枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、風邪への対策・・・

2019年02月08日 | Weblog

 今更、タミフルを服用しても、後の祭りであろう。わたくし等、自慢ではないが、一昨年来のもある。薬の副作用が怖くて、服毒になる気がして呑めない。然も、カプセルである。その責任までは医者は負わないで、自己管理と言うのであれば尚更に危険だ。手洗いと嗽の小まめなことに徹する。

 帰宅して、咽喉がイガイガするので、クリームソーダを作り、枇杷葉茶もたっぷり飲んでおく。風邪の初期症状には、早目の対策が好く、日頃からの徹底だろう。極力、人と接しないこと、外出時の薄着は以ての外だ。店の中に入れば南国、出れば北国では抵抗力も落ちる。免疫と抗体にかける。

 すばるの餌とトイレの砂を買いに行く。クリーニングも出し、銀行にも寄って支払いを済ませる。ネットで買うにも、月々の金額が多くないように気をつける。殆どが、DVDであるが、レンタル落ちの品にも、不良品が混ざっていることにがっかり。誰も知らない 中ほど画面動かずであった。

 それでも、返品するのも手続きがややこしいので止める。星になった少年は、文庫本を持っているが、主演者の演技に買った。映画には、原作とは違う脚色があるのは分っているが、残念な場合もある。視聴者の勝手な想いであるので、諦めてはいる。監督の力量にも依るのだろう、と冷めて観る。

 クリーニング屋の中には、というよりも、花屋の中にあるんだが、そこにグリーンのスイトピーがあり、目に留まる。プラムグリーンらしいが、とても綺麗なので3本買った。新種ではなくて、色を吸い上げさせての商品。花にもちゃんと役目があり、昆虫の媒体を主にするので、種類も決まってる。

 何でもかんでもが、人間の思うようにはいかないのが筋なのを、バイオだの何だのとあらゆる物を改造させる。神への領域には、踏み込んではならない。ドクター・モローの島、何度読んでも背筋が凍る。ダーウィンの種の起源が、ここまで混雑するとは、禍々しくもある。研究の成果は如何やである。

 枇杷葉の樹を、室内から眺めていると、野鳥がスイと飛んで来る。花芽を啄んだりしている。葉裏に隠れた虫もいるので、じっと止まって狙っているのが見える。椋鳥の姿もあるが、気配を感じるのか、じっとこちらを警戒している。それでも危害を加えないのを知っていて、餌を漁っているのが分る。

 冬の大三角は、目を惹く三星のオリオン座と、大犬座、子犬座である。狩人のオリオンに従う。

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久々の勤務に・・・

2019年02月07日 | Weblog

 節分から旧正月へとかけ、ゆっくりとしていたが、仕事にも行かなければならない。と言って、家でのんびりとして居た訳でもなく、動ける時には何かとすることも。つくづく貧乏性だなと思いつつ、性格も重なってあれこれと片付ける。夕方には、一息入れてから、読書に耽る。

 立春を過ぎては、少々気温も高めで、じっとしている分には有り難く感じる。半面、動けば汗ばむ。贅沢なもので、以前のように寒さで身体が委縮されないのも、お陰なことである。枇杷葉茶の、枇杷湯のお陰であるが、塩にも感謝している。何を於いても、身体の中から温かい。

 以前は、厚着で更に着込むと言う有り様。加えて、炬燵に潜り込んでの体たらく。テレビは観ない分、転寝が常時であり、動くのも大儀だった。それが、年齢を重ねては来たが、食事の用意も、洗濯にも精出せる。手は冷たくなるが、水仕事は欠かせない。祈りと感謝の日々である。

 勤務に来てみれば、職場は大混乱。インフルエンザA型発症となって、受診やら隔離やらでてんてこ舞いである。食事も個室対応だし、見守りをするのも気が張る。居室で静かに過ごされる方は珍しく、必ずごそごそしているので、危険が無いかを気をつけるが、冷や冷やものだ。

 普段でも、食事が自ずから摂れなかったり、介助が必要な方も居て、トイレ介助にも気が抜けない。隔離と言っても、施設内は自由であり、単に居室で過してもらう。でも、無理だよな。その判断が出来ないから、此処に来て過しているのに。負担が重く人数も足らないのに悲鳴が。

 子どもに、待つということを教えるのに、言葉で言い、態度で示せるが、認知症状であれば、更に混乱してしまう。落ち着いて居てくれる間に、他の事や、違うことを瞬時にしなければ、あっという間に動くことも有る。予期せぬ行動である。転倒・骨折・入院・事故に繋がるのだ。

 資格を持っているから、介護のプロではありません。心が折れそうになっても、仕事であるからとやるが、預けているんだから、金を払っているんだから、と押し付けないで。わたくしたちも人間です。これ程過酷な業務を、ひたすら堪えてしていても労いはない。当然と言う顔で。

 袖の下は要りません。こちらがやさしい態度で接しても、他人に変わりはありません。自分の親のように思っても、或いは心を砕いても、通じ合えない場合が多く、何度も悔しく辛い想いをします。人間として、性格も、環境も、様々なことが違うのですから、心は変わりませんね。

 魔女の箒、と言うので苗木を買う。寒さに弱いし、暑さにももろい。何時か、銀河やすばると宙を翔ぶ。

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雨もやさしい・・・

2019年02月06日 | Weblog

 昨夜は温かであったので、朝お湿りがあるのにほっとした。それと言うのも、うっかりクリスマスローズの一鉢が、枯れかけていたもので、気をつけてはいたが、風で水分が無くなっていたらしい。一晩とは言え、自然の恵に勝るものはなく、重症ではあるが息をしているのに安堵した。

 地植えにするのがいいのだが、取敢えずと鉢にいれ、そのまま花を咲かせる繰り返しで、自分の都合を優先してきたことに悔いる。花が終わったら、土も新しくして、入れ替えをしなくては。夏の間には、暑さを嫌うので、枇杷葉の傍に置いているが、冬場には下ろしておいたのが好い。

 葉室麟著作の、冬姫を読み始めたが、今まで何かがつっかえていたのが、晴れていくような想いをしている。徳川家康の若年の頃、嫡男の息子と、その母親を死なせているのだが、やっと疑問が解けた。織田信長と妹や、濃姫(帰蝶)のこともすっきりした。まあテレビ等は、配役次第か。

 それにしても、昨今のNHKは、どうでもいいような番組が多い。加えて、民放の三流が遣るような物を打ち出す。タイトルからして阿保くさい。これで、受信料を払ってまでも観たいか?随分と、馬鹿気た内容で、中身の薄さが見て取れるのだ。何だろうねぇ、テレビ観たくないよ。

 アマゾンの商品を見ていたら、昨年買った掃除機がある。然も、購入価格の三分の一じゃない。店での価格とは大幅な開きがあり、サービスも付いている。これからはこっちにしようと思う。唯、信用問題があるからだが、どっちを取るかに由る。機能的には、問題はないようだしいなぁ。

 すばるの外腿の辺りが、あまり舐め過ぎなのか禿げである。冬になっても生えてこず、なんだか寒そうに見える。外に出さないので、ストレスからのものだろう。銀河も同じであったが、隙をみては脱走した。その度に洗われて悲痛な声を出す。ダニが一杯さばって、黒く膨らんでいたの。

 すばるは、枇杷葉茶を飲用するので、夏に一度洗ったが臭わない。トイレはドアを開けられないし、便座に昇れないために砂を入れている。これは、トイレで流せる物にしている。猫が便座に座るのは、小さな内に躾けないと出来ない。でも、落っこちたら上がって来られないので危険だ。

 薄日は射してきたきた、と思っていたら、天気も回復してきた。気温は、上昇しているらしく暖かい。寒の戻りは来るだろうが、此の辺りでの気の緩みが、風邪に罹り易いので、手洗いや嗽は、小まめに行う。常日頃からの心掛け次第で、症状も改善される。牛蒡を洗って摺り飲むのも好い。

 野菜類には、土や泥を落としての引用方が、自然に合っているが、その殆どが皮を剥く。栄養分を捨ててしまい、粕を口にしている。灰汁を取るのもどうかな?と考えるので、個人的にはそのままを使う。身体の免疫や抗体を高める為には、自然への感謝があればいい。捨てる等もったいない。

 月も、中秋からが冴えて来るが、冬の月には、更に冴え冴えとした輝きが伴う。何時観ても飽きない。

 

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旧正月、朔・大潮

2019年02月05日 | Weblog

 晴れやかな天気で、青空の広がる穏やかな日。定例の塩換えを済ませ、AM10時過ぎに家を出る。途中、工事中の場所が多く、信号機に停められるが、程なく駐車場の入れた。コンビニの側で便利好い。大勢が並んでか?と、図書館で借りた本を持って行く。暗に反してすいすいと。

 お社の前で、手を合わせ、水で洗い清めて拝殿に向かう。二拝二手一拝をし、お供えをして鐘を鳴らす。そこから裏手に周り、祠にお供えをしつつ、お飾りとお札を返す。最後が、蝮除けの御砂とお札を買って、境内を出る。今年は、目ぼしい店もなく、出口へとひたすら向かった。

