牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

新しい愛と勇気

2005-09-29 07:53:15 | Weblog
キリスト教とはどんな宗教ですか?と聞かれることがあります。宗教と聞くだけで嫌がる人もあります。この文明の進んだ時代に宗教なんて古臭い。科学の時代なんだから宗教なんか必要ないと断言する人もいます。
 19世紀から20世紀にはそのような考えが世界を多い、21世紀は科学文明が花開き、全人類が豊かになり、幸福と平和を楽しむユートピアが実現すると期待されていました。

 9.11の世界貿易センター大爆破のテロにより、その夢は無残にも打ち破られてしまいました。アフガニスタン戦争やイラク戦争が起こり、世界は今も明るい希望よりも破滅に向かって進んでいるようです。日本も北朝鮮の核の脅威に脅かされています。人災だけでなく、アメリカを襲ったハリケーンの猛威や、アジアの大津波、日本各地で起こる大地震の前兆・・・。それに対してなすすべもない私たちです。人々が平和だ、無事だと言っている矢先に滅びがにわかに襲ってくると、聖書は警告しています。

 そのような出来事の続く中で、科学の夢は破れたと言っても言い過ぎではないでしょう。科学がさらに発達すれば、21世紀はもっともっと血なまぐさい世界になって行くかもしれません。
科学のもたらした世界は確かに豊かさや便利さ、楽しみや喜びなども多くあり、日本人はそのすばらしさを世界中で最も堪能しているのかもしれません。
 しかし、その結果を静かに考えれば、科学がもたらした世界は、第一に血の臭いが漂う世界です。広島や長崎の原爆を思うだけでもそうですし、イラク戦争でもそうです。

 第2に、全人類が不安と恐怖におびえる時代を造ってしまいました。使い方を間違ってしまうととんでもない世界になってしまいます。
科学は絶対必要です。火と同様に必要ですね。日はご飯を炊いたり、部屋を暖めたり、動力を動かしたりなどと正しく使えば大きな祝福を与えます。
科学も同じように正しく利用されるとき、大きな祝福となり今もわたしたちはその恩恵に浴しています。感謝なことです。
残念ながら、それを用いる人間の心が間違っていれば、科学文明が大きな災害を人類にもたらしてしまいます。私たちはその現実を毎日のように見せ付けられてきました。
 堕落した意地の悪い、自分のことしか考えない人間の本性を、誰がどこで、正しくすることができるでしょうか。
 人間は自分自身で自分を正しくすることはできません。聖書には人間の本性は罪であると教えています。ローマ人への手紙に書かれています。

 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。」 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」ローマ3:10-18

 人は誰でも自分で自分を正しくすることはできません。
その人類の罪を取り除くために、神が人となってこの世界に来られたのが、イエス・キリストです。人の心はよろずのものよりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっています。その悪をキリストは自ら十字架に引き受けて死なれました。そのとき、科学でも何でもどうにもできなかった人間の心は、神によってきよめられ新しい人生を生きるようになるのです。
そのとき、罪人は正しくされます。罪が赦されて神の子と、永遠の命を持つことができるのです。

 そして神の心を実行する力と勇気が与えられます。パンだけで生きるのではない、心のむなしさから解放され、平安の心が与えられます。心を騒がすことなく平安な平和な決断ができるようになります。
死の恐れからも解放され天国に行く確信の人生を生きることができます。
イエス様。信じます。私の心にお入りください。アーメンと祈ってみませんか。今朝からあなたの心は豊かになり、平安と希望に満ちた人生へと歩みだすことができます。

 愛する者よ、あなたのたましいがいつも恵まれ栄えしあわせであるように、あなたが全てのことに恵まれ栄え幸せであるように、また健康が恵まれているよう祈ります。3ヨハネ2節



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