〔音楽療法〕鳥肌が立つブラームスの交響曲第1番

2010-12-14 05:43:18 | 音楽療法
ブラームスの交響曲第2番について少し前に書きましたが、今日は第1番です。
この曲は、あまりに有名で虜になっておられる方も多いと思います。

第4楽章は、序盤の最後あたりからくる主旋律は、荘厳で勇ましさを感じます。
何かドイツ的、ゲルマン的とでもいうのでしょうか?ドイツ国歌を
彷彿させるメロディで、元気をもらえます。
”ドイツ的”と抽象的な表現をしたのは、このドイツ国歌の感じが
強かったためです。

ところが、中盤部から様相が変わります。ざわめきみたいなものが
現れてきます。

ここで、このブラームスの曲について考えてみました。
脳科学者の茂木健一郎氏が、自著の中で「偶有性」ということについて
書かれておられました。「偶有性」とは、”予想できることと予想できない
ことが入り混じった状態”だということです。確実性と意外性という
言葉で置き換えてもいいかと思いますが、この2つが見事に組み込まれて
いるのが、ブラームスの第1番だと強く感じています。

ドイツ国歌を彷彿させる主旋律は確実性、そこを取り巻くざわめきのような
音の流れは、意外性!!こんな2つを巧みというか意図して構成し、
人生そのものを表現しようとしたのでは、と感じます。
脳科学者、茂木氏は、人間の脳は、この「偶有性」に適応できるよう、
進化をとげてきたとも述べています。

率直にいいますと、ブラームスの第1番は、確実性の中に、突然、意外性が
飛び込んでくるから人生そのもの・・・・・・順応しなくては、と脳とそれに
連動した心が強く思うから、この曲を聴くと鳥肌が立つくらい感動を
覚えるんですね。確実性だけだと、安心し切って満足しドキドキ感は
ありませんが、そこに意外性があるから、ハラハラし、頭が体が揺り動かされる
のでは?
もっと卑近な例で言いますと、恋人とラブラブで全て順調な状態なら
安心して油断するかもしれませんが、突然強力なライバルが出現して、
恋人を獲られそうななったとしたら・・・・心配で、不安で眠れない夜が
続くかもしれませんね。そんなスリリングな人生展開とでもいったら
いいでしょうか。例えがプアで申し訳ありません。

当ブログでも何度も書きましたが、クララ・シューマン(シューマンの妻)
を慕う気持ち、心の葛藤などを経験したブラームスだからこそ表現できる
音楽かもしれません。
音楽は、人生そのもの・・・・・人間の体そのもの・・・・・ブラームスは
全身全霊をかけて、この偉大な交響曲を作ったに違いありません。
ありがとう!!

〔音楽療法〕音楽の力について分かった事

2010-12-13 06:30:15 | 音楽療法
私事ですが、先月、末期がんの父が、ついに寝たきりになって
しまいました。個室に移され、酸素吸入器と
点滴だけで生きている状態です。口から管を入れて呼吸しているので、
しゃべることはできませんし、食べることもできません。
でも、以前にも書きましたが、耳は聴こえているのです。
人間の聴覚は、五感の中でも最後まで残るものなのですね。
それは、何か語りかけたりした時に、軽くうなずいたり手を動かしたりして
反応することで分かりました!!

そんな状態ですが、これまで自分でしか試してこなかった
モーツァルトの音楽を病室内でかけてみることにしたのです。
少しでも心拍や血圧にいい反応がでればいい、と祈りながら
11月末の晴れた日の午後でした。
前日には、心拍が200くらいいく時もあり、とても見ていられないくらい
苦しんでいました(心臓にものすごい負担がかかっていたはずです)が、
この日は、心拍が100~110くらい、血圧が160前後と、決して
いい状態とは言えませんでしたが、前日に比べれば、まだましでした。
個室に設置されたモニターで数値をリアルタイムで確認できるため、
音楽をかけながらモニターを見て改善させることを期待していました。
10曲ばかりモーツァルトの音楽を流しましたが、少し分かった事が
ありましたので、ここで思い切って記します。

①バイオリンソナタ第40番 K.454 第3楽章
②ホルン五重奏曲 K.407 第2楽章
③バイオリン協奏曲 第4番 K.218 第3楽章

10曲のうち、上記3曲をかけた時は、効果が出ました。
心拍数が100~90くらいに下がったのです。他の7曲では、
さほど変化が見られなかったのに・・・・・・・この3曲は、
いずれもシンプルで穏やかな曲です。アップテンポで軽快な曲では
ありません。それと、バイオリンやホルンなどで高い音が多い曲です。
集中して聴けば、心が落ち着いたり、眠くなりそうな曲だと思います。
しかも、③のバイオリン協奏曲 第4番では、血圧も下がりました。
160くらいあったのが、147くらいにそれに合わせて、
心拍数も80台まで下がったのです。これには、正直驚きました。
本人の熱が38度くらいあった時ですから、ビックリです。
このときに音楽の力を本当に実感できました。

