枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

葉月、彼岸の入り

2018年09月20日 | Weblog

 今夜は、晴れていれば、金星が最大光度の-4.6等星だが、生憎の雨である。昨夜、厭な予感がして、図書館の辺りまで出かけた。幸いにも、曇ってはいるものの月も、晴れている箇所から、火星も金星も観えた。デジカメを作動させようとしたが、充電切れで慌てる。天気回復を祈る。

 勤務先での、地域密着連携に、草刈りや掃除があるのが、雨で延期になる。折角、鎌と手袋まで用意していたが、雨具を着てまでは遣らないようだ。職員の心構えにも問題があり、そういった奉仕作業には行かない。勤務以外のことにも参加したり、地域の方々との連携には知らん顔。

 そういうのってまずくない?認知症状の者が生活している現状を、正しく認識してもらったり、分かってもらう手立てに、皆積極的な姿勢でなければ、気味悪がったり、敬遠されてしまう。わたくしには、幸いに恩師が近くに居て、話すことも多いし、お互いの立場への理解もあるのだが。

 帰宅してみれば、すばるが寒いと甘える。着替えてパソコンの前に座れば、膝に飛び乗って来る。チュウチュウと吸い付いてくるのに、生後1年半だが、人間の子どもで言えば、小学生くらいかと可笑しい。温度の変化が直ぐに分り、重宝するのも微笑ましいが、何分重くなって足が痺れる。

 今年の枇杷葉には、枝の中央に盛り上がったように、たくさんの苞が見えている。未だ9年経ったようには思えぬが、札を下げていないので定かでない。植えた苗の年数が、早9年きたことにびっくりする。それにしても、今年はたくさんの花芽が付きそうで愉しみだ。お茶もだが化粧水に。

 政府の遣り方に憤りを感じる。人間の姿をしているが、人間もどきの典型だろう。自民党と言う党に完全に失望。野党の不甲斐なさもあるが、ここまで国民を莫迦にしきった者等も、今までは居なかった。憲法を改憲し、金利を下げ、消費税を上げ、年金を減らす。挙句に、隠匿とねつ造と。

 通勤途上の、ガードレール下に白い花が揺れている。速度を制限しなくても分かるのは、田舎者故だが韮の花である。数メートル延々と続いていて、臭いからは想像できない可憐な姿が微笑ましい。誰一人として気づかなくても、風に揺れる様には、何等文句も言わず咲いている。清々しい。

 買ってきてはあちこちに植え、花の名まで覚えていない。青い小さな花が、毎年初夏には咲く。

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機械に疎いのも・・・

2018年09月19日 | Weblog

 三隣亡。昨日、フェンスの外の草刈りを、しておいてよかった。と安堵する。今朝も天気に恵まれており、蒲団を干す。陽射しを浴びた、ほかほかふっくらの蒲団がいいので、可能ならやっているが、湿気が多いとそうもいかない。室内での干し方にも、一応掛けているのだが、ふかふかには遠い。

 人間の想いにも依るが、雨を嫌い、天気を好むのは、ちょっと違うところもある。自然からの贈り物には、風も雨もあること、曇りの日もあれば、快晴もあるのだ。こればっかりは、人間の自由にはならない。人工的に雨は降らせても、晴れには出来ない。感謝と祈りを忘れず、日々を送りたい。

 自宅に居るとテレビは観ないし、外出もしないが、図書館が近いのでそこだけには寄る。然し、田舎の財務事情で、月曜日だけでなく祝日も閉館する。加えて午後6時と、日曜日は午後5時までの運営である。サマータイム導入して、朝早くはいいが、勤務が終わってからとなると、閉まってしまう。

 特別に、カフェ等してくれなくても、時間差での勤務をすれば、とも思うが、少数派には配慮がない。衣類にしても、普通を基準にするので、ウエストはゴム仕上げ、ズボンの丈は短い。流行なのでとうたい文句を挙げ、ちんけな格好に腹が立つ。足首を冷やすと、肋なことにはならないのにである。

