枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

朝日米

2019年02月21日 | Weblog

 米も好みの問題があり、他では用途かもしれない。個人的には、寿しを度々作るので買っている。今年、新聞に公告が載って、無農薬米を注文して食べた。気分的には、糠と精米状況だが、せめて5分搗きがと思うが、業者が精米してくるので無理だ。消費者の好みで遣ってくれるのが望ましい。

 我が家の梅も、次第に蕾を膨らませて咲き出した。昨日は、気温が可なりの上昇であったので、一気に綻んだものらしい。枇杷葉の下の、クリスマスローズもたくさん咲いているのが見える。暖房は、ストーブだけでお茶を沸かし、部屋に来てから点けた。衣類も寒さを感じなく暑い位である。

 花粉症に、山女が好いのは、耳と目と鼻口への侵入に防備するからか。同僚に持って行ったら早速飲んだらしく、咳が治まったらしい。漢方にも多々あり、体質にも依るだろうが、枇杷葉茶を飲用するのであれば、効果は違うと上げた。即効性は無いとはいえ信じることも肝要。蓄膿症にも効く。

 明治以来、西洋の医術を取り入れて、何でもかんでも手術というのも疑わしい。切らないで治せる方法もあり、そこには枇杷葉での治療が、多く用いられてきた。蒟蒻も同様で、民間療法も莫迦にはできない。癌細胞も、自分の身体の一部である。仲良く共存してこそ、癌も無茶はしないだろう。

 入所されている方には、身体の不自由なこともあって、生きていることを悲観されるが、人には皆使命があって、それを遣り終えないと、あちらには逝かれない。と話していたら、頷かれる。ご飯が自分で食べれる、尿意が分る、笑顔になれる、そのどれもが生きている証でしょう。涙を浮べる。

 美しい言葉でなくても、普通に話す内容に、嘘の無い事を分ってくれるのが嬉しかった。どんな言葉も、美辞麗句だけならどうでも言える。でもそこには、面倒くささや、その場しのぎの逃げがある。人間としての扱いも尊厳もなく、存在そのものが否定される。無理をしないで生るのは難問。

 本日の予定は、散し寿しを作り、夕方の研修会に出ること。午後からは友人が来るので、気忙しいのだが、約束したことは守りたい。明日は、ゆっくり出来る筈で、予定は入れていない。図書館で借りた本が読みたいのだが、中々先に進まない。最近、葉室麟さんの著作に凝っている。千鳥舞う。

 すばるの長さが、横になって50cm程になった。大きくなったと言えば、そうだが・・・

 

 

コメント
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