枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

陽射しやわらかに・・・

2019年02月18日 | Weblog

 次第に陽射しがやわらかく、やさしくなってきた感を受ける。クリスマスローズがたくさんの蕾を見せ、はにかむように咲き出した。そろそろ鉢を換えてやらねば、土が傷んできている。梅の木にも蕾がたくさん見えており、気もそぞろになる。玄関の場所のは、二輪ほどが見えている。

 すばるが外をじっと見ている。野鳥が来るのにやっと慣れて、囀り枝を移るのをまじまじと見遣っている。留守の時にも、こうして外を眺めているのかと思うが、野良猫にやられたら困るので出さない。銀河は、ちょっとの心算で抜け出して、帰宅できなくなり大騒ぎをした。車も怖い。

 両親が元気だった頃に、白い猫を飼っていた。最後の愉しみになればと、叔母の所から来たが、施設に入った時点で、隠れていたそうで、兄が捕まえて連れて行き、籠で飼っていたらしい。或る日、軒下に瀕死の白い猫が居たが、兄の所を逃げ出して来たとは知らず、寒い朝死んでいた。

 今思えば、遠く離れた飼い主を探して、やっと辿り着いたのを、一晩放置して死なせた悔いが残る。見つけた時点で、可なり衰弱しており、何とも哀しい目でじっと見上げていた。逃げようともせず、微かな鳴き声で啼いたきり、動かなかった。飲まず食わずでここに来たのを思いもせず。

 墓参りの都度、猫が気になって安否を確認していたが、ゲージ毎連れて行ったのに安心していた。猫にとっての幸せまでは考えても居ず、何が原因かは不明だが、助けを求めて遣って来たように、想えてならない。動物は玩具ではないし、生きているからには責任がある。愛情も必要だが。

 沖縄の辺野古基地反対が、賛成を大きく上回る。これで工事を継続するなら、政府のごり押しに非難必須。そこまでして、アメリカに言い寄り、胡麻をする必要性もない。日本には、戦争の悔いは残るが、アメリカに負けたのではない。白洲次郎の名言でもある。米軍基地は何処にも否!

 人類が生存していくために必要なのは、諍いを起すことではなく、話し合って、譲り合って、助け合うことです。弱い国だからこそ、核兵器や戦闘機に武器を持つのです。人間の尊厳を大切にするなら、暴力は必要ありません。同じ日本人同士が、相対する等、馬鹿気た行為に他ならず。

 随分と大きくなってきて、チェアから落ちそうになることも。寒くなって来たので居心地よい。

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無農薬米

2019年02月17日 | Weblog

 美味しいのです。手間暇かけての栽培だから、価格も高いし、数量も限られてくる。それはいいとしてだが、糠を廃棄するとは如何であろう。糠床や肌の手入れ、惹いては寒肥に用いることが出来るのを、捨ててしまうのはもったいない。都会の生活では不必要化も知れぬが、要る者もあるのだ。

 木村秋則さんの公演があった由、記事があったが、わたくしの願いを伝えてくれたのだろうか?近くなので、取りに行くことは可能なのに、企画にないとのこと。でも、それって可笑しい。普通であれば、精米はこちらでする選択肢もあっていい。微生物が活発になるし、無農薬であれば用途は多。

 枇杷葉の寒肥にするのも、農薬でなく、自然栽培を心掛けているからで、無論味が格段に違う。木に生って熟れたのを、朝取りで送る。店頭で色つけるのではなく、温室でもない。粒は小さいが、安心と安全の実である。林檎も、蜜柑も、あらゆる物が、無農薬であってほしい。自然の掟がいいのね。

 朝方には天気が良かったのが、昼に近くなると曇り、時雨の混じる、気温も低いものに変わった。図書館に返却と貸出しに赴き、投票を済ませて燃料補給に行く。Aさんちで水を分けてもらい、帰宅する。車の臭い消しに、花芽を少し捥いで置く。睦月も半分が過ぎようとしており、雨水も近くなる。

 お結びが食べたくなって、木村式の朝日米を研いで仕掛ける。前回には鮨にしたので、今回はシンプルなお結びに。地方に由っては、おにぎりとも言うが、料理家の辻嘉一さんが、NHKで謂れを話されてから、個人的にはお結びにした。これはね、母親が熱いご飯を、真心を籠めて結ぶからですよ。

