「小池さんは女に対しても女を利用する」『女帝』著者・石井妙子が語る都知事の正体

2020年06月23日 | 社畜奴隷の二ホン、、世界で稀な勤勉な馬ヵ
要するに、下記時事で言いたいことは<<マスゴミ全般と国民が馬鹿なので小池百合子というタヌキ人間に騙されてきたということ>>

マスゴミや国民が馬鹿なので今後も小池のような人間が多数出てきて社会国家を翻弄するという事。




「小池さんは女に対しても女を利用する」『女帝』著者・石井妙子が語る都知事の正体

6/22(月) 17:00配信
文春オンライン

石井妙子さん

「芦屋令嬢」「カイロ大学を首席で卒業」「ニュースキャスター」。華やかな言葉で来歴が語られる小池百合子。その裏では何をしてでも有名になれという父の教えそのままに、自分の過去を、ときに自らの病や身内の死までをもマスコミを使って「物語」にし、それを広め、そして権力の階段を上ってきた。



 先日20万部を突破したその小池氏の評伝、『 女帝 小池百合子 』(文藝春秋)の著者・石井妙子に話を聞いた。

◆ ◆ ◆
スイッチが入ると、誰もが「小池百合子」を語り続けてしまう

―――発売と同時に大変な話題になっています。どのような反響がありましたか。

石井妙子さん(以下、石井)ネット上では「面白かった」「怖かった」と二つのキーワードが多く見受けられるようです。私自身に寄せられたところでは、「小池さんという人がどういう人物なのか初めてわかった」「今まで疑問に思っていたことが腑に落ちた」「肯定する気にはなれないけれど、がむしゃらに男社会をのし上がっていった小池さんに喝采を送りたい気持ちもある」「憎めない、かわいそうだ」「絶対に政治家にしておいてはならない」等、本当に幅広い感想を頂いています。

 今の政治状況にも若干、影響を与えた面があったようで、とにかく反響の大きさに大変驚いています。

 政治家の暴露本、批判本だと言う人もいますが、私はあくまで小池百合子という人物を調べ、事実を追いかけることを目的としました。先入観を持たずに、とにかく調べうる限り調べて書く。ノンフィクション作家とはそういうものだと思います。批判してやろう、都知事の座から引きずり降ろしてやろう、といった政治的意図をもって書いたわけではありません。

 ですが、そのように読む方がいてもいい。それも読者による、ひとつの受けとめ方です。私の作品はどこまでも読者への問いかけであって、答えを押し付けるものではありません。読者にはそれぞれ自由に読んで欲しいし、著者がそれを邪魔してはいけないと思っています。

―――あとがきには、3年半のあいだに100人以上を取材したとあります。

石井 小池さんを嫌っている人だけを選んで取材したわけではないのですが、厳しい意見を耳にすることが多かった。取材に応じてくれる方というのは、たいていはいいことを言いたいから受けてくれるというケースが多いのですが。

 また、取材をしていて、誰もがスイッチが入ると、「小池百合子」を語り続けて止まらなくなる。ちょうど今、この本を読んでくれた方々がネット上でたくさん感想を語ってくださっていますが、それと似ています。

「女の皮をかぶった男」なんじゃないか

―――そうした人たちは、小池氏について話す機会を待ち望んでいた感じだった?

石井 私が取材を始めたのは4年前の都知事選の直後でした。当時、小池さんの人気はすごく高かった。皆が「小池百合子」に熱狂し、報道も礼賛記事であふれていました。そうした中で取材に来た私のことを「この人はちょっと違うな」と思われたのか、本音を話してくれたように思います。

 公人から市井の方まで、多くの方に会い、ハッとさせられるような「小池百合子」評を聞くことができました。

―――政治関係者が多いなか、女性学、ジェンダー研究者の田嶋陽子氏にも取材しています。

石井 田嶋先生は小池さんが都知事になったときに、記者会見に出て質問されていました。それが印象に残っていて、女性学の研究者として小池百合子をどう見ているかを聞いてみたかった。

 フェミニズムの世界では、父親の持つ男性の価値観をそのまま受け入れる女性を「父の娘」と呼ぶそうなのですが、小池百合子は「父の娘」だ、と。そして女性の都知事が誕生するのは歓迎すべきことだけれども小池さんでは喜びきれない、この人は本当に女なのか、「女の皮をかぶった男」なんじゃないかと田嶋先生は話してくれました。
小池は男性社会によって生み出された「スター」

―――同じ女性として、小池氏をどう見ますか?

