土曜日に行ったら飛田はガラガラで、しかもプログラムは在庫が切れたということでくれなかった。前日のサービスデーならまだあったのだろうか。200円も高い金を払ってプログラムも貰えないなんて、こんなことは初めてだった。泣く。で、映画は『王将』『陽炎4』『男はつらいよ(37作)幸福の青い鳥』の3本立てだった。 . . . 本文を読む
昨日二時半頃だったか、黒門市場の中を久しぶりに通ったら各商店は既に閉店前の割引セールを始めており、その額も半端じゃなかったのである。甘栗屋の親父は「もう滅茶苦茶。千円パックは300円でいい。二千円パックは600円だ!」と怒鳴りまくっていたが素通りする人が多かった。あんころ餅は通常315円のパックが150円、お菓子のデパートは1個105円のチョコフレークが3個105円だった。魚も漬物も惣菜も目に付くものはみんな安かった。黒門市場というとあまりおまけはしないという印象が強かったから、私は混雑を回避するため近辺を通るときは一本裏の路地を抜けることが多かったのだが、これからは方針転換しなければならないと思った。ぁそ。*私は先日吉野家の牛丼(並)を割引券を使って330円で食べたと喜んでいたら、今「牛丼戦争」は299円とかのレベルで展開されているということである。なんばの昼食も見た目580円とか550円とかの店が増えたように私は思った。そんなこんなで、これが即デフレスパイラルだと言っていいのかどうか知らないが、みんな生活が苦しいから削れるところは1円でも10円でも節約しようと努めている。売る側は生活者のこの態度を無視出来ないから、Gパンもボジョレヌーボーもお昼のランチも・・も、すべてが足を引っ張りあって極限までの値下げ競争を強いられているという現況らしいのである。そんな国の通貨が相対的に安定しているとして人気になっていると言うのだから世の中いったいどうなっているのか。ドル安はアメリカの国策で導かれている側面が強い。ユーロの没落はオイルマネーへの投機が主な要因だと言うことである。円は国内の借金(国債)はほぼ自分で保持していて(←誰が持ってんだよ!?)更には米国債も大量に保持しているという債権国=イスラエルとかに負けず劣らず立派な「金貸し国家」なのである、我々は。世界は随分捩れておりますな、ご同輩。「明治以来の国難だ、日本沈没だ」と騒いでいるのは我々貧乏人だけの話かも知れません。尤もその貧乏人が大半なのだけどね♪・・というわけで、事業仕分けが終わり枝野さんはポイントを稼いだ。蓮舫ちゃんは「イメージ付与」されてまるで悪者扱いだが、何も悪いことはしていない。思えば斉藤元次官という大物を郵政に抜擢したのも、この仕分けに財務省を駆り立てるという深謀遠慮が働いていたのかなということである。 . . . 本文を読む
京都の紅葉は12月初旬までがピークである。るんるん浮かれて出掛けて行ってもそこはうんざりするような混雑と渋滞が待ち受けていて、女性はトイレの行列に並ぶというお決まりの情景。それも毎日好天に恵まれると限ったわけじゃないし、穴場ったってあーた、あそこは全体が狭いエリアだし、嵯峨野なんて第一山の中なんだからね、ライトアップとかされてる特別の場所を除いたら「見頃は夜明けの6時過ぎから午後2時までや」と、どっかのおっさんが清涼寺の境内で言うてはりましたで。ぁそ。それでも行きたい人は行きたいのだね、これが。私もその一人で、何も連休の日に行かなくてもいいのに、昼得切符は土日休日だけしか「終日利用可」にならないもんね。あちゃ。で、23日も午後5時にもなると辺りは真っ暗で、私は今回は数箇所しか行けなかったけど、なぜか写真だけは365枚位撮りまくって来たので今アップするためそのサイズ変更とかに追われているのです。ああ忙しい、忙しいってか、人間することがあるうちが花ですな。これがやりたいことがなくなったら、人間死ぬまで何をしていたらいいのかわからんようになるごたるばい。(←何故かここだけ九州弁。)ぁそ。 . . . 本文を読む
