本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

誰からも非難されない場所。

2009-03-20 15:15:01 | 政治
 小沢氏「徹底して闘う」 検察との対決姿勢鮮明 NIKKEI NET

 民主党の小沢一郎代表は19日夜、都内の料理屋で鳩山由紀夫幹事長と会談し、西松建設の巨額献金事件で公設秘書が逮捕されたことについて「自分の身がどうなっても構わない。政権交代を阻止したいという様々な力に徹底して闘っていく」と語った。鳩山氏が記者団に明らかにした。

 小沢氏は秘書の拘置期限が切れる24日にも進退を判断する意向。「自分の身分に未練があるとかそういう話ではない」としたうえで「ここで闘わなければ国民のためにならない。一番大事なのは政権交代の実現だ」と強調。鳩山氏は「党としても団結して代表の思いを理解して闘っていきたい」と応じた。

 小沢氏は「麻生太郎首相も気づいていないだろうが、検察のひどいやり方に国会議員が屈したとすれば、次は政権与党側に来る。政権を取っても同じようなことが続くだけだ」とも語った。(01:49)

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 敢て麻生批判を封印したのだろうが : ↓

>麻生太郎首相も気づいていないだろうが

 とは随分遠慮したもんだ。麻生は勿論疑惑の人物である。

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小沢氏の議員辞職勧告も 自民・町村氏
NIKKEI NET

 自民党町村派の町村信孝会長は19日、西松建設による巨額献金事件に絡み、民主党の小沢一郎代表への議員辞職勧告決議を国会に提出する案について「事と次第によっては、そういう選択肢もあるかもしれない」と述べ、捜査結果などをみて検討する必要があるとの考えを示した。都内で記者団の質問に答えた。(19日 23:02)

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*とんでもねえことを言い出す仁だ。
 町村こそは「越前屋、おぬしも悪じゃのう、ぐふふ」的イメージぴったりの三文役者で反吐が出る人物だが、所詮「清和会のオーナー・森」の庇護がなければ何も言えず、何も出来ない一介の雇われマダムに過ぎないから、このところ露出する機会が多いのも「チーズ・森」の指しがね以外ではないだろう。
 志も持たず利権に溺れるだけのお前のような「腐ったリンゴ」こそ一刻も早く辞任すべきなのだ。

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小沢氏の献金禁止発言 与党内に波紋
NIKKEI NET

 企業・団体献金の全面禁止に触れた民主党の小沢一郎代表の発言が18日、政府・与党内に波紋を広げた。

 麻生太郎首相は首相官邸で記者団に「企業献金というものが悪いという前提に立つことはない。献金の仕方について各党、各界でずっとやってきた長い歴史の結果、今のものがある」と述べた。自民党の大島理森国会対策委員長も記者団に「それぞれの法人としての意思があるし、かなりオープンにした制度になっている」と述べ、全面禁止への反対を主張した。

 公明党の北側一雄幹事長は記者会見で「現行法のままでいいとは思っていない。企業・団体献金はまだまだ規制すべきところはある」と前向きな考えを表明した。(18日 23:01)

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「企業献金禁止」小沢氏案に自民動揺…“現状維持派”多数で
特集 西松献金事件

 民主党の小沢代表が企業・団体献金を全面禁止すべきだとの考えを示したことで、自民党が対応に苦慮している。

 真っ向から否定すれば政治とカネの問題に消極的と受け止められ、世論の批判の矢面に立たされる可能性があるからだ。

 自民、公明両党の幹事長、国会対策委員長らは18日、都内のホテルで会談し、企業・団体献金の禁止について、当面、民主党の動きを注視していくことを確認した。自民党の大島理森国対委員長は会談後、記者団に「政党活動の自由を担保していく重要な問題だ。私は企業・団体献金は否定するものではない」と語った。