その後、父は、睡眠導入剤を入れられたり、疼痛ケアをされたりし、
音楽の効果が単にモニターだけで測れない状態になってしまいましたので、
音楽は流し続けていますが、残念ながら効果を調べるのは止めました。
心拍や血圧が、本当に音楽だけの効果なのか分からなくなったためです。
薬の力も借りていると感じたためです。

でも、少し前に書きました「危篤状態の男性が、自分の好きな三波春男の
曲に声を出して反応したとか・・・」という話も合わせますと、
確実に音楽効果はあるようです。聴覚から生きていることを実感できるのは、
素晴らしいことではないでしょうか?
こんなことから、音楽にはストレスを軽減する力があるのを実感したのです。

〔音楽療法〕ブラームスの交響曲第2番

2010-12-12 10:24:39 | 音楽療法
モーツァルトの交響曲について書いてきましたが、
交響曲というと、ブラームスのも好きです。

ブラームスは、来年のラ・フォール・ジュルネ(5月に東京で開催される
音楽祭)で主役になる作曲家に決まったとか・・・。
彼の曲には、心やさしさが漂っています。

交響曲第2番の第3楽章は、遠くから汽笛が聞こえてくるような
出足で始まります。なんともいえず、牧歌的です
遠くから波が次第に押し寄せてきて、大きな波になって波止場に
やってくようなメリハリを感じる音楽です。

でも全編に渡り、その大波・小波を包み込むような何か偉大で崇高な
もの・・・・それは何か分かりませんが・・・・そんな精神を感じて
しまうのです。ブラームスが訴えようとしたものかもしれません。

最終盤では、波がゆったりと波止場に流れてくる”やさしさ”を感じます。
以前にも書きましたが、ブラームスは、人の心を思いやることのできるやさしい
心根の持ち主ではないかと想像できます。どこか風貌が、ロシアの文豪、
トルストイに似ています。風貌だけでなく、貴族の出でありながら、富を
貧しい者に分け与えようとしたトルストイの崇高な精神性に
通じるものが、ブラームスにも感じられるのは、単なる偶然なのでしょうか?

こんなことを想いながら、音楽を聴いていると、とても健やかな気分に
なれます。
「情けは人のためならず」という日本のことわざにもあるように、
崇高な精神の持ち主だから、こんなにやさしく包んでくれるような
音楽を生み出せたのでは、とふと思ってしまいます。ブラボー!

来年の音楽祭が楽しみです。


ハンドファーストにこだわる第3弾

2010-12-11 09:04:53 | ゴルフウイークリー
皆さんは、アイアンでパンチショットの練習をされたことは
ありますか?
私も、パンチショットもどきを練習したことはありますが、
なかなかうまくいきません。インパクトでパチッと打って
止めても、球が右へ出てしまいます。

なぜパンチショット練習の書き出しをしたかといいますと、
ハンドファーストのインパクトと深くつながっていると
思うからです。

下半身は少し先行していますが、インパクトでは、フェースや手や腕は
アドレスを再現すること・・・・・・スクェアにセットしたフェースを
スクェアに戻すことがショットでは大事になってくるのではないでしょうか?
そんな思いでパンチショットの練習をすればいいのですが、ヘッドを上から
つぶすようにして、やたらに強いインパクトで低くて強い球を繰り出そうと
したのが間違いだったようです。

上からつぶして打とうとすると、ロフトが立ちがちで、確かに球は低くなります。
でも、その分、ハンドファーストが過剰になって、手が前(目標側へ)出てしまい、
フェースが右を向くのでしょう。球も低いのに右へ行きやすい!
そんな体験されたことはありませんか?
最近になって、ハンドファーストが過剰だと、右へ行きやすいのが分かりました。
やはり、過剰ではなく、アドレスの位置に手もフェースも戻すこと・・・・・・
これがパンチショット練習の核心部分ではないかと感じています。
力めば力むほど、元にすっと戻らず、ハンドファーストが過剰になるせいか、
球が曲がります。

もっとハンドファーストの意味と目的を理解して練習すればよかったと
思い始めています。
私の感覚ですが、アドレスを再現するには、両脇のしまりとひじの向きが
大事だと感じてます。左手を左内ももにひきつけるようにひき下ろすと、
左脇が締まります。このとき、右ひじも地面を指す・・・・指しながら
右腕を伸ばしていく。こうやってハンドファーストのインパクトを再現する
ことに集中すれば、いい練習になると思っています。

