本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

侍の経済効果。

2009-03-24 23:57:47 | 社会
世に「人間の顔が見えない資本主義」などと言うが、それは当然で人間の顔をしていたら「人間主義」だろう。笑。私は寡聞にして「人間主義経済」なんて言葉は聞いたことがない。この社会の経済の主役は「資本」即ち「貨幣」である。株だとか債券だとかは貨幣の変態した姿である。しかしながらこの資本主義=キャピタリズムなる呼称はあまりに露骨だから体裁が悪いというので通常「自由主義経済」などと呼ぶが両者の内実に相違があるわけではなく、我々の社会はぶっちゃけ「金勘定を諸事万端全てに優先させ、その他のことは二の次に置き二義的に考える社会である」と言える。文化伝統や風俗習慣等は採算が合わなければ早晩仮借なく淘汰される社会なのである。その際近経の「傾斜」ではないが、富の分配がうまく行かず偏りが生じた場合、国家権力の発動によって若干手直しを加え、救貧(経済弱者救済)等言わば「社会主義的諸政策」を適用することによって「急場凌ぎ」を繰返しつつ更なる前進を試みるというのが「自由主義経済」なるものの「素顔」なのである。いわゆる「景気」なるものは循環するから、その度に通常「富の偏在」は顕著になり、そうなれば「再分配の必要性」というのも循環してやって来るわけである。これが今人類の到達した一番賢明で最善の経済体制ということになっていて、可も不可もなく世界を覆い尽くしているが、所詮は自然過程として取り込まれた緊急避難的処方箋だから当然欠陥も多い。私などは天邪鬼だから目を凝らしても欠陥しか見えて来ないが、「じゃあ他に何があるか?」と問われても即答不能である。「貨幣は人類究極の発明である」と、今のところは言っていいのではないか。猿でも蟻でもいいが彼らの社会は貨幣までは持たない。そして貨幣経済を全世界規模で運用している以上、現今の経済体制に辿り着くのもまた自然な推移のように思われるのである。昔戦時下のヴェトナムに隣接したカンボジアで「ポル・ポト政権」という外部からは見え難い一種の軍事独裁政権が樹立され、彼らは「ジャングルに貨幣は必要ない」と称して「貨幣経済」を止揚する政策を打ち立てたことがあった。私も衝撃を受けその後の経緯を注目していたが、彼らは貨幣や私有財産に拘る一般市民らを情け容赦なく無差別虐殺していたことが後に明らかにされた。「経済体制を権力の発動によって一気に転換することは無理だ」ということだと、そのとき思った。 . . . 本文を読む