 同党内では「現状を維持したい」というのが大多数の議員の本音だ。2007年の政治資金収支報告書によると、自民党本部と支部を合わせた献金総額(約224億円)のうち、企業・団体献金は41%(約93億円)を占め、個人献金の25%(約56億円)などを大きく上回っている。全面禁止されれば財政的に大きな打撃を受けることは間違いないからだ。

 「小沢氏の疑惑隠しの提案に、こちらが乗るわけにはいかない」(幹部)との反発も強く、自民党の山崎拓・前副総裁は同日、日本記者クラブでの記者会見で「政官業癒着の象徴みたいな方が言ったって始まらない」と皮肉った。

 しかし、衆院選を控え、「民主党が企業献金禁止で党内の意見をまとめるようなら、何もしないわけにもいかない」との危機感もある。自民党内には、ネット献金や税制上の優遇措置など個人献金を増やす方策を検討することで批判をかわす案も浮上している。(2009年3月18日20時21分 読売新聞)

cf.政治献金

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2009年3月20日 01時28分 『共同』
「監督責任」立件困難 小沢氏聴取、当面見送り

 西松建設の巨額献金事件で、東京地検特捜部は19日までに、小沢一郎民主党代表に対する参考人としての事情聴取を当面、見送る方針を固めたもようだ。政治資金規正法違反容疑で逮捕した公設第1秘書大久保隆規容疑者(47)に対する同法上の選任・監督責任については立件困難と判断したためとみられるが、今後も同容疑者の調べを続け、最終判断する。

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テレ朝「スーパーモーニング」の子供じみた正義感商法 2008年07月17日09時28分 / 提供:PJ

【PJ 2008年07月17日】- ニュースを娯楽にしてしまうワイドショーはすっかり定着した観があります。14日のテレビ朝日「スーパーモーニング」の2つの話題は、ここまで娯楽化してよいのか、という疑問を感じました(もっとも私の方がテレビ界の「常識」から取り残されているのかも知れませんが)。

 ひとつは「昼は主婦、夜は泥棒」「二つの顔を持つ女」と題して、深夜、鍵のかかっていない民家を専門に窃盗を働いていた主婦を取り上げたものでした。3人の子供の教育費と家のローン返済に追われていたそうです。

 普通なら報道されることがないと思われるコソ泥程度の容疑者を、テレ朝は実名と共に住居や付近の映像を全国に放送しました。彼女の住む地域で、この事件は知れわたり、彼女の家族は近所の人に特定されたことでしょう。気の毒なのは何も知らなかった彼女の家族、夫と学齢期の3人の子供です。

 テレ朝は「二つの顔を持つ女」として面白おかしく視聴者に提供しつつ、罪のない容疑者の家族を地獄に突き落とす手伝いをしました。犯罪者が刑を受け罪を償う以外に、メディアが恣意(しい)的に、つまり話題として面白いなどの理由で取り上げ、犯罪者とその家族に社会的制裁を加えてよいのでしょうか。テレ朝が制裁を判断する審判者になるのです。賢明な審判者ならまだいいのですが・・・。

 容疑者の住居はその家族の住居でもあります。視聴者がわずかな娯楽を得るのと引き替えに、容疑者の家族にまで不利益をもたらす行為は正当化できるのでしょうか。もしテレ朝に取り上げられなければ、容疑者は執行猶予付の判決を得て彼女の家庭はより平穏な生活を続けられたかも知れません。

 もうひとつの話題は秋葉原事件の後、設けられた献花台の上の供え物を持ち去る人々を取り上げたものです。カメラは、献花台に近づき食べ物やペットボトル、タバコなどの供え物を持ち去る人物を追います。カメラは気づかれないように隠してあるのでしょう。

 ディレクターと呼ばれた若い男がマイクを片手に初老の持ち去り男を追いかけて行きます。そしてなぜ持っていくのかなどと詰問します。なおも去ろうとする男を執拗(しつよう)に追いかけ、追求し、品物を戻すように迫ります。

