本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

07年末はテレビでも見る?

2007-12-30 10:37:38 | 
近くのホームセンターでアナログテレビを買った。ステレオではないから赤、白、黄色の外部配線のうち赤いプラグは不要という奴である。あちゃ。でも三年後の地上波デジタル化の際にはアダプターを付ければそのまま使えると書いてあった。ぁそ。表示価格は10,230円だったが大混雑のレジへ持って行ったらなぜか8,800円だった。ラッキーッ!てか、本当は天王寺駅ビルのナカヌキヤへ(メーカーは不明ながらサイズが同じの)14インチアナログTVを見るだけは見ておこうと見に行く予定が、途中に寄った店でなんとなく買ってしまったのである。ナカヌキヤは定価11,000円以上だったから大分安かったことになる。初めセットしても全然映らなかったからヤバイと思ったが、アンテナをいじったら何とか映るようになったのでそれからは寝るまでずっとテレビを付けっぱなしだった。あちゃ。もう二、三年になるだろうか、自室ではテレビを見ていないから実に不思議な気分だった。それにしても改めて見ると14インチのテレビってほんとに小さいのだが、昔東京とかの安アパートに生息していた頃はこの大きさが普通だったのだから時代というものを感じてしまう。テレビ番組表なんかはwebで見ればいいんだけど気分を出すために(はあ?)『月間ザ・テレビジョン』の正月版も買って来た。で、夕方六時過ぎからいよいよ見始めて、ニュース、志村動物園、必殺仕事人SP、ブロードキャスター、チューボーですよと来て、その後007/ムーンレイカーの途中まで見て電源を切った。ほんとは他の映画も見たかったのだが流石に目が疲れた。私は「年末年始はテレビでいい映画をやる」と思っている古い人間だから、体調不良で小旅行の希望が持てない今年はテレビ三昧を視野に入れているわけである。と言っても、明日大晦日と元旦はテレビではいい映画はやらないということになっているから(はあ?)無料映画を見るならGYAOかYAHOOがいいだろうと、そんなことを考えながら、今は関口宏のサンデーモーニングを見ている。例年同様帰省ラッシュと海外逃避者らが各種交通機関を埋め尽くしているらしい年末である。 . . . 本文を読む

邦画2本。

2007-12-29 14:14:22 | 
『トビタシネマ』『飛田東映』は年内は今日29日で終わり。12/30.31-01/01まで三日間閉館である。閉館中に館内の修理~改装等手がけるかと思いきや、金がないのか毎年ほったらかしなので、今年も壊れた椅子とかはそのままだろう。あっちゃ。blogでも立ち上げてプログラムの予定とかを公開したら良さそうなものだけど、客層がPCなんか持っていそうもないということなのか、全然そういう方面は商売熱心じゃないんだね。客が少ない日なんか「こんなんで従業員の給料払えるんだろうか?」と私など心配になって来るが、従業員が逃げたなんて話は聞かないからそこそこやっているのだろう。昨日は今年最後の500円サービスデーということでお客は多かった。私がこの映画館で一番嫌なのがタバコである。一人が吸い出すとあちこちで喫煙が始まるのには閉口する。上映中ゴホゴホ咳をしながらでもニコチン中毒者は喫煙し、根元までふかしてその場に投げ捨てる。明白な消防法違反だが、注意したりすれば客が逃げるということか、従業員は幕間のゴミ掃除しかしない。というわけで、来年もまた500円の日に行くつもり♪ぁそ。 . . . 本文を読む

