本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

政権交代は革命か?!

2009-03-31 13:54:23 | 社会
森田健作も大したタマで、自民党支部長を続けながら「完全無党派」を標榜して政策などまるで無視の「イメージ選挙」を展開した。メディアはこの事実を事前にキャッチしながら(と私は見る)選挙が終わるまで敢てこれを公表しなかった。ともあれ結果は出た。「神の声」は全有権者の四分の一にも届こうかという票を森田に与えた。海岸を走って懐メロを歌えば歩道橋を鈴なりにする観客とその人気通りの百万票を集められるのだから、かつて昭和の黄門様=故福田首相が漏らしたように「神の声もときには変なこともある」というしかない。公明党がなぜ森田を嫌うのか私にはその意図は不明だが、当初「三つ巴の争い」と言われたように、与党側も森田支持一本にまとまったわけではないから、如何に森田が前回の知事選で惜敗した候補だったからと言って、この大差負けには小沢ショックが大きく尾を引いていると言うしかない。野党側はこの大票田地区で無党派層の支持を取り付けることが出来なかったことは深刻に受け止めなければならない。これでは「比例区で圧勝」という構図は描けない。それどころか「あの」自民党に無党派票を持って行かれているようでは「政権交代」など到底覚束ない。無罪を主張する小沢さんに辞める理由がないことは事実だが、なにせ「神様」のおっしゃることだから多少「変なこと」と思えても従わざるを得ないだろう。*それにしても何故支配層はかくまで政権交代を厭うのだろうか。私にはその理由は自明である。この国は明治期以来「権威は一つあればいい」という「天皇制」国家だからである。近代国家の中には王国は幾つもあるが「万世一系の天皇(←これは嘘八百だが)これを統治する」などといった、王家が一つしかないという国はまずない。我々は明治欽定憲法が「改定」されたのが現行憲法であるという事実を軽く見てはいけないのである。近代国家は政権交代があるからこそまがりなりにも民主主義を標榜出来るのであって、五十年も百年も政権交代がない国など大義名分が何であれ、これは独裁国家と呼ぶしかないのである。そんな国の野党など「単なるガス抜きの安全弁」として独裁体制を「左」側から支えているだけの存在であり「万年野党で構わない」「政権獲得は我々のロマンです♪」などとのたまっている共産党なんかは畢竟これでしかない。で、我が支配層は自民党命であり、政権交代など国家の滅亡と同義と思っているのだ。 . . . 本文を読む