 握りは、鮨に対しての言葉だそう。昨今は、母親がすることは珍しくなり、父親もするだろうし、コンビニに行けば売ってもいる。然し、物事の基本として、覚えていてもいい。日本語の本来の意味が、はき違えられているのだ。言葉の大切さは元より恥ずかしくない知識も必要。中味は何にしよう。

 梅に塩昆布、おかかと胡麻に、漬物もいいなぁ。塩鮭も焼こう。塩結びだけのもいいし、海苔も美味しい。ご飯が旨いと、何でもが腹に収まる。自然からの恩恵に感謝して祈っていれば、お陰も有り難い。自分でするしかない日々も、それはそれでいいこともある。普段の何気なさが、この上ない幸。

 観葉植物。置いた場所や、環境次第ではどんどん育って行く。春に挿し芽をすれば更に増えていく。

 

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選挙に思う・・・

2019年02月16日 | Weblog

 田舎の選挙では、建前も趣旨もなく、自分の名前を連呼するばかりで、一向に町政への筋の通らない者が多い。というよりも殆どが、地域の者等で固め、町民のためにではない。何期も当選する者には、支持者固めを徹底しており、働くのはそこでだけだ。地方の地盤がこれでは、中央への崩れは必須。

 宜しく頼む、と言われても。では、一体に何を頼まれるのだろう?税金が安くなり、暮らしが安定して、年金も程々ということにはならない。財政が苦しいのであれば、議員数を減らし、税金の無駄使いは止めるべき。ところがその反対で、自分達こそ老後を立てたいとごり押しする。そのための選挙。

 従って、名前ばかりを大声でがなり立て、当選したら本音を曝す。年齢が70代に近づいたら、選挙に出るのも控えたい。かと言って、若さだけでも出来ない。学歴も多少は必要であるが、独学で学べばいいことも多々ある。要は、個人の考えと志にも依ると想える。権力に諂うのではなく、意志の強さで。

 枇杷葉の花芽が、咲き切った物、先の方が咲いて来たの、未だ咲かないのとあるが、それにしても匂いが芳しい。我が家のは、実に佳い香りが漂う。結界の影響からか、それとも宇宙と繋がっているせいか、はたまた不思議な場所であるためかは不明。自然への祈りと感謝を忘れずに、日々を暮らして。

 暦を見ながら、月日の経つのが早いことに愕然とする。2月は逃げる、とも言うが来月には卒業式が各々あり、知人の所は、保育園卒園で小学校入学。学業に入れば、遊びも制限される。躾の大切さも重要な年頃。先日、部屋でボールを投げない、と叱ったら、自分ではなく兄にだけかと澄ましていたそう。

 親は唖然としていたらしいが、普段からの言い方でもあろう。下の子は要領がいいのは、上の対応を見て知っているからで、兄や姉が叱られる分を、そうならないようにする。可笑しくもあり、兄が可愛そうでもあり、何時も叱られる兄の立場が、何かの拍子に出ないか、心ならずも心配する老婆心でもある。

 インフルエンザは解除されて、室内対応は止まっているが、短いようで長かった1週間で、何だか機能が低下してしまった。これを元の状態に出来るか、はてさて近い状態にまで戻せるか。認知症状での動きにも、ゆったりと出来るならいいが、簡単なようで時間が掛かるだろう。これまでの環境の関り方にも。

 外食が好みではないが、皆の分を作って、わたくしのは誰がしてくれるの?と言ったら、一様に困惑顔をするばかり。そういう年齢でもあるのか、それとも他人にすることが使命なのかもしれない。若い時には、作ることが苦手であり、NHKの今日の料理を毎月取っていた。自分が食べたいのでするしかない。

 毛繕いに、脇目も振らずのすばる。枇杷葉茶を飲むので、毛艶が美しいばかり。烏の濡れ。

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雪は雨に転じて

2019年02月15日 | Weblog

 予定では市内までの外出であり、年下の同僚と一緒で出掛ける。用事は意外と早く終わって、帰り道で昼ご飯にしようとしたが、駐車場が有料。致し方なく、道路際にある鮨屋に停める。クルクル鮨なので、お腹一杯に食べれると言うが、可なりの遠慮をしている。適当に皿を取っていく。

 支払いの段になって、金額に仰天するが、運転してもらい、休日を付き合ってもらったお礼です。勤務ではお互いですが、それでも援けてくれるのは有り難い。極力無駄口を叩かず、秘密を守るのも好感。プライベートは、公にしたら無意味でしょう。付き合いの程度にも依るがお互いで。