小沢さんから強行採決に待ったがかかったというのはあり得べきことで、バシリと一発決めてから世論の動向を見てみようということだったのではないか。私なんかはジャコバン的だから(?)「自公が三分の二条項まで使ってあれだけ強行採決を連発したのだから、新政権がやっていけない道理はない。もっとやれ!どんどんやってうっぷんを晴らせ!」と思ったりしたが、なにせメディアにすっかり情報管理されている我々一般国民は、何事でも突出することを好まないよう飼い馴らされているかのようである。そうかと思えば例の「内閣官房報奨費」という名の内閣機密費である。そもそも「レシートなしで一ヶ月最低1億円が自由に使える」というこの制度の存在自体違憲の疑いがあるが、これを延々やって来たのが自民党である。昔ハマコーが暴露した「国対賭けマージャン」の資金の出処もここである。「対決法案は自・社の間では金で話をつけていた」というのがいわゆる「55年体制」の実情だったのであり、国会でしばしば展開された「乱闘」劇など、これ見よがしの猿芝居そのものだったわけである。金額に上限があるのかどうか知らないが、夏の総選挙で大敗した二日後に河村官房長官(当時)が2億5千万円引き出したというのも、まだ麻生内閣の施政が続行している最中だったのだから「合法」の範囲内であり(道義的批判はともかく)別にどさくさ紛れの「火事場泥棒」的犯罪行為に走ったわけではない。私の根拠無き邪推によれば、落選議員へのばら撒き等センキョの後始末に使われたのではないか?今度の内閣の官房長官も、機密費の公表に関してはもごもご歯切れの悪い発言に終始している。公約をここでも臆面も無く裏切った彼はその本質は自民党・河村と「同じ穴の狢」であるが、予算一般の決め方・使われ方にしても、こういうことが次々に明るみに出て来るだけでも民主政権の存在理由があるとしたものである。これまでがひど過ぎたのである。無論過大な信用は無用である。彼らのやっていることは自民党と大差ないのだから、自民崩壊の後はどうぞ勝手にこちらも崩壊して貰って結構なのである。 . . . 本文を読む
今週の飛田は寅さんをやらないから行く必要がないってか、最近寒いから外出は控え目にしたい。ぁそ。というわけで、今日の御題は火曜日に見た「寅次郎物語」他についてである。ところで、最近飛田では困った現象が起きている。上映中しきりにしゃべりまくる爺さんが幅を利かせているのである。以前は隣の席の爺さんに話し続ける婆さんがいた。今度は爺さんである。当然近隣の観客から苦情が出るのだが、全然収まらないのである。「出て行け」から始まって「殺すぞ」「殺せ。わしは死にたい。包丁はあるか」・・としゃべりまくりの爺さんは一歩も引かないのである。口論はどうせ口先だけのこととは思うが、こちらは画面に集中出来ないから大迷惑である。私が出て行って騒音公害の爺さんを引きずり出してやってもいいのだが、自慢じゃないけど私は喧嘩っ早い人間だから、口と同時に手も出るタイプなので困る。(はあ?)映画を見に行って「傷害罪」かなんかで留置場にぶち込まれたりしたら笑えないのでひたすら堪えているのである。あちゃ。今度そういう場面に遭遇したら受付を呼んでやろうと思う。受付は常時二人いるが、タバコを吸おうがゴミを散らかそうが一切無視しているから困る。サービスデーは変な客が多いから止めようかとも思ったりする昨今である。 . . . 本文を読む
これも民主党新政権の日和見主義故か、世の中急速に冷え込んで来て寒いったらありゃしない。困ったものである。岡田外相の「日米安保を前提とすれば沖縄県民には引き続き我慢して貰うしかない」などという発言は自民党旧政権以上に開き直っていて、「ばかやろう、だったらそんなことは選挙の前に言え!」ということなのである。岡田は「密約公開」も来年に先送りしてしまったとんでもねえ裏切り者・背信野郎だ!*ニクソンの頭越しの電撃訪中から米中国交回復を見ればわかるように、アメリカは極東戦略遂行上日本の政治的助力などは端から伝統的に必要としておらず、必要なのは沖縄乃至は日本本土の米軍基地だけなのである。