 夏場の冷房にも、冬の寒さにも、足首を冷やすと、坐骨神経痛や、膝への負担が腰痛にも罹る。人体の脆さに気づいている者も、テレビでの宣伝には飛びつくが、然したる役には立たない。サプリメントが効けば食生活は崩れる。日常生活の異変にも問題があり、便利で手軽には、毒が一杯詰まってる。

 感覚が消えてしまって、医者の言うとおりにするが、自分の意志は無い。これで病が癒えるのなら、病気には罹らない。自分の身体は、他人の物ではなく、医者と言えども任せられないのだ。医者は難しい事を並べ、煙に巻くことはしても助けにはならない。命を創るのも、終えるにも、神のみぞ知る。

 わたくしの信じる神は、森羅万象である宇宙のこと。自然も同等であり、委ねることもするが、治そうと心も向ける。驕りも疑いもなく真摯な気持ちでしかない。援けてもらうのに真っ直ぐに向き合うのも、病を取り去ってくれる。人体には、悪い物は一切なく、心得ることで変わっていくのだと想う。

 多くを望めば、それだけを失う。煌びやかな光を求めれば、邪悪な闇を呼び込む。魔法にかけられて、を何回か観ながら、ジゼルの純真さに考えさせられた。ちょっと辻褄の合わない場面もあったが、許容範囲に収める。少数派の意見をこそ聴いて、政治も司れば、国民の信頼も取り戻せるのに、無念。

 燃料補給に行く所から、貰って来たのはいいが、陰猫で、然も雄だった。本ニャンには抗議も。

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宇宙を眺める・・・

2018年09月18日 | Weblog

 八朔になって三日月までは、朧であったが観えた月も、その後は曇りか雨で、暫くご無沙汰だった。昨夜は、久々の上弦の月と、火星が観えて眺める。自然の齎す情景には必ず、宇宙からの警告が含まれている。自分の身体で体験することと、造られた人工的な物とでは、雲泥の差がある。

 枇杷葉は、自然が贈ってくれる物だと信じ、受け取れる力を大切にしていれば、解って来ることもある。然し、それらが必ず、誰にでも理解できるか?というと強ちそうでもなく、無理なことの方が多い。手軽で直ぐに手に入る物にしか、興味を持たない。自分と言う物体は、存在しない。

 各地での台風や、地震に因る被害にも、水や電気の不足を補える不手際が、広い範囲であったが、機械に頼らざる生活こそ、問題を含むものだろう。真夜中でも電機は消えない。蛇口に近づけば水が出る。井戸には蓋をし、時間制限の電力供給はしない。可笑しいではないか、非常事態に。

 地震時に、星が観えるだの、とても綺麗だの言うが、それこそが当たり前の暮らしなんです。便利で快適でクリーンな生活自体に、疑問を持つことをしていなければ。暮らしていくことの重要性には、自然からの警告に、何時も心を清ませて。忙しいというのは、心を亡くすことでしょう?

 同僚が来ることになっていたのが、大幅に遅れて連絡が入る。夜勤でぐったりしている。若さで乗り切っているのだろうが、疲労は隠せない。珈琲を淹れるが、猫舌でげんなりしている。冷まして飲むしかないと、話をしていたが、肝心の子どもさんへの物がない。仕舞いこみ過ぎたんだわ。

 すばるが歓迎して姿を見せる。あらっ、初めてのことである。人間の基準よりも正しいので、感心してしまう。天気が回復して来ているが、蒲団を干すか迷う。自分の生活スタイルを持っているのも、好ましい限りだ。出身校で頭の良し悪しを判断するが、努力とやる気で撤回できるものです。

 枇杷葉を見回っていたら、何とあちこちに苞の膨らみが見える。それも初生りのようで、愉しみが増える。剪定にする枝を決め、これまで生ってきたのを休めよう。夕方にはフェンスの外の草刈りを。つゆ草も環境汚染の基準だが、ここまで繁ると難儀だ。木香バラも、新芽が出て繁っている。