 沖縄の辺野古移設には反対します。これはもう、沖縄の方々だけの問題でもない。アメリカの思うようにはさせない。基地は要らないのだ。争いは中止にして話し合おう。ガンジーのように、非暴力であれば攻めては来ないものを。弱いアメリカだからこそ、日本を支配下に置き、操ろうとする。

 阿波根さんのように、沖縄の自由と平等を求めよう。沖縄は、沖縄県民の物であり、全ての権限に対して、沖縄の人々が決めることだ。政府でもなく無論の事アメリカでもない。自由と平等は何処に消えたのか。翁長前知事は、政府とアメリカに殺されたも同然だ。時間を費やし命を削られた。

 冥界からの電話 最初の件を読んで、鳥肌がたった。或る日、突然手当てで癒されることを知り、枇杷葉の力で、治療が可能なことも分かった。特別に、何かを遣っている訳でも、教えられたり導いてもらった覚えもない。見えないものが視え、それを感じることが出来るのは、真実でもあるが。

 わたくしになら可能だと想うが、こちらからは言わない。自分の命を削るか、或いは失うことになるかもしれない。安易に言うと、誰でもが望むだろう。神が援けても好いと知らせてくれれば、自ずと訪ねて来る。そうでない限りは、言うには及ばず。意思の疎通があれば、何方にも施行できる。

 そろそろ気温が下がってき始めたので、夏の間、外に出していたのを仕舞う。室内は華やかに。

 

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慈悲の心で・・・

2019年02月14日 | Weblog

 菓子メーカーの陰謀であろう。個人的には、上げたい人も居ずだが、職場では義理で贈る。価格は、500円前後で済ます。取敢えずは、日頃からお世話になった職員に。今年は運よく、インフルエンザのお陰で、あちこち配る必要もなく、出費も抑えられた。施設も、接触を避けて祭りは中止に。

 図書館で借りた、樹木希林さんの120の遺言、佐藤愛子さん、冥界からの電話は、人気が好いらしい。期限厳守での返却である。昨夜は、ガンジーを観ながら、その揺るぎのない姿に打たれた。印度が独立した事には、多大なる犠牲があり、権力者の支配が負い被さっていたのだと知った。強弱。

 弱い者は武器に頼る。非暴力の底には、自分を失わない強さがある。肉体は支配されても、心までは与えない。という心に胸を揺さぶられた。国をまとめることにも、宗教を、宗派を超えての結束があり、独立に至ったものであろう。国を富ますのも貧しくさせるのも、国民の暮しを保証すると。

 まだ子どもであったが、ガンジーが暗殺されたニュースは、世界中を翔け回った。その時には、為されたことには理解できなかったが、今になってやっと、非暴力の素晴らしさを思える。人間であるためには、自分のことは何も求めず、困窮している人の矢面に立って、進んで行った人でもある。

 インフルエンザが明日の時点で、これ以上の広がりをしなければ終息となる。1週間の長く、我慢を強いられた期間は、まるで1ヶ月のようにも感じた。認知症状を更に早め、動けなく悪化させる一因にも繋がる。感染上、何処がどうというのでもないのに、居室対応では無気力になってしまう。

 普段からの外部との交流をしていれば、加えて、手洗いや嗽を、きちんと施行していれば、ここまでの蔓延にはなるまい。乳母日傘の生活をさせるから、何も出来なくなってしまい、免疫も抵抗力も衰えるのだ。自分は誰かに必要とされている自信があれば、ここまでの低下も無い筈と思えるが。

 枇杷葉茶のお陰で、すばるも飼い主も、風邪は引かない。四季折々の植物で、動物が生かされ、その恩恵を分けて貰える。これほどに幸せなことがあろうか。それなのに贅沢と我儘の繰り返しである。言葉や態度でのことにも、嘘が混じる。心が貧しいと、顔つきにもはっきり表れることに驚く。

 晩秋から初冬に変わっていく宙。南の天には、冬の大三角が昇って来る。美しい三星が。

 

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睦月、上弦・小潮

2019年02月13日 | Weblog

 インフルエンザが蔓延しており、窓を開けたりしての、個室対応をしているが、認知症状が進むし、体力も低下する気がしている。狭い部屋の中だけでの生活では、退屈もするし、精神的にも良くない。接触を避ける意味からだが、なんだか気の毒でもある。それも明日限りであるが。

