イチョウの葉も黄色に染まり
秋真っ盛りですが、それとともに
落葉も始まっています。
イチョウの黄色、もみじや柿の
赤の混在。そして、今日みたいに
真っ青に晴れた空との
絶妙のコントラストや融合。
とても美しく、寒くても
快晴のおかげで
温かい気分に浸れます。
今年もあとわずか(ちょっと早い?)
ですね。
今日は、季節に関係のない
ゴルフスウィングについて
書きたいと思います。
ここ2週間くらい、左1軸
スウィングを試しています。
左足に体重をかけたまま、
上体をねじり、そのまま
ヘッドを上から落とす。
こんな打ち方を
試しています。
と言いますのは、
下半身がどれくらい
暴れなくてすむか?
ショートアイアンや
ウェッジでは、かなり効果が
出るのではないか?
この2つが主なチェックポイント
でした。長いクラブでは
試しませんでした。
飛距離が落ちると考えた
ためです。
結論からいいますと、
ウェッジや8番アイアンくらいでは、
効果ありと判断できました。
短いクラブほど飛ばすことよりも
精度よく運ぶことが大事に
なりますから。
実際に試してみて感じたのは、
右足も左足もインパクトまでは、
実に静かに整えられます。
傍から見ると、ほとんど
動いてないように見えるのでは?
その実、体の捻転は深く
なり、ぎゅっと締め上げる
感覚が強くなります。
トップで少し手が高く上がり、
気持ちアップライトな
スウィングになっている
かもしれません。
でも、正確性が増し、
方向性はいいです。
ただ、難点は、スピン量が
多い感じで、強風下では、
使いにくく恐れが充分に
あります。おそらくヘッドの
入射角が鋭角(急角度で
降りる)になり、スピンが
増えるためでしょう。
その分、気持ち飛距離も
落ちるかな、と思います。
でも、私のレベルだと、
ミート率が上向く分、
相殺されて平均飛距離は
変わらないようでした。
以上です。
飛距離よりも確実に
グリーンに乗せたい、ピンに
近づけたい場合、効果は
あるように感じました。
ただし、風が強い時は、
他の方法で対処したほうが
いいケースもあるだろう、
と思います。
ウェッジや短いアイアンが
不調になったら、この左1軸
でスウィングを見直すのも
案だと思います。
日本時間早朝のサッカー、
日本対ベルギー戦を観ました。
勝てるなんて驚きです。
ベルギーはFIFAランク5位で、
今のりにのっている代表ですので、
侍ジャパンの変貌ぶりには
驚かされました。先日の
オランダに比べ、
この日のベルギー代表は
迫力には欠け、
空中高く浮かすクロスの
ロングボールもあまり見られず、
8分めくらいの試合だったのでは?
でも、侍ジャパンが中2日の
アウェイ戦でW杯シード国の
強豪に勝てたのは、変化・修正の
賜物でしょう。6月のコンフェデ杯の
3連敗を糧に修正し続けた結果が
出ているような気がしました。
サッカーはここまでで、今回は、
エンターテーメントとしての音楽の
裏側がのぞける曲の話題です。
ラテン系の音楽は普段あまり
聴きませんが、ノリを求めたら、
ラテンもいいですね。
そのラテン系音楽の入った
”コパカバーナ”という曲を
紹介します。バリー・マニローと
いう歌手が歌って有名に
なりましたが、思わず踊りたくなる
とてもノリのいい曲です。
海辺でハバナダイキリでも
飲みながら、夕陽を見て
この曲を聴けたら最高でしょうね。
でも、ノリのいいリズム、メロディ
とは裏腹に、歌詞には
哀しさがあります。
メロディやリズムと歌詞の
トーンが全く反対。こんな
ギャップのある曲は世の中
には数多くあります。
これも音楽のいいところ
かもしれませんね。
歌詞を知らずに聴いていたら、
ただのお調子者かもしれ
ませんが、このギャップは
心のバランスをとるために、
作曲者が意図した英知
なのかもしれません。
(そうでない曲もありそう
ですが・・・・)
中南米のサンバやボサノバ
などのリズムはとても躍動的。
その中に、”もうこのコパカバーナ
では恋してはいけない”
という歌詞があります。
明るいリズムに、こんな哀しさを
潜ませるとは通ですよね。
このコパカバーナは、キューバ
の首都ハバナにある
クラブ(居酒屋)だとか・・・・。
そういえば、ハバナダイキリ
というカクテルは、映画の
『スカーフェース』で
アル・パチーノが飲んでいた
シーンが思い出されます。
乾燥したほこりっぽい地で、
高温の空気の中飲む
ダイキリは
喉を潤してくれるのでしょう。
哀しさも喜びも混在するのが
人生。でも、踊ろうよ。
そうすれば、次が開けて
くるから。
曲だけ聴いていると、
そんな元気をもらえる
気がするのですが、作曲者は
また別の意図で作って
いるかもしれません。
でも、音には明るさが
前面に出ています。
気分は高揚する名曲です。
先日、元ビートルズのポール・マッカートニーが
来日公演を行いました。
数々の名曲を世の中に送り出し、
全世界の人を魅了してきた、いや、
魅了し続けている彼。
思うに、20世紀から21世紀にかけて、
音楽界では、世界イチの
エンターテーナーだと感じています。
18世紀のエンターテーナー(という
表現がふさわしいか否かは
疑問ですが、私見ではそう
感じています)は、モーツァルト
だと思いますが、今は、ポール!!