日中国交回復などはアメリカの後を追って実現されたのである。中国もロシアも北朝鮮も、かかる金魚の糞的日本にアメリカとの駆け引きの間に立って貰いたいなどとはさらさら望んでおらず「あんた何なのさ!?」というスタンスであるから、はっきり言ってしまえば戦後一貫してアメリカの腰巾着・野幇間の役割しか担って来なかった日本の出る幕はいよいよ無くなりつつある現状なのである。かくなる上は「大東亜共栄圏」の再来かと言われもする鳩山首相の「東アジア共同体」構想を高らかにぶち上げるくらいしか我々の存在誇示法は見当たらないのではないか。「基地があったから(太平洋戦争で)真珠湾は真っ先に叩かれた(←更には米政府は敢てそれを黙認した)」という議論もあるように、沖縄の米軍基地などは県民は元より我々ニッポンジンには百害あって一利もない無用の代物なのである。朝鮮戦争を見よ。ヴェトナム戦争を見よ。在日の米軍基地はアメリカがアメリカの戦争をするために現状必要不可欠のものなのである。 . . . 本文を読む
cornerstoneという言葉をオバマが使ったというので、従来の「沖縄は太平洋のkeystone(要石)である」という言い方とどう意味が違うのかと思って「cornerstone obama」で検索にかけたら、これは今割合ポピュラーな言葉らしくいろいろな場面で使われていて、鳩山総理が使ったというニュースもあった。ちなみに「コーナー」とは「ホットコーナー」のコーナーであってcornerstoneも同じく「要石」と訳されている。メディアのみならず、拉致被害者家族会も、広島・長崎の両市長らもこぞって先のオバマ来日講演を歓迎しているようで、オバマを「褒め殺し」にする含意があるのかどうか知らないが、誉め過ぎではないかと思えて来る。彼が売り物にしている「核廃棄」の提言にしても、彼は自分の生きている時代には実現困難だと何度も繰返し言っていて、「それはあくまで理想論だ」⇒「理想論だから今急いでやらなくてもいいんだ」と「来世・彼岸」の課題へとぐんぐん遠ざけて行っているようにしか、私には見えない。「何であれ彼は屋根に上がってしまったんだから取りあえず梯子を外してしまえ」「よいしょして褒め殺しにしろ」という作戦?もあっていいだろうが、これは正攻法とは言えない。我々は何も従来の対米べったり派たちのように卑屈になる必要はさらさらないのである。お伽話はあくまでお伽話であってそんなものに真面目に期待する必要はない。*オバマの今回の、極東歴訪の順番というか順列組み合わせというか「優先順位」の立て方は巧妙だった。これが先に中国へ行って三泊したり、或いは日本を23時間の滞在で収めておいてその後直ちに中国へ向かったりしたらうまくなかっただろう。笑。近々GDP世界第二位に躍り出ようという中国は昨年の「北京オリンピック」に引き続き来年は早くも「上海万博」の開催と、今まさに飛ぶ鳥を落とす勢いである。「軍事部門」=「世界の憲兵」としての役割はアメリカに任せておいて、自分はまず経済的に優位に立とうという「国威発揚」戦略は(万事うまく行くかどうかは別として)したたかで巧妙と言うしかない。我が老人大国としてもこの大国の露骨なパフォーマンスを眼前にして、いつまでもアメリカの手駒・子分・イエスマンであっていいわけがないのである。 . . . 本文を読む
オバマは駆け足でやって来るが、何も訪日「専科」でやって来るわけではない。9日間の日程のうち往復二日は機上、在日は最初の一泊二日だけでその後ASEAN各国首脳との会談や北京観光もこなす(←中国には三泊四日である。観光するくらいならヒロシマ・ナガサキへ寄る時間くらい持てそうなものだというのが我々の抱く素人考えだが、これをやったらオバマに反感を抱く黒い勢力は彼を許さないかも知れないのである。プラハ演説は単なるお伽話に過ぎないと済ませてしまうことがあるいは可能であるかも知れないが、広島・長崎への訪問はその具体化への行動の第一歩になってしまうからである。)