ピンチから学ぶ姿勢

2015-01-31 07:52:28 | ゴルフウイークリー

自分自身の体験から書きます。

100人くらいのコンペで優勝の

可能性があった日のことです。

最終ホールで、その日一番のピンチに

見舞われました。

ティショットが大きくスライスし、右の

がけ下へ。OBゾーンはなかったので、

がけ下から2打目を迎えることに。

「やってしまった!」と正直、思いました。

神様のいたずらって、こういうことかな?

とも感じましたが、心の余裕はありませんでした。

とにかく、このピンチからどう脱出するか?

そこに集中!

すると、短時間の間にいろんなことを

人間って考え判断するものなんですね。

7~8mくらい打ち上げで、グリーン方向へは、

高い木々が聳え立ち、フェアウェイ上へ

脱出できれば御の字の状況でした。

幸い、フェアウェイに出すだけだったら、

3mくらい木と木にすき間がありました。

私は、ここでとにかくボギー(パー4)で

上がる作戦へ変更。

では、フェアウェイに脱出する

ベストな方法は?

ボールのライは、左足上がりの上り斜面か?

それとも、比較的平らな

ライからの打ち上げか?この差は大きい!!

同じ上り斜面でも、つま先下がりが入るか?

ここでは、フェアウェイに出すことだったので、

7m打ち上げの左足上がり。つま先上がりは

入りませんでした。

では、ここでどんな球で脱出するか?

ふわっと上げる?

低い球を打つ?

ゴロで転がし上げる?

3つの選択肢の中から2番目をチョイス。

イチバン目は、距離感が難しい。

高さと距離をださないといけないため、

SWだとフルスウィングになり、体の

バランスを崩したりショートして

再びがけ下へ落ちる最悪の結果に

なりやすいため、NG。

3つめは、がけ上まで距離がなければ

イチバン安全なのですが、強さが足らないと

ショーとの恐れがあり撤退。なんせ

7m打ち上げでしたから。

それで、2番目の低い球を選択。これなら

強めに打てば、ワンクッション、2クッションしても

駆け上がってくれるとの見込みからでした。

本能的に一番リスクの少ない策を

チョイスしていました。

ただし、ロフトのあるショートアイアンでは、

上り坂のため、インパクトロフトはクラブの

ロフトにプラスされ、球が高くなり、

ショーとの恐れがあります。でも、ロフトの

少ないロングアイアンでは、球が強くなり過ぎ、

フェアウェイの先へ突き抜け、再トラブルに

なる恐れが・・・。

それで、最終的に6番アイアンを短く持ち、

下半身はインパクトの形を作って固め、

土台をしっかりさせたまま打つことに

集中。上からどんとぶつけて終わり。

距離感、強さは、見た目からの感覚を

出すよう素振りしてショットしました。

すると、予想どおりというか、

ワンクッションしてフェアウェイへ。

3打目でグリーン手前花道へ。

ここから寄せワンを拾い、

予定どおりボギーで上がり、

結果的に優勝できました。

私は、この体験を通じて

2つのことを後々まで

考えていました。

1つは、ピンチになると、人間は

短時間のうちにベスト策を

脳内を神経が駆け巡るように

考え出すということ。

目標に向かって挑戦していく過程で

ピンチになっても、それを乗り越える

知恵と体力を振り絞るエネルギーを

使えるということ。

それと、もう1つは、結果に

一喜一憂して、現実を診尽くす

目が欠けてしまうことです。

前者は、既に述べたように

チャレンジする醍醐味です。

挑戦を辞めては、進歩はありません。

考え抜き実行するから、成功もある

ということです。当たり前のことかも

しれません。

でも、問題は2つめです。

結果オーライならいいのかです。

確かに私の作戦は成功しました。

でも、今になると、あのティショットは、

OBになり、優勝を逃した方が

良かったのでは思っています。

OBになっていれば、なぜ土壇場で

OBを打つほどショットが乱れて

しまったのか?

心と技術的な問題、課題に深く

取り組むことができたかもしれません。

たまたま成功したから、

反省を忘れてしまう。これが、

実は一番怖いことだと思います。

長い目で見た、進歩の過程で

ゴルフが教えてくれること。

「結果に一喜一憂するな!