 すばるのトイレを換え、洗濯機の二度目を回す。図書館は休みなので、借りた本を読まねばならず、休日の予定は盛沢山。すばるが甘えて、膝に来る。そのまま背伸びをやらかす。落ちるだろう!と言う間に墜落。重いし大きくなってきて、抱っこもままならず。悪戯盛りを少し過ぎたようで。

 りささん枇杷葉。種類は房州枇杷であった。一昨年から花芽は付いていたが、今年やっと結実。

 

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八せん始め、上弦・小潮

2018年09月17日 | Weblog

 勤務中のテレビに、樹木希林さんが亡くなられた報道があり、言葉にならない想いに至る。女優としてもだが、人間としての彼女が大好きで、特に病を得られてからの、自然体で生きている姿に胸を打たれていた。命を終えるのに、他者は何も出来はしないが、惜しまれる方でも。

 午前中の勤務を終えて、Aさんちに寄って、水を分けて貰い帰宅する。先日、冷房を付けてくれた電気屋さんが来て、台所の明かりを換えてくれた。年末までで良かったのだが、最近は、電気代も安く、明るいのがあるらしい。然し、余りの明るさに驚く。まるで昼行燈じゃないか。

 リエさんから電話があったようで、落ち着いてからかける。何でも黄桃が、今年は特に美味しかったようで、お礼が言いたかったそうだ。葡萄も送るね、と言うとびっくりしている。最近は、枇杷葉と桃にしか興味がなく、メロンにさえかぶれる。農薬の影響だとは思うが口中が腫る。

 体調不良で、一番に出て来るのは、顔・唇で、食事が摂れないくらいに切れる。胃腸が弱く、よく噛まないからだが、刀豆茶を飲む次第だ。枇杷葉茶と一緒に、ひたすら飲んでいるが、治ったと止めると元の木阿弥。その繰り返しに、日々を送ってしまう。根性が足らないんだろうな。

 枇杷葉をあちこち剪定するのは、蜂に巣を掛けられない為で、繁ってしまうと、見落として刺される。花芽もたくさん付き始めたので、枝を伐っていかないと、養分も減ってしまう。多少は、粒の大きな淡路田中でさえも、木丈が伸びてしまっている。今年は、枇杷葉茶用にしこもう。

 数日、雨か曇りなので、星も月も観えないが、既に八朔から一週間である。然も、新暦では9月で、12月まで残り少ない。お彼岸が近づき、十五夜も待たれる頃だ。何と早い季節の来し方だろうか。人間同士の付き合いが鬱陶しく、休日には自宅で過すのが安堵する。気儘にのんびり。

 ナルニア物語の続編、最後までの完結を願いたいものだが、ディズニーはなぜ離したのか?金銭的なことが絡むと、映画の出来が怪しくなるようで。でも、監督や主演者にも因るのではないか。スターウォーズは、最後の三部作で躓いた。派手なだけであり、面白みに欠けてきたようだ。

 観葉植物にも多々あるが、小さな小指程の挿し芽で、こんなに大きくなって増えたのにもびっくり。

 

 

 

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昨今の現状・・・

2018年09月16日 | Weblog

 空が明るくなって、陽射しが零れて来た。久々の天気に洗濯物を干す。表の旦那さんが勢いよく、草刈り機をかけ始める。仕事でなかったら、こちらも草刈りをしたいところだ。明日に持ち越そう。敬老の日であるが、昨今は呼び方も、敬老フェアだの、老人の日だのと、可笑しな言い方が増えた。

 敬老と言うことさえ、定かでない現状では、人間の価値観の相違が、ここまで異様になったものと淋しい。新聞にしろ、書籍に於いても、やたらといただきすの連呼、おをつけての過剰さに、一体日本語の正しい言い回しは何処に?と嘆かわしい。これをやるのが、文学に携わる者であるのも淋しい。

 自由と平等とが、誰にでもあるのは当然のことだが、ではなぜ、沖縄にはないのだろう?アメリカの言い成りを、政府は沖縄へ押し付けていき、強引にも押し通す。基地は要らない、という前に、その土地が一体誰のものであるのかを質したい。戦後に騙されて取り上げられた、現地の人の物だろう。