 リンカーンを観て、ケネディを検索したら、百年後の13日の金曜日に当たるそうである。リンカーンは観劇中に背後から暗殺され、ケネディはオープンカーでの暗殺だ。ジャクリーンを演じているのは、ナタリー・ポートマンだった。然し、価格が高い。これなら、海よりも深くか。

 今晩は、非暴力の父・カンジ―を観よう。白人ばかりが偉いのでも、命があるのでもない。自分で選んで産まれてこれるなら兎も角、神が創りたもうた。神域に入ろうとするから諍いを起させた。人類は、ここに来て平等を再考しよう。彼等の意志とは無関係に、連れて来られ差別を。

 戦争には、自分の命だけではなく、他人を殺めることも含む。現在では、スイッチを押せば世界は全滅する。然し、それをしなくても、地球にしてみれば、我慢の限界がきていよう。自然災害等無いのだ。これ等全てが、人類が引き起こした過ちなのだ。時遅く、ノアの箱舟は作れず。

 先日の雪の朝、自転車で通勤して来る際に、転倒してしまった同僚が、枇杷葉の生葉を貼っていると打ち明けた。肩や胸や足を強打したらしい。余りの痛みに、腕は上がらず、びっこであったらしいのが、楽になったと話す。焼酎にも漬けるようだが、生葉でなくては出来ない注意を。

 人間性が出るのも仕方がないことだが、結構ずさんな遣り方をしていることが伺える。寒中にしておくことには、丁寧さも細やかな配慮も必要なのだ。一朝一夕に何でもが出来るなら、労力は要らない。真摯に向き合うことには、枇杷葉の力を借りることでもあるんだが、無理解である。

 楽して得して与えられる物ではない。面倒くさくとも、手間であろうとも、やり遂げることに意味があり、応えてくれるのだ。病は、気力次第で治る。それを援けてくれるのが枇杷葉だ。自分の免疫や抗体に、自然への感謝と祈りが通じる。素直さも純粋さも併せ持つことに気づいて。

 長崎茂木枇杷葉。辺りにはクリスマスローズの鉢が並ぶ。夏に木陰を作り、冬には彩を添える。

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旧針供養

2019年02月12日 | Weblog

 寒さが少しばかり治まって、うららかな天気になる。外出を控えようと思っていたが、水を分けて貰うのと、りささんに花芽茶を送ろうと出掛ける。寒中に採ったのが、冷凍庫に入りきらない。何分、外に放置しておけば腐るし、虫が食べる。思案した結果に、送ることにしたのだ。

 リエさんには既に送っているのと、昨年の剪定の際に、花芽が付いていた報告があったので。焼酎に漬けておくのが、少なくなってきてきているのも、花芽を採った。摘芽をしていたら、思いの外たくさんで、容器に焼酎を注いだ。これは匂いが佳いので、化粧水に用いている。良好。

 枇杷葉茶も出来たし、花芽茶やローションも作ったので、これで一安心である。冷凍庫が狭いので、一昨年の物から飲んでいこう。一年毎の生りなので、用意を怠らない。有り難いことに、ちゃんと収穫できるのもうれしい。今年は、種もありそうな気がするが、さてどうであろうか。

 半コートの脇が解れているのを直す。このコートは普段着にしており、重宝しているが、既に10年以上も経っている。ムトウの通販での購入で、然も半額であり、洗濯機で洗える。白なのと、サイズがMなので、下には薄い物しか着られないが、裏地があるので暖かい。肥るとアウト。

 終活に際しての処分に、困るのが衣類であろう。財産はないので、書籍とDVD・CDの他、パソコンや観ていないテレビ、冷暖房、洗濯機、冷蔵庫等は、引き取りてもあるだろうが、衣類は、着られなければ意味がない。デザインはシンプルでも、サイズで躓く。素材は生地もいい。

 死んだ後の事は、子ども等がするだろうが、処分するにも捨てられるのはもったいない。特に、ベルベットのドレスが・・・かと言って、誰も着てはくれない。知らない人にあげるのも。これからは、普段着にしましょう。沢田研二さんのコンサートに、着て行こうにも夏ではねぇ。

 ラッセル・クロウの主演・出演作は、生々しいのが多い。血が流れる作品に弱い。レ・ミゼラブルでの演技が素晴らしくて、その殆どを持っている。まあ、時代が違うのだから、当時として当たり前のことではある。人類は、殺戮を繰り返して、平和を手にしたが、今以て争いは絶えず。