課題を見つけ、常に考え

身体を動かす。そうすれば、

次の道が開け、努力しろ!

前へ進め!」

そんな声が聞こえてきます。

ゴルフの上級者が謙虚なのは、

こんな姿勢が宿っている結果

なのかもしれません。

仕事にも通ずる

”謙虚で、かつ、日々考えながら

挑戦”の精神。

棺桶に入るまで失いたくない

ことです。

 

 

 


1月25日(日)のつぶやき

2015-01-26 03:26:36 | 音楽の思い出

厚雲のすき間から斜光が射し込む様を眺めて・・・ goo.gl/WZ1PTH


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厚雲のすき間から斜光が射し込む様を眺めて・・・

2015-01-25 13:11:25 | 雑記

昨夕のことですが、夕暮れ前に

遠くに見えた厚い雨雲のすき間から

太陽の光がさっと斜めに

滑り台のように地面へ

射しこんでいました。

その光のすじが幾重にも重なり、

天恵(天の恵み)のように

感じられました。

陰と陽、光と影と言いますが、

自然が見せてくれるコントラストは

絶妙です。

その瞬間だけの一期一会。

時間が経てば消え失せます。

それだけに、貴重な情景となっていました。

斜光の持つ明るさ、何かの

希望のようにも感じられ、

ほっと安心感がよみがえったほどです。

今、中東では、人の命に

関わる重大な問題が、起こっています。

雲が厚く暗くても、すき間から

斜光が差し込むように

一縷の望みがあるのなら、

諦めてはならないと思います。

何かの方策が、きっとあるはず。

島崎藤村の小説には、

「暗闇は、明るくなる直前が

イチバン暗い」というくだりがあります。

底なしに感じられるほど暗い闇に

押し込められた時こそ、次にチャンスが

巡ってくる。

そんな気がします。

この自然界の明暗は、生きる術や糧を

教えてくれているように思えるのです。

 

 

 


1月18日(日)のつぶやき

2015-01-19 03:25:21 | 音楽の思い出

ベート-ベンのピアノソナタ「悲愴」 第3楽章 blog.goo.ne.jp/golflesson/e/c…


ブログを更新しました。 『ベートーベン ピアノソナタ「悲愴」第3楽章』
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ベート-ベンのピアノソナタ「悲愴」 第3楽章

2015-01-18 11:43:32 | 音楽の思い出

ベートーベンについて書きたいと思います。

彼の音楽には、常に暗鬱な音が漂い、

自身の人生がその音に投影されていると

強く感じています。

軽快に創ったつもりでも、陰が

つきまといます。

ショパンの優雅さや、モーツァルトの

愉快さみたいな音感は、少し感じる

こともありますが、ベースには、

悲観が表現されているように

思えてならないのです。

例えば、ピアノソナタの8番「悲愴」

ですが、第3楽章は、軽快なテンポで

構成されています。

しかし、・・・・・暗さは残ります。

なぜなのでしょうか?

あくまでも私の推測なのですが、

1つは、耳が不自由だったことが

あるのかもしれません。

音楽を創るのに、苦悩していた!?

芸術者として自分が創った音楽が、

イメージした通りに音で表出されて

いるか確認できなかった苦悩とでも

いったらいいのでしょうか?

これがあるような気がします。

想像するに、この状況は、実に

本人にとって苦しいものだったと感じます。

それと、音を遮断された人間が

音を創るという、1つの矛盾。

これと闘うことは、身体や心に

想像を絶するダメージを与えたに

違い有りません。

実は、ウィーン在住の方に聞いた

ことがあるのですが、彼は、

引っ越し魔だったそうです。

ウィーン市内で、何十回と居を

変更したとか・・・。

それくらい環境を替えなけれなければ、

押しつぶされそうになるストレスから

逃れられなかったのかもしれません。

悲愴の第3楽章を

聴きながら、こんな彼の運命を

考えてしまいました。

人それぞれの人生と苦悩を

垣間見させてくれる音楽です。

それだけに音に深さと強さが、

にじみ出ていると思います。

ハンディを負った人が持つ

表現していこうとするパワーは、

底知れないと思います。

ベートーベンは、そんな作曲家、

芸術家なのでは?と感じました。

 


