[胃がん経験を語る]痛み、寝汗、酒に弱く…異変はあった 切除手術後は後遺症との闘い

2018年12月10日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備


[胃がん経験を語る]痛み、寝汗、酒に弱く…異変はあった 切除手術後は後遺症との闘い

12/10(月) 14:10配信

読売新聞(ヨミドクター)
[胃がん経験を語る]痛み、寝汗、酒に弱く…異変はあった 切除手術後は後遺症との闘い

読売新聞社
がんを語る

 当事者の声を通して、がんとの付き合い方を考える患者座談会「がんを語る」。2回目のテーマは胃がん。減少傾向も見られますが、大腸がんに次いで多いがんです。胃の切除手術や抗がん剤治療を受けた3人の方に参加していただきました。

参加者(敬称略)
東 壮志(あづま たけし)元公務員75歳
有川 雅俊(ありかわ まさとし)ソーシャルワーカー39歳
森本 啓子(もりもと けいこ)書道講師59歳
進行役ヨミドクター副編集リーダー・藤田勝

<胃がん> 胃の粘膜の細胞が、がん細胞になって増えるがん。大きくなるにつれ、胃の壁の中に入り、リンパ液や血液の流れに乗って転移する。がんが浅いところにあり、転移していなければ内視鏡治療で治る。手術は、がんの部位や進行度によって切除方法が変わる。体に負担が少ない腹腔(ふくくう)鏡手術も増えている。胃を切った後の後遺症として、食べ物が腸に一気に流れ込むことで不快な症状が起きるダンピング症候群が知られている。ピロリ菌感染が胃がんの主な原因とされ、除菌が広く行われている。
「余命2年」から13年 当時未承認の分子標的薬で今も元気に

――これまでの経過を簡単に教えてください。

東 10月末で75歳になり、後期高齢者入りした東です。今年4月まで働いていましたが、今は年金生活です。

 会社の健康診断で引っかかり、2005年4月に胃がんと診断されました。がんの専門病院で、手術を前提にがんを小さくする抗がん剤治療を受けたのですが、途中で「鎖骨のリンパ節が腫れている。がんがもう全身に回っているから、今後は手術じゃなくて抗がん剤治療を進めていきましょう」と医師に言われました。手術ができないなら、もう2~3年かなと覚悟しました。うちの家内は実際、私の余命は2年と医師に告げられていたそうです。

 でも家内はあきらめ切れず、福岡や倉敷、横浜など全国の医師に相談しました。その結果、「今ならまだ切っても治る見込みがあるのではないか」という確信が持てたので、手術可能と判定してくれた横浜の病院で06年8月に手術を受けました。胃を全摘し、周辺の脾臓(ひぞう)と胆のうも取りました。

 でも腫瘍マーカーが下がらず、翌年2月に腹部のリンパ節への転移がわかりました。もう手術はできないということで、放射線治療の一種である重粒子線治療を勧められ、千葉で受けました。それで腹部の転移は消えたのですが、今度は鎖骨のリンパ節が大きく腫れ上がりました。すでに、受けられる抗がん剤治療はすべて受けていたので、いよいよ、もうこれで終わりかなという状況でした。

 ただ、その2か月前、家内がある腫瘍内科医にセカンドオピニオンを求めたところ、当時乳がんで使われていた、新しいタイプの抗がん剤で分子標的薬のハーセプチンが胃がんにも効く可能性があるという話を聞いていました。早速、横浜の主治医に相談して検査してもらいました。すると自分の場合、非常に効果が期待できるというデータが出ました。それで週1回、ハーセプチンの点滴治療を受けたところ、たちまち効果が出て、腫瘍がほとんど消えたのです。2か月後のPET検査(大量のブドウ糖を消費するがん細胞の性質を利用し、がんを発見する検査)で画像上はがんが見えなくなり、1年後には腫瘍マーカーも標準値になり、現在に至っています。ハーセプチンは10年間も続けましたが、体に負担がかかるので1年間休薬し、最近また始めています。まだ治療中ではありますが、元気に過ごしています。


[胃がん経験を語る]痛み、寝汗、酒に弱く…異変はあった 切除手術後は後遺症との闘い

12/10(月) 14:10配信

読売新聞(ヨミドクター)
33歳で胃全摘のショック 5年半経過し、少し気持ちが落ち着いた

有川 39歳の有川です。精神科クリニックのソーシャルワーカーです。33歳のとき、年度末ぐらいに「腹が痛いな」「胃が痛いな」という感じがあり、家族と「胃カメラ検査を受けてみようかな」と話していました。そうこうするうちに自宅で下血し、何か怪しいと思って、自分で車を運転して病院に行きました。

 医師は「胃潰瘍だよ。でもちょっと怪しいから検査しようね」と軽い感じで話し、5日間入院しました。会計を済まして帰ろうとしたとき、「ちょっと来てください」と医師に言われて、「胃がんです」と告知されました。ショックで立てなくなりました。

 結婚していることも言っていなかったので、「家族いるの? あなた」みたいな話になり、連絡を受けた妻も「何でそんな大事な話を急に告知するのか」と怒っていました。でも私としては、早く見つけてくれてよかったと思うようにしていました。

 がんは5センチぐらいあり、胃は残せないということでした。手術担当の医師から「一発で大きく取るけど、それで完治を狙ったほうがいい」と説明を受け、手術で胃は全摘し、脾臓と、腸を少し取りました。

 住宅ローンも組み、子供も2人いるので、もし手術後に抗がん剤治療が続いたら、経済的にやっていけるか不安もありました。幸いに転移はなく、抗がん剤は使わずに済みました。ふだん私は精神科のソーシャルワーカーで、患者のリハビリやお金の相談などを受けているのですが、今度は自分ががん患者としてどう生きていくかという問題に直面してしまいました。

 体重も17キロぐらい落ちて患者さんに隠せないし、がん自体は取れたのですが、後遺障害による貧血とか、食べ物が腸に一気に流れ込み、冷や汗や動悸(どうき)が出たりするダンピング症候群がすごくて、「仕事できるのかな」とか、「自分が患者さんの相談に乗れるのか」ということも考えました。ただ、そうはいっても現在、手術後5年半を迎えたということで、少し気持ちは落ち着いてきたとこころです。


出産後に急にやせて発覚 胃の3分の2切除、今も再発不安

森本(写真左) 私も同じような状況だったので、当時を思い出しました。次男を産んだ直後から急にやせ始めました。普通、産後はなかなかやせないのですが、見る見るうちにやせたので検査を受けたところ、胃がんが見つかりました。その次男も今24歳なので、私も24年生き永らえたということになります。

 胃は3分の2を切り取りました。胃が残っていると再発の心配もあるので、今思うと、後遺症はあっても、自分としては全部を取ってくれた方が良かったかなとも思います。手術後、当初は3か月に1回、今は8か月に1回、胃カメラ検査を受けていて、先日ちょっと引っかかりました。悪いものではないですが、もしかしたら悪くなる可能性もあるからということで、今お薬を飲んでいます。

 それから胃がんとは全く別ですが、1年前、腎臓の近くに肉腫が見つかりました。脂肪肉腫といって10万人に1人か2人ということです。悪性ということで、去年取りました。それを調べたら、今のところ暴れてはいないので化学療法はしなくていいということなのですが、再発率は60%と言われていて、この肉腫も怖いなというところです。
[胃がん経験を語る]痛み、寝汗、酒に弱く…異変はあった 切除手術後は後遺症との闘い

がんと診断されたときの心境や、手術後の後遺症の苦しさについて語り合う参加者
「寝汗ひどく」「酒に弱くなった」「胃に痛み」……症状?

――東さんは自覚症状はありましたか。

東 特になかったのですが、56歳ごろ、単身赴任で北海道の千歳市にいたとき、趣味でランニングを始めました。それから寝汗がひどくなりました。当時はランニングのせいかなと思っていましたが、後で考えると、がんのせいだったのではないかと自分では思っています。手術後は寝汗が出なくなりましたから。

――がん検診は?

東 もちろん毎年受けていました。胃潰瘍は指摘されていましたが、今から考えたら十分な治療をしていなかったのが良くなかったかな、という反省はあります。

――有川さんは胃の調子が悪いという感覚はあったのですね。

有川 最初はわからなくて、ちょっと変だと思ったのが、「あれ、この程度のお酒でこんなに酔うかな」といったことがありました。ビールの1杯や2杯ですごく気持ち悪くなるので、「疲れているのかな。30歳過ぎて、むちゃして飲んでいるせいかな」というのが最初の異常です。昼は忙しくてあまり食べなかったり、夜は酒だけのこともあったりしたので、不摂生のせいだと思っていました。夜中に胃が痛くて起きたこともあり、年齢的にも胃潰瘍だろうと考えていました。

 職場の健康診断は11月に受けましたが、採血検査の結果も異常なく、腫瘍マーカーの数字も正常値でした。だから、やばいという感覚はなかったです。

――森本さんはどうでしたか。

森本 実は妊娠前に胃の痛みがありました。ストレスかなと思っていたのですが、妊娠がわかった途端にぴたっとやみました。それでひと安心していたのですが、出産した途端に急に痛くなり、背中のほうに放散痛(病気の原因と違う部位に出る痛み)もありました。私はもともと看護師で、胃がんはあまり初期症状が出ないのを知っていました。ですので、すごくやせていくし、胃も背中も痛いし、これは末期じゃないのかと思ったほどでした。


手術しないと言われ、「孫の入学式は見られないな」

――東さんは胃がんの診断をどう受け止めましたか。

東 先ほど言ったようにランニングが趣味で、大体ハーフを中心に走っていました。健診で引っかかったのは、ハーフマラソンで自己新記録を出した直後で、体調が良かったのになぜと当初は思いました。最初は、切れば治るのかなと軽い気持ちでしたが、手術しないほうがいいと言われたとき、孫娘が3歳だったので、「ああ、もうこの子の入学式は見られないな」と覚悟しました。ただ、家内があきらめ切れずにあちこちの先生に聞いてくれて、何とか生き永らえている感じです。

――有川さんは年齢的にがんを考えたこともなかった?

有川 最初は先生も「胃潰瘍だよ、男の勲章だよ」という感じでしたが、実はがんとわかったときは、本当に腰が抜けて立てなくなりました。看護師さんには「大丈夫、立てます。検査に行きます」と言ったのですが、「いや、いいのよ。そんな頑張らなくて」と言われて車椅子に乗せられました。「妻にメール打っていいですか」と、泣きながらCT検査に行くみたいな感じでした。現実とは思えなかったです。
「自分が死んだら子供たちは……?」 体の血が逆流した

森本 私も当時33歳でした。今は若い人でもがんになることもあるという感じですが、その当時は60代、70代の人ばかりでした。最初にがんの告知を受けたとき、その前まで強度の胃炎と診断されていたので、「ああ、誤診だったのか」と思い、同時に体の血が逆流するという感覚を初めて経験しました。今でもあのときの感覚を覚えています。自分が死んだら子供たちは一体どうなるの、という強烈な思いからでした。

――有川さんのご家族は?