という分刻みのスケジュールである。彼は保険問題等で国内での人気が下降気味とは言え、痩せても枯れてもアメリカ大統領なのであるから「彼も人なり吾も人なり」ってか、我々もその辺はしっかり弁えてメディアの事大主義的大騒ぎに乗せられて足元を掬われないようにしなければならない。十年一日の如く「アメリカの金魚の糞」を志向する連中が主張するように「日本がアメリカに見放されたら困る」のではない。そんな論理はチャンチャラおかしい。その逆である。今やピンチなのはアメリカなのである。経済問題一つとってもオバマは日本と中国双方に「いい顔」をしなければならない。問題は鳩ちゃんがどれだけ言えるか、である。その点では私はこのところ急速に「野太鼓」風に変身・転進した感のある岡田外相なんかより、「過去の論文が米国で物議を醸した」という「前科のある(!)」鳩山総理の方が遥かに有望のように見える。せっかくの政権交代である。そろそろアメリカ側が一瞬ムカッとするようなこと⇒従来の自民党政府では逆立ちしても言えなかったようなことを幾つか言ってやっていい「好機到来」なのではないか。ここらで一発かましてやった方が沖縄県民もしばし溜飲が下がるというものである。 . . . 本文を読む
最近の私らは民主党には落胆に次ぐ落胆の連続で、民主党と雖も一つのシステムに過ぎないのだから「二枚舌」を使っていれば当然「国民の視線は厳しい」(←社民党のハネッ返り娘・辻元)という事態を招くのである。もはや彼らの日常的常套手段となった感のある「公約違反」連発の行着く先に来年は沖縄の各種地方選が待っているから、私はそこで沖縄県民の痛打痛撃を期待している。「舐めるなよ!」と一言言ってやって欲しいのである。私自身もかくなる上はそろそろ応援団廃業である。既にもう無理して(かどうか)さんざん応援してやったのだからいい加減潮時だろう。自公支持に回るわけではないがお役御免である。wそういうわけで小沢さんは高野山へ行って仏教界のトップと時間オーバーで歓談したらしい。「キリスト教社会は行き詰っている」と記者団に語ったらしいけど、本当にその通りだと私も思う。「イスラム世界との非和解的対立」と言っても、元を辿れば2つの宗教は双子みたいなものだから両者の関係は「近親憎悪」みたいなものなのである。ユダヤ教だって同じことだ。仏教は彼らとは全然出自が違う。ここは押せるところだ。私は今の民主党は嫌いだけど、小沢さんは冴えてるし、いいと思う。笑。「目の前の参院選に置ける仏教会の票が欲しいだけだ」などとさもしたり顔で指摘するメディアの方がおかしいのである。卑しくも政治家なるものが何か選挙の票以外のものを求め始めたらそれこそおかしな話で危険の兆候である。自民党と仏教会との間のこれまでの「癒着構造」は改められるものなら改めた方がいいに決まっているのである。政治は「日々少しでもベターなものを」と、これしかないのである。ぁそ。 . . . 本文を読む
さて、いわゆる「文明の衝突」の問題である。歴史を紐解いて十字軍を見ればいい。どっちが正しくどっちが間違っているなどということは一概に言えないのである。なんとなれば、どこに視座を置いて見るかによって「世界の見え方」は自ずと異なって来るからである。只一つ言えることは、『イスラム社会対西欧社会の非和解的対決』乃至は『アラブ対イスラエルの非和解的対決』⇒「どちらが聖地エルサレムを占有するか」などを言うのであれば、その結果を決めるのは「力の強い方が勝つ」即ち「より多く敵を殺し敵にダメージを与えた方が勝つ」ということだけである。人類の歴史がどれだけあるか知らないが(!)我々の知的水準はその程度のことなのである。だから、幸か不幸かイスラム教徒でもキリスト教徒でもない不信心でアッパラパーな我々としては、出来ることなら「君子危うきに近寄らず」を第一として遠巻きに「無益な殺し合いはお止めなさい。もうそういうことはお止めなさい」と説得力があろうがなかろうが、口を酸っぱくして言い続けるしかないのである。今アメリカの軍需産業はいったいどうなっているのか。