 政府の陰謀は分っていることで、沖縄を二分して、思うように操ろうとの策略が見えている。人間としての価値観の差もあろうが、他者への思いやりに欠け、欺き、土壇場で手の平を返す。遠隔操作の殺人にも値する仕打ちに、情け容赦のない不気味さを感じる。そういった者が、政界の頂点とは。

 このところ入浴した時に、せっせとお腹と腰を塩で揉んでいる。多少は効果があるようで、スカートが苦しくない。普段からの手入れを怠っていたのが、肥満に繋がるのは知っているのに、横着を決め込んだ結果だ。ダイエットは基本的には、その心算はなく、美味しい物を作って食べたい性格で。

 昔は、食事は三度ではなかったし、あってもおかずが乏しかった。栄養面も何も、三度の食事が戴ければ、満足していたものだ。それが時代が変わってきて、贅沢が当たり前になり、質素堅実には見向きもされない。沢庵があり、梅干しがあれば上等。お頭付きなんてご馳走だった。ひしおも旨い。

 自然災害と言えば、保証が出たり、受け取れるものと考えるが、あらゆることの根底には、人間が無知故に起きた災害でもある。資源には限りがあるし、それさえも人間の物でもなく、自由でもないのだ。地球と言う青い星が、エネルギーを注いで、育てているのではないか。人類は、勝手気儘だ。

 ようやく慣れてきて、動いたり、足音にびくつかなくなった。ちょっとポーズを決めて。

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雨の日々に・・・

2018年09月15日 | Weblog

今年、種を植えておいたのから、発芽しているのが数本見えて来た。温度や湿度にも依るらしいが、略3ヶ月位での芽が出て来る。また、移植をするのは更に、3年後からが好く、余り早いと枯れてしまう。鉢植えでもいいが、最初から大きな物ではなく、徐々に換えていき、木丈が1m程で固定する。

 休日の雨の日には、読書三昧といきたいところだが、思い立って遣ることもでき、計画通りには中々いかない。昨日も、気がかりの片付けに再度挑戦して、やっと居心地の良い空間を創る。洗濯も雨で、必要最低限の物にし、湿気が多くて難儀をした。外は曇りで、風が少々出てきたが室内に取込む。

 すばるの餌が少なくっているので、買いに行かねばならず、クリーニングも寄り、調味料も必要だ。出掛けるには、品物の段取りと、順路があるので、頭に浮かんだ物をメモル。先に延ばすべきかも考えつつ、ブログの更新をしている。片付けた机の上を見つつ、DVDも増えているのに暫し見惚れる。

 ザ・タイガースも揃えたし、ディズニーの作品も粗方、お気に入りは買った。チャイコフスキー関連も、一応趣味の範囲で観れる。カイル・マクラクカン主演の作品も、手に入れた。何よりもデューン・砂の惑星にぞっこん。原作もだが、彼故に素晴らしい。残るは、奇跡の人 アニー・サリバン役。

 パティ・デュークが演じているのを探しているが、何処にもない。映画にはなっていないのかな?ヘレンケラー役で、一躍有名にはなったが、晩年は淋しい最後だったらしい。奇跡の人は、東京に行った時、銀座で見つけて買った。最近はネットでの購入しかできないシステムだが、そこにも見当らぬ。

 気晴らしに図書館に行くのに、隣市まで買い物に周る。醤油の在庫が無くなり、プラを持って出かけた。他の物には目もくれず、籠に入れレジに。次にクリーニングを受け取り、すばるの餌と砂を買う。最終目的は図書館で、返却と新しい ヨーコさんの言葉を借りる。県立図書館へイギリスの歴史を。

 帰宅して、玄関の左手に、何かの糞を見つける。梔子を見ると、葉が大量に齧られている。自家製の薬を散布して、探したが見当らずで、例の緑の虫と見当をつける。雨で孵化したものだろう。枇杷葉にも痕跡がある。長崎茂木に、早苞が付いているのを発見する。今年は、剪定する枝があちこちに。

