枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

無農薬米

2019年02月17日 | Weblog

 美味しいのです。手間暇かけての栽培だから、価格も高いし、数量も限られてくる。それはいいとしてだが、糠を廃棄するとは如何であろう。糠床や肌の手入れ、惹いては寒肥に用いることが出来るのを、捨ててしまうのはもったいない。都会の生活では不必要化も知れぬが、要る者もあるのだ。

 木村秋則さんの公演があった由、記事があったが、わたくしの願いを伝えてくれたのだろうか?近くなので、取りに行くことは可能なのに、企画にないとのこと。でも、それって可笑しい。普通であれば、精米はこちらでする選択肢もあっていい。微生物が活発になるし、無農薬であれば用途は多。

 枇杷葉の寒肥にするのも、農薬でなく、自然栽培を心掛けているからで、無論味が格段に違う。木に生って熟れたのを、朝取りで送る。店頭で色つけるのではなく、温室でもない。粒は小さいが、安心と安全の実である。林檎も、蜜柑も、あらゆる物が、無農薬であってほしい。自然の掟がいいのね。

 朝方には天気が良かったのが、昼に近くなると曇り、時雨の混じる、気温も低いものに変わった。図書館に返却と貸出しに赴き、投票を済ませて燃料補給に行く。Aさんちで水を分けてもらい、帰宅する。車の臭い消しに、花芽を少し捥いで置く。睦月も半分が過ぎようとしており、雨水も近くなる。

 お結びが食べたくなって、木村式の朝日米を研いで仕掛ける。前回には鮨にしたので、今回はシンプルなお結びに。地方に由っては、おにぎりとも言うが、料理家の辻嘉一さんが、NHKで謂れを話されてから、個人的にはお結びにした。これはね、母親が熱いご飯を、真心を籠めて結ぶからですよ。

 握りは、鮨に対しての言葉だそう。昨今は、母親がすることは珍しくなり、父親もするだろうし、コンビニに行けば売ってもいる。然し、物事の基本として、覚えていてもいい。日本語の本来の意味が、はき違えられているのだ。言葉の大切さは元より恥ずかしくない知識も必要。中味は何にしよう。

 梅に塩昆布、おかかと胡麻に、漬物もいいなぁ。塩鮭も焼こう。塩結びだけのもいいし、海苔も美味しい。ご飯が旨いと、何でもが腹に収まる。自然からの恩恵に感謝して祈っていれば、お陰も有り難い。自分でするしかない日々も、それはそれでいいこともある。普段の何気なさが、この上ない幸。

 観葉植物。置いた場所や、環境次第ではどんどん育って行く。春に挿し芽をすれば更に増えていく。

 


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