沈黙の傭兵他。

2007-12-28 11:16:55 | 
昨日27日、『夕刊フジ』の大見出しは「小沢民主に内紛」で『日刊ゲンダイ』の方は『橋下四面楚歌』だったから、私は躊躇なくゲンダイを選んだがこれはちょっと失敗だった。というのも、大阪府知事選の記事は(見出しは関西版だけのサービスだったのだろう)探さないとわからない程小さな扱いだったからである。これだったら福田訪中に標準を合わせたフジの提灯記事でも良かったと思ったがこれこそ『後の祭り』というものだ。あちゃ。今朝のたまちゃんのスーパー・モーニングでは大阪府知事選の三人の候補者が出ていた。大阪は5兆円の債務があって、都道府県で唯一収支がマイナスに転落している自治体なのだそうである。「このままだと『第二の夕張』になる」などという言葉も番組内で聞かれた。ゲストの自民御用学者は橋下にばかり話を振ってなんとか劣勢を撥ね返そうと姑息で醜い手を使っていた。当の橋下は「議会多数派たる自公の支持がなければ政策は実現出来ません。私は与党多数派と政策協定を結びました」などと偉そうにのたまっていたが、ばかやろう、その自公の「支持」がなければそもそも大阪府にして5兆円、日本一国にして800兆円の債務など発生しなかったんだ。第一自公はいまだお前を推薦することに尻込みしてるじゃないか。お前みたいな嘘吐きは選挙に負けた後も、もう二度と公共の電波に乗って来るんじゃないぞ、ボケが!・・とまあそういうことだが、最近の大阪に於ける民主党の台頭を意識した橋下は「無駄使いをなくせ」と心にも無い「民主党的政策」を殊更に強調し、これとは逆に、関西財界からの支援も受けたい民主党候補は「経済の活性化で一人当たり50万円の所得増を実現する」と財界がにんまりしそうな政策を訴えていた。共産党候補も弁護士だが、彼はスタートは一番早かったが所詮は3番手という評価だろう。しかし彼が大きく票を伸ばして民主票を食い破るという一種非常事態に至らないと橋下の当選は考え難いのではないかと私は思っている。根拠はない。w . . . 本文を読む

『300』+邦画2本。

2007-12-27 06:14:34 | 
また今日も映画ネタです。毎週6本ずつ名画座で見ているからどんどん消化して行かないと(はあ?)間に合わないのだ。汗。他にもPCでヤフー動画やGYAO映画も見ているけど、とてもじゃないが取り上げていられない。つまり目下私はブログネタが過飽和状態なのです。ぁそ。で、今回はまず『300(スリーハンドレッド)』という紀元前のスパルタの軍記映画を取り上げます。私は元々封切りやロードショーには縁遠いいつも金欠状態の人間で、もっぱら名画座とか学祭巡りが得意でしたが、映画って昔は当たった映画は一時秘蔵しておいて、頃合を見計らって再びロードショーにかけて儲けるというパターンが確立していたように思うんだけど、今は生産過剰なのかそんな流暢なことやってる時間がもったいないのか、当たった映画であろうがなかろうがどんどん二番館、三番館(←そんなの今あるかぁ?!)へ流されて来ているようで、この『300(スリーハンドレッド)』という映画も今かかっている『スパイダーマン3』も、なんと今年07年に公開されたばかりの湯気が出ているような映画なのですね。他の名画座知らないけど、東京~横浜あたりの映画事情は今いったいどうなっているんだろうか。尤も私に言わせれば東京なんかはあまりにも広過ぎるから、いい映画がかかっていてもそこへ行くための時間や交通費がかかり過ぎる感じがするけどね。映画見るなら京都や大阪に住んだ方がベターかな?ぁそ。笑。というわけであと邦画も二つ軽く取り上げてみます。 . . . 本文を読む

映画と現実と。

2007-12-25 14:04:01 | 
今日は衝撃の映画『イラク 狼の谷』と、もう一つはぐっと身近な西成の救霊教会に於けるクリスマスコンサートの話題です。つまりキリスト教社会とイスラム教社会との血で血を洗う抗争の一端を私の日常の中から大胆にも素描してみようという身の程知らずのトライアルであって「うまくいったらお慰み♪」てなもんです。ぁそ。で、映画の方は米軍への復讐心に燃えるトルコの諜報員が主人公のアクションもので、これにクルド人問題も絡んで来る『分割せよ。而して統治せよ』を絵に描いたような映画ですね。最近はヴェトナム戦争を初めとして血生臭い現代史ものにもどんどん映画が進出して来ているから、何がフィクションで何が現実か、まごまごしていると万事わけわかんなくなりそうだっちゅうの!それでなくても『事実は小説より奇なり』でもって下手なフィクションなど足元にも及ばないような事件、事件、また事件の連続ですからね、「ああ師走の我が老大国(?)日本よ、どこへ行く!?」ってなもんだわさ。あっそ♪ . . . 本文を読む

『絆通信135号』から(6)。

2007-12-23 15:09:10 | 社会
今や崖っぷちの福田首相が薬害肝炎患者の一律救済を決断したそうである。内容にも拠るが元々金がないことを理由に人の命に線引きする事に無理があるのだから何はともあれ結構な「ご決断」であるが、これを『議員立法でやれ』と言ったところが味噌だ。「高裁の顔を立てる余裕などない。霞ヶ関に任せていたらなんたらかんたら長引かせるだけだから、早急に国会で決めてしまえ。さもないと政権がもたない」という『高度に政治的な判断』が働いたのである。一方今頃になって田原総一朗は何を思ったか『大連立小沢辞任劇の真相』などという時節外れの小論で「いずれ時期が来たら全部書く」とほざいているナベツネのお先棒を見事に担いで何かを言ったつもりになっているが、人間落ち目になると万事ピンボケになってしまうようで、これは最早老醜老害の一歩手前と私は見た。大連立でも小連立でもいいがそれはあくまで「戦いの結果」生じることであって、闘いもしないうちから、まして新聞屋や「とっぽい」ジャーナリストどもがああだこうだ言う筋合いではないのである。私は思うのだが、最初から何が何でも自公寄り自公支持の産経・読売はまだいいとして(はあ?!)問題は朝日と毎日である。彼らには基本的スタンスというものが全く欠如しているから、彼らはこの間自公政権を持ち上げてみたかと思えば一転くさしてみたりの連続なのである。基準は何かと言えば一に『世論』だというのだがこれは眉唾ものだ。どっちがどっちの動向を窺い、さてどうしようかと思案投げ首しているかわかったもんじゃない。宮崎哲也その他にしても全く同様で、奴らは周囲の様子を窺うことにますます長けて来ている。『自分の意見を持つことが重要だ』などと、我々は中学・高校の頃から仕込まれて来ているわけだが、いったいそんな奇特な人がこの国に何人いるだろうかと思わず疑ってしまいたくなる今日この頃ですが、皆さん如何お暮らしですかって、またきっこっぽくなってしまいました。ぁそ。 . . . 本文を読む

『絆通信135号』から(5)&清和会・町村派。

2007-12-22 05:35:18 | 社会
清和会の政治が続いている。自民党政治というよりも「お化け派閥=清和会」の政治だ。森が最後は5%の支持率で事実上失脚した後、旧来の自民党だったら「森が駄目なら橋龍で行こう」となる筈だった。しかし大本命の橋龍を打ち負かし圧倒的劣勢を見事に撥ね返して森の跡目を継いだのは「(構造改革に応じないなら)この私が自民党をぶっ壊す!」と絶叫しつつ大見得を切った「稀代のペテン師」・「ワンフレーズの口舌の徒」=小泉ポチだった。彼はそれまで他ならぬ森派の会長だったのだから、森に責任があるのなら小泉にも当然責任の一端は背負って貰わなければおかしい理屈だが、そんなことは一顧だにされなかった。この時点で自民党は事実上清和会の独裁する政党へと変質し、メディアはあろうことか「国民の支持」を口実として、こぞってこれに太鼓持ちよろしく無思慮に追随しおべっかを使った。マスコミもこのとき本質的には「壊れた」と言っていいだろう。以後は同じパターンの反復である。森が駄目なら小泉、小泉が後始末をつけられなくなると「若きエース」安倍ポンの登場で、この「安倍無能内閣」が不祥事の連鎖で命運尽きると今度は目先を変えて(同派閥とは言いながら安倍とは距離を置いていた)「ぬらりひょん=福田」と、これ全部清和会であって何か一つでも「構造」が変わったかと言えば何も変わっていない。マスコミの度重なる破廉恥な援護射撃もあって、我等国民は一杯も二杯も食っている。他の派閥はというと、森ー小泉の『チーズ・ライン』にいいように丸め込まれて異論一つ言えないという一種異様な状況が延々と続いている。党内だけならまだしも公明党という『友党』もまた余程おいしい目に会っているのか、大奥の茶坊主・冬柴を先頭にまるで清和会の飼い犬同然である。今肝炎訴訟と年金の公約違反で福田の支持率急降下だと言うのであるが、元々『チーズ・ライン』の窮余の一策によるリモコン首相に過ぎない福田に40%を越える支持率を齎したのは世耕らに巧みに操作~誘導されたメディア自身だったのであるから、こんなのは「行って来い」に過ぎない。落ち目の自民党のそのまた一派閥に過ぎない清和会がこの国の政治を牛耳って「望月の欠けたることのなきを想えば」とばかりに「我が世の春」を謳歌しているという非常事態にも大マスコミは全く無批判に追従するだけである。というわけで、今日は『絆通信135号』の続きです♪ . . . 本文を読む