有川 妻は子供を産んだばかりで、僕が胃がんになってすごくしんどかったと思います。妻もソーシャルワーカーで、病院からメールで「がんだって。今から検査で精査するから」と連絡したら、あわてて職場から早退してきました。妻は「あなたは医療にかかわる専門職なのだから、大丈夫」という感じで、前向きな言葉を言ってくれたと思います。でも当時、自分はそんな穏やかな気分になれなかったので、「人ごとだから前向きなこと言えるんだろう」と怒ったりしていましたが、今は、妻なりに励ましてくれていたんだなと感謝しています。


妻は海外旅行キャンセル、病院近くに引っ越し

――東さんは奥さまがあちこち駆け回ったのですね。

東 共働きだったのですが、家内は60歳前に仕事をやめて、これから悠々自適で暮らそうかという時期でした。私の胃がんがわかったので、家内は妹と計画していたヨーロッパ旅行を急きょキャンセルしたようです。かなり覚悟は決めていたのではないかと思います。茨城県取手市に20年近く住んでいましたが、病院に近い方がいいということで、私には一切相談なしに、家内と娘が今の墨田区のマンションに引っ越すことを決めました。

――病院によって手術可能かどうかの判断の違いはなぜ?

東 最初の病院も「切れない」とは言いませんでした。切っても、もう全身を回っているから再発する可能性が非常に高くて、手術をしても苦労している人をいっぱい見ているから、抗がん剤治療のほうがいいのではないか、という判断ですね。

――それでも、やはり手術を受けたかった?

東 家内があちこちの先生に聞いて、手術を受けた方が治る可能性はまだあると確信したのだと思います。
「君は、これから30年働かなきゃいけない」 医師に励まされ

――有川さんは治療法に悩むことはなかったですか。

有川 全摘以外に選択肢はなかった感じです。手術の方法については医師が「君は若いし、これから30年働かなきゃいけないから」と考えて決めてくれました。胃を残せないのはショックでしたが、妻も「また働けるようになるという希望を示してくれたのだから、言われた通りにすればいい」という感じでした。僕はそこまで信じられなかったですが、現実に今働けています。今はインフォームドコンセントの時代なので迷ってしまいがちですが、主治医がズバッと言ってくれたので、任せればいいという気持ちでした。

森本 私は、手術で取ったがん細胞が少し性質が悪いものだったので、その後、ずっと血液検査の腫瘍マーカーを見ながら、上がったときに抗がん剤を飲むという感じでした。幸い、その後はずっと大丈夫ですが、いまだに後遺症はあります。5年前にはイレウス(腸閉塞)で入院しました。胃を切った後は、ずっと後遺症と仲よくしていくしかないと思います。

 今は後遺症が少ない手術の方法がありますが、当時は後遺症があって当たり前でした。ダンピング症候群にもなり、ちょっと食べ方が悪かったりしたら冷や汗と脱力感で、もう寝ていなくてはいけないような状態になります。私の場合はすごく頻尿になって、10分おきにトイレに行ったり、気持ち悪くなって吐いたりしました。


後遺症で吐きやすく トイレが店外にあるレストランはだめ

――有川さんは後遺症はどうですか。

有川 疲れている時とか、麺類を食べた時などに吐きやすいです。ラーメンのようにのど越しがよいものを食べた後、腸に詰まってウェッと吐いてしまうことがあります。職場へ行く途中、駅の立ち食いすし屋に寄って、少し食べたと思ったら意識を失って倒れたこともあります。外食の仕方は気をつけるようになりました。

 駅ビル内のレストランなどはトイレが店外にあるので、吐くために出たり入ったりしたら変な客と思われるだろうな、などと考えてしまいます。子連れの場合、フードコートみたいなところはトイレが遠いので、小さい子供を残して「ちょっとお父さん吐いてくる」というのは難しいです。地味な話ですが、食事は大変です。

――食事の時間も長くなりましたか。

有川 ゆっくり食べたほうが絶対いいのですが、仕事中はそうはいかないですね。でも自宅では、食事は出しっ放しにしてもらって、一口食べてはタブレットでニュースを見るというふうに、要は「ながら食い」したほうがいいです。でも見栄えはよくないので悩ましいですね。

東 私は抗がん剤の影響で涙目が治りません。あとは腎機能が低下していますね。抗がん剤の影響かどうかはわかりませんが、甲状腺機能も低下して薬を飲んでいます。手術後2~3年はダンピング症候群が大変でした。働いているときは、通勤時間に、いつもアメをなめていました。常にリュックサックに、バナナや飲み物なども一緒に入れていました。ダンピング症候群による低血糖を予防するためです。でも、そのせいで今は虫歯がひどいです。
[胃がん経験を語る]痛み、寝汗、酒に弱く…異変はあった 切除手術後は後遺症との闘い