 弁当のおかずに、何をしようか迷う。牛蒡と大根と肉にしようか、鶏肉は唐揚げにして、葱を添えようか。明日は早出につき、今晩からの用意にしよう。ほうれん草と豚肉のスープも美味しいよ。久しくカレーをしていないので、玉葱が芽を出す。春にはエンドウと茗荷のご飯もいいな。

 夏には、トウモロコシのかき揚げを作ろう。献立は、自分の食べたい物に執着するが、美味しければいいのよ。木村式の朝日米は、無農薬であるからか、口に含んだ瞬間に旨さが広がった。価格が安ければ文句もないが、農薬がかかっていなければ安心できる。でも不合理な世の中だね。

 月の姿は、今も昔も変わっていない筈なのに、想いようで変化を遂げる。月に兎が棲み、都がある。

 

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旧七草・・・

2019年02月11日 | Weblog

 昨夜の寒さと、深々とした静けさに眠っていた。朝が訪れている筈が、何時まで経っても明るさが、と外を見てびっくり!雪である。牡丹雪であったから、まさかとは思ってもいたのに驚く。可なりの積雪で、枇杷葉がしな垂れて居る。未だ雪は降っており、軒端から届く限りを払う。

 すばるが、外に行きたそうにしているが、窓を開けたら尻込みをする。気温も低く太陽も姿を隠している。休みでもあり、出掛ける気持ちにもならず、午前中蒲団で過す。体力も気力もエネルギーが不足。DVDの観賞と、読書に勤しもうと決意。すばるは外が気になり、カーテンを開。

 肩の痛みに、枇杷葉を当て蒟蒻を乗せる。背中にまで激痛が走るので、やっとこ施行に及ぶ。蒟蒻の温かみが心地好い。ストーブの上でなので、気持ちが好い熱さだ。腰痛には、懐炉を左右の腎臓の辺りに貼り、動けるようにしておく。洗濯をしても乾かないが、連休を当てに干した。

 ライラの冒険、そして誰もいなくなった、リンカーンとカンジ―を注文した。ナルニア国物語同様、続編があるのだが、探しても見つからない。書籍の方はある。これは図書館で借りよう。どうも原作を読むと、違和感が持たれるので、避けたい想いも強い。映像には監督の想いが浮。

 暖房を点けているパソコンの部屋は、乾燥しがち位になるが、出窓のある東側の部屋は、隣が台所でもあり、ストーブの熱が却って湿気を呼ぶ。気づかぬ間に襖が黴だらけになっていた。こっちにも付けておくべきか?悩みは尽きない。便利で快適な暮らしでなくともいいのだが・・・

 パソコンの部屋に、観葉植物の類を移動すればいいのだが、何分にも場所がない。加えて、資金不如意で改造出来ず。押し入れも良し悪しで、要はワンルームが一番である。それなら冷暖房も1台で済むので、経済的には有り難い。消費者の懐具合とはかけ離れた政策に、うんざりする。

 餌の有無でなく、猫の習性と発達の問題であったらしい。次第に育っているすばるです。

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気持ちの緩みに・・・

2019年02月10日 | Weblog

 睦月になって、少しばかりの暖かさに、気持ちが緩んできたものか、これまでの気の張りようが無くなったものか、インフルエンザの影響もあって、人出が足らないせいかは不明だが、これまで以上に激務になり、業務をこなすのもしんどい。それでも気力を振り絞っていられる内は堪えられた。

 よくよく考えてみれば、何も張り切ってするばかりでもなく、相当に疲れてしまう。これ以上は無理でもあると思ったら、何だか身体が言うことを効かない。こんな状態が起きるとは想定していなかったが、年齢的にも無理ができない。身体は正直だなぁ、とつくづく実感する。若い時には出来た。

 新聞の休刊日が、毎月あるようになってきて、ネットが普及したことで、不便さは感じない者の、物足りなさが残る。つまりは、活字が読めないと言うか、紙に触れないのが寂しい。書籍の方も同じで、どうにも味気なさが堪らない。ブラッドベリの華氏451度を思う度に、近未来に不安を感じる。

 一冊の本を丸暗記すれば、その役割を果たせるのかも知れないが、紙の意味や、そこに活字があるから、と思えるのだが、勝手な解釈かも。視覚障害者にとっては、音声での方がいいかも、或いは聴こえない者にすれば、どうなのかとも。健常者の立場であれば、何とでも言えるし、思えるのかも。