 ランタナも、買って来た時よりは繁ったが、花付が余り良くない。それでも、忘れずに咲く。

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龍は眠る・・・

2018年09月14日 | Weblog

 白い龍が翔けると吉。灰色だと暗雲たる模様が続く。赤は争い、天が荒れる。黒は、闇が支配し、未来への兆しは不明。龍の色にも、種類にも多々あるものと思われる。ダンジョンズ・ドラゴンズには、想像を絶する龍が集まる。然しながら、昨今の事情ではおいそれとは現れない。否視えぬ。

 百武彗星が観えた年、とても不思議な体験をした。あの頃には、自分の持つ力に気づいていなかったから、遭遇したものだろう。枇杷葉との縁も、そこから始まったのだ。祖母のやってきたことにも、深く拘わり、使命に目覚めたのもこの頃。宮部みゆきさんの連載を読むにつけ、事の重大さに。

 ウォーリーを観て、地球の行く末を思うが、塵の山なら未だしも、核の埋まった、汚染してしまった地球には、人類は還って来ない。希望も夢も砕け散り、科学の進歩の跡すらない。内容には頷きつつ、違和感も拭えないが。日本の行く末もにも暗澹たる不吉さが、せめてこそ沖縄だけは返そう。

 自民党安倍政権の思うが儘、ではいけない。どうせなるようにしか、という気持ちを変え、自分達の沖縄を、静かで安心して住める場所に。沖縄に基地は要らない。これ以上の負担も必要ない。政府や、アメリカの言い成りにはならない。生活を轟音に脅かされ、命の危険には曝されはしないよ。

 自民党議員を選んだのは、我々国民である。少数派で選びはしなかったが、昔からの根強い崇拝感は、特に高齢者には否めないものだ。野党の不甲斐なさも、原因ではあるが、自民党一辺倒では、未来は暗い。物語も、現実も、然したる違いこそない。人間の姿も、思考も変わらずに空虚拭えず。

 白楽天の暮らしが、現代に通じるとは思えぬが、資金に乏しい者としては、清貧の日々こそが遭っているのやも知れず。枇杷葉と細々と生計を立てねば、誰かがポストに大金を、入れておいてくれる訳ではない。窮状を訴えても、またそれなりの金はかかる。況してや、有利に動くとも思えない。

 すばるが、午前中は出窓で過していたのが、曇り空と気温の低さに、甘えて来る。膝に飛び乗って来て、膝掛を掛けたら、鼾をかいて眠っている。数分で重さに足が痺れる。銀河は然程に思わなかった体重だが、すばるの重さは半端ではない。外に出さないから肥満かな?いかん!甘い物は止める。

 最近、掃除機に頼って、床掃除を怠っていた。今朝は、せっせと雑巾掛けをした。お腹を引っ込めるのは、雑巾で拭くのがいいんだが、横着になっていた。食べるだけなら肥る。今後は、掃除に身体を動かそう。枇杷茶で夏バテはせず、猛暑にも冷房なしで乗り切ったのに、これでは何もならない。

 来た当初は、好奇心旺盛であり、小さいので、何処にでも上がれた。好物は茹で卵です。

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ごきぶり疾走・・・

2018年09月13日 | Weblog

 寝ていると、畳みから蒲団へ、そこから箪笥に壁に素早く移動する。すばるが追いかけるので、眠れない。蠅叩き片手にじっと隙を狙う。夜中になので、眠いのであるが、すばるはへいちゃらで遊んでいる。戦い済んで朝が訪れる。今朝は早出です。仕方がないいから、珈琲を挽いて淹れ、飲んで行く。

 夜勤者の業務には、並みの苦労が当たり前である。わたくしには、命を預かることには変わりがなく、責任の重大さもあって、やったことはない。夜になれば眠るのを、起きていること等考えられない。日中でも不安定な状態なら、夜間には苦労も増えよう。瞼が自然に下りて、疲れ果てて眠ってしまう。

