎではないか、罪刑法定主義の枠とは無縁の遺族感情最優先主義でいいのか、とか、死刑制度が殺人等重大犯罪の抑止に役立っているか、死刑は残虐な刑罰ではないのか、死刑制度のないイスラエルは「逮捕」などせず、直接パレスチナを攻撃して殺してしまうんだな、とか、ピラトは策を講じてイエスを助けようと(?)したら「磔にしろ!」という民衆の大合唱が巻き起こったんだなとか、まあ、連想~妄想の泥沼状態で、これでは日記を書けないから(!)スーパーとコンビニの話題を今日は少しだけ取り上げましたっ。w . . . 本文を読む
大型台風が来ています。最近の気候はメリハリが強烈過ぎて、寒暖の差も日照りと降雨の差も激しく、雨はまた局所的に(時間的にも!)集中する場合が多いです。緑の減少とCO2の増加で、あたかも地球全体が急いで光合成植物の出現以前の環境に戻りつつあるかのようです。アメリカも中国もインドも(勿論わが国も!)CO2排出の大国だし、「地球の肺=アマゾン」の緑は驚異的なスピードで侵食されているということでもあり、とりあえず「世も末かなあ・・」と私ら老人どもはポツリポツリと、あちらこちらで呟き嘆息するくらいしか能が無いのでありましょうか?わぁ~ん。泣。皆さんお気をつけ下さいな。それと今週末はどこも夏祭りが目白押しで、京都の祇園祭に行こうかどうしようか迷っている私には台風なんて想定外や! *で、なにせ「センキョ」の暑い季節でありますから「公職選挙法」などをちょっと調べてみようかと・・思ってはみたものの、誰か面白おかしくこの法律を解説してくれる人でも現れないことには、とてもじゃないけどあんな煩わしいだけの条文など読むの嫌ですわ。反吐が出そうだがねェ。年寄りは依怙地で我侭と、昔からそうなっておるのじゃよ。これが世の習い、世の常というものじゃと一人納得。ぷいぷい。 . . . 本文を読む
缶詰でも紙パックでも、食品関連は内容物の表示が義務づけられていて、ビタミンCと書いてあればビタミンCが(←『ビタミンC (Vitamin C、VC)』 は、水溶性ビタミンの1種。生体の活動においてさまざまな局面で重要な役割を果たしている。化学的にはアスコルビン酸のL体のみをさす。ヒトはアスコルビン酸を体内で合成できないため、必要量をすべて食事などによって外部から摂取する必要があり、ビタミンとして扱われている。一方、多くの動物にとっては、アスコルビン酸は生体内で生合成できる物質であるため、必ずしも外界から摂取する必要は無い。体内でアスコルビン酸を合成できないのは、モルモットやヒトを含む霊長類の一部などだけである。=以上ウィキペディアより。工場などでは通常白い粉末としてポリ袋に密閉されて1斗缶に入っている。)しっかり成分として入っているのが我が国では常識だが、これが中国となるといったい品質管理はどうなっているのか、製造者は無論のこと、当局のチェックもまったく信用に値しないというニュースが最近頻繁に飛び交っている。今朝のスーパーモーニングでは肉まん(関西では豚マン)の豚肉になんと、苛性ソーダで化学処理したダンボールを6:4の割合で混ぜ込んでいたというのである。しかも味はしっかりしている(?)ため、消費者はただ食べているだけでは全く通常の肉まんと区別出来ないというから我々はただただ唖然とするしかない。(←が、これは潜入ルポにしては話が出来過ぎているから、当局によるヤラセ=啓蒙ビデオの可能性もある、というのが中国から帰ったばかりの鳥越さんの指摘である。by報道ステーション7/12) *『自由主義経済』なるものは元来、こと経済活動に関しては『一種放任主義的無法状態』を理想とするため、この『自由』と『放縦=無法』のせめぎ合いを行政が適切にチェックしない(出来ない)でいると『何でもあり』のとんでもないひどい状態を招聘してしまうことは、我が国に於いても先のミート社事件が明示しているところである。中国はとなると、毒入り缶詰を輸出して結果他国のペットを多数殺してしまうなどという事態を、いったい誰が予測し得ただろうか?・・というところで、今日はロイター電の伝える今の中国を幾つか追ってみました。引用が長くなり過ぎたため、私のコメントは省略しました。あちゃ。悪しからず。w . . . 本文を読む
