恥ずかしい歴史教科書を作らせない会

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将来「恥ずかしい歴史」にならぬように…

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憲法解釈をめぐる「政治主導」の暴走

2009年11月06日 | 憲法
 鳩山政権が掲げる「政治主導」が暴走を始めています。
 4日、平野官房長官は、憲法9条などの解釈について「政治主導だから政治判断で解釈していく」と語り、今後は内閣が判断する方針を表明しました。

■ 内閣法制局の「審査」と法的な整合性

 これまで憲法解釈の審査は、内閣法制局が担ってきました。
 内閣法制局は、内閣が新たに提出しようとする法案などについて、憲法や他の現行法との整合性を審査する「審査事務」の一環として、これに当たってきたわけです。
 実際、これまでの政権でも、内閣法制局の「審査」をクリアしなければ、法案を提出しませんでしたし、憲法解釈の変更には踏み込むことはありませんでした。彼らが「行政府における法の番人」と呼ばれる所以です。
 もちろん、これも内閣に属する法制局が判断を行うことで「解釈改憲」を引き起こしてきたという問題もありますが、こうした審査を経てきたからこそ、内閣の変遷や政界再編、政権交代の際でも、日本が「法治国家」として、法的な整合性は一定程度、保たれてきたという経緯があります。

■ 時の権力者によって揺れ動く「憲法解釈」

 今回の平野氏の発言のように、憲法解釈を内閣が「政治判断」するとなれば、いずれは強引で恣意的な解釈に走ることもありえます。
 平野氏は5日、改めて「慎重に判断する」と述べましたし、政策合意に「憲法三原則の順守」を盛り込んだ現在の3党連立の間は、直ちに妙なことは起こらないとは思いますが、将来の政権にまでそれを望めるでしょうか。
 例えば、イラクへの自衛隊派遣について、何でも「憲法の枠内」と強弁した小泉純一郎氏のような人物が政権を握ったとき、誰も権力の暴走を抑えられなくなるということも考えなければなりません。
 言うまでもなく、憲法は「最高法規」であり、「国民の立場から権力を縛るもの」です。
 その憲法が、時の権力者の意のままに揺れ動くようでは、もはや「法治国家」とは言えません。
 こうした内閣の姿勢を、当時野党だった民主党も厳しく批判してきたはずです。

■ 「解釈でのごまかし」と「法治国家」の「尊厳」

 例えば、鳩山首相は5年前の国会で、当時の町村信孝外相に対してこう発言しています。
 
 「私どもは法治国家でありますから、法律、憲法をつくった以上、それは守らなければなりません。しかし、守られているふりをしながら、現実は種々のところでそれぞれの法律が守られていないのではないか、あるいは解釈でごまかそうとしているのではないか、こういうところがこの国の尊厳を失ってきているのではないか」(2004年10月27日 衆議院外務委員会)

 今回の平野氏の発言は、言わば内閣による「解釈でのごまかし」を助長するものであり、当時の鳩山発言の論旨に従うならば「国の尊厳を失う」ことにもつながるでしょう。

■ 「審査事務」を最高裁に移管せよ

 今回の件について鳩山首相は4日、「法制局長官の考え方を金科玉条にするのはおかしい」と述べ、平野氏の発言に同調しました。
 内閣法制局の長官が「官僚」であることが問題なのであれば、内閣法制局が担ってきた「審査事務」を最高裁判所に移管すべきです。
 「違憲立法審査権」を持つ最高裁判所が「審査」を行えば、「違憲立法」を未然に防ぐこともできます。

 いずれにせよ、恣意的な判断につながる「政治判断」などの出る幕ではありません。
 政治は「最高法規」に則って行うべきものであり、「政治主導」で「最高法規」の解釈の変更を行うというのは、正に本末転倒です。
 このような権力の暴走につながる「政治主導」は、明らかに誤りであり、厳に慎むべきです。

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