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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧暦での暮らしをして・・・

2020年06月29日 | Weblog
 気忙しい。星座の観測には旧暦は無くてはならないもので、時候を知っていないと、観測不能になったり反対に好条件に恵まれることも有。昨夜は、と言っても既に日付は変わっていて、草木も眠る丑三つ時になっている。湿気が充満していたのが急に冷え込んで来た。ひょっとするとと外に出てみれば、満天の星空である。デジカメを手に天の川や昴と撮りまくる。

 夏への扉が、映画化されるようだが止めてくれ。今までにも挑戦した監督はいたが、俳優の演技力と言うか拙さで失敗している。ちょっとばかり売れてきたからと起用したり、SFを齧った程度の知識で演じるのはいけない。原作に忠実にとは思わないが、ファンの想いには達するまいとも。無理なのである。砂の器でも、加藤剛や丹波哲郎が演じたから良かったのだ。

 無論、観る者の視点からでも異なるのは否めない。原作とは違っているのも仕方ない。それでも、俳優の技量の素晴らしさにも、監督の描かんとする想いにも依る。観る者の心を揺さぶる何かが無ければ白ける。そういう作品は、時を超えても残るし、何度観ても観厭きないものだ。そこには日本人の心が在り、世代を人種を繋げる役割もあるのだ。胸に迫る想いが。

 さて。夜勤者への弁当を届ける予定で、昨日から干瓢を戻しておいたのを、酢と砂糖とで味付ける。高野豆腐も水に曝す。胡瓜を切って塩をしておこう。これは巻きずしの具にするためだが、夏なので腐らない工夫と、口当たりが爽やかな感じで巻こう。おおっ青紫蘇も撮って来よう。水の汲み置きをペットボトルにしながら、洗濯していた夏蒲団を風に曝そうと干す。

 梔子の匂いに圧倒されるが、自然の風が運ぶので気分は佳い。これが人工的な臭いだと気分は悪くなり、倒れそうになるくなりのに閉口する。皆、人工的な香料をわざわざ買って室内に置くが、その香りには平気なのか?香害とも言うが、苦手な者も居るのです。ちゃんと日本語が喋れないのも困るが、本を読まない者が増えているので、付き合わなければ好いだけ。

 西日本が豪雨という天気だが、ここ三日ばかりは一滴も降っていない。降れば水遣りが助かるのだが、毎朝と夕方とに気を付けている。その際、蓬を摘んだのをバケツに入れておいて遣ったり、カルキを抜いてからしたりである。通草が、見落としていて何と7つ実がぶら下がっている。大きさが違うのは種類が異なるのだろう。早生や旬、晩生であろうか。愉しみ。

 カーネーションが、咲き終わったと思っていたら蕾を覗ける。これは夏の花なんだ?山桜桃に実が熟れていたのが、綺麗に消えて終った。ブルーベリーも同じである。早朝の出来事であり、安眠中のこと故仕方がない。人間の所有物ではないので分けることも大切。農薬をかけないので、美味いのであろうとは思うが、これも早い者勝ちらしい。ヒヨドリが蹴散らす。

 ジャックと豆の木を、元の場所に還す。何だか元気が無くなってくるし、葉が枯れて息絶えそうにしているので、これは如何と移動させた。木や花は、出来れば買って来て置いた場所から、動かさないのがいいらしいと聞く。人間も移動する度に新しい環境になるから、身体も心も付いて行けないことに陥る。誰しもではないが感情も左右される。何故かは不明だが。

 節分、立春ときて庭の様子も徐々に変わる。梅の樹にも蕾が綻んでき始める。清々しい香りに源氏物語を想う。

 
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