 たこ焼き屋の知人に、入り口で渡していた花芽茶の話をする。何でも、枇杷の木を植えたらしく、花芽も付いているとのことだ。ちゃんと実行してくれているんだと、心の中で感謝する。店の邪魔をしてもと、電話番号の変わっていないことを確認し、駐車場まで戻る。たこ焼き買う。

 帰路、本屋に寄って、注文しておいた文庫を求め、コンビニで支払いをする。帰宅後にお砂を撒き、やれやれと安堵する。取敢えず、無事に往復できたのに気が抜ける。遠出であるようで、片道45分ほどの距離に、緊張もすれば肩の力も入る。速度は60kmを守り、危険箇所徐行。

 帰宅すれば、すばるが温かさに満足で、日向ぼっこをしている。尤も、室内での日光浴で、ガラス越しだが。インフルエンザも、気分が緩んだ時に広がるので、職場が大混乱らしい。熱がないのも不安で、咽喉の痛みや、鼻水、咳にも注意が必要だ。枇杷葉エキスを何時も持ち歩いて。

 わたくしは罹らないのだが、菌の保持となると怪しい。昨今は、良いのも悪いのもまとめて殺菌しようと、躍起になるが間違い。それよりも冬にはそれなりの居住まいがあり、暖房ばかりに頼るから、抵抗力も弱くなる。寒さや暑さに耐えられる、身体を創っておくのも好いように思う。

 有り難いことですよ。体調不良になっても、枇杷葉茶のお陰で何とか回復する。人間であれば生身は判っており、薬や注射に慣れてしまうと、効き目もあやふやになるというもの。それよりも自然に即した暮らしで、免疫や抵抗力をつけておくと、少々のことでは覆さない、と想いつつ。

 それでも慢心はしない。年齢も考慮しての暮しに、一日を大切に送ろう。先日の体調不良で、あわやと思いもしたので、祈りと感謝も忘れないでおこう。何かあったらすばるが困る。そうならないようにして、日々の暮らしをしよう。贅沢はしないが、身体への燃料補給もしておくこと。

 月光 その美しさに呆然自失。自然の中で、様々な話に登場したり、信仰の対象にもなる。

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旧おおつもごり、立春・大潮

2019年02月04日 | Weblog

 二十四節気 立春 冬の陰気に閉ざされた万物に、春の陽気が、立ち始める、という意味で、立春と言われる。毎年、新暦の二月四日頃である。また暦によれば、旧冬と新春の境目にあたり、この日から春になると書かれており、春立つ、春くる等とともに、春の季語になっている。

 ところが、意外とこの季節に雪が多く、降っても直ぐに溶けてしまうところから、淡雪とも言われる。昨日の雨が上がり、天気も回復して、気温も上昇している。すばるが外を窺っているので、よく分かる。猫にしても、やはり春の気分になるらしい。体は大きくなったが甘えん坊。

 節分の巻き寿しを11本巻いたが、以前のようには手早く出来ずで、年齢を実感した。昨年くらいから、休んでやっているが、それまでは勤務に出ていたもの。明け方から巻いて、持って行っていた。然し、体力に自信がなくなってきて、午後からだったり午前中で終えたりであった。

 今年は、旧正月が続くので、これは倒れてはと休みに。どうにも身体が思うようには動かないので、がっくりしている。今朝は、すばるのトイレを換え、この後Aさんちにお水を分けて貰いに行く。酢飯と具が残っていたのでレンジで温めた。今回、干瓢を酢と氷砂糖とで煮てみた。

 巻き寿しは、巻くまでの準備に時間がかかる。味をしっかり浸み込ませ、本数分を用意しておかないと、巻いていて足らないでは難儀だ。今年は、少々含むところがあって、材料費だけは貰うことにした。干瓢・蒲鉾・海老・ほうれん草・卵である。卵は、厚焼きで作っておいた。

 出不精なので、雨が降っていたり、雪であったりすれば、そこらにある物で巻くので、冷凍庫にあったのを使った。わざに買いに行っても、価格の問題と時間が無駄なこともある。色目も考えて巻いたが、味も見栄えも悪くなかった。コンビニでは、当日既に廃棄処分だったらしい。

 もったいない。何と言う贅沢なことだろう。その日に売れない分は、無料で配ってもいいじゃないの。勿論、路上生活者だったり、支援を必要とする者であっても、誰が咎めよう。捨てるくらいなら、初めから用意しなきゃいいのに。注文分だけを作ればとも。冷凍にも出来るのに。

 賞味だの、消費期限等、ややこしいことを言うからでしょう。我が家では、ケチャップもマヨネーズも然りで、そんなことを気にしない。醤油や味噌等にも馴染んでの旨さがある。それを真然りと言うから、廃棄することになるんだ。寒中に作る意味がないじゃないの。ため息。

 日本酒も、ワインも常温での保存で、旨味が増してくるもので、自分で飲むには支障もなかろうと口にする。置いた場所を動かさないにも、保存にいいらしい。それは銀河が教えてくれた。枇杷葉茶も同じで、寒中に作ったお茶は、1年経っても味が変わらない。死にゃしませんよ。

 我が家の枇杷葉からして、霊力が宿っているのを、Aさんちの水で煎じるので、旨さが増すのだ。身体の内から改善していかないと、病には勝てません。癌を仇のように言うが、自分の身体の一部です。切ってしまうよりも、仲良く暮らせないのでしょうか?自然との共存ですから。

 初冬の宙には最早、さそり座は姿を隠す。オリオンは狩人だが、蠍に踵を噛まれて命を落とす。

 

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節分、師走・大潮

2019年02月03日 | Weblog

 この日になると、何故かおにたのぼうしを思い出す。いわさきちひろさんの絵が、何とも憂いのある淋しさをかもし、鬼なのに胸を打つ。また、斎藤隆介作・滝平次郎挿絵の、ソメ子と鬼には、鬼の悲喜が描かれていて、アイヌ同様、先住民族を追いやった詫びに頭を垂れる。沖縄も、そういった偏見が根強い。

 某新聞にも書かれていたが、沖縄県民だけではなく、日本に棲む者全てが、考え取り組む必要性がある。戦争の際の、最初の犠牲を強いておきながら、今尚理不尽な屁理屈で抑えようとしている。現政権には、慈悲の心も、相手を思い遣り、原点に還る気持ちも見当らない。人間の根本の資質が失われているのだ。

 オリンピックどころではない。福島の汚染状況にも、今以て改善はみられず、野放しの増税を繰り返し、改憲に意欲を燃やす。国民は、まるで議員だけであるかのような、勝手な政策ばかりを、多数決でたてていくが、庶民の下々の生き方には無頓着で、生活の糧さえ不安に陥るばかりだ。万博も何等無意味に。

 働けなくったら、収入が無くなれば、生きてはいけない行政にも期待はしない。でも説くと考えてみるに、自分のことでない限り、どうでもいい問題なのだ。口先や言葉だけで、親身になってまではやらない。そんなことをしていたら、財政は底を突き、議員ばかりが増える。矛盾した堂々巡りを繰り返すばかり。

 曇っていると、空を見ていたら、音もなく落ちてき始めた。洗濯物は、最低限の室内干しにしているが、天気は崩れ易いようだ。耳の痒さでも分かり、暫くすると降って来る。旧正月も近いので、まとめての休日にしている。最近は、業務のきつさに勤務時間を減らしているが、身体が元になるのに日数がかかるのだ。

 何年も遣っていると、コツが判って来るし、行事の進め方にも支障がないように気をつける。それでも、若い者等は肝心の事が無頓着で、手落ちが多い。出来ているようでも見落としがあって、出来なかったの、なんたらと文句が出る。自分で気づかなくては、と暗澹たる想いになる。見た目だけを気にし、中身が無。

 相手は認知症状があるから、何をやっても構わない、という考えでは、上っ面だけのことに終わる。それくらいなら何もしない方がいいのだ。相手に寄り添い、心を和らげる仕事には資格はない。施設に入れているから、ではなく、自分の親が住む場所なのを忘れないで。付け届けは要りません。会いに来てください。

 長崎茂木。南側のと一緒に植えたのが、中々育たなくて・・・剪定をしてみたら花芽が付きだす。

 

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ジュリーマニア

2019年02月02日 | Weblog

 意気消沈となってしまい、沢田研二さんのジュリーマニアを観る。何度観ても、元気をもらえる。自宅に居ながら、武道館に翔け遭える。もう何度となく観ているのに、初めてのようにも感じ、その時間に遭遇出来るのも好い。タイガース時代にはなかった雰囲気、ソロ活動し始めた頃とも違う。

 今朝は早出勤務でご飯の残りを、焼き飯にして持って行く。明日は、巻き寿しを作るので、ご飯を新たに炊く。10本を巻くとなると、6合は必要であり、具をたくさん入れてもいい加減だ。昨年には、子ども用に小さいのを巻いたら、一人分食べたらしい。美味しかったの言葉に感激して作るの。

 すばる。餌を美味しいのに換えたら、お代わりと啼く。キャットフードの味は不明だが、メーカーに依っては違うのか。何時もは買えないが偶には・・・猫もよくしたものと感心する。人間も、微妙な味で摂取量が異なるのが、実によく分かる。自分が不味い物を口にしたくないので気をつかう。