webが危ないってか、NHK等の放送禁止用語。

2007-12-21 06:24:47 | 社会
「あまのじゃくだと塞翁の女房言ひ」という古川柳を12/19読売の編集手帳が引用していた。「人生万事塞翁が馬」のあの塞翁(←これは「田舎の爺さん」という意味だ)の古女房が「あの人は(先見の明があるだなんて世間じゃ言われてるけど)ほんとは唯の天邪鬼だよ、臍が曲がってるだけさ」と言ったというのである。今この言葉は「先見の明」云々よりも単に「人生何が幸いするかわからないもんだ」という意味で使われることが多いようだが、いずれにせよこの故事には「行き当たりばったり、出たとこ勝負」型の人間たる私には何の異存も違和感もない。編集手帳氏はこの後『偽』という今年の言葉の話題に移って行ったが、それだったら「フィクサー気取りだと部下の記者が言い」くらいは捻ってみたらどうだ。ナベツネを筆頭に、今この社会では如何にもいかがわしい魑魅魍魎どもが跋扈し始めているが、問題はこれに加えて、例えば不祥事続きの警察が自分のことは棚に上げて我々のwebに大網を被せようと悪虐非道な試みをしているように窺われることだ。「まだまだ当面は大丈夫さ」と思っている向きもあろうが、こればっかりは「網」が十二分に我々の頭上に覆い被さってしまった後からでは手遅れだ。メディアのいわゆる「放送禁止用語」もあれはいったい何だ?!自分で自分の首を絞めて、言語・文化の圧殺に走っているのではないか。今や私が幼少の頃は普通に使われていた言葉までもが駄目出しされ古典落語はみんな引っ掛かってしまう。私のblogもこんな基準で規制されたら事実上記述困難になる。私の12/17~18のこのblogには「放送禁止用語」が幾つか混じり込んでいるが、私のblogは公共放送ではないし、元々私自身が自分で不適切と思われる表現は自粛しているから誰にも「いちゃもん」(←これは放送禁止コードらしい)をつけられる筋合いではないが、楽天日記はこれを連日「禁止コード」呼ばわりして露骨に投稿を妨害して来たので当面楽天からは撤退することにした。何も検閲されてまで好んでblogを書く理由は目下私にはないが、もし今後もインターネットへの権力の介入が続くようならそんな暢気なことも言っておれない。「もの言えば唇寒し」は既に始まっている。双方向性の時代に先立って「web禁止用語」などというものが常態化しないよう監視して行きたいと思う今日この頃ですが、皆さん如何お暮らしですか。 . . . 本文を読む

警察は大丈夫か?!

2007-12-20 11:22:32 | 社会
『なんでおめえはテレ朝のことばかり書くのか?!』と先日知り合いに言われたが、別に私は専属モニターでもないし報酬を貰っているわけでもないが他の局は見ていない(正確には聞いていない)から仕方ないのである。テレビがあればザッピングは得意だから他局でもいいけど、安物ラジオではいちいちチューニングするのが大変てか事実上無理だ。それに他局ったって『読売』はナベツネだし『毎日』はオウム以来不信感一杯、『産経』なんて靖国『参詣』新聞(←ビル・ゲイツのアホ!)だしね、どこもパッとしないのだ。じゃ、あれがいいかな?『テレビ東京』。あそこは『日経』だもんね。というわけで、『朝日新聞』には定期的に『msf(国境無き医師団)』の広告記事が掲載されているということなので、それだけでもあの『菊のタブー』の新聞にも幾ばくかの存在価値はあるというものだ。そこでまたテレ朝の話になるんだけど、先日の『スーパー・モーニング』における鳥越さんの愛媛県警取材は出色だった。仙波さんという「万年平社員」(巡査止まり)の人の内部告発に県警が組織的に報復していたという話である。彼は「犯罪を犯すのは嫌だ」という一点で領収書偽造を30年間に亘って拒否し続けて来たわけで、偽造を断る度に「お前は組織防衛に協力しないのか」と配転された。新しく出来た庁舎の一室に古机一式と共に放り込まれて、与えられた仕事は2週間に8行のワープロ打ちだけということもあったとか。職員食堂へ行けば他の者らは一斉に固まってしまって談笑するどころの話ではない。彼と話したりしたら自分が署内で村八分になるというのである。上司が行く先々で彼に命じたという領収書偽造は、電話帳から任意に抽出した事業所とかの架空の領収書を作成し、浮いた金で身内の栄転や退職の祝い金を捻出しようというもので、これって犯罪そのもの、どこが「組織防衛」か。しかも部内の者は皆そんなことは先刻承知というのだから開いた口が塞がらない。公文書偽造、公金横領、詐欺、警職法違反・・貰った祝い金で家を建てた退職警官には当然申告漏れ脱税疑惑もある。鳥越さんはまだ他にも犯罪を指摘していたが何分数が多過ぎて私は覚え切れなかった。あちゃ。愛媛県警って犯罪醸成所か?そういうわけで、鳥越さんも『たまちゃんにこにこモーニング・ワイド』的テイストには染まらずもっと頑張って貰わないといけない。他にいないんだから。ったく。 . . . 本文を読む