読売新聞社
後遺症は個人差 患者仲間からの情報を有効活用

――みなさん、胃を切った人の友の会「アルファ・クラブ」の会員ですが、患者会の会報なども役立ちましたか。

東 そうですね。手術後に退院して胃がんについて本を読んだのですが、本は一般論しか書いていません。実際は、もっと個人差があります。そういう意味で、会報を読むと個人のいろいろな症状が書かれていて、ああこういう対処方法は私に合うかもしれないなとか、こういう食べ物がいいのかなとか、非常に勉強になりました。

有川 私は最初、若年性がんの患者会「STAND UP!!」に入ったのですが、若年性のがんはどうしても乳がんや子宮のがんなど女性が中心で、胃がんは少なかったです。私の場合、食事に困っていたので、若年で胃を全摘した仲間から「アルファ・クラブ」を教えてもらい、会報を読むようになりました。「STAND UP!!」の冊子に自分よりも重い胃がんの体験記が載っていて、こんなに若い子が頑張っていると励まされ、手術の前日に読んで泣きました。手術後は仕事に戻る体力をつけないといけないのですが、運動の仕方とか筋力のつけ方が「アルファ・クラブ」の会報に書かれていて、すごく参考になりました。

森本 私も胃がんになった後、親戚から教えられて即入会しました。会報を読んだら高齢者が多かったので、会報で「30代で胃がんになりました。子育てしながらがんと闘っている人と一緒に何か会をつくりませんか」と呼びかけました。それで、いろいろな方から連絡をいただいて、女性の会を作りました。今でも年1回は、どこかに全国から集まって会食や情報交換をしています。


san***** | 4時間前

ちょうど6年前に胃癌ステージ3で3分の2の胃の摘出術と胆嚢を取りました。 下血を2日連続でさすがに近くのクリニックに行ったのですが胃カメラをしてその段階ですぐに大きな病院に紹介されました。しかし、私は自覚症状はその下血だけ。
それまで痛くもかゆくもない毎日でした。
詳しく検査してリンパにも転移していたので、術前化学療法をしてからの開腹手術でしたが、私自身、とても冷静に告知を聞いていました。
案外、その場になると、冷静なもんだな、と自分でも驚きました。 まぁ、取り乱して泣き喚いても、後々気まずくなるだけですからね。
それを考えられる程冷静でした。
術後は1年間、化学療法をしました。そして、この前の春に一応卒業しましたが、年に一度は胃カメラです。
ちなみに私は癌になるよりも三年前にピロリ菌の除菌をしていました。
なる時にはなるもんです。 まずはストレスが一番の敵と主治医に言われました。

254 29

返信2
cof***** | 57分前

11年前に胃がんの手術をしました。
勤務先の健康診断で引っかかり、近くの大学病院で精密検査を行った結果、末期がんの一歩手前の胃がんと診断されました。
手術は職場の医師に勧められ、セカンドオピニオンで行った築地の国立がんセンターでおこなっていただきました。
切ってみたら、末期がんの一歩手前ではなく、早期がんでした。
早期がんでしたが、内視鏡で取り除いて済ませられる大きさではなく、できた場所が悪かったこともあり、結果として安全を見て4/5切除しました。
鉄分は胃で大部分吸収されるようで、胃を切ると貧血になります。
手術してから、慢性の貧血になり、鉄分補充の錠剤を処方されていたのですが、半年ぐらい続けたら気分が悪くなるようになり、やめることになりました。
貧血になると立ちくらみが起こり、爪に筋が入り割れやすくなりました。
また、胃を切ると胆石ができやすくなるそうで、私も胆石ができました。

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返信0
ken***** | 5時間前

自分が癌と宣告されて冷静でいれるかどうか。
不摂生してても癌にならない人もいてるし、健康に気をつけても癌になる人もいるし。
難しいですね。

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返信2
MmTkYyi | 3時間前

ストレスと不摂生、あと生活習慣の改善。
これでガンはある程度は防げる。
ある程度ね。
そして検診が大事。
早期発見と進行がかなり進んだガンの違いは一目瞭然
どちらにしても、ガンになりたい人なんていないだろうから、ガンなんて過去の病に早くなってほしい

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返信3
cho***** | 4分前

父親が昨年春に末期の胃がんを宣告され、今年の夏に旅立った。
糖尿があったせいか、痛みににぶく?自覚症状が全くなかったし、そもそもそこらへんの検査を受けてなかったことが発覚を遅らせた。
ここ数年で、他に叔母と職場の同僚も罹患しているけれど二人は定期的に検査をしており、初期で発覚。手術も内視鏡で済み、抗がん剤の必要もなく、今も元気だ。
はなから悪性度の高いものもあるけれど、胃は早期ならかなり助かると思う。まずはピロリ菌の駆除、そして定期的な検査をおすすめする。
腸もしかり。どんなガンもそうだけと胃腸と、あと子宮はとにかく定期検査でかなり命をとられることがなくなるガンだと思う。

0 1

返信0
酢味噌に餡 | 4時間前

俺も胃がんで胃の半分を切除しました。
確かにガンの告知は、精神的ショック大きいでしょうね。
おれの場合、祖父も親父も全く同じガンでした。
なので、間違いなく俺も同じガンになるだろうと思っていた関係上、正直あまりショックは受けませんでした。ただ、いつなるのかの時期の問題だけだと思っていたので。
告知されて、最後の晩餐と称して、グルメしまくったら、担当医にムチャ怒られました。(笑)

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返信0
fox***** | 7時間前

>会計を済まして帰ろうとしたとき、「ちょっと来てください」と医師に言われて、「胃がんです」と告知されました。

この告知のタイミング嫌だな
安心したところで不意打ち喰らうみたいで

163 10

返信0
psf***** | 1時間前

30代表男性
一年前に胃ガン亜全摘の手術をしました。
ダンピングに苦しみましたが、今は食べる量やタイミングをみつけだいぶ症状はへり日々を生活しています。
私も、家族と子供が2人いて目の前が、真っ白になりましたが、手術などの説明等は妻が取り乱していたこともあり私がすべて行いました(笑)冷静になれる人は必要だと感じました。

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返信0
ein***** | 29分前

74歳男性です。三年前に急に胃が痛くなりました。今までに無い位胃が口から飛び出る位の痛みでした。検査の結果は2Bで胃の全摘出しました。その年脳梗塞をおこしました。リハビリ入院中に1年間は抗がん剤とNK細胞の点滴2クールしました。今はなんとか食事も三度、脳梗塞のためゆっくりの食事は難しいのですが、努力してます。腫瘍マーカーの数値は私には当てはまらないようなので年一回PET検査は受けてます。5年生存は叶えたいです。


iku***** | 4時間前

胃切除後の後遺症は人それぞれです。
私も動悸のダンピング、低血糖の2期ダンピング、5年以上経った今でも、忘れた頃に低血糖のダンピングがきます。
ダンピングがない人もいました。
ちょこちょこ食いをするので私も虫歯が多くなりました。

告知、手術や抗がん剤治療やらいろいろ辛いこともありました。今でも貧血になりやすく、後遺症はゼロではありませんか、でも胃が3分の1になっても、こうやってほぼ手術前の生活ができるのはありがたいと思います。

47 5

返信0
may***** | 6時間前

私は健康診断で、胃潰瘍とポリープで今回引っかかり明日、胃カメラの再検査をする。胃がんじゃない事を願いたい…

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返信1
sya***** | 1時間前

自分もここ最近胃の調子が優れない事がたびたびあったので、年齢も50歳と言う事もあり思いきって胃カメラ検診を受けました。幸い異常はありませんでしたが、いまや2人に1人が癌にかかると言われている時代なので、人ごととは思わず今後も定期的に癌検診は受けていこうと思います。

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返信0
kaz***** | 6時間前

がんには家系があるから、血の繋がった親戚でがんに罹った人はいないか、聞いてみることも大切。

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返信1
jap***** | 7時間前

胃がんになりそうで怖い。

55 2

返信1
eri***** | 5時間前

どの癌にしても切って抗がん剤に耐えうる身体で生きながらえれる人はいいけど
身内は初期肺癌で開閉せず手術成功とされたのに数カ月で骨髄に転移してほっとくより余命が短くなりました
がん治療は人それぞれ間に合う人ダメな人がいるなと

33 6

返信0
(‘jjj’) | 4時間前

私は明日、2回目の胃ガンの手術です。5年前に見つかった時は4分の1位の切除でしたが、今回は開腹してからの3分の2を取らないとダメらしい…またこの想いをするとは思わなかった…



y11***** | 4時間前

自分は当時働いていた病院で検査を受けたので、後日急に診察に入るよう言われ、ドクターから“こないだの胃カメラで悪性の所見が見つかりました”とサラッと言われた。

でもその瞬間より自分の口から家族に伝える時の方がつらかった。

結局、3分の2摘出して見た目は健常者だけど、今でもこの体験者たちと同じように後遺症と闘っている。

今は別の職場に移り、同僚たちには病気を公表していないので、しんどいといえないのが一番しんどい。
でも公表してヘタに気を遣われるよりはマシだと思っている。

23 3

返信0
tri***** | 1時間前

親父は全身ガンまみれの最後は胸膜中皮種で死んだけど
最後の半年は色々な話しも出来たし、思い残すだろうことも話してくれて言い方はどうかと思うけど送ったこちら側としてはガンで死んでくれて良かったと、、、ポックリだったらこうやって話しができないじゃんね
死に方としてガンって悪く無いと思った
死に行く人とじっくり時間が過ごせる
毎度この話をするとオヤジの事思い出して泣きそうになるけどw

13 0

返信0
ファーストオーダー | 2時間前

4年ほど前に父親が胃がんで亡くなった医者が言うには胃がんの9割はピロリ菌が原因だと、胃がんになりたくないならピロリ菌検査をすること病院で簡単にできるし

8 0

返信0
oji***** | 2時間前

私も胃全摘出から抗がん剤エスワンタイホウ飲んでますが食欲不振がひどい
味覚障害で食べられません
毎日苦しいです。



syo***** | 7時間前

ピロリ菌が陰性なら99%胃がんにならないって言われてるのに、なんでピロリ菌チェックは症状がある人か、健診で要精密になった人限定なんだろう。世界的に見ても胃がんって過去の病で、こんなに騒いでるの日本人だけだよ。

46 12

返信4
mom***** | 5時間前

癌で苦しんで死ぬなら海かどっかに身投げして死ぬな

13 13

返信0
neko | 7時間前

ピロリ菌以外では、避けですよ、あと、熱いもの、辛いもの、塩分です。
粘膜に傷をつける、習慣的に傷をつけ、さらにアルコールや塩分で細胞が破壊、これを長期間やると発がん。簡単に言えばこうなります。
塩分過剰、アルコール取り過ぎ、刺激物はやめましょう。

43 4

返信3
lal***** | 1時間前

胃がんは毎年胃カメラやること。
大腸癌は3年に一回カメラをやれば、
例え癌になっても早期で発見できる。

悔やまれるのは、毎年胃カメラやってたのに、
忙しくて一年やらないで飛ばしてしまうこと。
それで翌年癌が見つかり、すでに早期ではない場合。
結構このパターンは多いです。

胃カメラは必ず年一回。
忙しいより命を優先に行動しましょう。

ちなみに、バリウムってのは、
早期の胃がんは発見できないので、
胃カメラの方がいいです。







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