 然しながら、ちょっとした隠し味と、微妙なコツも必要で、長年の経験も生かされるものか。外で食べるのが好いように思われていたが、舌で味を覚えて帰る。そうして作ってみるとよく分かる。失敗はやらかすが、懲りずに何度もやってみるのだ。結果、何とかいけるような味になるのも嬉。

 大根をサイコロに切り、各砂糖か蜂蜜に漬けて4日間。その後は大根は引き上げ、そのエキスを飲む。風邪の予防にもよく、咽喉の痛みを和らげる。牛蒡は、土を洗って、そのまま下ろして飲むか食べる。これも風邪の予防になる。通草は、焼酎に漬けたエキスを飲んだり、種を炒ってお茶に。

 自然の力には、自然治癒力を高め、援ける働きがある。そういった物からのお陰があれば、インフルエンザ等には罹らない。下手に医者に行くからもらって帰る。職場でもインフルエンザになった者が居て、体温計ばかりが気になる。まあ、高齢者でもあるから仕方がない。手洗い・嗽をしよう。

 マスクは、咳をしている場合にはすればいいが、鼻を出しているのでは、意味が無い事でしょう。それよりも、小まめに手を洗い、嗽をしっかりすることのほうが、未然に防ぐ。わたくしなど、枇杷葉茶のお陰で、年齢には勝てないが、滅多に風邪も引かないようになった。健康は自然の援けよ。

 照れくさいのか、カメラを向けると構える。以前のようには隠れなくなった分、撮り易い。

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風邪は万病のもと

2019年02月01日 | Weblog

 風邪を引かないようにするには、何が手っ取り早いか?無論のこと、オムロンであるから、嗽と手洗い必須。加えて心掛けにも依ろう。何でもない普段の暮しに、旬の物を口にして、感謝の気持ちを忘れない事かも知れない。金に任せての好き勝手では、身体も変調をきたす。白ネギの巧さも旬。

 大根や、人参、牛蒡等の季節の野菜には、冬の厳しさの中で、精一杯命を保つ工夫がある。祖母は霜と雪から守るように、藁を編んで覆っていた。風に吹き飛ばされないようにもして、回りを土で伏せていたもの。だからこそ、そういった作物には、風邪を予防してくれる効果もある。有り難い。

 白鳥の湖 マイヤ・プリッセカヤのを観ながら、舞台の素晴らしさもあるが、原作に忠実なことは言うまでもないが、白鳥が舞う姿に惹きつけられる。衣装や、踊り子の格好には、洗練された変化があるものの、彼女のまさに白鳥の踊りは、伝説のこととなってしまった。美しさも比べるべくも。

 勤務先で、洗い物をするのに、専用の洗剤を持参しているが、他の者が洗ったのに触るだけでも手が荒れる。指先の皸に泣く始末。合成洗剤の悲劇であるが、痒みを伴うこともあるので、難儀をしている。これで水が民間に委託されたり、放射性物質が紛れ込んだりしてくれば、あな恐ろしやと。

 ウラン。売らんでくれよ。アトムの妹のウランは、お転婆で好奇心強く、兄貴を悩ますが、愛らしさも持っていて、地上最強のロボット プルートに恋される。人間の私利私欲がもたらす災いを、神は苦笑しているのだろうか。それとも既に筋書きは出来て、地球を亡ぼす生き物を眺めているか。

 ダイアモンド、ルビー、エメラルド等の高価な宝石類を、その土地の者が請け負って利益を得ていればいいが、子どもまでも働かされて、微々たる日銭しかないことを知ってからは、そういった類の物を求めない。宝石類がなくとも、暮らしていけるのに、敢えて手にする気が失せてしまった。

 我が家の庭から、宝石類が出たとしても、加工しなければ使えないし、或いはそうしても、身に着けて暮らせるものでもないからだ。枇杷葉と共に暮らせるには、これ程の有難さはないし、自然からの恩恵に感謝さえしていれば、命を繋げていける。衣食足りて、とも言うが贅沢には慣れない。

 何だか、人間というのは、霊長類の長と踏ん反り返っているばかりで、地球の事には無頓着であり、資源を掘り尽くしてしまい、破滅へと突き進む集のように思えてしまう。辺野古にせよ、政策にしろ、自分勝手な振舞ばかりで、何が丁寧な説明なのかが分からない。未だ森加計問題も無解決だ。

 宇宙の神秘にも、人智は果てしない。彼方の地球外の生物の棲む星があれば、と眺める。

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