ロフトが立ちすぎると、球が右に出る・・・・この原因が、ハンドファーストの
崩れにあったとは。勉強になります。

「アイアンのハンドファースト」これを油断せずに
しっかり覚えようと肝に銘じました。

〔ゴルフ〕ハンドファーストにこだわる第2弾

2010-12-10 06:05:44 | ゴルフウイークリー
ゴルフブログも久々です。
前回、ハンドファーストについて書きましたが、今回も同じテーマで
ボール位置にこだわってみたいと思います。
手の位置が決まりました、フェースの向きがスクェアにセットできました、
としても、毎回ボール位置が定まりませんと、ハンドファーストも
決まらない・・・・・・そんなことをふと考えてみました。

では、アイアンのボール位置は、どこに置けばいいのでしょうか?
実は、以前プロに「アイアンならボールは真ん中に置け!というレッスンが
多いけど、その真ん中というのが、結構曖昧。例えば、正確に体の中央に
ボールを置いたらどうなるのか考えるといいよ。もしど真ん中に置いたら、
ボールの中央が、体のセンターだから、ボールの右半分(右打ちの場合)は、
センターより右にくるでしょ。そうなると、クラブのリーディングエッジ(刃)は、
当然、体のセンターよりボール半個か、それよりほんの少し右にくるから、
フェースは開きやすい。だから、ボールは、体のセンターライン(スタンス中央)
にボールの右端がくるようにセットすると、クラブの刃がセンターくらいに
なるからフェースをまっすぐ合わせやすいんだよ」と言われたことがありました。
これを聞いておきながら、最近までボールの位置はあやふやだったことに
反省しております。感覚でボールをセットするから、コースに出たらボール位置が
定まりませんね。
それで、ハンドファーストの度合いがマチマチになって、ショットが
安定しない・・・・・・これも好不調の波が激しくなる原因ではないかと
感ずいたのです。

そこで、フェースの刃が体のセンターにセットできるように
ボール位置を決めようと決心しました。これも、今後の
練習の課題です。これが決まらない限り、また堂々めぐりのゴルフに
なるでしょうからね。

でも、ここにも1つだけ注意点があります。
それは、グースネックのアイアンを使う場合です。
グースだと、ネックが白鳥の首のように湾曲していて、フェース面が、
その湾曲の分、後退していますから、ボールもその分、右寄りに
セットしなくては、クラブなりの自然なハンドファーストで
構えられなくなるということです。
ボール半個か3分の1個分か、クラブのグースの度合いを見て
右めにセットすることが必要です。実は、私もグースを使っているのです。

ハンドファーストにこだわるなら、ボールの位置もシビアにチェックしないと
いけないと痛感しているこのごろです。

〔音楽療法〕モーツァルト40番に見る面白さ

2010-12-09 07:39:10 | 音楽療法
お早うございます。久々のブログです。

最近メディアでさかんに海老蔵事件が騒がれていますが、
この事件の中で妻から「心の勉強」をしましょうと諭されたと
あります。この「心の勉強」は音楽にも通じるところがあるのでは
ないでしょうか?
”勉強”というと、何かかしこまった厳しいものだ、という感がありますが、
実は”感性を磨く”と置き換えてもいいかと思います。
感性が研ぎ澄まされてくると、心で感じやすくなるということです。

モーツァルトの作った交響曲の中で、40番と41番は大変人気がありますが、
今回も40番を取り上げてみます。
なぜなら、この曲は、全編、人生を描いているような音がつながっている
感じが強くするためです。
光と影、明と暗・・・・・・この流転の人生がめくるめく音で刻まれて
いるのを心で感じとることができるのですが、いかがでしょうか?
ただ、41番と違うのは、以前にも書きましたが、哀愁がたっぷりと
漂っているという点です。目を閉じてひたすら聴き入っていますと
自分の人生が呼び起こされてくる感覚に浸れます。
時に哀しく、時に勇気づけられる感覚が体験できる名曲です。

しかも、全編、流転の人生を表現しているかのように、スピード感が
あります。私は個人的に重厚な41番よりも、この40番の方が好きです。
名指揮者、クラウディオ・アバドは、この曲を指揮するときには、
クラリネットを外したといいます。クラリネットの音色は、どちらかというと
牧歌的だと感じますが、私も、このスピード感のある40番にクラリネットは
そぐわないと思い、共感しました。
もちろん、モーツァルトはクラリネット協奏曲やクラリネット五重奏曲など
有名な曲を出し人々に親しまれていますが、40番にはそぐわないと
アバドは感じたのでしょう。これを外して、実にスピード感のある
人生を奏でていると感じました。これは、まったくの私見ですが、
音楽は心で感じられたらもうけもの、みたいに思って聴いている
私にとっては、アバドの40番は、小気味のいい感触がありました。

他の大指揮者の曲も聴いてみたいのですが、それは、またの
機会に!ということで40番についてでした。