ヴェトナム戦争のときと同様、相も変わらず自国の若者たちの生血を吸って成長を遂げているのではないか!?オバマが来日を延期せざるを得なくなったあの米軍施設内の銃乱射事件は何だったのか。13名の米兵を基地内で無差別に射殺した軍医はイスラム教徒で、近く中東へ派遣されることが決定して悩んでいたと言う。彼は国家に対する忠誠と自己の思想信条の自由との間で板挟みとなってのっぴきならないジレンマに陥り自己同一性が引き裂かれ破壊されてしまったということは容易に推測出来る。国家と雖も1つのシステムに過ぎないということであれば畢竟我々に残された最後の指標は「敵は制度、味方はすべての人間」(埴谷雄高)というスローガン以外にないのである。 . . . 本文を読む
某国営NHKが恣意的に中継したりしなかったりする衆院予算委員会中継であるが、視聴率は同じ6%台で高かったとはいえ小泉ポチの郵政選挙の時刺客だチルドレンだと騒がれた当時には及ばなかったそうである。もう国民一般に於かれては「あれ」以下の関心しかないのかよ!?どこが「平成維新」か!?世論は冷めかかっている。私は内閣官房のメールマガジンを購読開始したっちゅうのに!・・というわけで普天間の県外移設は何も自公が掲げた政策ではない。民主党の選挙公約である。それを岡田は勝手に「現実的でない」などと言い出して恥じない。嘉手納だって人口密集地に隣接している。辺野古と事情は変わらないのである。あまつさえ米軍とその太鼓持ちたちは「有事の際嘉手納が使用不能になったらどうする?」などとまで言い出している。「有事」という仮定は軍人とその野太鼓どもの飯の種である。ふと私は、嘉手納の代替地として格好の空港が本土に数あまたあることに気づいた。他でもない自公政権が造りに造った不要不急の民間空港が、茨城・静岡・神戸・・と幾らでもあるじゃないか。JALを始め民間が「要らない・乗り入れない」と言っているんだからあんなものは米軍に提供するぐらいしか使い道がない。あとはペンペン草が生えるだけだ。私ってば「あったまいい!」ってか、『サラダ記念日』で寅がマドンナたちを送り出すとき源ちゃんに「矢切の渡しに乗るくらいはいいが、万が一舟が転覆したときはお前が犠牲になって一人死ね」と言ったように(!)この際無用の地方空港などは「人身御供」としてみんな米軍に貸し出してしまえばいい。これぞ『究極の思いやり予算』だからオバマちゃんも逆立ちして喜ぶだろう。でも関空はアカンよ。あそこは「関西のハブ空港にする」って橋下知事が言ってるからねっとんとん♪ブルルッ。あちゃ。マージャンだってチョンボは満貫払いである。(はあ?)自公と官僚どもの口車に乗って不要不急の空港を造り続けることを容認した無定見な地元住民たちは、責任を取って沖縄の米軍を全て受け入れて日夜騒音に苦しみ、事故突発の恐怖に怯えたらいいのだ。米軍の鉄条網のすぐ横には自称「防衛通」の石破や参院予算委員会で矢鱈態度のデカイ川口順子あたりを強制移住させてやれってんだ!「沖縄が帰って来ない限り戦後は終わらない」のではなく、「沖縄から米軍基地が一掃されない限り戦後は終わらない」のである。 . . . 本文を読む
自民党は論外として予算委員会であるが、在日沖縄米軍撤退駄目、官僚支配・天下り撲滅駄目、マニフェスト実現駄目、霞ヶ関大掃除駄目・・と、あーた、私は民主党なんて最初っから全く期待してないし信用してないからいいんだけど(つまり私は何を隠そう「支持政党なし」の「無党派層」で選挙となれば「浮動票」と呼ばれる「只の浪花の偏屈爺さん」に過ぎないのである。←ちょっとパクッた。あちゃ)それにしても情けないダメな人たちだねえ!笑。うだうだ言い訳ばかりしやがって!うそつきめ!我々は「初めてのお使い」だからしゃあないわとすべてを大目に見てやってるんだぞ。ぷいぷい。それがわかってるのかね、あの連中は!?『平成維新』だの『無血革命』だのと何も出来ない何もしてないうちから大風呂敷拡げ過ぎじゃないか。