今日も映画ネタ。

2007-12-19 11:01:09 | 
今日も映画ネタですが、趣向として他所からネタばれ記事を少しだけ集めて来ました。まあ、確かにこれくらいのことは書いた方が読み物としては面白いだろうけど、映画は読むものじゃないからね。もっと言ってしまえば、映画はほんとはDVDで鑑賞するよりも映画館でってことなんだろうけど、みんな忙しいからそこまではね。ぁそ。 . . . 本文を読む

『絆通信135号』から(4)&猟銃乱射。

2007-12-18 13:57:52 | 社会
佐世保の事件だが、ここへ来て殺害された26歳の女性インストラクターへの一方的な「横恋慕」説が浮上している。「ストーカー」という言葉も使われ出した。二人を射殺した後教会の裏で自殺した彼は、プールで泳ぐ彼女をガラス越しに熟視していたところを目撃されている。被害者が他の男性と二人でいるところを彼がじっと見つめている場面も目撃されている。彼が新たに就職した警備会社では、彼女の水泳教室のある金曜日に休みを希望していた。スポーツクラブには6月に入会し、最近は毎日のように通っていた。無職でありながら、親父の退職金で木の船を買った。(釣りが趣味ということである)←だけどこれ自体は別に問題はないだろう。親のすねを齧りながら遊び呆けることが犯罪なら金持ちや芸能人の子弟は全員検挙しなければならなくなる。自由に処分出来る金なら誰がどう使おうと勝手だ。「どう生きても大した人生にはならない」と友人に述懐したという馬込容疑者は、自殺を決意した後「死への道連れ」のために友達を呼んだという説も出ている。殺傷力の強い弾丸他法で定められた以上の弾丸を大量に所持して裏山を徘徊している姿も目撃されている。銃を抱えて道端でポカンとしている虚脱状態の姿も目撃された。或る家には深夜3時にトイレを借りに来たが、流石に異様な気配を察知して、その家の人は中へ入れなかったという。近隣の或る人は警察に銃の所持許可取り消しを訴えたが無視された。一旦許可が下りると免許更改は三年ごとにほぼ自動的に行れるようだ。・・とまあ「出て来るわ出て来るわ」で、テレビ音声を聞いているだけの私にもざっと以上のような情報が届いているわけである。『銃社会』ではない筈の日本でもアメリカ並みの凶行・惨劇が充分発生し得ることがわかって報道は故意にか無意識にか、殆どパニック状態である。『犯罪の予防』という件に関しては警察にやる気があり過ぎてもなさ過ぎても困るというデリケートな問題がある。この事件とはやや状況が異なるが、先日見た『消えた天使』という映画では予防拘禁や保安処分を彷彿とさせるようなアメリカ社会の実情が描かれていた。アメリカでは性犯罪者の再犯性を危惧して犯罪歴のある人らを公的に監視する制度がある。日本でも仮釈放の受刑者等には『保護観察処分』が付されるが、その実効性となるといったいどの程度の効果が出ているのか甚だ疑問である。再犯率が高過ぎるのである。 . . . 本文を読む