石井 男性社会によって生み出された「スター」だと思います。日本の社会の歪みや弱点を巧みに衝いて飛躍してきたのではないでしょうか。女性が活躍する新しい社会の代表者として見られていますが、そうではなくて、むしろ古い男性社会が生み出した偶像であるように思えるのです。古い価値観の終焉の象徴ではないか、と。それが男性でなく女性の小池さんなのが面白い。

 しかし、その一方で、テレビからネットの時代に移行し、外見の良さや雰囲気や饒舌さといった種類の自己アピール力がますます重視される世の中になっていくのだとしたら、「小池百合子」的存在は今後も増えていくのかもしれない、とも思いました。

 彼女が表舞台から退場したとしても、彼女を生み出した土壌そのものが変わらなければ、次々と「小池百合子」的人物が誕生するでしょう。

―――「古い男社会の偶像」として小池氏をみると、義理人情の二階俊博氏と人を切り捨てる小池氏、真逆の二人が上手くいく理由が見えてきます。

石井 二階さんは古い男社会の典型的な「オジサン」ですよね。小池さんはこういった昭和的な男性を御すことには長けている。若い時から、そうした年上男性たちに引き立てられてきたわけですから。小池さんにとっては、自分よりも若い安倍総理より、二階さんのほうがずっと扱いやすいのでしょう。

 小池さんは4年前の都知事選で、「リーダーが女性になることで社会が変わる」「古い政治を新しく」「おっさん政治との決別」と叫んで当選しました。しかし、実際には、今でも「おっさん政治」の象徴である二階さんに庇護を求めて、恩恵に与っているのが小池さんです。まったく矛盾しているわけですが、誰も、それを問題視しない。

―――『 女帝 』にある、小沢一郎氏と無理やりデュエットする逸話などもそれですね。

“山口敏夫の長男の結婚披露宴に呼ばれた小池は、むりやり小沢をステージにあげるとデュエットの相手をさせ、皆の前で「瀬戸の花嫁」を歌ってみせた。”(本文より)

石井 ぴたりと若い小池さんに寄り添われて、小沢さんのほうが緊張して大汗をかいていた(笑)。テレビ界にいた時から、どうすれば年上の、権力を持つ男性に近づけるか、気に入られるかを熟知している。力を持つ男性に接近し、ポジションを得ていく。

 男が人事権を握っているのだから、そうするしかないということなのかもしれませんが、では、政治家の実力とは何で測られるべきなのか。政治家の本質とは何なのか。そうした問いにもつながっていきますね。

女性に対しては「共感しあえるわよね」と売り込む

―――男性同様に、女性たちも小池氏にもてあそばれます。

石井 必要に応じて、小池さんは女性に対しては「女同士だから共感しあえるわよね」という感じで自分を売り込んでいきます。男性には女性に対する幻想があるけれども、女性にもやはり女性に対する期待や幻想がある。

 築地女将さん会の方がはっきりと言っていましたけども「女の人だから、価値観を共有できる」とか「男の政治家のように経済優先で市場問題を考えないはずだ」、あるいは「子どもを育む性として、食の安全や健康を男性より重視するはずだ」と思ったそうなんです。小池さんも、そうした発言を盛んにしていましたから。でも、それは見事に裏切られるわけです。

 小池さんは女性に対しても「女」を利用した。女も男も、小池さんが女性であるということに捉われて、彼女の本質を見極められなくなっているのかもしれません。
「小池百合子」を生んだ原風景

―――その本質について聞きます。政治家には政治家を志す原体験・原風景があるものですが、小池氏の場合は?

石井 彼女自身は「若い頃にエジプト留学して第四次中東戦争にまきこまれ、それが国家とはなにかを考えるきっかけになり、政治家を志した」「乗る予定だった飛行機がイスラエル軍に撃ち落とされて全員死亡した。その時から、国家にとっていかに領土を守ることが重要であるかを考えるようになった」というような話をしていますが、眉に唾して聞かなくてはなりません。

 戦時下といっても、実際はカイロ市内で日常生活にそう支障はなかった。弾が飛び交うような戦場になったわけではないんです。しかし、彼女はカイロ大学では匍匐前進をならったといった、あり得ない話をする。厳しい戦争を体験した、特異な経験をした強運の持ち主だと人に信じさせたかったのでしょう。これらは彼女によって作られた幻の「原風景」ですね。

―――では、実際のところの原体験・原風景は何だと思いますか?

石井 小池さんが生まれ育った芦屋は階級差の激しいところです。家庭環境も複雑で、父親はしょっちゅう問題をおこして金銭的にも苦労が絶えない。それなのにお嬢さん学校に入られてしまった。つらかったと思います。

 そうした少女時代からのいろいろなコンプレックスとか屈辱感とか、そういう前半生で味わった辛酸みたいなものがずっとあって、後半生で自分の前半生を取り戻そうとしている、あるいは自分に与えられた宿命に必死で抗っている、そういう感じがします。

 ですから、そこには「自分」しかないわけです。国をどうするかとか、そういったことが動機になっているのではなくて、自分が高みにいってみんなを見下ろす存在になりたいという欲求が強くある。だから総理を目指しているとしても、実現したい政策や国家観といったものを持っているとは思えない。

マニキュアのエピソードは複数人に確認

―――阪神大震災の被災者が議員会館の小池のもとまで来たときのエピソードを思い出します。

“窮状を必死に訴える彼女たちに対して、小池は指にマニキュアを塗りながら応じた。一度として顔を上げることがなかった。女性たちは、小池のこの態度に驚きながらも、何とか味方になってもらおうと言葉を重ねた。ところが、小池はすべての指にマニキュアを塗り終えると指先に息を吹きかけ、こう告げたという。

「もうマニキュア、塗り終わったから帰ってくれます?  私、選挙区変わったし」”(本文より)

石井 にわかに信じられない話ですが、もちろん複数の人に確認しています。そういう話は噂になって広がっていくのですから、政治家である小池さんにはなんの得にもならないと思うんです。

 それでもやってしまう、やらずにいられないのは抑えがたい欲求に衝き動かされてしまうからでしょう。わざと相手に嫌な思いをさせる、ことさらに相手を傷つける、なんでそういうことをするのかなと思いますが、やはり自分が上だということを確かめたくて、そうしてしまうということなのかもしれません 。

 高い地位に就いたことを、下の人を踏みつけることでしか実感できないのなら、本当に不幸な人です。 やりたい政策を実現して喜びを感じるのが政治家の本来あるべき姿だとおもいますけれども、そういうものは最初からないのではないでしょうか。
ひとりは総理夫人で、ひとりは東京都知事

―――石井さんはここ数年、小池氏について書く一方で、安倍昭恵氏についても月刊誌に書かれています。

石井 小池さんを最初に書いたのは『新潮45』で、同じ頃に月刊『文藝春秋』からは安倍昭恵さんを書かないかと話がきた。それで二人を同時に取材・執筆を進めたことで、比較しながら考えることができました。

 昭恵さんはお嬢さん育ちで、安倍晋三と結婚したら夫がどんどん出世していって、気づいたらファーストレディになっていたという人です。一方小池さんは自分ひとりで男社会をのし上がっていくわけです。

 ひとりは総理夫人で、ひとりは東京都知事。女性としては、それぞれ社会的には高い地位にいる、今の日本を代表する象徴的存在、それが安倍昭恵であり、小池百合子であるわけです。

 戦前からの、女性解放の長い歴史を経て、建前上は男女平等だと言われるようになって、この現実をどう受け止めたらいいのか。

二人の共通点は「思いつきで周囲を振り回すこと」

―――昭恵と百合子、対照的な二人です。

石井 タイプはまったく違いますけども、周囲におよぼす破壊力では甲乙つけがたい。昭恵さんは無意識のうちに周囲をまきこんで、自殺者が出るような事態をつくってしまう。小池さんは意志を持って報復したり、人を陥れる。

 二人にはあまり共通点はないのですが、ひとつだけ似たところがあります。それは、空虚さです。地に足がついておらず、深い考えなく、思い付きでやりたいことをする、その結果、周囲は振り回される。

 昔から言われるのが「女は社長夫人になるのが幸せか、女社長になるのが幸せか」。昭恵さんは前者で、小池さんは後者です。しかし、昭恵さんのようになりたい、とも、小池さんのようになりたい、とも若い女性たちは思わないのではないでしょうか。

―――『 女帝 』を読むと、小池氏は女性の人気を得ようと私生活を売りものにします。

石井 小池さんは、常に自分をどう宣伝するか、と頭の中で考えて生きている。自分の身になにかが起きたり、自分の周辺になにかが起きたりすると、真っ先にどうすればそれを自己宣伝にできるかを考えてしまう。これは小池さんの性(さが)です。

 自分の身内が亡くなっても、自分が病になっても、家を建てるというときも、まず、どうやったらマスコミに取り上げられるかを考えてしまう。不幸なことだと思います。
「密です」に見る魅力的な発言、仕草

―――病といえば、コロナ対策では小池氏の柄物のマスクが注目されたり、マスクをとって「あ、リップ忘れちゃった」と言ったりしたのが注目されました。

石井 おちゃめな感じを出すので、深刻なコロナ問題もなんだか軽く見えてしまう。自分の魅力を振りまく術に長けていて、魅力的な発言や仕草が自然とできる。「密です」とか。

 テレビ界で仕事をしていたので服装など見た目が与える印象がどれだけ大きいかをよくわかっている。外見にこだわるのは子供時代の家庭環境に由来する。

 さらにテレビ界に入って竹村健一さんから「何をしゃべるかよりも、どういう服装をするかとかネクタイがどうとか、そういうところを視聴者は見ている」と叩き込まれる。だから中身よりも外身、どう見えるか、どんな印象を視覚的に与えるかを政治家になってからもとても意識している。

―――公約の「七つのゼロ」なども軽いですね。おまけに実現もしない。

石井 実行できないことも平気で口にしてしまう。「満員電車ゼロ」のために2階建て電車を走らせますとか、本当に真剣に政策を考える人だったら、とても言えない内容だと思います。

 しかし、小池さんだけを責められないとも思うんです。現在の政治報道、選挙報道は、報道と言えるのでしょうか。政策論争もさせず、記者は政局ばかりを追いかける。かたちだけの記者会見でぬるいやりとりをして、それで選べと言われても、候補者の考えや人となりは、まったく伝わってこない。

 だから、有権者は見た目や知名度や、話し方といった、表面的なものだけで適当に票を投じるわけです。何時間にもわたる徹底した討論などをやればいいと思うんですけど。そうしたら、メッキは剥がれるわけで、本質が見えてきます。


社会が変化しなくては、第二、第三の「小池百合子」が登場する

―――小池氏は政策やその実行よりも、自分の過去を「物語」にして広めることで上昇してきました。

石井 私が本作を書く中でより感じたのは、小池さんを生み出してしまった土壌の問題です。「小池百合子」は、誰によって作られ、生み出されたのか。共犯となったのは、日本のメディアです。しかし、さらに言えば、日本社会が、彼女を生み出し育て上げたんです。小池百合子個人の責任だけでなく、彼女をここまでにした背景を浮き彫りにし、そこにある問題を見つめなければ意味がないと思いながら執筆しました。

 言葉を発すればそのまま記者が記事にしてくれる。「カイロ大学卒、首席」にしても、誰も疑わず記事にしたわけですよね。メディアが「本人が言っていることだから」とそのまま活字にしてしまう、活字になればそれが事実として定着して広がっていく。雑誌はどこか柔軟なところがあって、ぱっと宗旨変えしますが、新聞やテレビは意地でも自分たちの非を認めないところがあるように見えます。

「小池百合子」に誰が石を投げられるのか。この土壌そのものが変わらなくては、社会が変化しなくては、次から次へと第二、第三の「小池百合子」が出てくるのでしょう。
「書くことの罪」と「書かぬことの罪」

―――あとがきにノンフィクション作家は「書くことの罪」と「書かぬことの罪」を背負っていて、後者の罪をより重いと考え、『 女帝 』を執筆されたとあります。

石井 人のプライベートな領域に踏み込んでいくことは、書き手にも覚悟が要ります。とても辛いのです。ここまで書いていいのか、その都度、悩みます。 だからこそ、この人の生涯を書くことで、何を伝えられるのか、何を提示できるのか。よくよく考えてから執筆するようにしています。

 書くことの辛さに心が折れて、途中で辞めてしまったノンフィクション作家もいます。書いた内容に非難が殺到し、筆を折った作家もいます。 取材には時間もお金もかかる、何よりも取材過程では人間を相手にするわけですから気苦労は絶えません。

 しかし、調査報道や、事実の追求をしなくなったら、どんなマイナスが社会にあるのか。事実を知る立場にありながら、それを伝えないこともまた、罪深いことです。

 取材に協力してくださった方々と並んで、本を購入してくれた読者に私は今、深く感謝しています。

 読者が本を買ってくれると、それは選挙の一票ではありませんが、支持を得たということで、必ず出版の現場にはねかえる。読者は本を買うことで編集の現場に影響を与えているのです。

 出版物の傾向を変えられるのは、読者だけです。「ノンフィクションは売れない」、「厚い本は売れない」「評伝は売れない」等と、出版界では言われ、ノンフィクションは、縮小傾向に置かれていたのですが、読者がそうではないと教えてくださいました。



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