昨日四日最後に質問に立った「みんなの党」の渡辺代表には「言ってることとやってることが全然違う」から「零点だ(!)」とまで言われてしまった。あちゃ。民主党政権は「存在するだけで意味がある(!)」と私は思っているから零点だとは言わないが、こんなことを続けていると支持率ダウンは必定で「鳩山不況」などを口実に、まさかまさかの早期解散にまで追い込まれかねないではないか。かつてドイツ方面のF・ニーチェとかいうお方は「私は縄を綯う人のように生きたくはない」つまり「ズルズル後ずさりしながら生きながらえるなんて真っ平御免だ」と言い放ったらしいが、民主党・鳩山政権は何を言われてくさされようが、アホだ、公約違反だとケチョンケチョンに貶されようが、「取りあえず四年間だけは生きながらえよ!」と声を大にして私は言いたい。ぁそ。あざとく意地汚く延命して、最低四回は予算を組んで執行し、それをもって「自民党と自民党的なるものを一掃せよ!」「政財官の三位一体構造を破壊し尽くせ!」そうなれば少しはこの老害大国もまともになろうというものである。斜陽と言われたヨーロッパ諸国もみんな旧弊を打破して危機を乗り切ったのである。遅れ馳せながらうちらも自己改革するのである、我らの子孫のために。あっそ♪ . . . 本文を読む
世の中急に寒くなって、飛田では暖房も入ったりである。関西の紅葉は11月下旬からだというのであるが早まるだろうか・・。今回の飛田東映は「男はつらいよ第40作サラダ記念日」「無宿(やどなし)」「陽炎3」の3本立てだった。「無宿」は夏の海がきれいだった。*あと京都弁の三平ちゃんがとらやの店員になるのはこの回からで初対面のさくらに「長続きしてね♪」と励まされたりする。 . . . 本文を読む
『アメリ』をGYAO!で見たが、私はこれを以前どこで見たんだろうと考えて、ああこれも『試写会』が当たって見に行ったんだなと思い出した。昔は深夜テレビのスポットを目聡く見つけてはあちこちマメに応募していたもので、毎回ではなかったがよく当たっていたのである。出掛けて行って列の最後尾に着くと、中には諸所から私の知らない映画の当選通知を蒐集して何枚も持っているマニアックなOLがいたりして、唖然としたりしたものである。で、『アメリ』であるが、小石を拾っては「水切り遊び」用にポケットに入れて取っておくという『一人遊び』が好きな22歳の女性が主人公のラブ・コメディ(?)で、主人公のアメリを演じたオドレイ・トトゥはこの映画の大ヒットで俄然脚光を浴びたわけであるが、何しろアメリが彼女に付与したイメージが強烈過ぎて、なんか以降の作品では存在感も感じられずパッとしなかった印象がある。でも私が見ているのは『ダヴィンチ・コード』くらいのものである。『アメリ』はパリ・モンマルトルのカフェや八百屋や安アパートで暮らす人々の織成す人間模様を描いた映画だが、登場する『普通の人たち』というのはよく見るとみんな一様に風変わりで偏屈な『変人』揃いで、監督の描き方次第では充分オカルト的怪奇映画にも成り得た作品である。人間一人一人をつぶさに見て行くとみんなどこか曰くありげでいぶかしげでいかがわしい存在なのである。アメリの極私的で自分本位な『いたずら』にしても、あれは皆刑法に触れる犯罪ではないかと思われる。笑。つまりこれは監督以下スタッフのいわゆる「遊び心」が炸裂した映画で、遊んでいるのはアメリという主人公というよりもむしろ彼女を使って「楽しい映画を作りたかった」と告白している監督自身だったろう。オープニングの出産シーンもそうだが、全ての指に差した苺を幼いアメリが順番に食べて行くシーンなどは私には衝撃的でさえあった。「自殺志向」かと想像させる「免許写真マニア」の挿話は何度見てもおかしいし、あと状況設定で言えば、野菜の戸別配達を請け負っている八百屋の店員が、配達先の各戸の合鍵を預かっているという習慣はまだ彼の地では残っているのだろうかという点も私には気がかりだった。家に鍵はかけないという一種「信用」を機軸とした「日本の田舎」(=ムラ社会)を私は連想したのだけれど・・。 . . . 本文を読む