ふたりは、音楽界が生み出した
まさに天才だと思います。
その片鱗は、作曲した曲の
イントロに凝縮されていることが
多いためです。
イントロの1節を聞いただけで、
感動できる、体が身震いする
程の感動が押し寄せる。
まさに、ふたりは、天才的な
メロディメーカーであり、
リズムメーカーだと
感じます。
日常のふとした瞬間に
ひらめくメロディとリズム。
それをイントロで使って、
泉が湧き出るように、
さらっと1曲を作ってしまう。
まさに天才的な感性が
生み出した感動を呼ぶ曲を
多数作っています。
これは才能以外の何者でも
ないと思いますし、その証拠に
ポールの名曲は、メロディや
リズムに比べたら、歌詞には
さほど特筆すべきものは
感じられないからです。
感覚で創られた名曲・・・・・・
だから天才だと感じます。
これは、モーツァルトの前期
にも共通することで、ポールの
ビートルズ前半期に似ています。
後期になると、ふたりとも人生で
さまざまなことを経験し、
創り方が変わってきたようですが、
ポールについては、70歳を
過ぎた今でも、その天才的な
感性を生かして曲つくりをしている
のは間違いないところでしょう。
これは、歌詞に多大なメッセージ性
を持たして曲を作る、おなじ
ビートルズメンバーだった今は
亡きジョン・レノンと対照的です。
では、ここで、ふたりの違いが如実に
分かる曲を書き連ねます。
先ず、ポールから~♪
アナザーデイ、イエスタデイ、ペニーレイン、
ミッシェル、ヘイジュード、オブラディ・オブ・ラダ、
ハローグッドバイ、オールマイラヴィング、
シーラヴズユー、プリーズプリーズミー
~♪ いかがでしょうか?イントロを聴いた
だけでジ~ンとくる曲ばかりでは?
続いてジョンから~♪
インマイライフ、イマジン、マインドゲーム
~いかがですか?歌詞をじっくり聞き込んで
味わう曲が多いのでは?
これは、いい悪いではなく、ふたりの
音楽につぎ込む才能の違いだと
感じています。面白いですね。
個人的には、エンターテイナーとして
楽しめるポールの曲が好みです。
さらに、ビートルズ解散後、ふたりは
ソロ活動を始めます。
ポールは、ウイングスを結成し、
数々のヒット曲を生み、
その後完全にソロに。
ウイングス時代の妻だった(死別)
リンダには、昨日の”尊厳”の話題に
つながりますが、こんなエピソードが
あります。それは、末期がんに
なったリンダが要望したことです。
いずれ近い将来、死ぬのなら、
自分が一番やりたいことをやって
死にたいと。それは、彼女の場合、
”乗馬”でした。普通に考えれば、
日本では、
末期がんを患っている人に
相当アクティブな運動になる
”乗馬”を許可する医師は
いないでしょう。
それくらい英国は、尊厳死に
ついて、先進国なのでしょう。
周囲の協力で、リンダは
乗馬を楽しんだのでしょう
(事実は知りません)。
ポールもリンダも人生の
エンターテーナーであり、
人も自分も楽しませる
達人だと感じています。
今日は、東京も含め関東地方は
小春日和に恵まれそうです。
そんな暖かい日差しが
期待される中、少しだけ
高尚な話題を書きたいと思います。
日本は、今、超高齢化社会に
向かっています。
お年寄りの方の尊厳について
語られる、考える機会も
増えてくると思いますし、
少しくらい若くても他人事
ではありませんから。
ただ、子供たちの尊厳と、
お年寄りの尊厳は、根っこは
同じでも、少し事情が違うので、
対応の仕方は変わってくる
と思います。
子供たちにはこれから将来、
日本社会の経済や文化などで
中心選手になりますから、
昔からよく言われてきたように、
「鉄は熱いうちに打て!」で、
愛のムチで鍛え上げて
いかなければなりません。
心も体も知性も鍛える。
それには、ご両親や学校の
先生のご尽力が必要でしょう。
「尊厳を重んじる」とは、もともと
その人の人権を重んじることで、
それも自分の人権を優先
するのでなく、他者の人権を
先ず第1に考え、尊重するのが
大事で、これは「相手のことを
自分のことと思える心」だと
述べている本もあります。
子供たちに対しては、
ただ甘やかすだけではなく、
本人の将来を考えて、
今何をしたらいいのか?