2チャンネル小論・大幅増補版♪

2007-12-17 02:46:34 | 社会
『2チャンネル』と言っても、実は私は利用したこともないし、たまに検索から行ってしまってパラパラ読むことがあるだけで、よくというか全然わかっていない。スレッドが沢山立っていて、むろん自分でもお題を立てることが可能で、横やり横レス多発地帯で、得体の知れない有象無象がなんたらかんたらいろいろ書き込める巨大な掲示版ということだろうか、ここを発端に『炎上』なんてことまでが起きるといった、そんな知識しかないけど、そんなところはだいたいが我侭人間たる私向きではないのだ。私は議論するのが嫌いなのだ。笑。見当違いな批判をされるのが嫌だし、そんな誤解を解くためにああだこうだ論証(←言い訳?)するのも嫌だ。そんなの面倒だから私個人の独断と偏見でもって断定し切って言いっぱなしでそれで終わりというのがいっちゃんいいのだ。あっちゃ。「私に対する批判なんて私は一切受付けないから、そんなことは私の知らないところで幾らでも好きなだけやって頂戴ってばさ、でも私を持ち上げよいしょするときは反対に私の目の届く場所で盛大にやってねっとんとん♪」てなもんだ。でも例えばもし仮に私がこのblogでどんなに過激で不穏当で差別的な言辞を弄したとしても、そのためにここが『炎上』することなどまずあり得ないだろう。それは私が有名人ではないからでいわゆる『有名税』などビタ一文支払う必要がないからである。寂しいことか恵まれているのか知らないが、我々一般大衆など所詮その程度の、『その他大勢的』賑やかし勢力に過ぎないのである。それで、2チャンネルを火元に個人攻撃が1ブログとかへ波状的に繰り返し集中して、ついに今年2月の某サイトへの書き込みは脅迫事件として立件され、特定された人物は逮捕され裁判にかけられて、本人は犯意を否定したまま一昨日だったか執行猶予付きの有罪判決を受けるに至ったというのである。今日はその辺を軽く探ってみたりするのですよ。ぁそ。 . . . 本文を読む

職安通りからなんばヒップスへ♪

2007-12-15 16:41:10 | 
今日は寒風吹き荒ぶ中、なんば御堂筋に出来たヒップスという新名所を外からだけだがちょこっと観て来た。写真も少しだけのつもりが100枚くらい撮ってしまった。撮るだけならフィルム代やDPE代がかかるわけでなし、電池を使い過ぎるだけだから構わないのだが、事後処理で一枚一枚サイズを小さく変更するのが大変だ。私のカメラでは1600X1200が標準みたいなので、これを何はともあれ400X300に縮小するのである。そうしておかないとアップしたとき画面全体の均整がとれないのである。最初の頃はそういうこともなかなかわからなくて、大きいままアップして巨大な画像のブログを作って平然としていたものである。あの頃と比べたら私も格段のスキルアップを果たしている筈だが、但し本人低いレベルで自己満足(?)してしまっているようだから更なる技術の向上はなかなか望めない。今日はあと、犬のいい写真が撮れたのでそれが嬉しい。道頓堀では珍しくノリの良い女子高生のグループとも遭遇して「センターで撮って!」などと言われたが、敵は躁状態らしく、まともに相手をしていると長くなりそうなので敢て聞こえない振りをしてスルーした。ちゃいっ! . . . 本文を読む