 持ち去るのはホームレスや派遣労働者とおぼしい人々であり、十分な食物に恵まれているようには見えません。持ち去る前に、何度も献花台の前を行ったり戻ったりする若者の姿もありました。きっと気が弱く、迷っているのでしょう。

 供え物は、いずれは捨てられるものと思われます。持ち去る人にはそういう気持ちがあるのでしょう。それに対してディレクターは供えた人の気持ちを踏みにじる行為だと詰め寄ります。若いディレクターは年長者に「指導」をしますが、閉口したのはその執拗さです。

 放送という公共の役割を担うものが、さ細なことを取り上げ、正義を振りかざして詰問までする姿勢に疑問を感じます。世の中には「寛容の範囲」というべきものがあり、さ細なことまで他人が口出すのは大人げない行為です。警察国家なら別ですが・・・。

 献花台を「罠」として隠れ待ち、やってきた「獲物」を無断でこっそりと撮影する。弱い立場の人間の恥を暴いて娯楽として提供する商売。まあよく嫌にならないものだと敬服します。せっかくの娯楽ですが、私にとっては極めて不快な番組でした。

 この番組は、恵まれたスタッフが、さ細な不道徳行為を理由に、食物にも事欠く人々から食物を取り上げようとするという非常に「不快な構図」という一面を持っています。

 問題はこれを「不快な構図」として理解しないテレ朝の見識・感覚です。私には供え物の持ち去りよりも、テレ朝の見識の方がよほど重大な問題に思えます。子供のような正義感、面白ければよいといった、社会常識から遊離した感覚が心配です。そして彼らは社会に影響力を行使できる立場にあるのです。

 他人の恥部を暴くことにばかり熱中していると、自分の恥が見えなくなるのでしょうか。【了】

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 ↑ 「ライブドアのPJニュース」というのは一般ユーザーが記者になって取材~配信するシステムだそうで、この記事について言えば全く記者の主張の方に分があって、テレ朝のやっていることにはものの道理というものがなく、人情一般に対する理解もない。
 問題がいずれ腐敗して廃棄されるだろう生の食品等の「持ち去り」だったとして、いったい誰が好き好んで被害者へのお供えに手出ししたりするだろうか。

 こういう「(供養の品に手をつけるといった)一種《賽銭泥棒》風で仏様を侮辱するような実態を取材~摘発しても誰からも非難されることはないだろう」と高を括ったような報道姿勢は各局共通に普遍的に存在していて、これは二重にも三重にも誤った、報道の浅薄な「正義の味方づら」なのである。

ニュースなるものはしばしばこうした常識を欠く少数者によって作られるのである。私は先日もゴミ箱を漁る人を見掛けたので「アルミ缶か?」と聴いたところ彼は「食い物や」とあっさり告白した。

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cf.スウェーデンについては私事昔話のネタがあるが、今日は記事が多過ぎるのでそれはまたの機会に譲る。w

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 ↓ いわゆる「反核アピール」についてだが、ウィキペディア「大江健三郎」によれば : 

・・大江は1982年に、小田実・小中陽太郎・中野孝次が中心となった『核戦争の危機を訴える文学者の声明』[2]に呼びかけ人として賛同している。この声明に対し本多勝一が、反核運動に批判的であるばかりか軍備拡張に熱心な意見に賛同している文藝春秋から文学賞(芥川賞・直木賞など)を貰ったり、それらの審査委員をするなどして協力しているのは「体制・反体制の双方に『いい顔』をみせる」非論理であるばかりか利敵行為ですらあると批判し、大江に公開質問状を送ったが、大江は何も回答しなかった。また本多は大江がノーベル文学賞を受賞した際にも『週刊金曜日』誌上で集中的に批判的に取り上げ、大江が九条の会を結成した際も、エッセイ『貧困なる精神』で、名指しこそしないものの会自体に疑問を投げかけた。本多による一連の批判について、大江は『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)の中に描いている。

・・ということだが、ノーベル文学賞受賞作家の大江氏も左右両翼から批判されてけっこう大変みたいだ。w

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