青空に行き着いた

2015-01-11 08:46:17 | 雑記

毎日、仕事に集中し走り続けて

いると、視線が低い場所に行きがちです。

集中心は大切で必要なものですが、

視野は狭くなります。

オフィスワークならなおさらです。

無意識に下ばかり向いて、息詰まるほど

ストレスを抱えた時、

心のリフレッシュが必要になります。

そんな時は、私は、青空を見るように

しています。

青空を見上げ、ふ~っと大きく深呼吸を

すれば、リフレッシュできます。

以前当ブログで、”緑の芝の上に

寝っ転がり天の青空を見上げれば

気持ちがすっきりする”と書いたことが

あります。寝っ転がることも、

なかなかできないので、立ったまま

青空を見上げる。

すると、これまでの視線が上向きになり、

視野が一気に広がります。

新鮮な空気を吸って、体の中も

掃除されリフレッシュされます。

それに美しく広々とした青空を

見ると、自分がちっぽけな存在に

思えます。なぜ、こんな小さいことで

悩んでいたかと。

それくらい自然は雄大で偉大。

謙虚な気持ちになれ、悩みも

些細なものに感じます。

時には、立ち止って視野を替え、

想像力を働かせて

青空から自分を逆に見てみるのも

必要かもしれません。

自分 vs. 自然 の対峙。

いや、融合です。

溶け合えば、うまくいくかもしれません。

対立関係は、物事の進行を

ぎくしゃくさせてしまいます。

太陽や水に次ぐくらい偉大な青空。

私は、いろんな意味で恵みをくれる

青空をリスペクトしています。

四季折々の雲も青空に浮かび、

とても美しい。眺めるだけで

すがすがしくなれます。

アイドルグループ『乃木坂46』の

ヒットに”何度めの青空か?”という

曲があります。

乃木坂の歌う曲で一番好きなのですが、

悩みがある時に何かのヒントを

くれるのが青空だというストーリー。

分かる気がします。

身近に見ることのできる自然の

財産、大切にしてみませんか?

 

 

 

 


1月2日(金)のつぶやき

2015-01-03 03:18:20 | 音楽の思い出

「美しき青きドナウ」・・・ウィーンフィルニューイヤーコンサート2015 blog.goo.ne.jp/golflesson/e/8…


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「美しき青きドナウ」・・・ウィーンフィルニューイヤーコンサート2015

2015-01-02 17:42:34 | 音楽の魅力

明けましておめでとうございます。

新年の元旦恒例のウィーンフィルニューイヤーコンサート。

今年は、ズービン・メータの指揮でした。

メータは、指揮をしている時にも

温かい人柄が感じられるヒューマンな方。

今年もサービス精神旺盛に全世界の聴衆を

楽しませてくれました。

オーストリア人ではなくインド人の彼が、

ヨハン・シュトラウスの「美しき青き

ドナウ」を指揮した時、自国オーストリアの

精神が乗り移ったかのような

安心感がありました。

演奏は、きわめて柔らかくメローな

音の連続で、ゆったりとしたテンポを

キープ! そのテンポが絶妙でした。

ゆったりしていても、イライラ感がなく

間延びしていない。それどころか、

このゆったり感たっぷりの演奏で

間合いを保ち、余裕があるため、

オケの面々も楽しそうでした。

ひとりひとりの気持ちを乗せ、

演奏を楽しんでもらう指揮とでも

いいましょうか。

”オーストリア的”といっていい、

バランス感覚にすぐれた仕上がりに

なっていたと感じました。

最近このニューイヤーで

タクトを振ることの多くなった

オーストリア人、ヴェルダーメストに

近い雰囲気を感じました。

これも、メータの人柄であり

自分の主義主張というよりも、

聴衆を楽しませることを一番に

考えた配慮があったのでしょうか!?

この演奏に、仕事の極意を感じた

ほどです。

今回の”美しき青きドナウ”を聴いた人は、

温かい気持ちに浸れたのでは?

 

音楽演奏には、人柄が現れる・・・

その好例を見させていただいたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 


12月31日(水)のつぶやき

2015-01-01 03:35:49 | 音楽の思い出

ショパンとモーツァルトの意外なつながり blog.goo.ne.jp/golflesson/e/e…


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