 図書館に返却に寄り、並べてあった もったいないばあさんと、藤原てい・流れる星は生きているを借り帰宅。以前から読みたかったが、踏ん切りがつかずにいた。戦争への勇み足に思える昨今、終戦を迎えた者の、真実に触れれば、と手にした。月は出ず、星も観えないが、心の中には広がっているよ。

 パソコンの上を片付けたので、DVDも見易くなったしでいいのだが、コピー機も買わねば、パソコンの使用頻度が増えない。それでも、この歳で操作出来ているんだから上出来だ。携帯をスマホにせよと、煩く言ってくるが、冗談ではない。文明の利器とさらばしたいのを、そんな誘惑には負けないわよ。

 奇跡の人 アニー・サリバン役を演じた、パティ・デュークのが欲しいが、見つからない。まあ慌てなくても、きっと願いは適うものと信じている。晴れていれば、星に願いをしているのだ。必ず叶うだろう。ディズニーのDVDも色々あるが、ピノキオは原作も素敵。内容には、酷く考えさせられることも。

 現実問題から逃げてはいけない。沖縄の辺野古移設に関しては、大阪の空港みたいになる可能性が大きい。沖縄の人々が、普通の日常を取り戻せるには、本土の負担も止む得ない。いっその事、永田庁への移設をすればいいんだ。オリンピックも、築地の移転も、いい加減な内容には事欠かない。嘘ばっかり。

 このところ、曇りか雨で不安定である。洗濯物がさっぱり乾かない。冷房を点ければ寒い。ドライにすれば電気代が高くなる。こうなったら除湿器を使おう。と思うのだが、仕舞いこんであるので、今更出すのが億劫である。全体的に、横着になってしまっている。自分でできないこともないが、大儀なのよ。

 明日は休みであるが、何をするかなぁ・・・パソコンを使い熟したいが、触ってデータが消えても困るので、無難なところで止めておこう。自分に合った暮らしに、形や遣り方を取り入れておこう。そろそろワインも美味しくなるし、友達を呼んでテーブルを囲もうかしら?リエさんとしーちゃん来れる。

 夏の盛りに咲くカラー。白が好みだが、黄色がすっくりと立つ。花は、どんな種類も素敵。

 

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無痛扇とも

2018年09月12日 | Weblog

 枇杷葉の効果には、実に様々なことがあり、それを詳しく言うのは、況してや殊細やかに説明となると、これは漢方学となってしまう。枇杷葉は、古来、民間療法としてあり、江戸時代には特に、小石川療養所で用いられてきた。尤も、幕府の絶大な権力も存在したろう。いつの世も金の力も。

 これには、江戸幕府を開いた徳川家康が、薬草に熱意を持ってあたり、その普及に力を注いだことにも依るらしい。毒は薬にもなるが、薬は毒にも転じる。匙加減に因っては薬殺も可能だった。何れにせよ、昔には病に罹ると言えば、結核が多く、その治療には、藪も土手もなかったようだ。

 枇杷葉の持っている力に、細胞を再生・活性化する働きがある。だが実際には、本人が備えている、自然治癒能力にも依ることが大きい。医者は治療するのが当たり前で、それには相当の金額を、患者は払う。然し、見立てが間違っていれば、当然治りは悪いし、細胞は死滅してしまうのだ。

 加藤剛・大阪四郎・松山英太郎、既に亡くなった方々も出演の、大岡越前。其処には小石川療養所が出てくる。途中からであるが、右手を怪我し、細工が出来なくった男が運ばれて来る。医者は切るしかないと言う。師の言葉に、切らずに治せる方法はないものか、と問いかける場面がある。

 勤務をしながらなので、とばした箇所もあるが、切断に療養所を抜け出し、自宅に帰るが、痛さに道具が持てず倒れてしまう。場面変わって、何と患部に枇杷葉を貼っているではないか!何度も張り替え、取り換えているうちに熱も下がり、症状も和らぐ。まさしく枇杷葉の力の程であるよ。