所得の不平等が日本では拡大している。労働市場が二極化しているというのである。OECDが指摘するのだから間違いない。笑。連合ら労働組合が格差是正を言い始めたのは極々最近のことで、それもどこまで本気かわからない。と言って、『クミアイ』などに今更期待する御時世でもない。産業構造が激変しているからである。農林水産業や工場生産に従事する人々はもはや多数派とは言えない。我々の大多数は今やサービス業や商業で日々糊口を凌いでいるのである。と、与党政治家や霞ヶ関官僚たちも言わば国民全体への公僕であるからには、これも一種サービス業に携わる人種である筈だが、彼らの場合自分たちとそのお仲間たちだけにはしっかりと、お手盛り・サービスを欠かさないが、その本分たる国民全体へのサービスはというと、どこかに吹っ飛んでしまっているのである。それもこれも因果応報、我々自身が極悪非道の自民党をここまでのさばらせて来た当然の報いである。 *何故これ程までに自民党は強力だったのか。事あるごとに『受け皿がない!受け皿がない!』と騒ぎ続けて来たNHKを筆頭とする御用マスコミの責任は無論小さくないが、問題はそこではなく、いよいよ階級分化が進んで一目散に『貧困層』への転落を余儀なくさせられている『車夫・馬丁の子』(←これはかの福翁の言葉で『一般民衆』という程の意味です。w)らが、この期に及んで尚もポチや安部ポンに誑(たぶら)かされることを嬉々として受け入れている点にあるのだ。あのナチスも『一般大衆』の圧倒的支持がなければ、あそこまで猛威を振るうことは適わなかったことを思えば、この呪縛を如何にしたら振り解くことが可能か、皆さんこの梅雨空の下、ちょっとは考えてちょうすか?(←何弁?)w . . . 本文を読む
先日取り上げた奈良本辰也編著の『日本史の参謀たち』だが、後半幕末期から明治開明期にかけての語り口が俄然熱を帯びて来る。明治15年17年のいわゆる『京城事変』で宗主国=清国に遅れをとった日本帝国主義は、対欧米の不平等条約からの脱却を目指して一路朝鮮経営を目指すことになる。彼ら明治元勲たちには、植民地の一つも持たないで欧米列強と比肩し得る近代国家たり得ないとの共通認識(狂信!)があったのである。幕末のいわゆる『尊皇攘夷』思想は紆余曲折の末『尊王(即ち倒幕だ)開国』へと宗旨換えしたかの如くだったが、これが明治20年代のいわゆる『国権主義者』たちによって復活(?)し、条約改正に対する『政府の弱腰』を厳しく追及して広く『国民(←但し納税している富裕層に限る)』の支持を集めていたという事情がこれに絡んでいる。明治27年(1894年)日清戦争は近代国家としての日本が初めて仕掛けた対外戦争である。それもかなり強引に喧嘩を売っているから後に『三国干渉』を招くことになるのであって、ここまで来ると第二次世界大戦までもう一歩だ。で、その流れはこうなる。→宣戦布告の二ヶ月前6/5には大本営設営。7/23京城王宮攻撃~占拠。7/25豊島沖海戦で海軍がまず清国兵と交戦。7/29陸軍大島旅団は清国陸軍の拠点=牙山を京城から出撃して攻撃。8/1宣戦布告。9月には大本営を戦場により近い広島へ移す。・・いや、歴史というものは連綿と繋がっていて、どこでどう切るということはなかなか難しいのだが、これが構造主義とかM・フーコーとかいうことになって来ると、「いわゆる『歴史主義』なんてものは胡散臭いじゃないか」「『歴史』なんてほんとにあるのかよ?!」となって来て、やあ我々はいろいろ大変だね。w
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