枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

年齢を感じるばかり・・・

2019年02月09日 | Weblog

 三寒四温と言うが、まさにその通りである。今朝は、起きようにも朦朧としていて、蒲団から出られず、体調を思って大事を取った。タミフル等門外で、インフルエンザに感染していない筈もなく、同じ施設内での発症は避けられない。罹ってからの服用では遅く、危機感も薄い。

 病院に入院させるか、隔離と言えども施設に居起きするので、何等効果は無いのだ。加えて、職員の症状にも微妙な差があり、陰性とも陽性とも区別が付き難い。閉鎖をするのがいいのだが、そうもいかないらしい。食事を作る者はその役を、そうでない者には介護へと区別しよう。

 感染を最低限で防ぐには、役割を何重にも増やすからで、常勤の者で行い、雑用はこちらに任せてほしい。あろうことか、台所に入れて手伝わすとは、驚きを飛び越える。食べ物を扱う場所には、拡大の恐れがあり、危ぶまれる行為は自ずと慎みたい。何も考えていなく広がる一方で。

 基本的な考えが緻密でなされていないので、多大な漏れが生じる。嗽と手洗いを徹しながら、自然に接した生活を提供しないと、現代の教えだけでは、高齢者は守れない。明らかに、認知症状を腫物を触らないようにするだけで、そこに暮らす人間のものではない。ちがうんだよなぁ。

 どんなに時代が移り変わろうとも、人間としての心があれば、介護の仕事など無くてもいい。嫁の立場であれば、面倒を看さされると負担だが、息子形娘形が書面上は居るのであれば、当然すればいいことで、それを委託されてであれば、全ての権限を譲って面倒を看たい。不自由なく。

 収支の明細はきちんと出されているが、衣類を始めとして、お茶碗や箸でさえ事欠く有り様。見るに見かねて買って使わせる。だってそうでしょう?掌にご飯を載せるのも、薬缶から直接お茶を飲ませる訳にもいかない。そういった物は、入所の際にちゃんと用意する。小遣いも十分。

 カレンダーの話が新聞に載っていた。わたくしは買うので、安くはならないかと毎年思う。郵便協で貰うのは捲りだが小さく重宝。近くの銀行のは一枚物で、あちこちに貼れる。JAのは配って来る。日捲り・旧暦・新旧の付いたのと、旧暦だけの、いわさきちひろのがある。拘りがある。

 使い勝手の好いのは、銀行の一枚物で、玄関の内側と、脱衣所、電話の上に貼っている。台所には、役場から町内の行事が書かれていて、これは配布され、塵出し等が分るため手近に掛けている。ちひろのは毎年求め集めている。旧暦は、60年で一周するので、先が長い。どれも重要。

 手帳も有、携帯もパソコンもあるが、予定を書き込む程もなく、頭を悩ますこともない。これらは全て、暦を活用で済むので、天文年鑑と一緒にして、枇杷葉の収穫や採取に用いる。二十四節気や雑季も、旧暦での運用方法で行い、暮らしの区切りをしている。愉しみは先延ばしが好い。

 ナショナルの揉みほぐし機であるが、使わなくて場所ばかりだった。ここに移動させてすばるが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする