茨城から発信しますⅡ

旅が好きです。
見て 聞いた 茨城を紹介します。
昔の写真から旅の思い出を紹介します。

長野の思い出 6 湯の丸高原

2016-06-15 08:00:00 | 日記

かみさんを伴って湯の丸高原のレンゲツツジを見てきた。

湯の丸高原は、上信越高原国立公園に属し、

湯ノ丸山の東側は浅間連峰の西側に位置する。

長野県東御市と群馬県吾妻郡嬬恋村にまたがる、

標高1,800~2,000mの高原地帯である。

気候は亜高山帯で湯ノ丸高原一帯は、

別名「花高原」と呼ばれている

 池の平湿原は標高2000m、数万年前の三方ヶ峰火山の

 火口原に広がる高層湿原である。

 

6月下旬ごろは国の天然記念物である、

60万株のレンゲツツジ大群落が一斉に咲く。

(2005.7.01 撮影)

花の名称などはパンフレットを引用した。

 


長野の思い出 5 小布施町 つづき

2016-06-13 07:00:00 | 日記

かみさんと小布施町を散策した。

「北斎館」や「高井鴻山記念館」の作品を鑑賞し

小布施の名物「栗かのこ・小布施堂」に立ち寄った。

小布施にある箱庭的なフローラルガーデンを見物した。

効率的にまとまった美しいガーデンが魅力的だ。

意外にも豊臣秀吉の重臣、福島正則のお墓があった。

広島城(49万8千石)の大大名になったが徳川幕府の謀略で

小布施に(4万5千石)で国替えをさせられた。

小布施の霊廟には遺骨を埋葬されている。

埋葬標識として五輪塔を建て永遠に祭礼されていた。

 岩松院に有る「福島正則公のおたまや」である  

本堂中央の天井に描かれている鳳凰図である。

葛飾北斎88歳から89歳にかけての作品と云われている。

俳人・小林一茶は1816年4月20日に当寺を訪れた。

オス蛙が数の少ないメス蛙を取り合っている様を見て、

「痩せかえる 負けるな一茶これにあり」と詠んだ句碑が

岩松院内に建てているようだが残念ながら見落とした。


 


 長野の思い出 4  小布施町

2016-06-10 07:00:00 | 日記

松代を北へおよそ10km行くと小布施の町に着いた。

1997年の「善光寺御開帳」、98年の「長野オリンピック」、

「長野パラリンピック」と続く長野県内のビッグイベント。

その延長線上に日本で初めて、

長野県小布施町で「国際北斎会議」が開催された。

北 斎 館  

この会議は、浮世絵師・葛飾北斎に関心のある世界中の

研究者らが一堂に会し、北斎に関する研究発表と

討議を行う国際的な学術会議である。

第1回(1990年)は「北斎の肉筆画」、

第2回(1994年)は「北斎とその時代」をテーマに、

いずれもイタリアのベニスで開催されており、

第3回 (1998年) は小布施町であった。

 今回のテーマは「The World of Hokusai(北斎の世界)」

北斎とその関連するテーマについて、開かれた研究と討議を

実現し学術的な情報交換を図り、最新技術を駆使して

理解を深めることを目的に開かれたと云う。

期間中、ドナルド・キーン氏の基調講演や研究者たちの

論文発表などが行われた。

(ドナルド・キーン氏英訳) 

偶然だったが良い時期に小布施の町を訪れた。

その後も良く小布施の町を訪れた。

 


  庭の花 植えた覚えのない花々

2016-06-08 07:00:00 | 日記

庭の花で金魚草が見ごろを迎えている。

セージは丈夫で長持ちするので我が家に適している。

 庭が狭いので塀の外で繁茂している。

 ロシアンセージとメキシカンセージは逞しい。

チェリーセージの花は1輪になったが秋には沢山咲くだろう。

植えた覚えのないホタルブクロ、三つ葉、ドクダミ

ムラサキカタバミ、アケビまでが蔓を伸ばし実を付けた。

クリスマスローズの種を採取するため袋を準備したが弾ける気配はない。

植えた覚えのないホトトギス、裏庭一面に蔓延ってきた。

 

 


 長野の思い出 3 信州松代の眞田邸

2016-06-06 07:00:00 | 日記

 

(八幡原史跡公園 川中島古戦場) 

川中島の戦いは、甲斐国の戦国大名である武田信玄と

越後国の戦国大名である上杉謙信との間で、

北信濃の支配権を巡って行われた数次の戦いである。

(旧横田家住宅;茅葺屋根が懐かしい!)

最大の激戦となった戦いは、千曲川と犀川が合流する

三角状の川中島を中心に行われ「川中島の戦い」と呼ばれる。

 

 眞田邸・文武学校・眞田宝物館  

眞田家の菩提寺・長国寺 

戦国時代の川中島の戦いで武田氏と上杉氏の

係争地となったところであり、現在の北信地方に該当する。

北信地域支配の中心は、武田信玄が上杉謙信との戦に備え、

山本勘助に命じて築城させた海津城(松代城)に置かれた。

松代には眞田家の菩提寺である長国寺、眞田信之霊屋など

眞田家に縁のものが多い。

図は信州松代の観光案内を用いた。

  

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