 高校生の頃に観ていたのか?その時には、関心が低かったし、江戸時代の、然も小石川療養所等、さっぱり分らなかった。ところが枇杷葉の援けを借りて、治療に専念しているのとでは、差があることに気づき驚く。画面に映った葉を見た瞬間、枇杷葉だと確信した。医者役は、竹脇無我だ。

 わたくしの場合は、医者嫌いからのことだが、猫の爪には感染症もあったことだろう。塩を、蒟蒻を、擦りつけ、貼り付けて治したのだ。無論、枇杷葉のエキスは足に巻き付けてある。か細い足が二倍に晴れ上がり、熱で震えがきたもの。執念かな?いえいえ、治そうと言う信念の外ならず。

 民間療法を莫迦にしてはならない。医者であるから治してくれる。と言うのも間違いだ。藪も土手も居るんだから、自分の体調や症状を、見極めておくことも大切。然し、子ども場合は、親の判断に委ねなければならず、他人の言うことや、高齢者の遣ること等、頭から信用していないのね。

 梔子の花には、どでかい緑の虫が来る。今年は、来なかったが、花は少なかった。剪定は必要だ。

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二百二十日、葉月・大潮

2018年09月11日 | Weblog

 文月や葉月が、災害の多い月と言うには、それなりの訳があるんだが、文明生活に慣れてしまうと、電気が通じない、水道が使えない、と不平不満ばかりになる。オール電化生活をしているから、切り替えが出来ない。いざと言う時への対処方法に躓く。人間なのだから、考えることも必要なのに。

 誰が悪いのでも、誰かのせいでもない。ちょっとした工夫や、我慢することから知恵は生まれる。皆さん、自分だけが特別だと思うが、目が視えなかったり、何等かの障がいがあったら、機転を利かせて乗り切るもの。普段の生活と言うが、不便さを厭わず、暮らしている人も多いんですよ。

 当たり前の生活というが、基準は何だろう?年金暮らしになれば、収入は決まっており、困っていても誰も何もしてはくれない。電気を使うことを控えたり、水道を節約するしかない。各々、気づいて反省することも大事でしょう。沢田研二さんのスーテージを観に行くが、平素は質素堅実に暮らす。

 働かないと収入も少ない。然し、身体が言うことを効かないのも事実で、切り詰めての暮らしに甘んじる。無駄な外出は控え、最低限の支出に抑える。国会議員等のようにはいかない。討論会なんて嘘ばっかりを並べる。これだけ不満や疑惑が噴出しているのに、何を言っているんだろうか?詐欺師。

 葉月になって、室外の気温も低くなってきたので、鉢物を仕舞うことにした。出窓を掃除し、ベゴニアやランタナを置く位置を悩みつつ入れる。あちこち置きながら、すばるの居場所を塞いでいることに気づく。段ボール箱に、バスタオルを敷いたのを置く。台所や廊下に掃除機を掛け終わり呼ぶ。

 パソコンの部屋で、気分良く眠っていたらしい。トイレも替えておく。休日の予定が終了し、昼食にかかる。素麺が残っているので茹でるか・・・生のプルーンに、黄桃を食べる。明日の弁当の用意もしなくちゃ。じゃが芋があるので、肉じゃがもいいか。小吹いももいいなぁ。食欲の秋にて肥るよ。

 夏分に、楽で涼しい格好でいたら、スカートがきつい。いかん!服飾代には出費が出来ないから、これまでの物で我慢して着ているのに、ご馳走を食べているのでもないのに、これは食間のお八つを我慢するしかない。枇杷葉茶と刀豆茶、珈琲で痩せなければならないが、明日からにしよう。決意鈍。

 弁当には、蒟蒻を炒めたり、きんぴらにして入れよう。最近、横着になってしまったから、肥ってきているのも実感だ。掃除も小まめにしよう。機械は便利だが、肥る原因を創るもの。電気代も掛るので用心に越したことはないのだ。雑巾掛けが手っ取り早い。読書に夢中になっていると、肥ってくる。

 我が家に来た当時には、暗い場所に隠れてしまい、鳴き声さえも出さなかった。探検疲れ・・・

 

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