『絆通信135号』から(3)。

2007-12-14 08:26:32 | 社会
福田も額賀も枡添も(むろん茶坊主・冬柴もだ!)みんな問責に値する。戦術はいろいろ選択出来るだろうが、原則『行け行けどんどん』で構わないのだ。前原ちゃんら民主党内不満分子(?)たちも流石に賢い。今は民主党を割って出るより自民党を空中分解させてしまった方が話は早いと考えている筈だ。大阪府知事選にしたところで、未だ橋下支持には踏み込めない自民党・公明党では事実上の自主投票への転落は目に見えている。大阪を制するには詭弁は要らないし嘘をつく必要もない。テレビタレントたちがどう言ったかなどと内幕を披露するスタンドプレーも不要だ。普通の人の普通の暮らしを正面に据え、経済弱者にも光を当てて地道に着実に大阪を立て直して行くしかないじゃないか。大阪を制する者は国政を制する。今や雪崩を打って敗走を重ねている清和会=自民党を更に更に追撃せよ。積極攻勢に出よ。民主党を筆頭とする野党各党は何も怖れることはない。負けて元々、失うものなどない。一般に勝負ごとというものは相手あってのものだから、何か「自分だけが思う存分に立ち回って一方的に優位に立てる」などという虫の良いことを夢想するのは愚の骨頂である。自分の体勢が不充分で問題山積ならそれは相手だって同じことなのだ。まして現・自公政権は「来年秋の限度一杯まで解散出来ない!」などと臆病風に吹かれっぱなしの腑抜けたちではないか。解散に伴う「政治空白」等で傷つくのは我々一般国民であって民主党他の野党ではない。まして諸悪の根源たる現・自公政権など、こてんぱんに叩きのめされて当然の腐敗分子の集合体である。「自公も問題だが野党も問題だ」などという蒙昧主義 的言辞を弄する者らは全て自公をバックアップする鼻持ちならない補完勢力・アンシャンレジュ-ムの徒である。経団連の誰それも、ナベツネも宮崎哲也も橋下某もそのまんま東も、堺屋太一も内舘もNHKのアホどもも、みんなみんな自民党が好きで好きでたまらない国賊・奸臣どもである。この国のこの窮状を惹起したのは奴らであり自民党である。民主党では不安で頼りないって?!はあ? 不安上等、「初めてのお使い」で何もかもうまく行くなんて誰も思ってねえよ!このまま国政を自民党に任せていたんでは国が滅びると言ってるんだ。政権交代のない民主主義なんか民主主義じゃないと言ってるんだ! . . . 本文を読む

『絆通信135号』から(2)。

2007-12-14 00:03:48 | 社会
橋下は駄目だろうという気が私はする。身から出た錆、闘う前から彼は自ら率先してハンデを背負い込んだ感がある。第一彼は大変な嘘吐きである。今日も勝谷大先生がいみじくも指摘していたが「政治家は嘘をついてはいけない」のだ。しかもテレビを通して嘘をついた相手が不特定多数の一般有権者なのである。「出馬は5,000%ない」と断言したその「5,000%」という言葉も意味不明ながら、言ってることが支離滅裂で軽薄そのものであり、自民党大阪府連の副幹事長からして彼を推薦することにはかなり強硬に抵抗している。これまでの経緯が悪過ぎるのである。「五年前から政界進出願望があった」と本人は言うのだが、だったら今更テレビ出演の調整がどうのこうの言えた義理ではないだろう。「準備はした、勉強もした、石原都政からパクリもした・・」というのなら、テレビ出演の自粛くらい事前にしておけってんだ!私は彼は億単位の収入を蹴ってまで政治的野心に身を焦がす人間ではないと思っていた。政治家志望も結構だがなぜ今や「落ち目の三度笠」たる自民推薦でなければいけないのか?既に推薦候補を決めている共産党を除く各党に推薦依頼したというが、自公の紐付きの橋下を民主党他が推薦する筈もなく、これも彼が崇拝して已まない小泉ポチ譲りの術策に過ぎない。作家・堺屋太一が密室談合まで用意して彼を担ぎ出した張本人だそうだが、彼にあるのはテレビのレギュラー出演が10本近いというダントツの知名度だけであって、彼自身が人気者であるわけではないのだ。「核武装しろ」だとか「大阪中ノ島をヌーディストビーチにしろ」だとか「日弁連は解体しろ」だとかいった、彼の言いたい放題の放言ぶりが面白おかしいから(?!)視聴率稼ぎに絶好ということでTV各局が競って過度に重用したに過ぎない。大阪府庁で記者会見までして、本人もう府知事になったつもりかも知れないが、あまり有権者・選挙民を舐めない方がいい。評論家・宮崎某は「俺は橋下を愛していたんだな」(!)などと今夕方のテレビで述懐した。宮崎もそうだが彼はテレポリティックスが生み出した奇形な怪獣に過ぎない。メディアはここでも無責任極まる大罪を犯している。彼らは視聴率という数字のためなら悪魔に魂を抜かれても構わないという極悪非道な連中である。つまりは「何が悲しくて我々があんなものを府知事に据えなければならないのか」ということなのである。 . . . 本文を読む