何を覚えたらいいのか?
どう生きたらいいのか?
それらを言葉だけでなく、
手本を示して見せ、
愛情を込めて教育して
いき、よくできたら
褒めてあげることが
大切だと考えます。
ところが、お年寄りの場合は
事情が異なります。
加齢とともに、頭や体の
機能は衰え、第1線からは
リタイヤした身です。
もちろん、若者とおなじように
働き、元気に趣味やボランティアに
打ち込むアクティブな方も
いらっしゃいます。でも、大多数は
衰えを隠せないのでは?
そんなお年寄りの尊厳とは?
1つは、自分が誰かの、あるいは、
社会の役に立っているという実感を
持てること。これが尊厳を支える
ひとつで、これは先のアクティブな
方なら自力でできることでしょうが、
それ以外の方は、ご家族なり、
老人施設のスタッフなりが、
ご本人の存在感、役割を再認識
させて、実行して
もらうのが一番だと思います。
第2は、自分がこれまでひとりで
できてきた歩行や家事、その他
趣味の手作業など、潜在的にも
顕在的にもその能力を失わない、
維持するためのサポートを
することが、尊厳を支えることに
なると考えます。
体が弱くなると、気弱になり、
今までできていたことができなくなる。
それは、錯覚で、またできるんだと
信じてもらうこと。そして、
実際にできたら、その成功体験が
生きる活力につながることだって
あるはずです。
また、寝たきりやおむつをあててる
お年寄りだって、本当に好きこのんで
そうしているのでしょうか?
もちろん好きな方もいるでしょう。
でも、そうでない方にとっては、
そんなことしたくなくても
そうさせられていることだって
あると思います。そんな方には、
自立支援のサポートを
してあげられれば、最高です。
自分たちがいつか(必ずその日は
きます)65歳以上になり、同じような
目にあえば、きっとその当時の
ご老人は傷ついていたんだな、と
いうことに気づくことも
あるかもしれません。
でも、それでは遅すぎます。
日本が本当の成熟した高齢社会に
なるには、こういう尊厳を考えた
ケアが大切だと思います。
その意味で、介護職のスタッフの
方々には頭が下がります。
過酷な労働の中、尊厳を考えて
ケアするのは、最初は、うまく
いかず省略したくなると
予想できるためです。
でも、徐々にうまくいき始めたら、
介護する側も介護される側も
喜びが倍増。達成感と生きがいが
蘇るような気がします。
えらそうなことを書きましたが、
これからの世の中、間違いなく
お年寄りが増え、悲痛なうちに
人生の幕を閉じるか、
生きていて良かったと感じて
幕を閉じるかでは、大きな
差です。
そのためにも、尊厳を考えて
生活することが第1歩だと
信じています。それを考える
だけでも1歩前へ進める
と信じています。
先日ゴルフ練習場で感じたことです。
隣の打席でニュージーランド人が
熱心にドライバー練習を
繰り返していました。
身長185くらいで腕も
肩も強そうな屈強な外人さん、
そんな風に見えました。
彼は、1球1球入念に
球を打ち、その結果や
感触に一喜一憂していた
のですが、何をどうチェック
していたのか、私には
最初はわかりませんでした。
(勿論、分からなくても
良かったのですが、・・・・)
その彼が練習を小休止し、
私のスウィングや打球を見て
「いいテンポで打ってますね」
と日本語で褒めてくれたの
ですが、これも社交辞令?
リップサービスだと思っていました。
「ありがとう」と言っただけで
私も自分の練習に集中!
ところが、彼は再びなぜか
ドライバーだけの練習を再開。
実に3~4箱もドライバー
だけを打ち続けました。
アドレスに入り、なかなか
始動に入らない。5秒くらい
じっとしたまま。そんなに
時間をかけて何を考え、
迷っているのか?
これが彼のリズムなのか?
ところが、毎回毎回、
打った後、舌打ちを始めた
のです。
「早い、早い」と。
どうもほんの少し上が
早いようなのです。
切り返しで、上体の力に
反射的に頼ってしまい、
下より上を早く使ってしまう。
8割がたライナー性の
方向性のいい強い球を
放っていたのですが、時折
どスライス、テンプラが
出てしまう。それが気に入らない
ようなのです。
見ていると完ぺき主義に
見えました。百発百中、
ナイスショットが出ないと、
気がすまないようなのです。
でも、そんな神業、アマチュアに
できるでしょうか?
