牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ほんとうの平和と幸せを

2015-05-16 18:42:43 | Weblog
ヨブ記42:9-12主はヨブの祈りを受け入れられた。 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。
最初の人間アダムとイブは、エデンの園=パラダイスに住み、神とともに生きる恵みと愛の中でした。しかし、悪魔の言葉を聞き、神に背を向け、不信と罪に支配され、堕落してエデンの園から、苦難の道を選び、この罪の性質=原罪は、現代に生きるすべての人間に受け継がれています。
聖書は、すべての人は罪人であり、悟りのある人も、神を求める人もいない。すべての人が迷い、無益な者となり、善をを行う者はない。のどは開いた墓で,その舌で人を欺き、のろいと苦さで満ちている。足は血を流すのに速く、破壊と悲惨があり、平和の道を知らない。
首相会見を聞くたびに、日本国憲法の元にあるのに、戦争を欲する気持ちがあるのではという思いを持ちます。戦後、全ての内閣が憲法を維持し、戦争をしないで守られてきた70年を、危機を語ることにより、ハーメルンの笛吹男のように、危機にと滅びに国民を導きかねないと思いました。政治家が国のため、国の守るためということばを連発するとき、国民のことを忘れていくという歴史の歩みに、国民は気をつける時代に来ていることを感じます。
ヨブ記の苦難の大団円が今日の箇所です。苦難を神のせい、人のせいにして、自分の正当性だけを主張しても、何の解決もなく苦しみ問題は増え広がりるだけ。人を赦し祝福を祈るとき、アーメンと真実、誠の本音の人生が回復します。悪いのは全部、自分だと自らの罪を知り、弱さを認める、真実の神の前に悔い改めるとき、すばらしい祝福が始まります。
イエス・キリストの十字架と復活の福音を、アーメンとへりくだって受け入れ、罪とがを赦され、神の子となる永遠のいのちを受け、天国への道を祝福されて歩む幸いを祈ります。
ありがとうございます。今日もまた天国笑顔の一日。感謝します。

杖で歩く

2015-05-16 06:52:35 | Weblog
聖書の一言;ゼカリヤ書8:4-7万軍の主はこう仰せられる。「再び、広場には、老いた男、老いた女がすわり、年寄りになって、みな手に杖を持とう。町の広場は、広場で遊ぶ男の子や女の子でいっぱいになろう。」8:6 万軍の主はこう仰せられる。「もし、これが、その日、この民の残りの者の目に不思議に見えても、わたしの目に、これが不思議に見えるだろうか。――万軍の主の御告げ。――」
万軍の主はこう仰せられる。「見よ。わたしは、わたしの民を日の出る地と日の入る地から救う。
平和な時代を聖書は約束している。
自分が杖をついて歩いているので、杖を持った人が多いのに気付く。昨日の午後も、牧師さんこの頃は、我が家の前を歩かないんですねと、声をかけられた。奥さんも元気ですかと言われて、昨年5月17日に天国へ召されたと言うと驚いて、冊子をお渡しした。種ケ島出身のお方で、時々出会い、種子島の7月収穫のお米をもらったりする。家内の召天を書いた冊子もポスティングしたが、読んでいなかったから知らなかった恐縮された。昨年、お会いして一人娘さんの出産を祈り、男女の双子が生まれ、元気に成長していると、嬉しそうに話してくれた。
イエス・キリストの十字架の救いと、神の平和が日本に満ちることを願う朝です。
明日は、家内が召されて一年。富雄キリスト教会午前10時に、召天1年記念礼拝です。家内が愛した教会、余命一年を宣告されて4年間、欠かすことなく礼拝と教会奉仕を続けました。3月3日に近大付属奈良病院入院中も礼拝出席を願いながら許可が出ず、ホスピス転院で安らかに、天国の礼拝に召されました。
あっという間の一年だったなと思いながら、明日に備えています。
ありがとうございます。今日もまた天国笑顔の一日です。感謝します。