goo blog サービス終了のお知らせ 

枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神さまにも

2020年06月14日 | Weblog
 神社も仏閣も、人間が住んでの御勤めである。従って、寄付の金額には上限無くお供えでもらう。然し、これは神さんが決めてやっているのでもなく、信者の御心と言う。これが一番怖い。お賽銭を上げるのは、本人の経済状況もあろうが、信心が大幅を占めるのではないか。蒟蒻閻魔さまも、信者の祈りと願いを聞届けてくれたからこそ、祀ってあるのだろう。お供えの金額で計らない。

 雨が小降りであれば、野鳥のさえずりが姦しい。枇杷葉の実を狙っており、今朝は大胆にも雀も相伴に来ている。雨の溜まった袋を外せば熟れた実が覗く。フェンスの場所のは、熟れ過ぎて皮が炸裂し、蟻の集団に乗っ取られている。初生りのは淡路田中かな?もしかしたら白枇杷かも知れない。実の色が薄いのに熟し、甘酸っぱい。房州枇杷も小粒ながら甘くて旨い。市販品にはない味。

 青空が一瞬現れたが雲に覆われる。それでも風も多少はあり、洗濯物に期待する。洗剤をボディソープにしているので、部屋干しでも臭わないので助かる。衣類の汚れの殆どは、皮脂であるので、身体を洗うのと同じだと思い換えた。香りが素敵だと宣伝しているのが厭で、そもそもあの臭いが苦手なのだ。香害とも言う。気分は悪くなる、体調不良に陥る、どう考えても良いことは無い。

 今年は、裏年で不作と思っていたが、意外と生っておりびっくりした。リエさんのは半分残っている。駐車場の場所のは淡路田中だが、未だ青く硬い実だ。袋の中を確認しないで採ったのは青いので、お茶にするか枇杷湯に入れよう。それにしてもこんなに沢山生ってくれ、然も甘くて美味しいのだ。自然の恩恵を祈り・感謝しないでは罰が当たる。丹精籠めるのも大事なことと有難いね。

 佐藤さとるさんは亡くなったが、生前の想いもあって今年も贈らせてもらった。夕方、留守電を聴かれた娘さんから連絡があり、我が家の出来を褒めてくださる。売り物でなく粒が小さいのでと伝えると、とても美味しいからうれしいですと話された。ファン冥利ですな。贈る相手にも由るんだろうが、生前の佐藤さとるさんは、枇杷にだけは眼が無かったらしい。それだけでうれしさの極み。

 暁子さんにも、と娘さんに送る。苗を植えた時点では、そこまでの成長を思っていなく、間隔を考えていなかった。今年は剪定しよう。暁子さんちにお邪魔に上がった時、お隣の樹であった。主が亡くなって伐ってしまわれたのが辛かった。梅ではないが、我が家に飛んで来たものと信じている。勢い枝を伸ばし、葉を繁らせて実を付けた。自然界の奇跡。信じ難いがあれから鈴生りになる。

 海や山の心が通じてくれば、人類は何も出来ないと言うが、いえいえ、お互いに共存するのにどうすべきか判る。人間の都合勝手だけでは、自然界は成り立たない。災害の大半には、人類の遣ったことへの付が還ってくるのだ。自然災害と言うが実際には人災だ。沖縄の辺野古を埋め立てれば、その歪みが近い内に還って来る。コロナを引き起こしたのも、人類の為したる結果でもあるのだ。

 薔薇にも様々な香りがあり、強いのややさしいのと多い。風に揺れて匂って来ると、微かでも心を癒してくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする