枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

睦月、上弦・小潮

2019年02月13日 | Weblog

 インフルエンザが蔓延しており、窓を開けたりしての、個室対応をしているが、認知症状が進むし、体力も低下する気がしている。狭い部屋の中だけでの生活では、退屈もするし、精神的にも良くない。接触を避ける意味からだが、なんだか気の毒でもある。それも明日限りであるが。

 リンカーンを観て、ケネディを検索したら、百年後の13日の金曜日に当たるそうである。リンカーンは観劇中に背後から暗殺され、ケネディはオープンカーでの暗殺だ。ジャクリーンを演じているのは、ナタリー・ポートマンだった。然し、価格が高い。これなら、海よりも深くか。

 今晩は、非暴力の父・カンジ―を観よう。白人ばかりが偉いのでも、命があるのでもない。自分で選んで産まれてこれるなら兎も角、神が創りたもうた。神域に入ろうとするから諍いを起させた。人類は、ここに来て平等を再考しよう。彼等の意志とは無関係に、連れて来られ差別を。

 戦争には、自分の命だけではなく、他人を殺めることも含む。現在では、スイッチを押せば世界は全滅する。然し、それをしなくても、地球にしてみれば、我慢の限界がきていよう。自然災害等無いのだ。これ等全てが、人類が引き起こした過ちなのだ。時遅く、ノアの箱舟は作れず。

 先日の雪の朝、自転車で通勤して来る際に、転倒してしまった同僚が、枇杷葉の生葉を貼っていると打ち明けた。肩や胸や足を強打したらしい。余りの痛みに、腕は上がらず、びっこであったらしいのが、楽になったと話す。焼酎にも漬けるようだが、生葉でなくては出来ない注意を。

 人間性が出るのも仕方がないことだが、結構ずさんな遣り方をしていることが伺える。寒中にしておくことには、丁寧さも細やかな配慮も必要なのだ。一朝一夕に何でもが出来るなら、労力は要らない。真摯に向き合うことには、枇杷葉の力を借りることでもあるんだが、無理解である。

 楽して得して与えられる物ではない。面倒くさくとも、手間であろうとも、やり遂げることに意味があり、応えてくれるのだ。病は、気力次第で治る。それを援けてくれるのが枇杷葉だ。自分の免疫や抗体に、自然への感謝と祈りが通じる。素直さも純粋さも併せ持つことに気づいて。

 長崎茂木枇杷葉。辺りにはクリスマスローズの鉢が並ぶ。夏に木陰を作り、冬には彩を添える。


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