 日曜日には昼食を用意する。何時ものことだが、施設独自のメニューを考えて出すので、予め手配をしておく必要性がある。買い物にも行かねばならず、調理人も家庭料理ならの者が、施設の者と一緒になって作る。個々に好みが異なるので、毎週準備に追われる。美味しいのは実に静かに摂取す。

 旬の時期の野菜や果物、魚等で献立を考えるのと、色彩のバランスや、並べ方で食べてくれることもある。そういう時の、冷凍品は心強いが、何時もと言う訳にはいかない。これからは蕗の薹や、菜の花、三つ葉等が、道端に山裾に見えて来る。芹も清水に洗われる。刻みの方やお粥の人にも工夫を。

 今夜は、午前中の牡丹雪に慌てたが、月の姿が煌く。夕方の天に浮かぶのは、久しぶりのことだ。雨であったり、曇っていたりとでがっかりしていた。晴れてくれば、気温も低い。寒さが戻ってきたようで用心しよう。明後日には、罹患していた方の熱がこのままであれば、フロアに出て来られるよ。

 初冬の宙は、実に美しいもので、気温も然程でないので、思わず佇む。この世の美しさに眼を瞠る。

 

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年齢を感じるばかり・・・

2019年02月09日 | Weblog

 三寒四温と言うが、まさにその通りである。今朝は、起きようにも朦朧としていて、蒲団から出られず、体調を思って大事を取った。タミフル等門外で、インフルエンザに感染していない筈もなく、同じ施設内での発症は避けられない。罹ってからの服用では遅く、危機感も薄い。

 病院に入院させるか、隔離と言えども施設に居起きするので、何等効果は無いのだ。加えて、職員の症状にも微妙な差があり、陰性とも陽性とも区別が付き難い。閉鎖をするのがいいのだが、そうもいかないらしい。食事を作る者はその役を、そうでない者には介護へと区別しよう。

 感染を最低限で防ぐには、役割を何重にも増やすからで、常勤の者で行い、雑用はこちらに任せてほしい。あろうことか、台所に入れて手伝わすとは、驚きを飛び越える。食べ物を扱う場所には、拡大の恐れがあり、危ぶまれる行為は自ずと慎みたい。何も考えていなく広がる一方で。

 基本的な考えが緻密でなされていないので、多大な漏れが生じる。嗽と手洗いを徹しながら、自然に接した生活を提供しないと、現代の教えだけでは、高齢者は守れない。明らかに、認知症状を腫物を触らないようにするだけで、そこに暮らす人間のものではない。ちがうんだよなぁ。

 どんなに時代が移り変わろうとも、人間としての心があれば、介護の仕事など無くてもいい。嫁の立場であれば、面倒を看さされると負担だが、息子形娘形が書面上は居るのであれば、当然すればいいことで、それを委託されてであれば、全ての権限を譲って面倒を看たい。不自由なく。

 収支の明細はきちんと出されているが、衣類を始めとして、お茶碗や箸でさえ事欠く有り様。見るに見かねて買って使わせる。だってそうでしょう?掌にご飯を載せるのも、薬缶から直接お茶を飲ませる訳にもいかない。そういった物は、入所の際にちゃんと用意する。小遣いも十分。

 カレンダーの話が新聞に載っていた。わたくしは買うので、安くはならないかと毎年思う。郵便協で貰うのは捲りだが小さく重宝。近くの銀行のは一枚物で、あちこちに貼れる。JAのは配って来る。日捲り・旧暦・新旧の付いたのと、旧暦だけの、いわさきちひろのがある。拘りがある。

 使い勝手の好いのは、銀行の一枚物で、玄関の内側と、脱衣所、電話の上に貼っている。台所には、役場から町内の行事が書かれていて、これは配布され、塵出し等が分るため手近に掛けている。ちひろのは毎年求め集めている。旧暦は、60年で一周するので、先が長い。どれも重要。

 手帳も有、携帯もパソコンもあるが、予定を書き込む程もなく、頭を悩ますこともない。これらは全て、暦を活用で済むので、天文年鑑と一緒にして、枇杷葉の収穫や採取に用いる。二十四節気や雑季も、旧暦での運用方法で行い、暮らしの区切りをしている。愉しみは先延ばしが好い。

 ナショナルの揉みほぐし機であるが、使わなくて場所ばかりだった。ここに移動させてすばるが。

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