そのために練習しているんだ、
といわれれば確かにそうなのですが、
実はここにゴルフの落とし穴
がある気がします。
完璧な結果を求めるあまり、
考えすぎてアドレスが長くなる。
その影響で、体が硬くなる。
スウィングで力みが入る。
切り返しで、力任せに使って
しまう腕や肩。そのせいで、
上体の開きが早くなる。
タイミングが狂い、
下半身のバランスを崩し、
方向性が悪くなる時が
必ず来る。この負の連鎖に
気づかなければ、いくら
球を打っても片手落ちだと
思います。
物事には順番が大事だと
思うのですが、いかがでしょうか?
1冊の本を編集する際、
集めたネタ(情報)をどう
整理し構成するのか?
それには、先ず順番が重要
になります。最初においしいネタを
少しだけひけらかすのか?
それとも、
本当に知りたいネタは、
最後の最後までとっておき、
待ちくたびれる
まで引き伸ばすのか?
状況によってその順番づけは
変わってきて当然です。
その順番と組み合わせを考え、
買いたくなる理由を
誘発するのも編集者の
仕事です。
それと同じで、ゴルフも
先ず考え方ありき。
力むのが分かっていたら、
その原因を消さないと
いつまでたっても上達は
望めません。こうなってる、
こうなってるからだけでは、
だめで、その
根っこの原因を絶たないと
いけません。
そのための知識と準備、
自分のクセをしり、
スウィングで効率よく
力を伝えられる順番を
体で覚えることです。
いきなり結果を求めて
いるだけで、これまで
うまくいったことが
あるでしょうか?
順番が大事・・・・・・・・
これは私自身の課題です。
ステップを踏まないと、
目的地にたどりつけない。
ダイエットも同じで、
付け焼刃のやり方では、
またリバウンドを
繰り返してしまいます。
ゴルフレッスン界の草分け的存在
であった小松原三夫さんが他界
されました。
小松原さんというと、80年代を
中心にテレビのゴルフレッスン番組で
活躍。シンプルな表現で
実に明解なレッスンをされる方
でした。
一番印象に残ったのは、
両足を揃えたまま球を打つ
練習ドリル。
格好が悪いなぁ、と最初は
そう感じていましたが、
このドリルには、色々な
エキスが含まれているのを
発見!!
試してみると体感できますが、
両足を揃えると、先ず足腰が
力まない。踏ん張れないんです。
それに、力まないから、
スウィングの軸が決まります。
頭のてっぺんから足先まで
1本のすじが通ったまま
スウィングできます。
不安定な状態だと、人間は
本能的に
体の安定性を維持して
振ろうとしますから、この
効能をドリルで体感して
もらおうと意図したもの
だと思います。
実際にトライしてみますと、
体が揺れない、肩や体、
両脚も力まない。
リラックスしたまま
球を打ちやすい。
これで球が曲がるようなら、
そこで初めて腕やリストの
使い方が悪いんがな、と
チェックできるわけです。
腕やリストがしっかりと
ターンできていませんと、
球は右にしか出ません。
腕やリストを返しすぎ、
なんてことはプロじゃ
ない限り、先ずありません。
これで腕やリストの返し方、
タイミングも覚えられます。
このように軸を決め、
腕の振りやリストの返しを
マスターするための
分かりやすいドリルを
小松原さんは、テレビで
頻繁に紹介されていました。
先達の智恵といいましょうか、
これを活用するのも
上達の1つではないかと
感じています。
基本を体で覚えるための
教えに長けた小松原さんの
ご冥福をお祈りしたいと
思います。
秋が深まってきました。
文化祭のシーズンですが、これから
紅葉、イチョウと秋の美しい葉が
落ち始めます。
『落ち葉のコンチェルト』・・・この曲を
聴くと、季節が移り変わる切なさが
じんじんと伝わってきます。
恋人への悲痛な思いを
大きな声で歌い上げる
アルバート・ハモンドの
名曲です。
そして、落ち葉、落ち葉。
濡れ落ち葉ではない(笑い)
正真正銘のはかなさが、
歌声から感じられ、
移ろいへの感傷が
募り、まさに秋本番!を
肌で感じる曲です。
11月の終わりころ、
イチョウの葉は落ち葉に
なっていきますが、
乾燥した快晴の空の
鮮やかな青色を背景に
イチョウの黄色を鑑賞すると、
自然美っていいなぁ、と
つくづく感じます。
人工物では作れない(?)
美しさです。
扇型のラウンドしたラインを
持つ黄色の葉は、優美
そのものです。
11月終わりから12月年末に
かけて約1か月、このイチョウの
葉は落ち葉となり、その後
枯れ木だけが残ります。
イチョウ並木の名所は、
このシーズン、ロマンチックな
シーンを演出する
美しい舞台と化します。
ロマンチックな気分に
浸ってみますか?